「女が幸せでいられるのは若いうちだけ」アンナ・カレーニナ alalaさんの映画レビュー(感想・評価)
女が幸せでいられるのは若いうちだけ
2012年のイギリス映画とのことですが、舞台は19世紀末ロシア。元はトルストイの小説だとか。これ以前にも何度か映画化はされているようですが、自分は未見です。
今作の見所は、何と言っても舞台芸術と映像美術を合体させたような不思議な演出。ジャケ写や時代背景から、豪華絢爛な衣装や屋敷の内装などに期待を寄せていましたが、始まりから一風変わった演出で驚きました。
舞台を見ているかのように、最初に幕が上がり、大道具係が舞台の装置を動かしているのをそのまま映したり、面白いのが部屋から出て行くシーンで、舞台からはけたと思ったらそのまま舞台裏を歩いていく。はけた後までキャラクターを追い掛けていき、ステージ上とは違う暗くて埃っぽい舞台裏までもを効果的に使っています。
しかし全部が全部「舞台風」の演出ではなく、集中させたいシーンではきちんと「映画風」の演出(つまり全画面)になる。その切り替わりが意外と自然で、チラチラ場面の移り変わりが鬱陶しいということもなく、楽しく見られました。
ただ、この演出が逆に「変にこじゃれた感じを出そうとしてて鬱陶しい」と感じる人はいるかも。「舞台風にするなら全編そうしろ!」という人がいても不思議じゃないですが、自分は全く気になりませんでした。
あらすじ:
主人公のアンナは、高官カレーニンの妻で社交界でも有名人だが、上辺だけの付き合いや、表向きは優しいが自分や息子のことに大した興味を持たない夫にうんざりしていた。ある日、アンナの兄が不倫したせいで離婚の危機と知り、モスクワへ兄夫婦を訪ねていく途中、汽車の中で将校のヴロンスキーと出逢う。2人は一目で惹かれ合うが、アンナはカレーニンと結婚し、子供もいる。対するヴロンスキーも、結婚予定のキティという女性がおり、既に親公認の仲。アンナは強引に詰め寄るヴロンスキーを「非常識」と拒絶する。しかし、何度もアプローチしてくるヴロンスキーにアンナも遂に拒否しきれなくなり、愛人関係に。ヴロンスキーの大胆なアプローチにより2人の不倫は周知の事実になり、不倫の末妊娠したアンナは、遂に不倫の事実や妊娠したことを自分の口から夫に打ち明け、ヴロンスキーと共にいると宣言するが…
いやー、最初に一言良いですか。あの、個人的にヴロンスキーの顔っていうか見た目っていうかもう全てが生理的に好きになれず…
「えっ、何で?まじで夫の方がマシじゃない?こいつの何に惹かれたの????」という気持ちがずーーーーっと尾を引いて、結構長いことこの映画に没頭しようとする自分の足を引っ張ってきたんですが、終ぞラストまで無理!でした。ゴメンねヴロンスキー。
なんか、どう見ても宝塚の男役にしか見えなくて…んでもって宝塚の方が万倍カッコイイし…ゴメンねヴロンスキー。
まぁヴロンスキーDisはこの辺にして、今作の基本的なテーマは「愛と赦し」なのかなと思います。序盤にアンナとその姉の会話で「赦せないとこれからずっと辛くなる」という台詞があります。これは夫の不倫を赦せない姉に対し、アンナが言った言葉ですが、これが全編通して重要な意味を持っています。
また、この「愛と赦し」は男女の愛だの不倫だのだけにとどまらず、最後に向けて家族愛や隣人への愛、更には配偶者の不倫相手へと広がっていきます。
愛と執着を履き違えたり、赦したり、赦せなかったり。そういった関係性が最後まで続きます。
キャラクターについては、まず、アンナは衣装が豪華で!脇を固める女優陣も見ごたえバッチリでした。ドレスが場面場面できちんと登場人物の気持ちに沿った色・形に着替えており(まぁ日常生活でも大概服と気分は干渉し合うもんですが)、視覚的にもキャラクターの気持ちを感じ取ることができます。
