劇場公開日 2013年4月27日

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戦争と一人の女 : インタビュー

2013年4月26日更新
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江口のりこ×永瀬正敏×村上淳 “役者”の視点から語る映画論

古今東西さまざまな視点から数多くの反戦映画が作られてきたが、主人公自ら「戦争が好き」と言ってのける反戦映画はなかなか見当たらない。元文部科学省官僚で映画評論家の寺脇研氏が、「見たい映画がないのなら、自分たちで作ってしまおう」と呼びかけ、有志たちが私費を投じ製作、完成にこぎつけた文字通りの意欲作「戦争と一人の女」。その熱に魅せられ出演を快諾した3人の役者、江口のりこ、永瀬正敏、村上淳が、本作にかける思いを語った。(取材・文・写真/山崎佐保子)

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第二次世界大戦末期から戦後の東京を舞台に、時代に絶望した作家の野村(永瀬)が「戦争が終わるまで、やりまくろうか」と、不感症の元娼婦の女(江口)と刹那的な同棲を始め、貪るように体を重ねる。一方、中国戦線で片腕を失い帰還した大平(村上)は、戦場での精神的後遺症から女性を強姦・殺害することでしか性的快感を得られぬようになり、日に日に罪を重ねていく。坂口安吾の幻の傑作といわれる短編「戦争と一人の女」「続戦争と一人の女」を原作に、荒井晴彦と子弟・中野太が渾身の脚本を書き上げた。

永瀬はオファーを受けた際、「脚本を読んでお尻がピッと上がった。『お、これをやるのか』と。こういう映画はなかなか商業ベースに乗りづらい。そこで監督が自腹で資金を出す、寺脇さんも自腹で出すと。どうしても作るんだって熱気が強かった。それに、出資してくれたサポーターの方々に金は返さないと言い切っているところもすごいと思った。もし儲かったら次の映画を作るんだと。本来の映画の作り方ではないし、ちゃんとした人がお金を出すというのがベストはベストだけど、それを超えた熱をすごく感じた」と語る。村上も、「毎年毎年が節目だけど、35~6歳の時、40歳までに荒井晴彦の本でやりたいって心の中で強く思っていた。荒井晴彦がガチンコで書いてくる本。今までやれなかったことを吐き出しているであろう本というのは伝わってきて、これはただごとじゃないなと。断る理由はひとつもなかった」と念願かなっての布陣となった。

戦争の本質を射抜く上で欠かせない要素として、目を覆いたくなるようなバイオレンスシーン、過激な濡れ場が数多く描かれる。なかでも性と暴力に翻弄(ほんろう)される主人公の女を演じた江口だが、「率直に面白そうだからやりたいなって思った。撮影で京都に行けるというのも魅力的だったし」と淡々と話す。本作が初メガホンとなった井上監督にも、「知らない人ですからね。でも周りのスタッフを知っているし、不安はあんまりなかった」と平然。この気負いのなさがあってこそ、演じることができる役どころだったのかもしれない。また、「これというのはないけど、あそこで過ごした時間は体が覚えている。インタビューしていても思い出す。芝居といえども、あの時間にあそこでやっていたことは全て本当のこと」と言葉を絞り出した。永瀬も、そんな江口演じる“女”と過ごした時間を「いとおしかった。戦争に添い寝している女と、戦争で失ったものを埋めようとしている男。江口さんが最初にセリフを吐いた時に、『女ってこうなんだ』と。戦争の匂いは彼女からしかもらえない。野村を作っていく過程では江口さんに本当に助けられた。女が江口さんで良かった」と劇中さながらの特殊な関係性で固く結ばれていた。

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永瀬は安吾自身を模した野村を演じるにあたり、「坂口安吾の世界は非常に難しい。時代の不安定さを体現した男。役が降りてくるように願うしかない。原作を読んだ人はすでにイメージができあがっているので、その人たち全員を納得させるお芝居というのはかなり難しい。そうすると、もういない人と会話するしかない。それは文体であったり、何かなんだけど、常に意識していることは体温を失わないようにすること。安吾さんの息子さんなど安吾さんの体温が残っている方にとっても、その体温を大事にしたい」と独特のアプローチで役柄に寄り添う。固有名詞のない“女”、つまりこの時代を生きたさまざま女を代弁するかのような役柄に挑んだ江口も、「どんな芝居でもそうだけど、自分で見つけていくしかない。ヒントにはなるけど、やっぱり自分でそうしていかなきゃならない。それは正解なのか間違っているのかも分からない。でもやらなきゃいけない」と葛とうをバネに、一見とらえどころのない“女”を体当たりで演じ切った。

