ホーリー・モーターズのレビュー・感想・評価
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映画を描いた映画
監督自身から幕を開ける物語。
長い一日をドニラヴァンが演じ分けるんですが,これがものすごい幅で見応えがあります。
物語を簡潔に纏めると、主人公オスカーを通して“社会には決められた役割があり、皆はそれらをずっと演じ続け生きている”という風刺的な作品に見えます。
でもこれは映画を描いた映画であり、また自身を描いた映画でもあるのでしょう。
インターミッションを含め11ですか、その数の作品にカラックスがもう一度会いに行ってるように見えました。
自身の「TOKYO」「ポンヌフ」はもちろん、さまざまな作品へのオマージュが見え隠れしていましたしね。日本人的には「ゴジラ」はツボでした。
迎えたラストは意見が別れそうですが、私は何か好きでした。
シューーーール!
勝手な解釈で申し訳ないが、ひと言で表せば“高度なイメクラ”。俳優が様々な依頼主から仕事を貰ってロールプレイングする。しかし、一時の満足を与える雇われ俳優ではなく、夢を与え、幸福感を与え、恐怖を与え、悲しみを与え、世の不条理を与える・・・時には殺し屋役の俳優に本当に殺されてしまったりする。
冒頭のカラックス監督本人の舞台から始まるものの、観客は皆死んでいるかのように動かない。赤ん坊や大きな犬が通路を歩いていても知らん顔。作られた演劇が全て無感動になっている世の中で、個人的に接することで人に感動を与えるような。そんなリムジン俳優の1日の物語なのだと解釈しました。
物乞いする老婆、モーションキャプチャー・アクター、地下の怪人~「美女と野獣」のごとき恐怖シーン(ゴジラのテーマ曲が斬新)、初パーティ帰りの少女アンジェリカの父親、アコーディオン弾き、中国の殺し屋、銀行家殺害犯、姪レア(=エリーズ)が悲しむ死に際の老人、かつての恋人ジーンとの再会、そして「自宅」。数えたら11に満たない・・・(汗)。
それぞれのエピソードがシュールな映像や展開を含んでいて、現実とはかけ離れているのも特徴ですが、最も強烈だったのが演技をしていない廃デパートでの邂逅シーン。いきなりのミュージカル風ラブロマンスでもあったが、元カノジーンもまた俳優業だったのだろう。それが、恋人との飛び降り自殺だったとは・・・唖然。現実が辛い・・・
「自宅」で会う家族がチンパンジーだという意外性もシュールだけど、すでに人間の世界に失望しているオスカーだったのだろう。そしてタイトルの「ホーリーモーターズ」も印象に残ります。運転手セリーヌにしても雇われの身であり、彼女自身も俳優を操る仮面の女。さらにリムジン自身も仕事が終わると、使い捨てにされると愚痴をこぼす。
映画のような人生というより、人を豊かにするのも喜怒哀楽を与えるのも映画そのもの。無機質な世に一石を投じた作品なのかもしれませんね。それにしても指を食いちぎられた写真家助手のジェイミーが気になるところ。
インターミッションのアコーディオンと最後の歌(シャンソン?)が良...
インターミッションのアコーディオンと最後の歌(シャンソン?)が良かった。
『人の死によって、自分が生きてるのを実感出来る』のような言葉が良かった。
オムニバスならジム・ジャームッシュやロイ・アンダーソンの方が僕は好きかなぁ。
生まれ変わりたくないね。安らぎの時なんて、ある分けがない。最後は誰でも死ぬんだから。面白い映画見ている時が安らぎの時だと思う。だから、今は安らいでいない。この映画の良さが分からぬまま、何度も睡魔と戦いながら、今、やっと見終わる。
明日から仕事だ。
レオス・カラックス監督の傑作!
