本作は、自然災害の圧倒的な破壊力と、その中で翻弄される人間の生々しい感情、そして家族の絆という普遍的なテーマを、極めて高いリアリズムをもって融合させた、稀有な完成度を誇る傑作である。津波の描写は、特撮やCGの技術を駆使しながらも、その恐怖と破壊の規模を観客に「体験」させるレベルにまで高められており、単なるスペクタクルを超えた、まさに衝撃的な映像体験となっている。
家族が離散し、極限状況の中で再会を渇望する物語は、往々にして感傷的になりがちだが、本作は過剰なメロドラマに陥ることなく、被災地における混乱と、見知らぬ人々の間に生まれる慈悲や助け合いといった人間の尊厳を、冷静かつ感動的に描き切っている。災害という理不尽な現実を突きつけられた時の、個々人の内面の葛藤と成長が丹念に描かれており、単なる「奇跡の物語」以上の、生と死、そして希望についての深遠な考察を促す。その心揺さぶるリアリティと、カタルシスに至るまでの周到な構成は、批評的に見ても揺るぎない評価に値する。
監督・演出・編集
ホアン・アントニオ・バヨナ監督の演出は、極めて緻密かつ大胆である。津波襲来のシークエンスは、映画史に残るほど強烈なものであり、水の動き、音響、そして人物の混乱した視点を巧みに織り交ぜることで、観客を濁流の中に引きずり込む。これはVFXの勝利に留まらず、その後のマリアの身体的な痛みや、ルーカスの精神的な動揺を際立たせるための、計算し尽くされた見事な導入部となっている。
また、災害後の病院や避難所の描写は、雑然とした中で展開する人々の小さな交流や絶望を、ドキュメンタリータッチで捉えており、演出の深度を示している。編集(エレナ・ルイス)は、離れ離れになった家族のストーリーラインを巧みに交差させ、観客の感情的な緊張感を維持しながら、再会への期待を高めている。その緩急のつけ方は絶妙であり、特に津波の静寂と、その後の混乱の対比は、見事なリズムを刻んでいる。
キャスティング・役者の演技
キャスティングは本作の成功の鍵であり、主要キャストは極限の感情を内包した説得力のある演技を披露している。
ナオミ・ワッツ(マリア・ベネット):
家族旅行中に津波に巻き込まれ、重傷を負いながらも長男ルーカスと生き抜こうとする母親。ワッツの演技は、身体的な苦痛と、子供を守り抜こうとする強靭な精神力の両面を、説得力あるリアリズムで表現している。濁流の中で藻掻き、傷だらけになりながらも生きる意志を燃やすその姿は、痛々しくも崇高である。彼女の目の中に宿る恐怖、絶望、そして一縷の希望の光は、観客の心を深く揺さぶり、この困難な役柄に確かな信憑性を与えた。この卓越した演技は、第85回アカデミー賞主演女優賞にノミネートされるという形で、批評的にも正当に評価された。
ユアン・マクレガー(ヘンリー・ベネット):
妻と長男と離れ離れになり、残る二人の幼い息子たちと共に、決死の覚悟で家族を探し続ける父親。マクレガーは、絶望的な状況下での無力感、愛する者を失うかもしれないという恐怖、そして僅かな可能性に賭ける父の強さを、抑制された演技の中に滲ませている。彼の涙や、無線電話での短い会話の中に凝縮された感情は、観客に深い共感を呼ぶ。混乱の中、他の被災者への配慮を忘れず、人間的な優しさを失わないヘンリー像を、静かに、しかし力強く体現した。
トム・ホランド(ルーカス・ベネット):
津波に遭い、母マリアと行動を共にすることになる長男。ホランドは、この映画が公開された時点ではまだ幼いながらも、母親の傷を前にして、それまでの甘えを捨て、急速に大人へと成長していく複雑な思春期の少年を見事に演じ切った。特に、恐怖を乗り越えて他の被災者を助けようとする献身的な行動、そして再会を信じて諦めない強さは、感動的である。彼の瑞々しくも力強い演技は、この作品における「希望」の象徴としての役割を担い、キャリア初期における決定的なブレイクスルーとなった。
サミュエル・ジョスリン(トマス・ベネット):
ヘンリーと共に、行方不明の母と兄を探す次男。幼いながらも、兄ルーカスとは異なる形で、不安と寂しさに耐える姿が印象的である。
脚本・ストーリー
セルヒオ・G・サンチェスによる脚本は、実話を基にしながらも、物語の構成を見事に整理している。スマトラ沖地震という巨大なスケールの災害を背景に置きながら、焦点はあくまで「ベネット家」という一つの家族のサバイバルと再会に絞られている。これにより、観客は普遍的な感情移入を可能とする。
物語は、予期せぬ津波の襲来をクライマックスとして描き、その後はマリアとルーカス、ヘンリーと二人の弟たち、それぞれの視点で展開していく。この二つのストーリーラインが、再会という一点を目指して収束していく構成は、サスペンスと感動を効果的に高めている。特に、ルーカスが母親の指示で他の人々を助け始めるエピソードは、単なるサバイバル物語を超え、「生きる」ことの意味を問いかける、精神的な成長物語として機能している。
映像・美術衣装
オスカー・ファウラによる撮影は、作品のリアリズムを担保する上で不可欠であった。タイの美しいリゾート地の描写から、一転して泥と瓦礫に覆われた被災地の生々しい風景まで、コントラストを際立たせている。特に津波のシーンは、水しぶきや泥の質感までをリアルに捉え、その圧倒的な力を見せつける。美術(エウヘニオ・カバジェーロ)と衣装は、災害の傷跡を緻密に再現しており、被災者の衣服や、マリアの傷跡の生々しさは、観客に強い印象を与える。その細部にわたる徹底した再現性は、物語の切迫感と緊迫感を高める上で重要な役割を果たしている。
音楽
フェルナンド・ベラスケスが手掛けた音楽は、過剰に感情を煽ることなく、映像と物語に寄り添っている。荘厳でありながらも叙情的なスコアは、津波の猛威を映し出す場面では恐怖を、そして家族の再会が近づくにつれては希望を、静かに、しかし確実に観客に伝播させる。ベラスケスの楽曲は、災害の描写における緊張感と、人間の内面的な葛藤における繊細な感情を繋ぐ、重要な役割を果たしている。
受賞・ノミネート
本作は、その芸術性と社会的な影響力が国際的に認められている。主演のナオミ・ワッツは、第85回アカデミー賞において主演女優賞にノミネートされたほか、第70回ゴールデングローブ賞でも主演女優賞(ドラマ部門)にノミネートされている。また、本国スペインのアカデミー賞にあたるゴヤ賞においては、作品賞を含む14部門にノミネートされ、監督賞、美術監督賞、撮影賞、編集賞、音響賞の5部門で受賞を果たすなど、批評家からの高い評価を確立している。
最終スコア表記
作品[The Impossible]
主演
評価対象: ナオミ・ワッツ
適用評価点: A9
助演
評価対象: ユアン・マクレガー, トム・ホランド
適用評価点: A9
脚本・ストーリー
評価対象: セルヒオ・G・サンチェス
適用評価点: A9
撮影・映像
評価対象: オスカー・ファウラ
適用評価点: S10
美術・衣装
評価対象: エウヘニオ・カバジェーロ
適用評価点: B8
音楽
評価対象: フェルナンド・ベラスケス
適用評価点: B8
編集(減点)
評価対象: エレナ・ルイス
適用評価点: -0
監督(最終評価)
評価対象: ホアン・アントニオ・バヨナ
総合スコア:[89.375]