人生の特等席のレビュー・感想・評価
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こう言う映画が好きなんだよなぁ
機内で観ました。 上映時に行きたかったものの、事情により観れず、こんなタイミングで観れると思っていなかったので、非常にうれしい。 こう言う、人と人との関係を描いた、昔ながらのストーリーが好きなんです。 少々先が読める場合もありますが、それはそれ、そこも含めて好き。 別にストーリーの奇抜さや、驚く映像が必要な映画ばかりじゃないんだ。 これで充分心に入ってくる、素晴らしい映画だと思う。 それにしてもイーストウッド爺さんは、どの役でも一癖も二癖もある偏屈役が合うねぇ。 それぞれ状況は違うんだが、どれもこれも愛すべき偏屈爺さん。 まだまだ彼の映画が観たいです。 イーストウッド爺さんが出ていなかったら、恐らく私はこの映画に出会えなかっただろうし。 出来れば、監督権主役でやって欲しいですね。
渋い演技が光る
マネーボールに象徴されるデータ野球が主流の中、時代に流されるベテランスカウトを中心に据える所が素晴らしい。展開は読める感じはあったが、それでもイーストウッドをはじめ役者陣の渋い演技が光る。退屈せず、鑑賞後は満足感。 監督より役者のイーストウッドが好きな自分はこの作品が最後になるのが残念。
ハッピーエンドてんこ盛り!
基本的にクリント・イーストウッドの映画は外れがないので観に行くことにしているが、この作品は正直微妙ところ。やはりイーストウッド自身が監督したものとは趣が異なるようだ。
メジャー球団の有能なスカウトのガスは、幼い娘を残して妻に先立たれ、しばらく仕事に娘を同道するが、ある時変質者(幼児性愛者)に娘を狙われたことで、自分の仕事の環境は娘にふさわしくないと人に預けてしまう。娘はそれを父親に捨てられたと解釈し、父親に認められようと弁護士になる。父親はそんな娘の頑張りを見守りつつ、スカウトを辞められない自分に娘を引き取ることはできないとあえて疎遠にする。
そんな父と娘の理解と和解を描く作品で、テーマは悪くないしイーストウッドは勿論、エイミー・アダムスを初め手堅く固められた共演陣の演技も素晴らしい。しかし正直に言わせてもらえば作品全体としてはあまり高い評価はできない。その原因はやはり脚本である。
色々な衝突を繰り返しながら娘と父がようやくお互いの思いを理解し、和解していくのを描く場面でも、本来大きな山場であるのにそこに至るストーリーの盛り上げ方が弱く、父親が「お前を一緒に連れていくことはできなかった。俺の隣は安物の3等席だ」と自嘲気味に言うのに娘が「お父さんの隣は私にとって特等席だった」と答えるシーンが大して印象に残らない。
そしてラストはもうハッピーエンドのてんこ盛り。まず父親の意見を無視され、球団がボーを指名したことでジョニーに去られたミッキーの眼前に、全く無名の剛球投手が現れ臨時入団テストでボーをコテンパンにする(その投手は母親に勉強に専念するよう言われているためにチームにも入らず、勉強の合間の独学(自主練)でプロでも通用する投球術を身に着けたという設定!)。次にスランプに陥っていた打者がガスの意見で家族を呼び寄せたら見事に復活する。そしてミッキーの勤める法律事務所でもライバルが失敗し、復帰後の昇進を約束される。更に怒りに任せて暴言を吐いて去ったジョニーも恥ずかしげもなく戻ってくる。
これはいくら何でもやり過ぎと言うもので、その安易さに画面を見続ける意欲も無くしてしまう。特にジョニーの別れの言葉は怒りに我を忘れたとはいえあまりにひどいもの(怒りにまかせて発する言葉はその人の本音であることが多い)で、ミッキーがなぜ易々と許すのか男の自分が見ても全然納得できない。
イーストウッドもすっかり年老いて、もう新作は観られないかもしれない。しかしこれが最終作にはなって欲しくない。
三等席の映画
イーストウッドが俳優として久々に復帰した。「憎まれ口を叩く、いけ好かないじじい」の役はもはや鉄板であり、安定した演技を見せてくれる。口下手だから娘に思いを伝えられなくて、時折見せる悲しそうな表情はとても繊細だ。
