利休にたずねよのレビュー・感想・評価
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秀吉をもうちょっと・・・
千利休の切腹の朝から始まり、20年前、10年前と遡って信長(伊勢谷)や秀吉(大森南朋)との関係を描いた手法。後半は高麗の女(クララ)との関係を描いていた。
海老蔵の演技力はすごく良かったのに秀吉役の大森南朋が興ざめするくらい全然ダメ。現代劇では演技派だと思っていただけに残念だ。
ネトウヨにボコボコにされた不運はあるけれど…
この映画は、かなり不運でした。
公開当時はネトウヨが一番元気だった頃。「韓国の国策映画」だの「朝鮮人に利休が汚されている」だの、ネットに踊らされた連中が散々っぱら映画.comにもヘイトを書き込みました。
2021年の今、彼らは恐らく誹謗中傷を書き込んだ件での訴訟に追われていることでしょう。未だ消化できてない承認欲求のローラーに圧し潰されながら。自業自得です。
しかしそれを考慮しても、映画の内容自体はとても出来がいいとは言えませんでした。
まず、利休自体が映画にしにくい歴史人物です。
それは彼の抱えていた複雑な世界観を表現する必要があるからで、真面目にやると「何を考えているかわからない地味な人物」になってしまいます。
にもかかわらず、この映画の豊臣秀吉は分かりやすい悪役です。難解な主人公と単純明快な悪役。これほどソリの合わないモノはありません。
だから、利休も秀吉に合わせて単純明快な主人公にすればよかったと思います。
高麗の女は役者さんもとても良かったと思いますが、いかんせんその好材料をまったく生かしていません。
展開が駆け足で、若い頃の利休と高麗の女が相思相愛になる過程がまるで見えませんでした。このあたり、当時の国際情勢も踏まえてじっくり描くべきでは……。
それと、これは根本的なことなのですが、海老蔵って大根ですね。
この人は30秒くらいのCMでなら抜群の存在感を発揮しますが、長い尺の映画になるとまるで人形のようです。泣き叫ぶシーンなんか、まるで関東連合の兄ちゃんに灰皿でぶん殴られた酔っ払いのようでした。
仮にネトウヨが存在しなかったとしても、この作品は大した評価を得られることはなかったと思います。
興味深い
物静かで美しい佇まいの利休に、傲慢そうだけど魅力的な信長、前半はすごく惹きつけられた。
でも利休の若い頃の話になってからが長すぎると感じた。
中谷美紀は美しさを追求する利休が選んだ妻として非常に納得のいく上品さだった。
美の理論
テレビ大阪「シネマクラブ」を録画して鑑賞。
原作は未読です。
織田信長と千利休が邂逅した序盤のシーンに感心させられました。すごいと思ったのは、水盆に映った月がこれほど美しいと云うだけでなく、その献上品を披露するためには相当入念な準備が必要だったのではないかと云うことです。
縁側から月が見えることを調べなければいけないし、上手く月を映すための角度と時間を割り出さなければならない。その結果、時間を合わせるためにわざと遅れて登場した。それを自然にやりのけた利休の所作も素晴らしかった。それらを瞬時に見抜いた信長の慧眼すごい。優秀な人の周りには自然と優秀な人が集まって来る理由とは、こう云うことなのか、と…。
茶の道を極め、戦国武将たちから崇められていく利休。その結果、天下人となった秀吉に疎まれて切腹させられました。最大の要因として、利休に嫉妬し、侘び寂びに抗うかのように贅を尽くしてきらびやかに振る舞えば振る舞うほど、秀吉自身の存在が矮小になってしまうのが許せなかったんじゃないかなと思いました。盛大に開かれた茶会のシーンを観て、強く印象づけられました。あの場では、明らかに利休の方が格上でした。
切腹の理由のひとつとして、利休が大切にしていた香炉を秀吉に譲らなかったと云うものがありました。そこから利休の美の原点となった高麗の女との非恋が回想されました。おそらく創作なのでしょうが涙無しには観られないエピソードでした。
――
未完成なもの・不完全なものの中に美を見出すと云う考え、身分など関係無くなってしまう茶室の空間づくりなど、利休が確立した美の世界はとても深遠で、息を呑むような卓越した理論で成り立っているんだなと思いました。
どこを削るかが難しい
美しいものを追求した姿勢は伝わってくる。俳優によって印象のばらつきが大きいのが残念。登場人物を大胆に絞ってくれれば、静かな良作だったかも。
赤星か鳥谷にたずねよ!
