「前作よりはマシだった」GODZILLA ゴジラ アラカンさんの映画レビュー(感想・評価)
前作よりはマシだった
ゴジラ映画をハリウッドが作ったのは,1998 年に続いて2本目である。前作は,肝心なゴジラのデザインがイグアナみたいで最悪だったのに加えて,ストーリーはエイリアンシリーズからパクったようなオリジナリティの低さが我慢がならない超絶的な駄作であった。聞くところによると,前作のデザインが日本製ゴジラと大きく違っていたのは,フィギュアの売り上げで日本製と明確に区別がつけられるように,という商売最優先の下心があったためらしい。製作陣の期待に反して前作の評判は散々で,イグアナのようなフィギュアが売れたなどという話も聞いたことがないし,今作でも前作の話は全くなかったことになっているので,ターミネーターシリーズの T3 のような黒歴史という扱いなのであろう。
前作の監督は昨年「ホワイトハウス・ダウン」という超絶的な傑作を見せてくれたローランド・エメリッヒだったが,脚本が悪過ぎたせいだろうか。だが,前作の脚本には監督自ら参加しているので,言い訳はできないと思う。放射線を吐かないゴジラなどゴジラとはいえないのである。
一方,今作ではゴジラのデザインは日本製に非常に近く,効果的で優秀な CG と相まって,視覚的には非常に満足のいく出来であったことにまず感謝したい。だが,問題はまたも脚本にあったような気がする。まず,ゴジラが単体で大暴れするのかと期待したら,ほとんどの話は MUTO という新種の怪獣に割かれていて,ゴジラがほとんど脇役になっていたのには心底から失望を禁じ得なかった。60 年前の日本のゴジラも,第2作からは別怪獣が出て来たので,対戦ものになるのは避け難い宿命なのかもしれないが,せめて2作目からにして欲しかった。また,ゴジラの行動原理が全く分からず,非常にご都合主義的な役割を与えられてしまっていたのが残念の極みであった。
人間側のドラマも穴だらけで,米軍は無能の集団のように描かれ,折角出て来た渡辺謙の日本人学者も,行動が非科学的で根拠のないことを推測だけで断言してしまうようなキャラ設定だったのにはほとほと脱力した。主役親子の話を盛り込んだのは,MUTO の生態に関連づけるためなのであろうが,あまり上手く絡めていたとは到底言い難かった。それにしても,結局アメリカ人の考える生物的恐怖というのは,未だにエイリアンの域から出ていないのかとため息が出た。
音楽は伊福部昭の音楽が少しは回想されるのではと期待していたが完全に肩すかしであった。調べてみたら,フェルメールを題材にした「真珠の首飾りの少女」の音楽も担当していた人だったので驚いたが,作風は全く違っていて,やたら Trumpet の高音を使う人だという印象であった。それなりに頑張っていたと思うが,全編中最も印象に残った音楽が,米軍がパラシュートで降下する時に流れた Ligeti のレクイエムだったのは,この作曲家には気の毒ではなかったかと思う。Ligeti のレクイエムは「2001 年宇宙の旅」のモノリスが登場するシーンで流れる曲で,神秘性が物凄い名曲であり,予告編で流れていたのが印象的であったが,本編でも使われていたことに Ligeti ファンの一人として非常に嬉しかった。
3D 版を見たのだが,特に 3D である必要があったシーンは記憶にないので,2D 版で十分ではないかと思った。3D 版は日本語吹き替えなので,むしろ全員が日本語を喋っていることの方に違和感を覚えた。主役の妻役の吹き替えがどんな場面でも酷い棒読みだったのも気に入らなかった。面倒なことを考えずに,怪獣が非常にリアルに町を破壊する様子を「すげ〜」といって眺めるのが最も良い鑑賞法なのかも知れない。2D 字幕版も見に行ってみようかと検討中である。
(映像5,脚本3,役者3,音楽4,演出5)×4= 80 点。