この映画、観始めた時は「何、これ? 状態」だったが、ドンドン観ていくうちに「次は何?それで次は?」…と思ってしまう「とっても面白い映画」だった。
レオス・カラックス監督、さすがである。
朝から深夜まで白リムジンでアチコチを巡っていき、一人の男=オスカー(ドニ・ラヴァン)が様々な人となる姿を見せてくれる。
白リムジンを運転するのはセリーヌという女性で、オスカーのアポをコントロールしながら運転していく…。
乞食の婆さん、トレーニングして女と絡む男、墓を彷徨う怖く見える男(→モデル女性をさらって逃げる男)、娘を車に乗せる父親、アコーディオンを演奏しながら街を集団で歩く男、殺人者?被害者?の男、「伯父様」と呼ぶ女性が近くに居る死ぬ寸前の男など……をドニ・ラヴァンが見事に演じ分ける。
お墓シーンで「♪ゴジラ~メインテーマ」が流れるのも印象的。
終盤に流れる歌の歌詞「♪人は望む、生まれ変わりたいと…」というあたりが、本作のテーマに思える。
観る人によって印象は当然異なると思うが、個人的にレオス・カラックス監督の傑作だと思う。
(※)2013年日本公開作、同年のキネ旬第6位。
パリ・死神の車
こここれは…生きてる間に劇場で観たい
目に焼き付けて焼き付けて焼き付けて
どの場面も自分の寝てる時の夢で見たい
夢の場面で入って行きたいところばかり
アコーディオン担いでモブに参加したいところだ
ドニ・ラヴァンってもういい歳だろうけど
(どれが素顔か分からなくなってきた)
軽々と女優を抱き上げデパートの階段を登る
すごいね〜身軽だし
お正月に、娘が宿題で見とかなきゃいけないのがあるの、と言うので付き合って一緒に『TOKYO!』を見たのが運のつき、オムニバス3話中1番面白くなかった河童キャラのメルドが出てきて始めて
今見てるこの映画、レオス・カラックスのだ⁉︎
と気がついた…間抜けなあたし…
配信のお薦め作品を流れのまま見続けているからたまにこんなお宝を発見させてもらえる
いいのか悪いのか…
この手の映画、あたしは大好物で
絵がきれいなのでいつまでも鑑賞していたいし、ストーリーも理屈も不要なのだけど
自分なりのまとめとしては「この世の生き様」
としておこうかと…
タイトルはベルリン・天使の詩より
ドニラバンとカラックスの二人三脚
背景はよくわからないまま、見始めた。若い頃カラックス映画を見て衝撃を受けた、そのドニラバンが、そのままに歳を重ねスクリーンに写る。その意味では、最初のアポである物乞いをする老婆のドニラバンに一番惹かれた。そして真っ白いリムジンを操りドニラバンを気遣う元ダンサーのセリーヌの美しく慈愛に満ちた言動に惹かれた
だから、なんだよっ、ていうのばっか
もうええわ、てなった。正直かなりしんどい映画。
この例えもどうかと思うけど、北野武におけるTAKESHIsとかこのへんを外国人が見るとおんなじ気持ちになるのではないか笑(あ、TAKESHIsはそこまで嫌いじゃないんだが)
信者が付いていくような作風なので興味がない場合、理解しようって気持ちすら起きないっていう。たとえばシーン毎で、あ、おもしろいな、てところがあれば違うが、個人的には全然で、だから、なんだよっ、ていうのばっか。
ただ終盤のオチ、あれ、なんだよな。もしかしてあれやるためだったの、それはそれでまんまとしてやられた感じで腹立つな笑
映像としての価値は高い
冒頭の物乞いいはありがちかな、と思ったが、次のボディースーツ、墓場、と映像にはインパクトあるが、中身は?でした。
謎があるのかと思い頑張ってみるも、結局伝えたい事があるというより、奇想天外なストーリーを見て、という事なのかな?と。
ゴジラのテーマ曲
ゴジラのテーマ曲が使われている映画と聞いて興味を持ち鑑賞、ところがこれは観客を翻弄する難解な芸術映画、いわばレオス・カラックス監督の映画エッセーでした。
大まかに10編の寸劇を主人公がそれぞれの役に扮装して演じる話なのですが撮影隊は見えません、着替えやメークは移動中のリムジンの中、これはある種ビジネスのようで雇い主は「ホーリーモーターズ」。看板を掲げたビルには同様の数十台のリムジンがありますので手広くやっているプロダクションのようです。