予断ですが、海老蔵をみると茶器が灰皿に、茶がテキーラに見えてしまう。
頭を下げると、頭突きされるのではとか、秀吉が関東連合総長に見えるとか、やはり、ミスキャストですね、演出の悪さもあります。
後半にした、若かりし利休が酒と女に溺れるシーンは海老蔵の等身大なので、逆にして、時系列どうりの映画にすれば良い映画になる可能性もあるありました。
韓国の女優さんの演技は良かった。
美しい所作、ぎらつく目玉。ぎらつく野心。
正直、私は茶の世界のことは門外漢なものですから、たぶん信長・秀吉も私と同じ気持ちを抱いたのであろうな、と、かすかな疎外感を抱きながら観ていました。
利休の所作はあくまでも美しく、しかし利休の心はあくまでも醜く、その描きわけが見事だったと思います。
千家3派が協力していますが、映画によって始祖の心のギラギラとした醜さを描くことになるとは、思ってもいなかったのではないでしょうか。
時代考証に関しても、浅さが目立ちます。
利休の思い人が朝鮮人だったというくだりなど、「取ってつけた感=嘘っぽさ」がアリアリとしており、ストーリーの面白さを半減させてしまっています。
朝鮮名物トウガラシ料理が彼女との重要なエピソードとなるわけですが、トウガラシが朝鮮に伝わったのは、誰でも知っているように、利休の死よりも、もっと後。
朝鮮発祥の食べ物どころか、伝来当初は「倭芥子」と朝鮮で呼ばれていたことでも分かるように、ポルトガルから日本を経て伝わった品物に過ぎません。
しかもその経緯ですが、秀吉の朝鮮征伐の時、加藤清正が凍傷予防薬として持ち込んだのが最初だったのです。
つまり、持ち込んだ当時は、食べ物という意識もなかったのです。
ああ。韓国人にとって不倶戴天の敵・加藤清正公が持ち込んだ品物だったとは……。
もう、ね。
時代考証メッチャクチャ。
わざわざ韓国人女優を出演させるために引っかき回した感がアリアリで、鼻白むばかりでした。
また黄金の茶室は利休が設計したもの。
その黄金の茶室を批判する利休って何?