そのイーストウッドの娘役がエイミー・アダムスと来れば文句なし。男勝りのキャリアウーマンだが、内面では父親の愛を欲している。楽しそうなときもどこか物憂げなところが役に深みを与えている。
その他、ジャスティン・ティンバーレイクはスカウトに転向した元投手を演じている。(少々さわやかすぎるが)非常に好感が持てて、彼とアダムスの会話のシーンは見事にかみ合っている。ジョン・グッドマンに至っては言わずもがな。脇役なのに、ストーリーの雰囲気を最終的に形作るのは彼と言っても過言ではない。
しかしこんなに良い役者がそろっているにも関わらず、この映画は限りなく微妙だ。おそらく脚本が根本的に良くないのだろう。何しろ、盛り込まれているエピソードが「父親がスカウトをクビになりそう」「父と娘のすれ違い」「娘の昇進」「娘の恋愛」・・・etc。どれに主軸を置いているのか全く分からない。しかもそれぞれの話が唐突に登場するものだから、ツッコミどころ満載だ。
肝心の「秘められた過去」が明らかになるときはある意味テンションが上がる。なんとハリー・キャラハンが登場するのだ。いや、ガスの昔の姿を再現しているのだがそれが「ダーティハリー」のイーストウッドそっくり。正直、このシーン以外頭に残っていないのだが。
敵役の作り込みの甘さも致命的だろう。この映画は「マネーボール」とは正反対の主張をしている。つまり選手はパソコンなんかではなく、スカウトの目で見つけ出すものだと。だが「マネーボール」では頭の固い老スカウトにも一理ある、と描かれていたのに対し、この映画での”パソコン野郎”は典型的な嫌な奴でしかない。ただただ、むかつくのだ。まあ最後の安っぽいエンディング(ここですべての問題が一気に解決する)のおかげで、「ざまあみろ!!」という気分にはなれるが。
良いシーンもたくさんあるのに、すべてを台無しにしている。監督はイーストウッドの弟子だから、彼の魅力をどう生かせばいいのかはよく分かっていただろう。だがストーリーがこれじゃあ、キャラクターが良くても映画はダメだ。
とはいえ、「人生の特等席」を嫌いになるのは難しい。クオリティは「三等席」だが、それはそれで楽しいのだ。
(2012年12月20日鑑賞)
幸せについてじっくり考えよう
『マネーボール』とは対をなすこの映画。 『マネーボール』で首を切られてた古い考えのスカウトが主人公です。 時代はコンピューターでのデータ処理に移り、古い考えは捨てられていく。 こちらは人生ドラマであり、『マネーボール』は立身出世物語である、とはいえ 一年前後で全く違う趣旨の映画が出たのは何か深い意味がありそう。 いや、分析できませんけど。 人生の苦悩とはどこからどこへ流れていくのだろう。 親の思い、子の思い、様々あって、時間は過ぎていったけど まだ遅くありません。 まだ生きているうちなら間に合う。
特等席は座席指定。
「グラン・トリノ」で俳優に終止符を打ったはずのイーストウッド卿が
またもや愛すべきクソジジイとなって帰ってきた。
あれ以上の偏屈をどう表現するかと思えば更に磨きが繋っていた。
いや~あっぱれだ。高倉健が佇まいで魅せる映画俳優とすると、
イーストウッドは立ってよし、喋ってよし、殴りかかってまた、よし。
この佇まいは現在の老役者でもなかなか味わえない。
今作は設定や物語でいえばかなり単調な部類に入ると思う。
驚くような展開(ほぼ予想がつく)はないし、娘が出てきた時点で、
あーこの娘の将来はきっと…なんていう想像もたやすい。
ただ、この二人の最大のわだかまり、幼い頃に何があったのか。
が解き明かされる後半、父親の願いと娘の想いの交錯にグッとくる。
観る立場にも依ろうかと思うが、私などはドンピシャでこの関係だ。
むろん、里子に出された訳でも母親不在の訳でもないが^^;
幼い頃から現在に至るまで、父親と楽しく会話できた試しがない。
自分が親となり、親がどれだけ子供を愛しく想うかは理解できた。
問題はその表現力(性格がおおよそ占めるが)だよと今では思う。
だから彼の娘ミッキーが抱えるジレンマが非常に理解できるのだ。
ホント分からないんだよねぇ…その言葉の真意が(爆)
娘を最大限傷つける言葉を吐いといて、いけしゃあしゃあとしている。
ちょっと父親がそういうこと言っていいのかよ!謝りもしないとは!
