ジャッキー・コーガンのレビュー・感想・評価
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ちょっと頭でっかち
映画原作ジョージ・V・ヒギンズの『Cogan's Trade』(1974)は、全編ほぼ会話のみ、しかもその内容が「金と女と犬の糞」っていう超くだらないもの。そのダラダラと続く下品な会話の先に何とも言えない無常観が漂っていて、個人的にはとても面白い小説だった。
小説としてはいいけど映像化して果たして面白いのか?と思いながらDVDで鑑賞。
ダラダラ会話は随分とカットされていたが、表向きのストーリーは意外にもほぼそのままチンピラ達の騒動記。
それにプラスして、実際に起きたアメリカの金融危機などへの揶揄も織り込まれていた。
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先に観ていた知人から、この映画のテーマはアメリカの金融危機(2007~)で、実際のニュース映像なんかとリンクさせていると聞いていた。聞いてはいたけど、チンピラ騒動記っていう表向きのストーリーと金融危機をここまで重ねているとは予想外だった。
例えば
賭場の胴元(レイ・リオッタ)が登場するシーンでは
カーラジオから、ウォール街とポールソン財務長官を批判するニュースが流れていた。
仕切っている賭場で問題が起きた胴元と、ポールソン財務長官って立ち位置が似てなくもないか…(インサイダーじゃないの?って思われたあたりも含めて)。ウォール街も一種の博打場だしねえ。
「どうせ他人の金だしな!」とレイ・リオッタが豪快にオヤジ笑いするシーンが中々味わい深かった。
また
アル中で使い物にならない殺し屋(ジェームズ・ガンドルフィーニ)が登場するシーンでは
財政難を前にしても中々決断が下せないアメリカ議会、それによって株価が暴落したというニュース(演説)が流れていた。
リスクを恐れて何も出来ずパアーパアー喋って事態を悪化させている殺し屋と、アメリカ議会…。似てるでしょと言いたいのかなあ。
それにしてもガンドルフィーニ、腐った魚のような目をしていたなあ。
そうやって当てはめていくと、
貧乏を抜け出そうとして更にドンヅマリになったフランキー&ラッセルはまさにサブプライムローンな人々で、
自分の手を汚さず何とか穏便に済ませようと表面上は取り繕う“ドライバー”(リチャード・ジェンキンス)は国民で、
「理念なんかよりカネの方が大事なんだっ!ジェファーソン(第二代大統領)の時代からずっとそうだったんだ!」と最後に啖呵をきったジャッキー・コーガン(ブラピ)がアメリカそのものって事なのかなあ。
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最初観た時は、この構成が少々「頭でっかち」で
「オレって頭いいでしょ!」
っていう監督のドヤ顔が見えるようで何かイヤ!って思っていた。
原作ではフランキーに共感出来たのに、その部分が無くなっているのもイヤだった。
だが、しばらくたって
金持ち(ウォール街)から貧乏人(サブプライムローン)まで遍く唾を吐きかけて、しらばっくれている感じは
シニカルなユーモアで悪くないかも…という感想に変わってきた。
オレ等全員、上から下までみんなバカ、同じ穴の狢じゃんって開き直った明るさとでも言おうか。
特にレイ・リオッタの最後のシーンとか、スレイン(ケニー役)にブッシュ大統領の演説を被せる所など、
壮大な皮肉で、フザけていて、その意地悪さが良い。
正々堂々とした意地悪ではなく、なんか遠くから小石投げてる感じもしなくもないが
そんな小粒感も含めて面白い映画だった。
「理念よりカネが大事」なのは何もアメリカだけの話ではなく日本にだって勿論あてはまる訳で。
あんたらの世界を寓話的に描くとこうなるよって、この作品は言いたいんだろうなあ。
この映画、意図があまり理解されないまま非常に評判が悪かったが
理解されたらされたで、気分を害する人は沢山いたんだろうなあと思う。
ハリウッドな映画が嫌いな人には良いかも
想像と正反対というか
もっとこう、静かに、でもどこかかっこ良く。
例えば皮肉ったような言葉を最期に聞かせてやって、目標をあの世に送ってやる。
みたいな映画を想像したら全く正反対で。
せっかくジャッキーが呼んだミッキーの使い物にならないおっさん具合とか。
