カレ・ブラン : インタビュー
ジャン=バティスト・レオネッティ監督、問題作「カレ・ブラン」で描く歪んだ世界と愛の物語
「カレ・ブラン」とは、フランス語で白い四角、数字のゼロを意味する。フランスの新鋭ジャン=バティスト・レオネッティ監督は、長編デビュー作を「カレ・ブラン」と名付け、人間が“ゼロ”すなわち無へと向かう近未来のディストピアを生みだした。思考と感情が完全に統制された社会のなかで、レオネッティ監督が描きたかったものとは何だったのか。(取材・文/編集部)
「カレ・ブラン」では、時代や国といった背景は描かれていない。スクリーンに映し出されるのは、人間が“社畜”と“家畜”に大別され、社畜が家畜を管理する世界だ。生物学的弱者は生きる場所を奪われ、追いやられた家畜は人肉として社畜の食事となる不条理が繰り返される。
ジャン=リュック・ゴダールの「アルファヴィル」(1965)を彷彿(ほうふつ)とさせる都市の姿。「時計じかけのオレンジ」(71/スタンリー・キューブリック監督)に似た、暴力のはびこる全体主義。そして、「ソイレント・グリーン」(73/リチャード・フライシャー監督)と同じく人肉食品をほおばる人々。70年代のアメリカ映画から強く影響を受けたというレオネッティ監督は、傑作の歪んだ未来図を受け継ぎ、主体性を喪失した人間を冷徹に見つめる。
「この時代の映画には、物語性と視覚的ビジュアルが共存していました。でも、私にとって最も重要だったのは、この時代の作品が持つ“パラノイア(偏執性)”です。『マラソンマン』『コールガール』『コンドル』『大統領の陰謀』『時計じかけのオレンジ』『ソイレント・グリーン』『ローラー・ボール(1975)』といった“パラノイア”について語った作品が、私の基礎を築いてくれました。だから、初監督作品がこの方向へ進むのは自然だったのです」
レオネッティ監督は「視覚的な一貫性を保つこと」を重視し、車、建物、光、表情をリアルでありながらひねりを持った視点で切り取った。「おかしな世界だけれど、どこか見たり感じたりしたことがある感覚に陥る。映画館を出て現実に戻ったとき、映画の世界と現実が遠く離れたものではないと気付き、不快感を覚えるのです。『カレ・ブラン』の世界と現実は、どこかでリンクしているから。一種のパラレルワールド、いわばリアルな悪夢なんです」。だからこそ、我々は違和感と既視感に襲われる。オープニング・エンディングで登場する謎めいた数列にも、不吉な印象を受けるだろう。なぜなら、「世の中がどのように死んでいっているか」を示すカウントダウンだからだ。「ゼロという数字に、“白い四角”を見ることになる。それが『カレ・ブラン』の世界における人間の姿です。一瞬で存在がなくなるということを示しているのです」
類まれなディストピアを描くにあたり、レオネッティ監督は世界や国家といった巨大な単位ではなく、ひとつの組織という小さなシステムに焦点を絞った。「この映画には警察や軍隊は登場しない。権威がどこに存在するのかはっきりとはわからない。『カレ・ブラン』の中では、最大の敵は自分自身、あなた自身なのです」と内面に巣くう恐怖をあぶり出す。「私たちは常に監視されている時代に生き、恐れている。でも何を恐れているのでしょうか? これはこの作品の最も重要な問いかけです。映画を見ている人は、主人公が完全な監視の下に暮しているということがわかってくると、恐怖心が芽生える。自分を恐れ、過去・未来を恐れる。このような人間の心理こそが、本物のファシズム、警察や軍隊のいない近代的ファシズムだと思うのです」
しかし、本作は暗黒世界とそのシステムを糾弾するだけの映画ではない。幼少期から思想教育を施され冷え切っていた夫婦が、生か死の瀬戸際で愛と自由を選択するラブストーリーでもある。この世界では、不条理に気付いてしまった人間は死を選ぶが、夫婦が抑圧と死を超えた愛にたどり着き、希望となる。「このような悲惨な世界で、愛の物語を伝える以外に希望を示す手段はありません。主人公がこの世界を生き抜く方法は、妻を愛し続けることができるという能力なのです。夫婦は一緒にいようと決断する。これは小さな希望ではなく、とても大きな希望です。この映画の最も重要な部分で、私たちは彼らが触れ合う姿を目撃しなければいけないのです」
異色作で長編監督デビューを果たしたレオネッティ監督だが、本作は“精神的な暴力の提示”を理由に、本国フランスでは数館のみでの限定公開となった。「この映画を偏愛してくれる人もいれば、嫌悪する人々もいる。それはまさに私の求めていた反応なのです。この世界に踏み込むか、踏み込まないか。選択権はあなたにあります。もしこの世界を見てみようと思うなら、興味深い経験ができるでしょう。ただし、なにが確かなのか確信を持てなくなる状況に身を置かなければならないということも、覚悟しないければいけません」