こちらは噴火寸前の火山である。何を言っても通じない。無視される。
おそらく私が今まで生きてきて他人に吐かれたどんな卑劣な台詞より、
最も傷ついたのは父親(母親もあるが)から吐かれた台詞である。
感情でモノを云う生物の人間は、理性のコントロールでそれを回避する
というが、回避できない人間がこんな身近にいるのを知って悲嘆した。
しかしまぁ面白いのは、おそらくあとになって…後悔するのだろうが、
何気に優しく近づいてくるのである(爆)でも決して言葉での謝罪はない。
こちらが気付くか気付かないかのレベルで赦しを請いにかかってくる。
…バカか、こいつは!
だったらあんなこと言わなきゃいいだろが!よく考えろ、クソオヤジ!
今まで何回、こんなことがあっただろう。いや、未だに何回もある^^;
まるで自分らを観ているような父親と娘の掛け合いが面白い反面、
なんでこの親父は、娘に心を拓けないんだろうと哀れに思えてくる。
(このあたり、頑固一徹親父の皆さま、どうかご助言下さい)
どんな子供でも可愛いのと同じで、どんな親でも子供には最愛の親だ。
お互いを理解し仲良くやっていきたいのに、どうして些細なことで親子は
こう、ぶつかってしまうんだろうなぁ。
老スカウトマンのガスは、ほぼ目が利かなくなっており解雇寸前。
最後のスカウトに賭けた彼に、仕事一辺倒の娘が心配して寄り添う。
蛙の子は蛙で、娘にもその才能は受け継がれている。野球が好きなのだ。
しかし父親は頑なに娘を拒み、帰らせようとする。その真意とは…。
酒場で娘に近寄る男に殴りかかろうとする彼の行動の裏に秘密があった。
幼い頃に娘を手放し、音信不通にまでなった父親の決断と、
父親に遺棄された(も同然)と思って育ってきた娘の葛藤の日々をさらい、
父は娘の未来に何を願い、娘は愛されたいがために優秀であり続けたと
いう(この部分など凄く分かる)切ない事実が浮かび上がってくる。
私のことキライなんだと思ってた…と娘が吐く台詞に号泣してしまった。
誰もが誰かに認められたいと願っている。
認められたいから頑張ってその座を得ようと努力をする。
力が落ちて、もう使い物にならない烙印を押されても、いや、まだまだ!