レオス・カラックス監督が映画雑誌のインタビューで語っているところでは、「この映画は死者の映画、それをたまたま現世の観客が同時に観ているのです」と訳の分からないことを言っていた、勝手に解釈しなさいとのことなのでこじつけると、ホーリーモーターズは、あの世に逝った人々が観る地獄テレビのワイドショーの再現ドラマを請け負っている会社と思えます。したがってSF調のブラック・コメディの部類という理解でどうでしょう。
マーカーのついたボディスーツを着てモーションキャプチャーの撮影をするシーンはSF映画作りでは欠かせない舞台裏の作業ですがあえて表にだしてみたかったのでしょう。
お目当てのゴジラのテーマは凶暴でキモい浮浪者が墓場に登場するシーンでかかります、若い女性の指を噛み切ったりモデルを誘拐、髪の毛をむしって食べたりとゴジラが知ったら怒りますね。
物乞いの老婦人に成り済ますシーンは監督がパリでよく目にする光景で心を痛め、一時、社会派のドキュメントを撮りたいと思っていたらしい。自殺する女性は本作の2年前に自殺した内縁の妻カテリーナ・ゴルベバへのオマージュらしい、解らないのは家に戻ると家族はなんとチンパンジーだったこと、なんの暗喩なのでしょう。監督の頭の中ではそれなりのレゾンデートルがあるのでしょうが、凡人の私にはさっぱりでした。巷間言われる芸術性の高い映画もどきは疲れます。
不思議と心に残る映画
第一印象は「???」映画界に対するオマージュってことは何となくわかるけど影像のインパクト>>>>>ストーリーな感じ
けれどもなぜかふとしたときに思い出す
時々見返してもやはり「???」ってなるけど、
人に勧めたくなる映画ではあるかな、言葉で説明できないし、面白いから是非見て!って感じではないけど
前情報無しで見てもらって話しに花が咲く事は多い
それだけ深い作品って事なのでしょう
装いながら
監督自身が登場するシーンから物語の幕が開き、一日に十一人を演じる、その日によっては演じる人数も異なったりするのか?リムジンの運転手は固定なのか?
余計なところまで考えてしまう、謎なのか?何なのか?不思議な感覚に陥る。
フランス映画で"ゴジラ"の音楽が流れる意表を突かれる演出や唐突にミュージカルなど興味の持続力は最後まで尽きない。
一体全員、彼は何者なのか?"オスカー"と呼ばれる一瞬の時が本来の自分自身なのか?いや、それすらも演じている人物に過ぎない、他人を装いながら歩む人生が職業である斬新さ。
自分なりの感覚で楽しめる作品として、それぞれの価値観が色々な方向へ、答えや感想も様々に!?
カラックスを観ずして映画通を名乗るなかれ。
という僕もこれが初めてです。自分への戒めです。
この映画、最後まで意味不明でした。
映画へのオマージュが散りばめられてるなんて語ってる人が大多数ですが、果たしてほんとにそれだけなんでしょうか?もっと深い何かがあるような気がします。といいつつもそれが何か全くわかりません。
もっともっと勉強して、そして何度か繰り返し観て、ようやくわかった気になれそうな気がします。この映画は、人生の宿題にします。
オープニング、戻る→進む 商業化形式化した映画 観客は寝ている。 ...
オープニング、戻る→進む
商業化形式化した映画 観客は寝ている。
カラックス起きる。目覚める。煙草に火を付けベッドから降りる。船の音。カモメ。
森の中で眠っていたのとでも。
パソコンのスクリーンには水面が映る。
壁に描かれた木々。森。ひさびさに下界でもみてみっか。覗き穴。
中指に鍵。このモーション最高。チカチカ劇場。
カラックス二階席の目のこえた客席へ入場。
同じタイミングで赤ん坊。生命。
土佐犬、、、
出勤。父として。オスカー
セリーヌ。秘書。
リムジン。九件のアポ。
貧乏人のスケープゴートにされる。大衆は煽られる。時代だな。
セルジュ 今夜フーケッツで。
カメラを回転、素早く動かす。ズームインアウトを素早く。見失ったかのように。ようやく見つけてドニにフォーカス。
老婆 物乞い 老い 衰え こんなに老いさらばえても決して死ねない。それが恐ろしい。
リムジンの車内は楽屋のよう。衣装で溢れている。化粧台。
モーションキャプチャー
鼻毛採取検査
肉体と性と若さ、生殖
手首回し綺麗 赤外線投射
演舞 何と戦ってるんだ 肉体の可動域 自己の肉体との
ランニングマシン
マシンガン装填
細胞の形成 立体の工房 汚れた血モダンラブを想起
赤い女と吸い合うようにして絡み合う
反って絡んでまた反って絡みつく
CG化 クリチャーの交じり合い
メルド
爪と髭と片目は白曇り
幕の内弁当 緑色の海藻 風呂敷をエプロンに
森でのアポは?
