はじまりのみち : 映画評論・批評
2013年5月29日更新
2013年6月1日より東劇ほかにてロードショー
「陸軍」のラストシーンをまるごと引用した木下惠介へのオマージュ
尊敬する映画監督へオマージュを捧げるにはさまざまな方法がある。アニメーション監督の原恵一は、この木下惠介生誕100年記念映画を依頼された際、木下が戦争末期、脳溢血で寝たきりの母を疎開させるためにリヤカーで山越えを敢行したエピソードに木下的な匂いを嗅ぎとった。当時、木下惠介は、国策映画「陸軍」のラストが女々しいと軍部に睨まれて、次回作が中止に追い込まれ、松竹に辞表を提出して郷里で隠遁状態にあった。
木下は戦後、「太陽とバラ」「日本の悲劇」で強烈な存在感を発散する日本の母親の典型を描き続けたが、その原点かつ最も傑出した例が、「陸軍」で田中絹代が出征する息子を延々と追い続けるラストシーンなのである。
ほとんど発話が不可能な母たま(田中裕子)は、土砂降りの中でも、ひたすら無言で越山という荒行に耐えている。そこには木下惠介が理想とした慈愛に満ちた菩薩のごとき母のイメージが垣間見える。
冒頭、砂浜にぽつんと置かれたスクリーンに、突如、デビュー作「花咲く港」の砂浜の場面が映る大らかな諧謔(かいぎゃく)、さらに宿場で木下(加瀬亮)が、子供たちを引率する女教師(宮崎あおい)を見つめるシーンも「二十四の瞳」の淡い抒情をすぐさま想起させよう。だが、なんといっても、同行した便利屋が「陸軍」の母親がいかに悲愴であったかを語り、次の瞬間、画面いっぱいに、田中絹代の感極まった美しい表情のクロースアップが延々と映し出されるクライマックスには圧倒されるほかない。
原恵一監督は、この名状し難い感銘を与える「陸軍」のラストシーンをまるごと引用することで、木下惠介へのまじりっけなしの心からの崇拝の念を表明したのである。
(高崎俊夫)