じょじょに顔が引きつるジャッキーの如くこちらも。
久々に時計で時間をみながら「まだあんのか」と思ってしまった作品。
出だしとか、そこそこかっこいい感じだったのに。
ああ、あとやたらロマンティックな殺しのシーンは好きかもしれない(笑)
いっその事、見ながら思ったのは出だしのガキが実はジャッキーの過去の姿で、それがこうなった事件がこんなふうにあってね。
見たいな、過去と現在を同軸展開してってラストに「あ、そうだったんだ!」てなるような話をちょっと考えて眠気を抑えて見てました。
いやー。
久々に見終わったあと何も考えない作品でした。
いっそのことシネコンとかで大々的にやるようなアレじゃない感じで、ガッツガッツ人を殺しながら自分の中の殺し屋論を振りまくような若干ポップな話でもよかったんじゃなかろうか、と。
大衆向きじゃない
ジャッキーコーガンは、ハリウッド風の映画じゃない。
良い意味か悪い意味かは人によるでしょう。
実に単館上映向きの映画で、間違ってもシネコンで大々的に宣伝して人を集めるような映画じゃない。
ハリウッド流脚本と言えば、一つ一つの会話に意味があり、また意味がなくても何となく上を向くような洒落た会話を中心として構成する。ジャッキーコーガンの会話と言えば、ストーリーを促すもの以外はすべて蛇足。女の話、失敗話、金の話。もちろんハリウッドでも少しは入るでしょうが。
だけど、すべての会話がそれでは……映画なの?って感じ。日常生活がそんなもので形成されているのは疑いもない事実だけれども、映画という仮想でその現実を見せつけられても萎える。
良い意味では大衆向きではない。
この映画にブラピが出演していることでシネコン作品にランクアップしたのでしょうが、それが作品にとって良かったのかは分からない。単館の方が正当な評価を得られたでしょうに。
ブラピは確か自分で脚本を読んで出演を決める、まあ大抵の役者はそうだと思うけど、と聞いていたのでブラピ好みの映画が知りたい!と思ったなら見に行けばいいです。私はシネコンに見に行くものだから、大衆映画用のスイッチを入れて見始めたので面食らった。
出だしはかっこいいんです。カッコいいスタートを切ったはいいけど、それに引っ張られすぎて映像美に偏りすぎ、芸術思考すぎ。ドラッグシーンにトレインスポッティングみたいなトランス映像をいれてきて、映像指向高い、とそれはいいけど、途中で入る前述した蛇足の会話で冷めてしまい、映像美に振り切るわけでもない印象。
おい脚本!
脚本家が登場人物に不満を言わせて、それが透けて見えるようでは幻滅だよ!
映像指向なの?それともメッセージ性があるの?なんなの?って感じ。
例えば、追う側のジャッキーとミッキーのコンビと追われる側のフランキーとラッセルのコンビはどちらもダメな奴としっかりした奴の組み合わせ……つまり対比になっているな、ってことにピンと来ても、この映画じゃ自慢げに語れないんだよ!
そんなことわかっても……ねえ。
フランキーが小娘みたいにジャッキーに丸め込まれるシーン。
ここだけ必見です。
かわいかった。
人はみんな優しいさ
ブッシュからオバマへの政権交代。世間の「何か起こるんじゃないか感」を完全にシカトして人を殺しまくるブラピに共感できるのは「実際何も良くならなかったから」でありますな!ラストのブラピのメッセージも痛快で最高!Johnny CashのThe Man Comes Aroundも映画にマッチしていてカッコ良かったです。殺し屋が「人はみんな優しいさ」って言うとゾッとする事がわかりました。「そこはわかってんだー、うわー」って感じで。
黙って仕事しなさい。
この監督、前作もやたら長ったらしい作品を撮ったけど、
今回も変わらずグダグダとした作品を撮ったな~と思う。
おそらく私がこの監督の世界観と合わないんだろう…
どうもああいう、嫌な雰囲気作りをするのが嫌い(爆)
あと全員喋り過ぎ。オバマ演説がウザい(ゴメンなさい)。
チンピラやら殺し屋やらが、いちいちベラベラと
能書き垂れるってのが、いちばん嫌いなんだな~実は。
どうして黙って仕事できないの!?アンタたち!って。
だからもう早いとこブラピが出てきて、バンバンやってよ!
と思ってたら、また使い物にならないデブ親父(ゴメンね)が
グダグダメソメソと…お前ら、一体ナンなんだよ~!!と。
まともな殺し屋(っていういい方も変だけど)はいないの?