マンホールを外し下水へ 地下を歩く列
墓地 ゴジラのテーマ メルドを捉えた
花を喰い、煙草を吸う
………記録するにはもったいない。叙述してはだめなのかもしれない。やめました。
カラックスはもう撮らないのかな。
また観たいです。
他人の死によって自分の生を認識する
生が継続されていることを知る
苦悩は1番深くない。それでも深い。
死は良いものだがそこに愛はない
生には愛があるだから素晴らしい
誰かは死に誰かは生き続ける
私たちは誰だったの
散らばるマネキンとカメラたち
行為の美しさ
美しさは見るものの瞳の中にある
見るものはいるのか
絵本を見るように
絵本を見るように、11のページをめくる物語だ。
監督はヌーベル・バーグの新星だが、「ヌーベル・バーグ」は、そもそも大人の創作した世界ではなくて、空想と現実の新しい渦に遊ぶ子供の見ている世界だと思う。発見ではなく物語への回帰なのだ。
例えば
「あおい目のこねこ」や、
「わらしべ長者」。
「100万回生きたねこ」もそうだ。
繰り返す物語は、ひたひたと寄ってくる新しい波。
かつての同僚で、ニューヨークでリムジンの運転手をやっていたという人がいた。
新潟の中西さーん!
どんなお客を乗せたのかな、どんなストーリーがあったのかな、
また会って話が聞きたいよ。
気付いたらハマってた
難解な部分もあるし、
グロテスク、気持ち悪い、
と思われる部分もある。
ストーリーも「??」となりつつも、
気がついたら
映画館で、
周りに人がいることも忘れて
自分が映画館に来てる事も忘れて、
すっかり引き込まれていました。
映画と私しかないみたいに。
というより、
映画の一部になったんじゃないかと思うくらい、
すっかりハマってました。
映画を観て 何年も経つけれど
忘れられない作品です。
苦手なものは苦手
私が苦手な映画のジャンルの一つに、鬼才が描く難解映画・哲学映画がある。
そういう映画って、批評家からは絶賛され、世界レベルで見れば傑作なのだろう。
でも、おバカな自分にとっては全く理解出来ない。
レオス・カラックスも世界が認める天才なのだろう。
「ポーラX」以来長編としては12年振りとなる本作も、批評家や世界中で絶賛。
リムジンに乗り込む男が、11人の男に姿を変え、奇妙な仕事をこなし、ある一人の女性を追い求める様を、現実と幻想を交錯させて描く。
シーン一つ一つに深い意味合いがあるのだろう。
レオス・カラックスの才気もほとばしってるに違いない。
…でも、この映画を理解出来た人、何人居るんだろう?
こういう映画に魅了されてこそ、真の映画通なのだろう。
分かり易い娯楽映画を好む自分なんて、映画通の風上にも置けないただのミーハーに過ぎないかもしれない。
でも、びくびくしないで声高らかに言いたい。
好きなものは好き、苦手なものは苦手。
この映画、苦手だ。
また自分の低脳振りを示す事になるが…
唯一印象に残ったのは、あの偉大なテーマ曲がかかった時だけ。
(どういう意味合いで使用されたんだろう? 男の奇行は怪獣のようなもので、それを表す為に使用されたのかな?)
ドニ・ラヴァンのお仕事ムービー。メルドも出るよ!
ドニ・ラヴァンがオムニバス映画「tokyo!」のカラックス作品で演じたメルドを始め、様々なアポと呼ばれる他者になる仕事?を演じていくというストーリーなのだけど、彼が成るメルド以外の人物もどうやら他作品から続く文脈があるようで、ドニ・ラヴァン、レオス・カラックス、ひいては映画全般についての相当な知識が無いと言わんとすることを完璧に理解することは難しいだろうと思う。メルドでのフレンチジョークですらも置いてけぼりの感があった僕としては、かなり厳しかった。
彼が劇中で演じていく物語も現実社会に対する風刺の入ったものが多いようだし、映画製作側と少なくとも同じフィールドに立たないと評価の仕様がないような気もしてくるので、この映画単体としてはなかなかこれくらいの評価しかし難い。
ストーリーは現実と演技の境というものがわからなくなっており、映画とは、演技とは、自分とは、といったような観念的なテーマを提示してくる。その辺り「8 1/2」のようであり「バードマン」のようであり、巨匠になるとそういう自身の苦悩とかを作品に昇華したくなるものなのだろうか。
ラストの解釈も、他者やシステムに行為を代替させてそれを体感するだけになっている現代への嘆きと取れたけれど、果たしてそれが合っているのか....
カラックス作品や映画的素養がもっと増してから見るとこの映画の評価ももっと高まるように感じた。
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