「ゴジラ映画は難しい」GODZILLA ゴジラ odeonzaさんの映画レビュー(感想・評価)
ゴジラ映画は難しい
ゴジラ映画は難しい。本家日本でも乱作され過ぎてネタ切れの感。もはやいじりようがないところまで変容した。前宣伝ではゴジラ復活とある、当時ゲテモノ扱いの怪獣映画に本物の制作者たちが結集し渾身の大作を産み出したのは第五福竜丸の被爆事故が契機になった。原爆、水爆と2度までも核の悲劇に見舞われた日本人としての平和への悲痛なメッセージが託されていたからであろう。原点回帰といってもハリウッドにとっては反核のテーマが重いだろう。娯楽映画と割り引いてもマグロ好きのイグアナもどきのあつらえでは怒りさえおぼえる。今度のゴジラは巨大、立って暴れているようだ、期待はしないがこれは見ずにはいられない。
3D吹き替え版で観たのだが後加工の疑似3Dなのか前の席に座ったせいか迫力がない。オルセンの吹き替え役があまりにも棒読み過ぎてひっかかる。これなら通常字幕版の方が良かった気もする。
(ここからネタバレ)
先ずは核との向き合い。なんとビキニ環礁の水爆実験はゴジラを抹殺するためだったとの論外のすり替え。ウーンここまで譲らないとハリウッドの重役陣は認めなかったのか。怪獣抹殺に仕掛けた核爆弾の解除に翻弄されるマッチポンプ的筋書で皮肉ってはいる。渡辺謙扮する芹沢博士が広島で死んだ父の形見の時計を持ち出して核使用に反対するシーンも弱い。黒を白にしてまで描きたかったゴジラとはなんなのだろうか。至近な大事件、事故を引き合いに出すのは映画の常套手段とはいえ原発廃墟や津波襲来もどきのシーンは福竜丸の意趣返しか。こじれてきたな。斯様にゴジラ映画は真面目に考えると作るのも観るのもしんどいのである。
邪推はさておき見どころはゴジラとなるのだが、これが出番が少ない。当面の人類の敵役はムートと呼ぶ昆虫もどきのゲテモノ雌雄にあてた。ゴジラはこいつらを倒す役回り。SFはもっともらしい嘘が肝、科学的な非科学の程度が没入力を左右する。巨大とはいえ所詮生物、傷を負わない設定は無理がある。そこで放射能をエネルギーとして太陽風、電気うなぎばりの電磁放射で近代兵器を無効化するというSFではおなじみの仕掛け。名前にGODがあるがゴジラを荒神、救世主には描けない、におわせるだけ。ムートとは太古からの宿敵だからやっける、芹沢博士は怪獣たちは本能の赴くままに動いているだけと言う。ギャレスエドワース監督はわが道を行くとばかりに怪獣よりはフォード大尉の人物像づくり、活躍に力を入れている、これは「モンスターズ」からもうかがえる彼の流儀なのだろう。
もちろんスタッフにもオタクがいるのだろう。ファン向けのサービスもセンスが光る。過去の大作のパロディ、稚拙だとパクリ、品良ければオマージュの挿入はこの種の映画のお約束で面白い。
怪獣が高架鉄道を襲うのはキングコング、ゴジラにつながる定番。普段の生活に突如割り込んでくると恐怖感が増すというリアリティ演出のお手本シーンである。ムートの産室もまさにあれもどき、焼き払うシーンでは溜飲が下がる。ゴジラがムートの口を裂き放射線をぶち込むシーンは初代キングコングが恐竜にとどめをさしたシーンを彷彿とさせる。モーションキャプチャーで着ぐるみゴジラが蘇った、立って歩き放射能を吐く、咆哮あげ敵を倒し静かに海に帰っていく。やっぱりあれはゴジラだったのだろう。