時代的に湾岸戦争中(Iran–Iraq War (1980–1988))に撮影された映画かもね。主人公アミロAmiro (Madjid Niroumand)の負けず嫌いで、好奇心があり、向上心がある性格が気に入った。アバーダーンに住む孤児アミロは水を売ったり、外国人の靴を磨いたり、船上にいる外国人によって投げ捨てられた空き瓶を集めたりして、空いている建物の中で生活している。他の孤児とは違うふうに描かれているのは好奇心の高さだ。外国人相手の商売をする波止場で字が読めないが、雑誌を見ることが好きで、店主に追いはられてもやってくる。食べるものがなさそうだが、売上を雑誌に使う。
ある時、雑貨屋で、飛行機の雑誌を買おうとして、店主に『外国語が読めるの』と聞かれる。そして、大金を払って外国語の雑誌を買う訳だが、店主に「ペルシャ語が読めればやすいよ』と。この時の店主の一言。「お前のような歳なら、ペルシャ語が読めなきゃ』と。これが、アミロに衝撃を与えた。彼の生活はペルシャ語が読めなくても不自由はしない。読み書きは必要ないし、必要だということにさえ、気づかない。誰も教えてくれないだろうし、毎日毎日金をすこし稼いで生活ができて、飛行機の写真を見て満足していたわけだ。自分の想像を超えた世界があったとは?
好奇心の強い人間には『自分のいる世界を超えた世界』がつかみ取れる。
アミロは海で、大金を払って買った数冊の飛行機の雑誌を破る。大声で、『I must read! I must write! Why? Can't I ?』アッパレ! そのあとはまっしぐらに学校へ! それも、I had no one to put me to school and now I came here. と。孤児だし、学校なんて知らなかったよね。飛行機の真下で叫びながらペルシア語のアルファベット32を覚え終わるシーンだが、飛行機と学びのスピードを争っているかのように見える。達成感が感じられるシーンだ。
それに、イスラム教に基づく思想(盗みはしないとか人に対する憐憫の心)を孤児であっても失わない。どこからその倫理を習ったか映画では説明されていない。でも、倫理・信念のある少年として描かれている。ましてや、主に外国人をターゲットに商売(靴磨き)していて、外国人が泥棒扱いしたが、それに負けていない。自分はそんな人間じゃないと尊厳を守り通す。多国籍軍?がイランの土地に入っていて、そこに集落を作っている場所だが、(守りという体裁のいい、占領?)アミロの心は盗みはしないというイスラム道徳が信念になっている。弱肉強食の状態でも彼の芯は一本通っている。アッパレ。そして、片足をなくした老人に哀れみの目を向ける。アミロ自身、足を使うことを得意としていることもあるだろうから、足にも限界があることを感じて、ペルシア語の学びに興味が出たのかもしれない。あくまでも想像。
最後で、原油が燃える中、アイスが溶けないうちに、誰がそこまで一番に辿り着けるかという競争にアミロが勝った。そこでの、冷たいアイスを独り占めしないで、皆と分け合いお互いに達成感を感じるシーンは圧巻だね。
この映画を観始めたとき、まず、「バシュー、小さな異邦人」(1986年製作の映画)を思い出した。ここに無料映画があるが、私はDVDで観ているからもっと訳が多い。
Bashu, the Little Stranger コピペで無料で見られる。
まず、イランの南部で海辺で湾岸戦争付近の主人公から。それに、主人公が賢さが滲み出ている。政府奨励映画だしね。(Culture Association of Yourth)