つまり自分で自分の尻を蹴っ飛ばすお話でしょうか。
理解不能でした。
野心にギラつく心の動きを目玉の力によって表現し尽くし、美しい所作で茶を立てる海老蔵の演技力に対し、★4つ。
海老蔵、でか過ぎ
茶道が好きで海老蔵が見たくて、公開されてすぐのお正月に映画館で見ました。海老蔵でかくて大味なので、利休ではありませんでした。若き日の彼、高麗の女の子への恋、師の役を演じた團十郎は非常に素晴らしいと思いました。團十郎が息子と共に映画という映像に残っていること、それは嬉しく心に沁みました。
信長役だめで、さらに妻役の演技が私にはだめでした。妻として目立たない黒子役に徹してます!が前面に出過ぎていて、摺り足の歩き方も佇まいも動作もわざとらしく、見ていられませんでした。そういえばFOUJITAでの彼女もそんな感じでした。彼女はコメディエンヌがとても合うのではと、私は勝手に思います。
最後に私がおたずねしたかったのは・・
映画「利休にたずねよ」(田中光敏監督)から。
原作の作家・山本兼一さんからは、OKが出たのだろうか、
利休切腹の日から順に遡っていく展開に、新鮮さを感じて
小説を読み切ったので、この変わりようにやや戸惑った、が
鑑賞後の印象であった。
そんな中でも、原作にない素敵な台詞もありメモは増えた。
「私が選んだ品に伝説が生まれます」
「全ての重荷を一度下ろされたらよろしいのです」
「今生きてる喜びをこの一服の茶で味わいなさいませ」
「(茶には)人を殺してもなお手にしたいだけの美しさがございます」
「世の中が美しいもので動いているのでございます」
「私が額ずく(ぬかずく)ものは、美しいものだけでございます」
言葉は丁寧だが「美」に対する執念は強く、秀吉の命でも従わない、
利休らしい生き方を随所に見ることが出来た。
せっかく「鋭利な刃物(錐)もいいが、少しは休んだらどうか」
と言う意味の「利休」の号を戴いたのに、
最後の最後まで「鋭利な刃物」(尖った錐)のままだったことが、
惜しまれて仕方がない。
「才能におぼれずに『老古錐』の境地を目指せ」という意味が
込められていたという。
(「老古錐」とは、使い古して先の丸くなった錐のこと)
作品ラストに流れる、妻・宗恩の意味深なナレーション、
「最後に私がおたずねしたかったのは・・」を残しておこう。
(映画だけで、この意味が分かりにくいと思うので・・)
睡魔が…(-.-)zzZ
直木賞を受賞した山本兼一の小説の映画化。
切腹を間近に控えた利休が、若き日の禁断の恋とそれが機になった美の起源を回想する…。
美術や衣装など、こだわりにこだわり抜いた日本の美は素晴らしい。
が…内容が非常に淡々として物静かで、睡魔が…(-.-)zzZ
ネットなどで議論になった反日表現も、ウトウトしていて分からなかった!(笑)
利休を題材にした映画と言うと、勅使河原宏監督&三國連太郎主演の1989年の作品が印象深く(と言っても話は難しかった!)、海老蔵利休は重厚さが足りない。
公開時、「ルパンにコナンってそりゃないよー」と海老蔵がツイッターで呟いていたけど、そりゃそうだよね…。
格調高さでは決して負けていないが、エンタメ性に欠けた。
日本の美、團十郎の遺作…。
このままじゃモヤモヤした気分なので、再見しなくては!
本作の少し前に公開された「清須会議」と登場人物も被っており、比べてみるのも面白いかも?
完全なる恋愛舞台劇と言う感じの新説千利休に満足
奥田栄治何かとスキャンダラスな噂の尽きない市川海老蔵を千利休に配役した本作「利休にたずねよ」は、そんな彼のイメージからか、海老蔵が演じた利休が、利休らしからぬ千利休映画であると言う事で、賛否両論らしい。
確かに、海老蔵は、30代後半で、千利休の侘び寂の世界観を表現するには、少し若いので無理が有るかな?と映画を観る前は感じていた。
しかし、秀吉の命により、切腹となる利休のその日の朝からの回想となる本作は、海老蔵が、演じるには、もってこいの若き日々の利休のエピソードも満載で、彼にとっては良い役ではあったのではないだろうか?
