劇場公開日 2013年7月20日

「老巨匠の描いた壮大な言い訳」風立ちぬ lotis1040さんの映画レビュー(感想・評価)

5.0老巨匠の描いた壮大な言い訳

2013年11月6日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

泣ける

悲しい

怖い

変に政治的な意味のある作品でもない。
純粋な愛について描かれた作品かと言うとそうでもない。
美しいということについて描かれた作品というのもそれも違っている。
美しいというのは一番近いがそれだけではない。
この映画は、宮崎駿のクズ宣言である。
僕は自分の好きなものにしか興味がありませんという宣言だ。
そしてその好きなものすら捨てて生きてっちゃうクズなんですっていうそんな最低なクズ宣言だ。
自分が結局いちばん好きです。そんなもんなんです。あなたたちもそうなんでしょ? 日本人みんなそうじゃん。
俺だけじゃないよね。色々に言われるけど、俺そんなに立派な人間じゃないですから、何をしても破綻してるから。立派に見せるのだけは得意だけど、ホントそれだけだから。
ごめんね、ごめん。っていうのがこの映画だ。
左や右からその思想を褒めたりけなしたりするのはもう既に感想としておかしいし、そいつは頭のねじがとれてる。
主人公に感情移入できないからダメというのは感情移入型の映画に慣らされすぎているだけで、実はこの映画の構造は外から神の視点とも言うべき場所で映画を覗き込むタイプの昔の映画なので批判に相当しない。
明日に生きる勇気をもらったとかちゃんちゃらおかしい。
クズの俺は生きるしかないという宣言の作品で勇気をもらうのは自分がクズだって認めているようなものだ。
違う違う。そういうことではない。
この映画の根本にあるものは、クズな俺わかってよ。わかってくれよが本質なのだ。
天才だとか言われながら、それにこたえなければならなかった男の、どうにか天才を演じなければならなかったひとりの男の物語だ。
でも天才じゃないって本当は思ってる。自分ではどうにもできない。だってロリコンだし、おっぱいの大きな女の子が大好きだし、戦争も戦闘もロートレックもマグリットも長野も日本も母親もみんな大好きなのだ。
そんなひとりの老人が愛するものを今回ばかりは捨てた。燃やした。愛するが故に捨ててしまった。というか壊してしまった。あいしているけれど破壊してしまったというのが正しいのかもしれない。
人間は愛しているものをときに壊してしまう。
破壊するということはそういうことなのだ。
破壊するということを誰か止められるのか。止められるというのは普通にみんな止められると考えるのかもしれない。けれどもそれを何かしている。
敢えて言うのならば、母親と姦淫をしながらその母を殺してしまうという暴挙。70すぎた爺さんのやることではない。
やりたい放題なのだ。死んでくれてありがとうとは、またなんともはやである。
ご都合主義も甚だしい。しかし、それがいい。
それこそ宮崎駿であり、今までの宮崎駿はそれはそれなりにどの作品にも断片的にいるにはいるが、そうではなくて本当にこれが本人である。
宮崎駿の本当の姿が嫌いなやつは見なくていい。
それだけのものだ。
おれこんなにクズだけどいいのかな?って思った。
俺もクズだ。でも世界に冠たるアニメーションの巨匠が自分はクズだと言っているんだから、私たちがクズでないはずがない。私たちは生きるごみのような存在であるということをこの映画が証明してしまった。
女性には合わないかもしれないという人がどこかにいたが、そうかもしれない。
それはメカモノだからとかそういうわけじゃなく、男向けの映画だからだ。
男はみんなこんな風に思っている。
そしてそれを開き直るということが出来ずにどうにかなってしまっている。

このていたらくにある絶望感、それでもなんとかどうにかこうにか。
そんな映画だった。

lotis1040
lotis1040さんのコメント
2013年11月18日

アカネッティさんへ

コメントありがとうございます。
とてもあたたかなコメントありがとうございました。

偉そうなレビューにあんなにあたたかなコメントもったいないです。
もうひとつ偉そうなことを言うと、シャーロック・ホームズの最後の挨拶の最後のシーンも
この映画に関係しているような気がします。
ふとそんなことを思いました。

いいお母様でいらっしゃるようで羨ましい限りです。

lotis1040
アカネッティさんのコメント
2013年11月15日

そうですね。世の中、みんな自分が好きで、くずなとこがある。
完璧な人間がハッピーエンドになる映画ではないところが、また、面白かったですね。
エンドがなかったようにも思えて。夢心地のまま、家路につくことが出来ましたよね?
菜穂子を一人で死なせちゃたり、戦争への加担をしてしまったり、間違ってんじゃないか?くずの映画かもしれない。二郎は正義の味方ではないですよね。夢を追いかけた人。
人が正義の塊でないのに、ときどき夢見たり、いいことしてみたりするのが、世の中捨てたもんじゃないなと、嬉しくなったりしますよね。堀越二郎は、芯のしっかりしたお母様、本庄という飾らない本音の親友、いつも手本でなくてはならない慕ってくれる妹、か弱くかわいい菜穂子、がつくりあげた人間なんですね。きっと。だから、幼少期に河原で年下をいじめていた男の子たちや、青年時代に帰宅途中にであったシベリアというお菓子を受け取らない子どもたちには、回りに心ない大人がいたり、身内の関わりが希薄だったりするかもと想像されて悲しく思えました。と同時に、世の中の子どものほとんどそうなんじゃないかなとも思えました。二郎のいた環境のほうが稀。私の子どもも辛い事のほうが多いんじゃないかな。だから、たまにいいことがあったとき、喜んでくれているとしたら、ありがたい。嫌なやつばっかりなのに、いいやつがいたら、嬉しいですね。二郎は、嫌なやつにもいっぱいであったけど、いいやつとの出会いを逃さず大事にしたのかもと、羨ましくも感じます。
宮崎 駿という人や作品に出会えたことは、人生で稀にみるいいことだったかなと思えています。心が純粋でおっぱいが大きくて母性愛に満ち溢れたお母さんや奥さんに、育てられたからこそ、宮崎駿作品があるんだとしたら、そのお母さんや奥さんに感謝ですね。
人は誰かが叱って見守ってくれていないと育たないんですね。きっと。
いい人間がいるとしたら、その回りがしっかりしてたんだろうと思います。
私なんかが親なうちの子には申し訳ないけど。
ほんとに。
ごめんなさい。
でも、子どもが、世の中にがっかりしないように、せめてもの努力で、自分だけでもこの子の味方であろうと、出来が悪く間違いだらけなんだけど、そう、この映画をみて反省したのも事実です。「老巨匠の描いた壮大な言い訳」さんへおばさんのぼやいた育児不安の言い訳です。

アカネッティ