…しかしどこのどいつをとっても、デキル感がまるでない。
優しく殺す…だぁ?殺しにそういう枕詞が必要なのかよ^^;
(こんなタイトルならロバータ・フラックでもかけろ!っての)
予告からイヤな予感がしていたけど、驚いたのが公開数。
公開初日からレイトで一回って、ナニ!?びっくりしたわー。
まぁGWだったから、これはよい子が観ないようにしたのか?
と思ったけど、その後も本数が増えていかない。え、マジ?
と不安になりつつ、やっと観れた本作だったけど…確かに
これじゃあ…午睡に最適な(ある意味静か)作品になってる。
登場する俳優陣がまぁ豪華で☆
それぞれがほぼ独壇場で喋りまくるので、それはそれで◎
だけどこれってそういう作品なのか?と、ふと我に帰る。
特にチンピラ二人のくだらん喋りがいちばん気に障り(爆)
ベテラン勢ではR・リオッタがいちばん良かったけど、
元はアイツが^^;仕掛けたようなもんだし、仕方ないわよね…
終いにはブラピまでグチグチ(というかキレた?)文句言って
ハイ、終了。しかし文句も言いたくなるわな…あの演説には。
今聞くと本当に、絵空事のように聞こえる。でもそれだって
仕方ない。やだねぇ、こんな虚しさだけが残る作品ってのも。
(意気揚々でとは言いませんが、もう少しテンポよく進めて)
殺し屋ドキュメンタリー
この映画は何と言うか、一人の殺し屋が殺しの依頼を受け、その手順をカメラで追う、そのような映画でした。リアル重視な映画なので、手汗を握る銃撃戦やど派手な爆発などはほとんどありません。ですからそのような映画だと思ってみたら少し退屈かもしれません。銃を撃つシーンは数えられるくらいしかなくほとんどがキャラクター同士の会話です。個人的には、ちょっと喋りが多かったなと思いました。あと映画のキャッチコピーにもなっている【優しく殺す】というキャッチコピー、ですが完全に一人苦しそうに殺されたのであんまキャッチコピーは気にしなくていいのかなと思いました。
ブラッド・ピットが困っている。
GW公開の数ある作品の中で、一番に選んだのがブラッド・ピット主演のこの作品。
と言っても、上映館が少ないので、少しの不安はあったのだけれど。
残念なことに、それが的中。
以前、悪党どもが開く賭場が襲撃された。
アヤシイ奴はマーキー。
でも、まあイイか。
マーキーはイイ奴だし・・・。
その賭場を再度襲撃したチンピラ二人。
「そうか!その手があったか!!親分頭クールだね~!!」
この落とし前、どこに落とすんだよ~!!
なんだけど。。。
そこに登場するのが、「優しく殺す」がモットーの殺し屋・ジャッキー・コーガン。
せっかくブラピが呼び寄せた殺し屋ミッキーは、肥満体がより超肥満体になっているし、酒に飲まれてグデングデンだし、女好きだし、とても役に立ちそうにない。
そんなどうしようもないヤツラを相手にする、言うに言えぬブラピの困った顔がとても良かった。
それ以外は、盛り上がりもなく、ただ先へ進むだけの内容。
せっかくの題材がもったいない。
初めての大統領選を戦うオバマ大統領の演説に、皮肉の合いの手を入れる底辺の住人達。
キレイ事が通用しない彼らを描いたのだから、もっとハラハラドキドキしても良かったと思う。
「優しく殺す」と言いながら、ちっとも優しくないのは、イイね。
この監督では、ブラピも困るよね。
私は、3.0以下の評価はあまり付けないのだけれど、今回は、2.5で。
ゴメンナサイ!