村上演じる大平は、終戦後に世間を震かんさせた連続強姦殺人事件“小平事件”の犯人・小平義雄がモデルであり、女性を次々と殺し罪を重ねていく凶悪犯罪者でありながら、精神と肉体を病んだ戦争の被害者としての側面ももつ複雑なキャラクター。「映画というのは最終的には役者に頼らなきゃいけないものだと思う。いくら本が良くても演出が良くても、スクリーンには役者が映る」と語る村上。大平という人物造形についても、「現場の緊張感はものすごく、正直、あの手この手を使う余裕はなかった。ただ、俳優としては燃えた」と目に力を宿した。

本作は戦争映画としても、戦場の最前線を描くことなく“戦争”を浮き彫りにするというアプローチで異彩を放つ。永瀬は、名匠・黒木和雄監督の遺作「紙屋悦子の青春」(2006)でも戦争映画を経験しているが、「僕のおじいさんたちは実際に戦争に行っている世代。彼らが語る後ろ姿はどうしても心に残っている。『おじいちゃんは鉄砲撃ったんだって?』って聞くと、『それは聞くな』っていう空気。『これは聞いちゃいけないんだ』って子どもながらに思ったことを覚えている。今回は軍人ではなく市井の人物なので振り幅もちょっと違うけど、いまだ心にドーンとあるのは、おじいちゃんのあの何とも言えない目。それに戦争って世界中でまだやっていることだから、それを感じながらどこまで表現できるかが重要だった」と神妙な面持ち。村上も、「戦後を描くというのは今後もずっとテーマになってくる。例えば『仁義なき戦い』も、あれはヤクザものである前に戦争を知る世代の深作欣二監督が描いた戦後の話。戦後70年近く経った今、現役で戦争を書ける人が亡くなっていく中で、荒井さんは結構オジサンだし(笑)、そのへんの安心感はあった」という。

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昨年急逝した若松孝二監督の下で映画作りを学んだ後、荒井に弟子入りし脚本家となった井上淳一は、本作で念願の長編監督デビューを果たした。戦争という時勢の中で、自らの欲望に忠実に生きる庶民の姿を描くことに徹した。その思いに応えるように、撮影に鍋島淳裕、美術に磯見俊裕、照明に豊見山明長、音楽には青山真治と、いずれも第一線で活躍するベテランが顔をそろえた。数々のタブーや規制を打ち破る井上監督の決意と覚悟を、役者陣はどのように捉えていたのだろうか。

村上は、「荒井晴彦の本に共に挑む“共闘者”。つまり同じ挑む立場。リハーサルもやって、これは委ねられるなと思った」と“戦友”の意識。さらに、「こだわりを外にもっている人と、中にもっている人がいる。若松さんは両方あった方だと思うけど、井上監督は外的に何か強い主張があるわけではないけど、内にもっている人だと思う」。江口も、「嫌われるのを怖がっている感じはあったけど、気が弱いと言いながら意外と図太い人(笑)」と語った。

このような企画が実現したのも、すべては1200万円という低予算で作られた自主映画という規制なき体制があってこそ。ここに集まった3人は、いわゆるメジャー作品とインディーズ作品の間を自由に横断しているように見えるが、村上はこれを“チャンス・タイム”と呼んだ。「意地悪な言い方をすれば、インディーズにしか出られない人、メジャーにしか出られない人もいる。だけどそのへんの垣根や壁も崩壊しているのか、ここ5年くらいは自由に行き来する“チャンス・タイム”な気がする。どの規模かということでなく、どういう挑み方をしたいかということ。今の若手作家たちは、バラエティもやるしCMもテレビも演劇もやるし、ものすごいボーダーレス。それにお客さんも予算や規模で作品を見ていない。だけど、この予算でこのクオリティ、これだけ良いものができちゃうと、良い例にもなるし悪い例にもなってしまう。次にお金を出す人が、『これいくらかかった? 次もこれくらいでいけちゃうでしょ』ってなると困る」と危惧もある。

永瀬も、映画作りに“形”はないと語る。「僕らの時代、石井聰互(現・石井岳龍)という学生映画の大スターがいて、世界的にもすごく評価を受けていた。形なんてない気がする。思いだったり情熱で、誰かが動けば動く。映画が好きだから映画をやりたいだけで、規模も関係ない。ただ生活していかないといけないから、これだけが主流になったら困る。スタッフも家庭があって子どもがいる人もいるし、貧乏売りだけはしたくない」。そして、「何だかんだ言っても役者業は受け身。声をかけてもらわないと始まらない。面白そうだと思えば、案外みんな興味をもつもの。こないだ京都の学生さんの映画に呼んでもらったけど、みんな本当にキラキラしていた。製作費もない中で、学生が前もってバイトして僕の旅費と宿泊費を貯めてくれていたらしいけど、それは受け取れなかった。その代わり、この先映画を作る時にワンシーンだけ出してねって(笑)。彼らは映画界の未来であって、今そんな彼らと仕事ができる幸せって、逆に『ありがとう』ってなもん。どの規模でやろうが、どの監督が撮ろうが、とにかく映画は映画だよね」。

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