夫のカレーニン役は、何か見たことあんなーと思ったらジュード・ロウ。この夫、別に悪い人じゃないし、確かに優しい。でも、何だろな?仮に自分の友達の夫がこんな人で、友達が「夫以外の人に惹かれてる」と言い出したら、「あ~…」と思ってしまうような人(^^;
要は愛を感じないんでしょうね。その結婚が「特別」だと思えない、情熱的な愛情表現があるわけでもない、そして表向きは優しいけど一緒に何かしよう、趣味を共有しよう、みたいな安心感のある、守りたい関係でもない。良く言えば「邪魔にならない夫」、悪く言えば「家庭に無関心な夫」。
世間の女性陣の話を聞いていると、「愛より金」って人は確かにいます。でもそういう人達の話も、よくよく掘り下げて聞いてみると決して「愛は必要ない、金だけが必要」という話ではない。単に「愛がほしいけど、私が愛されるなんて期待できない。それなら明確な形があり、世間的に価値のある金の方が役に立つ」という話。一見冷たく見える「愛より金」には一言では語れない思いが込められてるんだなぁと感じます。
物語の序盤で、アンナの兄が「妻のことは大切に思っているが、もう若さがない。年老いて、体形は崩れ、何故こうなったんだ?」みたいなことを話しているシーンがあり、うーん、これが世の男性陣の本音ですよね。見た目だけを愛してたわけじゃないけど、若く美しい時は愛せても、年老いて醜くなった姿なんて正直考えてなかったし、実際なってみたらハッキリ「昔と同じ気持ちで愛してる」とは言い切れないなぁと。まぁ、恐らく女性陣もそうなんじゃないかと思われますが(^^;
要は、少なくとも19世紀なんて時代、男は色んな道を選べるが、女は若く美しい間しか愛は得られず、幸せではいられないと。21世紀の今も、何百年経ってる割には大して変わってないか?
カレーニンは高官なので、当然金は持ってます。正しく絵に描いたような「富と名声」を持ってるわけですが、愛情深いかと訊かれると、「?」。優しいし、我儘を「許して」くれる。でもそれが愛かと訊かれると、「?」。
夫の「富と名声」でアンナは贅沢な暮らしができるわけですが、それは結局「夫のおこぼれ」でしかない。
何かで『女は男に何かして欲しいのではない、自分で決める権利が欲しいだけ』と言ってる人がいたんですが(何だったかな)、こうした昔の女性を主人公にした作品を見ていると、それをひしひしと感じます。
結局アンナは、「夫のおこぼれ」で生活する窮屈でそこそこの幸せよりも、世間に後ろ指をさされても「自分で決めた」愛を選びますが、ラストは当然救いがなく、悲惨なもの。何が当然かって、昔の女を主人公にした作品で、悲惨なラストじゃない作品なんてほとんどありませんから。
このラストを見て、短絡的に「やっぱり今ある身近な幸せを大事にしないとさぁ~」と思う人もいるかもしれませんが、ちょっと待った。アンナが不幸な最期を遂げたのは、アンナが家庭の外に救いを求めたから?それが欲を掻いたことになるのか?そうとは言い切れません。もしそうなら、エリザベートは?ミス・サイゴンは?蝶々夫人は?
何も知らされず待ち続ける女は阿呆だし、愛を求める女は我儘だし、上手くやり遂げた女は生意気で小賢しい狐女。どう足掻こうが、女が自分で何かを決めた時点で、それは「罪」となり、悲惨な最期へのレールに乗ったようなもの。まぁ、主人公にするからにはドラマティックな最期じゃないとっていうのも多分にあるんでしょうが。
結局、アンナは結婚生活を続けようが不倫相手との愛に生きようが、不幸な人生であることは決まったようなものだったでしょう。一方、キティは貧しいが愛情深い男と結婚しています。この違いは何なのか?