ハナクソ
ほんとにつまんない映画です。
まず完全にキャスティングミス。
大事なオープニングを飾る二人の俳優の演技、やり取りが超つまんない。
二人とも華がない。有名かどうかではなく基本的に馴染めないキャラクター。
どーでもイィ下ネタを口にしてただ下品なだけ。下ネタって使う以上笑えないと全く意味ないんですよね。下品なだけでおわってる。
一人がヤク中だがそれもどーでもイィ。
面白くも何ともないただのヤク中野郎演技を見せられてるだけ。あんなつまんない俳優がサブメインだから内容に加え、よりつまんない映画になっている。
また、既に書いてる人もいますが賭場を襲うシーンでは大した緊張感もないまま、またカメラワークが時折見せる妙なアップとは裏腹に何も起こらないままただ犯行を終えるだけ。
何がしたいねんって感じ。
よほど金を奪われるレイリオッタの演技が輝いていた。レイの演技はどのシーンも素晴らしいモノだった。イィ役者だなーと好きな俳優の一人になった。
結局つまんないシーンばっか見さされて、ブラピ登場までほんと脇役が仕事してないのと一緒。
ブラピも宣伝程の憎たらしい悪役ではないし、いつものブラピを見てる感じ。
ジャンゴのディカプリオのヒールっぷりからしたら何の魅力も感じない。
でもブラピの演技を否定してるワケではなく内容そのものがそういうスタンスなので。
また、取り分け盛り上がるシーンもなし。見所なし。
脚本も演出もどれもつまんねー。
レイリオッタが暴行を受けまくったり終いには殺害までされるが、あの人がそこまでされる意味がわからない。
普通映画ってストーリーの展開の中で、殺されるに値する人間が殺される(無差別殺人以外)ものですが、レイリオッタはそれに属さない。ちょい役だし殺される必要のない人。しかもご丁寧に一番凝った演出で殺される。
いやいやもっとメインの犯人共にこの演出使えよと言いたくなった。
結局90分強の映画で内容も薄っぺらくオチもつまんない(笑)
まぁこの内容で二時間上映されても困るけど。
カンヌのパルムドールを競ったらしーがほんまかいなと疑問。
映画祭など改めて実力の世界ばかりではないなと納得。
とにかくこの映画は見なくて良い。
このお金でもう一回アイアンマン3観た方が良かったかも 笑
金太郎飴のように変化に乏しいだけの映画
この作品を観ていると「ドライヴ」を観た時のような、映像的な、美しさと、あの画面とは真逆のスローテンポな表現方法など、観ていて、非常に味の有るイイ感じの面白い作品ではあった。
しかし、ストーリー展開に大きな山場が無い。これは、観ていて苦痛の種になった。
そこで、ついつい睡魔との挌闘に成る為に集中力が低下する。幸いにも意識は何とか保っていましたが・・・
私は先程、友人に「図書館戦争」を酷評した事で、注意を受けたのだが、つくづく自分は直球が好きなタイプで、直球を投げ込んで来てくれる様な映画作品でないと、好きになれないタイプだと改めて確認した。
良く言えば、単純明快・悪く言えば非常にキャパが狭い人間と言う事になるのだろう。
それ故、本作も超速球を投げてくれない作品なので、自分の好み的には、ハッキリ駄目なタイプの映画だ。白黒はっきりしないと駄目なのだ。或いはグレーもしっかり黒と白と同一線上に認める作品なら評価する。
「アメリカ国家は共同体であり、みんな夢と希望を信じて良い」と言う大統領の言葉を否定するセリフを主人公の殺し屋に吐かせても、ピンとこないラストなのだ。
チャップリンが「何故個人が殺人を犯したら、罪で、国家が行う大量殺人である戦争は正義になるのか?」と言ったけれども、国家の矛盾や、理想をダーティーヒーローに語らせる作風はこれまでにも何度も使われて来た手法で、それを否定しても、意味が無いのは理解しているが、本作でこんな結末を見せられても、困ってしまうよね。
悪人は悪人で、ソフトに殺そうが、人殺しは人殺しなのだ。その殺し屋が金を総てと言っても何の説得力も皆無だ!
非常に例えが悪いかも知れないが、非暴力でインドを植民地化から解放させたガンジー等がもしも、金こそ総てで信じられるのは己のみと言ったのなら新たな意見として説得力もあるだろうが、人殺しは、金の為に人の命を奪う事を悪いと思わないのが前提だもの、その人物にカネと言わせても何だかなぁ~と言う気持ちになってしまった。
チャップリンの描いた作品の、殺人者とは訳が違うのだと思う。
最近観た「よりよき人生」では、追い詰められた主人公が思い余って、サラ金のようなヤクザを襲って、金を横領し、国外へ行き人生をやり直すと言う映画であったが、この映画はどこか、あの名作「自転車泥棒」に似ている感じなのだが、自転車泥棒では、お天道様が必ずどこかで観ていると言う視点が加わっていた様に思うのだ。チャップリンの映画も同様だと思う。最近はどうも、この日本的な表現で俗に言う「おてんとうさまが何処かで見ていてくれる」と言う正義が映画の描く世界の中で欠落した様に思うのは、少し大袈裟なのだろうか?欧米社会でも、以前は必ず神の視点と言うものが存在していた。
そんな綺麗事ばかりで無い現実社会を汚れていると言っても良いし、理想を述べても一向に良いのだが、当然の事を映画でそのまま言っても、映画としての面白味は全く無い。
何だか消化出来ない不満が募るだけなのは、自分だけなのだろうか?
