光にふれる : 映画評論・批評
2014年2月10日更新
2014年2月8日よりヒューマントラストシネマ有楽町、シネマート新宿ほかにてロードショー
映画の「静けさ」「無音」に身を任せ、「光にふれる」まで
全盲のピアニストとダンサーを目指す少女が主人公。「光にふれる」というタイトルが彼らの一挙一動に反応し、様々な意味をそこにもたらす。光とは何か、ふれるとはどういうことか? そんなことを自問自答しながらこの映画を観た。いや、自問自答する時間をこの映画が与えてくれた。
オンシジュウムという花が登場する。主人公の両親が育て販売している花だ。別名ダンシング・レディ。洋ランの一種で、黄色の可憐な花びらの広がり方が、まるでダンサーがダンスしているように見えるのだ。その凛とした姿。透明な空気の中に、その花独特の小さな世界をくっきりと浮かび上がらせる。思わず耳を澄ましてそれを見つめてしまうような、繊細さと華やかさがそこに同居している。そんな花を見つめる視線が、同じように主人公たちの姿を捉える。
おそらく、この映画の音響設計故なのだろう。音のない静けさが、はっきりと「静けさ」という音を持つ。そこに映された映像が持つ可能性としての「静けさ」を、映画に付けられた無音が増幅させているといった感じだ。ダンサーが音楽ではなく心の中で鳴る音を聴いてその音に身体を任せるように、この映画もキャメラが見つめる風景の「無音」に身を任せる。そこに小さな震えがうまれる。スクリーンから漂い出したその震えは、私たちの身体を包み、そのとき私たちは「光にふれる」ことになるだろう。そしてその後、現実の世界も違って見えるはずだ。
(樋口泰人)