と踏ん張るお年寄りも多いと思う。特に男性は…しぶといよね(我が父も)
子供が勉強や習い事を頑張るのは(小さい頃は)親のためである。
親が喜ぶ姿を見たくて、自分が褒められることが嬉しくて、頑張るのだ。
本当は好きな道(今作でいえば野球)に進みたかったけど、親がダメだと
いうからこっちを選んだ。なんて年老いてから聞かされたら、私は悲しい。
そのために子供の芽を摘むなんて(親だけの責任とはいえませんけど)
やっぱり道は拓いておいてあげたい。失敗や苦労は本人のためになる。
人生の特等席。かぁ…。
私の特等席といえば、もちろん映画の座席指定になるけれど(爆)
イーストウッド卿の特等席は、未だ現役で頑張れるその位置だろうか。
引退など考えたこともないという。さすがだ。
死ぬまでその姿を私らに焼き付けて下さいませ。いまの調子でね。
最後になるけど、A・アダムス、J・ティンバーレイク、いい演技でした。
(R・パトリックの渋さもハンパじゃない。彼にも長生きを強要しますよ)
昔ながらのストーリーながら
映画ファンとしては ストーリーはよくあるパターンで、単調ではあるが楽しめる。 父親と娘のホームドラマとして観れば人によってはウルッと来たり、そしてハッピーな気持ちになれるかも。 クリント・イーストウッドファンとしては 「ローハイド」からマカロニウェスタンを経由して監督・出演した「グラン・トリノ」や「マディソン郡の橋」で確固たる地位を築いたのに、何故いまさらこの作品に出演したのか意味不明。 名作「12人の怒れる男」を制作・主演したけど、遺作「黄昏」On Golden Pondで晩節を穢したヘンリー・フォンダのようにはなって欲しくないなぁ。 MLBファンとしては やっとナショナル・リーグのチームを取り上げてくれて嬉しい。 「くたばれヤンキース」以来「エイトメンアウト」、「メジャー・リーグ」、「マネー・ボール」全部アメリカン・リーグ。 でもミッキー・マントルが好きだってやっぱりア・リーグかよ! アトランタ・ブレーブスが舞台ならアルバート・プーホールズの再来じゃなくてハンク・アーロンとこなくちゃ嘘でしょ。 ディテールがお粗末。 単にアメリカ人男性は野球が好きだということを言いたかっただけに使われた小道具だったのかな。
いつもイーストウッドはヒーロー
原題:THE TROUBLE WITH THE CURVE
クリント イーストウッドは私の人生で、いつもヒーローだった。
小学生のときに「ローハイド」、中学生のときにマカロニウェスタン、「荒野の用心棒」、大学生で 「ダーテイーハリー」、大人になって、「許されざる者」。中年になって「マデイソン郡の橋」や「ミステイックリバー」。ババになって、「ミリオンダラーベイビー」、「グラントリノ」そしてさらに、この映画「人生の特等席」だ。
彼が一生かかって描いてきたものが、そのまま私の人生の軌跡に重なる。だから82歳の彼が元気で現役役者や監督でいてくれることが、とても嬉しい。この映画は、恐らく彼が主演を勤める最後の映画になるだろう。これは彼の監督業で右腕になってきたロバート ローレンツが単独で 初めて監督をした映画。イーストウッドの右腕だけあって、音の使い方がうまく、映画全体の起承転結 メリハリの付けかたが秀逸。とてもよく出来た映画だ。
ただ邦題の「人生の、、、」の意味するものはよくわからない。原題をそのまま つけるべきだと思う。「TROUBLE WITH THE CURVE」の題は そのまま訳して、「カーブでトラブル」とか、「カーブが難問」とかの意味。
ストーリーは
ガスはメジャーリーグ、ボストンレッドソックスのスカウトマン。毎年有能な新人を発掘してチームに入れて成功させている。スカウトマンの中で一番古くからチームに貢献してきて、本当に使い物になるスターを見出すことで仲間からも ライバルチームのスカウトマンたちからも一目置かれていた。
しかし寄る年波には勝てない。ガスは新聞を読むにも眼鏡だけでは活字が見えなくて、虫眼鏡が要るようになった。視野の中心部がぼやけて足元が危うくて、よく転ぶ。医者からは黄班部変性か緑内障なので早く専門医に行って治療が必要だと言われている。スカウトマンのボス、ビートからは 何時引退するのか、と問われている。