キティは最初ヴロンスキーが好きで、キティを前から愛していたリョーヴィンのプロポーズを断ってしまいました。しかし直後に、ヴロンスキーはアンナに気があると気づき、自分は捨てられたのだと理解します。その後、リョーヴィンは自分を振ったキティを「恥をかかせた」と恨み、ヴロンスキーに捨てられ今も独り身でいるキティに、意地を張って再度プロポーズすることはできませんでした。が、友人から「キティは結婚するはずだったヴロンスキーに捨てられ、お前よりもっと恥をかいた」と諭され、再びプロポーズする決意をします。そしてキティも「自分が馬鹿だった」とリョーヴィンのプロポーズを受け入れます。
リョーヴィンは自分に恥をかかせた(ってのも逆恨みですが)キティを赦し、そして病気の兄を新婚ホヤホヤの自宅へ受け入れ、最後にはキティの影響で、元娼婦の兄の妻のことも、最初は「あの妻だけは別宅に住まわせる」と軽蔑の目で見ていたのが一緒に住むことを赦します。
つまり、キティはリョーヴィンの愛を受け入れリョーヴィンの兄や妻に対しても愛を与えましたし、リョーヴィンはそんなキティを見て、自分も兄やその妻へ愛情を向けることができるようになります。でも、アンナはどうでしょうか。
アンナはカレーニンとの退屈な生活を捨て、ヴロンスキーとの燃え上がるような愛を選びます。ここまでは良かったんじゃないかと(いや、夫のことを思うと全然良かないんですが)。この映画の中での彼女の失態は、登場人物の中でただ一人、愛も赦しも受け入れなかったことではないかと思います。アンナの思っていた「愛」はいつの間にか「執着」へと変わり、結局のところヴロンスキーとの愛を自分で選んだにも関わらず、ヴロンスキーの愛を信じられない。酷いことをした自分を赦してくれたカレーニンのことを赦せない。
ラストの方でほんのり「彼女もう頭おかしいですから~モルヒネやってますから~」という表現が出てきますが、精神的なストレス半端なかったんでしょうね。それにしたってヒステリック過ぎて付き合いたくないタイプNo.1ですが。
思うに、昔からこういう人種(?)は結構いて、願望はあるけど倫理に反するから我慢した人と、アンナやマリー・アントワネットみたいに奔放にやらかしちゃう人とがいて、そういう人達の犠牲のお陰で今こんなに緩くなってるんだなーと思うと、それはそれで感慨深いものがある…かも?
背景は、ロシアだからなのか(失礼か)、お話のせいなのか、屋敷の内装なんかもとても美しいですが、そこはかとなく暗い。
美術的なものに興味のある人向きの映画かなと思います。マリー・アントワネットなんかも美術的な観点で特に女性からの支持が高かったようですが、あちらよりもっと控えめというか…とにかく暗い。
個人的には、こんだけウダウダ書いておいて何ですが(笑)、ストーリーより美術や演出を楽しむ作品だったかなと思います。視覚的には忙しないと言って良いほど結構動きがあり、仄暗くも華やかなので、飽きずに最後まで見られました。
カメラワークが素晴らしくて、見る前は「絶対途中で嫌になるんだろうなー」と途中退場を覚悟してましたが、気付けば最後までスルッと見られてました。ただ、ストーリーは不倫で何やかんや騒いでるだけの話なので…
とはいえ脚本の出来が悪いとかではなく、好みの問題でしょうか。
馬鹿な女がトチ狂って人の足を引っ張ったり、人巻き込んでギャーギャー騒ぐだけ騒いで非業の最期を遂げたりする系の作品は見飽きたので、次はハッピーエンドを見たいです…が、舞台が昔だと、上にも書いた通り女性が活躍してなおかつハッピーエンドの作品ってのは難しそうですね。
すんごい長文のレビューを書いてしまいましたが…
カメラワーク、美術、演出に興味のある方はぜひ。評価はそれほどでもないですが、ストーリーがそこまで小難しい話じゃないからこそ生きる演出かもと考えると、かなり特殊で思い切った演出なので、ストーリーに興味がなくとも、一度くらいは見る価値あると思います。
とにもかくにも、ヴロンスキーが気持ちワリ~~~んじゃ!!!