観るほどの映画でもない・・・
アメリカの本質を訴えたい?
癖が有り、鑑賞者を選別します。
よく有るアクション満載の「殺し屋」映画ではありません。
陳腐な下卑た日常会話で進み、まともな人間は主役だけ?
今時のアメリカ人を批判しているようで、柔になった事が許せないのは、先進諸国全てに当てはまりそうですが、内容に少々無理があります。本作品の本質は英語力が無い私では、掴めないように思います。原語で楽しめる方にお勧めします?(原則、暇な方で・・・+単独で見に行く事)
でも会話の内容は・・・ですが。
脚本だけですと2点どまりですが、暴力のシーンの美しさは秀逸です。
場面はごくわずかですが、素晴らしい出来で日本の監督にも見習ってほしい映像美です。この加点で3点としました。
ブラビは、相変わらずスマートでカッコいいですが、本作品には合いません。ハンサム過ぎます・・・ブラビ目当ての人は、少々難だと思います。
エモーションがゆさぶられない
なかなか私好みの作品に出演してくれない
殺し屋というより眠らせ屋
ブラッド・ピットが『ジェシー・ジェームズの暗殺』に続いて
アンドリュー・ドミニク監督と再タッグを組んだハードボイルド作品。
レビュー書けていないが、『ジェシー・ジェームズの暗殺』は
長尺で淡々とした語り口ながらも不思議と飽きのこない、
哀愁漂う秀作だった(判定4.0〜4.5くらいかな)。
なので、本作も楽しみにしていた自分だったのだけど……
緊迫感溢れる賭場強盗のシーンや超スロー銃撃シーンあたりまでは良かったと思う。
だが、だらだら続く会話、不愉快な登場人物、
いっこうに着地点の見えない展開に付き合わされる内に意識が遠退いてきた。
ジェームズ・ガンドルフィーニ演じる落ち目の殺し屋がホテルの部屋で
自分の自堕落さを正当化するべくだらだら話し続けるシーンで、
「もうこんな奴の話どーでもいいや」と考え始めた途端に危うく眠りそうに……
いや、嘘はいかん。正直に言います。私、その辺りからしばしば意識飛んでました。
断片的な記憶を辿りつつキャラクターを回想すると……
ブラピ演じる殺し屋は「命乞いする姿を見てられないから優しく殺す」とか言ってたが
手下を使って標的をボコボコにしたり銃殺も乱雑だったり、口先だけは一丁前の嫌な野郎。
犬拐(さら)いのフランキーはもっと口先だけの、無礼で性根の悪い間抜け。
ガンドルフィーニは先述通り、どーでもいい。
レイ・リオッタはただただ不様なだけの役回りで哀れ。
まあ揃いも揃って面倒臭くてイライラする連中しか思い出せない。
特に、フランキーが麻薬でトリップするシーンのイライラ度合には参った。
『ズームアウト+フェードアウトと共に意識が遠のく』
という演出を私は一体何回観せられればよろしいのですかと正直ウンザリ。
あのシーン辺りで僕は本作に愛想を尽かし始めていた気もします。
ぶっつりと唐突に終わるラスト。
結局この映画は何がやりたかったのか。
『アメリカは共同体、みんな夢と希望を信じていい』なんてのは理想主義者の戯言だ。
人は所詮個人の為にしか動かない、信じていいのは自分と現金(ナマ)だけだ……
それがテーマ? そんな聞き慣れたニヒリズムを聞く為に不愉快な自己チュー連中と
バラク・オバマの演説と経済ニュースを延々90分も見せられたワケ?
まさか、違うよね。
何かもっと深いテーマはあるのかも知れないが、そんなことを考えるのも面倒なくらいに、退屈だった。
〈2013/4/27鑑賞〉
まったく何もない
ガッカリだよ
全65件中、41~60件目を表示