この作品自体が、新説とも言うべき利休の若い日々を描いているわけだ。
実際に利休の若き日にあのような、失恋秘話が有ったのか無かったのかは問題では無く、フィクションと軽く考えて観ればそれなりに面白い作品だ。
海老蔵が折角演じているのだから、「ロミオとジュリエット」をシネマ歌舞伎で観ていると言う感じの、軽いノリで本作を観れば良いと思う。
多くの映画ファンは、どうしても「信長と利休」を原作として描いていた勅使河原宏監督で三国連太郎が演じていた「千利休」と比較してしまい、三国の利休との大きな芝居の違いで、本作は、駄作と言う評価が出るのかもしれない。しかしこの映画は全く別物である。
熊井啓監督による奥田英二主演の利休も当時の奥田の年齢を考えると、配役に無理があるかも知れない年齢であったが、そこは熊井啓と言う巨匠の演出の素晴らしさで仕上がりは素晴らしい作品だった記憶がある。
今回の「利休にたずねよ」も、歌舞伎の名門に生を受けた海老蔵は、若いと言っても芸歴30年のベテランだ。実力に裏付けされた、自信に溢れる、それなりのオーラが画面から観て取れた。
信長に出会う若き日の利休の姿を演じている彼などは、正に嵌り役。
そして、切腹の20年以上前の利休は、やんちゃな青年で、若く、とんがっていたと言う新たな千利休の一面を描いていると言う点で、例え、史実とは大きく違っていたとしても、この作品はフィクションとしての面白さがあり、私は気に入ったのだ。
そして、利休が号泣するシーンなどは、やはり舞台の芝居慣れした海老蔵ならではの演技!
更に父の市川団十郎との共演、そして団十郎最期の映画と言う事も有り、やっぱりお父ちゃんが出ると、途端に、海老蔵の存在感が薄まるけれど、それは致し方のない事だ。
団十郎は60年の芸歴が有るのだから、画面に緊張感が張りつめて、画面の空気が一転するのは致し方ないのではあるまいか?
歌舞伎界に限らず、団十郎と言う素晴らしい才能溢れる大スター俳優を失い、日本の芸能界にとっても、惜しい存在を亡くした事は残念でならない。
しかし、本作は何と言っても、宿命には逆らえぬ、人間の葛藤を描いている点で大変面白く、興味が持てた。
一見、秀吉が悪者の様な印象も有るけれども、利休も秀吉も一人の人間として観ると、コンプレックスを抱え、悩み苦悩する、小さな人間で有ると言う人間像が面白いのだ。
それぞれの生きる世界で、時の権力の頂点を極めたこの2人だが、どんなに努力して登りつめても、宿命には逆らえない事を知っていた、この2人こそは、良きライバルであり、理解者であったのではないだろうか?
そして、中谷美紀演じる宗恩が、これがまた最高に良い!妻としての立場は護られていても、心から夫に愛おしいと思われていないと言う苦悩の、抑えた女心を巧く演じていたと思う。
お正月、運命に翻弄され、葛藤する彼らに出会えて何だか、久し振りに心を揺さぶられる想いがして、楽しめる映画だった。さて今年の映画の行方が気になるところだ!
美しく緊張感あり
どう評価するか明らかに観る人の芸術観で左右される映画。映画全編がテーマでもある千利休の美しさの追求のみに費やされているから。
主役の海老蔵は見事役を演じる。若気の至りの無分別な時期の在り様さらに茶道の基本である茶筅の捌き(玄人ならわかるかも知れないが)など見ていてなかなか見事である。
もう一人の主役級の朝鮮の娘は日本人俳優を避けたことによりリアリティを感じる話に成功している。
うーん。。。
うーん、市川海老蔵は映画作品には恵まれていないのではないか。選択眼が甘いというのか。
利休(市川海老蔵)の若かりし日を描くのはOK。だが、それが切腹と有機的には結びつかない。
利休が切腹させられたというのは史実としてあるので、ここへどうフィクショナルにつなげるか。そこをこそ見たかったのだが、まったくつながっていない。
むしろ妻 宗恩(中谷美紀)との確執、といえば言い過ぎだが、そこにしぼったほうが作品がしまったのではないか。
利休の処遇について、秀吉(大森南朋)にいちいち進言する三成(福士誠治)が相当うっとうしいのだが、この構図はどこかで見たことが...。
田渕久美子脚本「江 姫たちの戦国」がそうであった。
三成が利休についてあれやこれやいえる立場ではない気がするのだが。
田中光敏監督は、いまだこれ、という決定打がない。主役が海老蔵ではなく、映画に慣れた人が演じればまた違ったものになったのではないか。
なんとも煮えきらない作品になってしまった。
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