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とても切ない。
レビューも少なく、評価もそれほど高くない作品だけれど。自分には刺さった。
こういう映画に出会った時点で、「いま、鑑賞者がどのような年代や境遇にあるか」で、評価や、受け取られ方は、きっとずいぶん変わると思うのだ。
もちろん小学生向きではないし、
若者・青年たちにもこれはピンとこないだろう。
幸せであったり、上向きの人生の最中にある人たちには、まだ当分先の、関係のないストーリーなのだ。
しかし、
両親や、配偶者や、昔の恋人とか、
大切なそういう人たちが幾星霜を経て
・歳を取ったり、
・亡くなったり、
・病気になったり、
・そろそろ認知症が始まったりと、
自分自身がこういう年代になると、
この物語は「まさしく血を分かった肉親の、切なるストーリー」として、
僕らが対面することになる「家族のアルバム」なのだ。
あるいは昔、かつて結婚し、自分が愛していた、かけがえの無かった誰かの、そういう風の便りを知ると
寂しくて胸が痛む、
・・これはそういう映画なのだと思う。
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きのうラジオで、エリック・クラプトンの「My Father’s Eyes」を聴いた。
父親を知らずに育ったクラプトンが、今は息子を事故で失った父としての立場から、自らを静かに歌うララバイだ。
「ティアーズ・イン・ヘヴン」(Tears in Heaven)が突出して有名なクラプトンだけれど、「My Father’s Eyes」では、父親として父を見、父親として子を見るクラプトンの視座がある。
そしてもうひとつ。「亡き父の眼差しを感じてその父親と語らう」という歌詞の名曲だ。
これを聴いた直後でなければ、この映画はこれほど僕に響いて来なかったかもしれない。
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本作品は、
ひとりの父親=バーニーズの一生を、そのまた父親である祖父(ダスティン・ホフマン)の半生を絡めて見せている。
そして物語はバーニーズの息子(ジェイク・ホフマン)に引き継がれていく、これは男たち三代の記録なのだ。
とても素朴で、とつとつとしていて、家族小説が原作であることが、映画が始まってすぐに分かる。
主演は、どんな映画でも酩酊しているダメ男のポール・ジアマッティ氏、
本作でもおんなじようなキャラクターで立ち回るものだから「またかよ~」と失望してデッキを止めよかと思ったほどだった。
本当に途中で飽きてしまった。
ところが「物忘れ」が始まり、彼の認知症の出現から、画面に引き込まれた。
「僕の父と祖父はこんな人だった・・」という回顧の述懐ものとしてこのスクリーンを観るならば、
こんなに胸に迫るストーリーは無い。
派手さは無い。そして
長いけれど。
「母を傷つけたつまらない男」としてポール・ジアマッティを描写する、息子ジェイク・ホフマンの、我慢強くて温かい視点が、この小説のスタンスでしょう。
いい映画でした。
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僕は、
父のデイケアの相談のために、先週、ケアマネジャーさんと打ち合わせをしたところです。
父が死んだら、その墓の上に小石を乗せてやりたいし、
僕が死んだら、息子にも、墓参りしてくれた印に、僕の墓石に石つぶてを置いてきてもらいたい。
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