しかしガスは聴く耳を持たない。大丈夫。今までも上手にやって来た、これからもやっていけるさ。スカウトマンは街から街へ 旅を続けて新人を見出す。ゆっくり家で腰を下ろしている暇などないのだ。
彼には自慢の娘がいる。33歳 独身の弁護士ミッキーだ。彼女は若いのにやり手で努力家。実績を買われて名のあるファームの招聘されている。名誉なことだ。恋人も弁護士で将来結婚するつもりでいる。
ガスのボス、ビートがある日、弁護士事務所に訪ねてくる。ビートはミッキーが赤ちゃんの頃から知っている。ミッキーは6歳で母親を亡くし、幼いうちからいつもガスに引っ付いていたからだ。彼は、ガスがどこか、体の調子が悪いのでは無いかと言う。そういわれると、忙しくてこのごろ疎遠にしていた父親が心配。でも、訪ねてみると頑固親爺は娘をうるさがるばかり。目医者に行くなど、とんでもない。不健康な食生活、酒も葉巻も手放せない。娘を怒らせて、サッサと返すだけの父親。
ある町にすごい新人バッターが出現。ガスを始めとして各チームのスカウトマンが町に乗り込んでくる。ガスを追って、ミッキーもこの町に。新人バッターは、皆の目の前で ジャンジャンボールをかっ飛ばす。どのチームもこの新人は「買い」だ、という中で、ガスはひとり反対する。新人は手を捻ってバットを握っている。これではカーブは打てない。とガスは言う。しかし眼鏡をかけても遠くが見えないガスの言うことなど誰も聞かない。ガスは、新人がボールをバットに当てる時の「音」だけで、バッターの欠点がわかったのだ。ガスの主張を娘のミッキーだけは信じる。父が強情に言い張る時は 絶対に正しい。しかし、「音でわかる」と言うガスをみんなは笑いものにして、この新人をチームは買う。
ミッキーは他のチームのスカウトマンをしている青年に 新しい恋をしていた。相手は、ガスが昔、見出したピッチャーのジョニーだ。彼は腕を痛めてプロから脱落、今はブロードキャストを目指しながらスカウトマンをやっている。ガスもミッキーもこの新人は「止め」というのでスカウトしなかった。しかし、ガスのチーム、レッドソックスは この新人を買った。ジョニーは、ガスとミッキーが自分を裏切ったと思って、怒って町を去っていく。ガスも 自分の意見を聞かずに カーブも打てないバッターを買ったチームの首脳陣に怒って、町から引き上げる。
しかし、町に残ったミッキーは、そこで埋もれていた とんでもない実力のあるピッチャーを見つける。ホテルの下働きをしている青年だった。ミッキーは、彼の投球するカーブに惚れこんで、彼を連れてレッドソックスの本部に乗り込む。そこでガスもビートも見ている前で 買ったばかりの新人バッターが この青年の投げるカーブも、ストライクさえも打てない醜態を見せて、父親の言ったことが真実だったことを証明してみせたのだった。
というおはなし。
父と娘の絆の深さに胸がジンと滲みる。老練のスカウトマンの正しさを娘が実証して仇をとる痛快な終わり方に拍手。この父にしてこの娘あり。やったぜい。最後に年をとったクリント イーストウッドがひとり歩み去る後姿が、娘との二人三脚の歓び、人生の喜怒哀楽を語っている。
それにしても、クリント イーストウッドはなんと「男」であることか。バーで33歳の娘に言い寄る男が出てきたとたんに、ぶん殴りに飛び込んでいく。転んでも人の手を借りない。だいたい転んだことを認めない。娘を和解しても抱き合わない。手も触れないし、肩に手を置く事もしない。ハローと言って軽く抱き合い、行ってらっしゃい お帰りと言い合い頬にキスする習慣の国で 彼は全然誰も抱いたりしない。するのは男と男の握手だけ。
家事ができない。夕食は冷蔵庫に入れっぱなしの食べかけの缶スパムのランチョンミート。これを直接フォークで口に掻き込む。または、フライパンで焼きすぎて真っ黒になった肉。朝食兼ランチは出前のピザ。葉巻タバコを手放せず、夜になれば勿論呑む。なんと偏った不健康な食事と生活態度、、、これが男だ。
「グラントリノ」でも誕生日に、でっかいバースデイケーキと 老人用の文字盤が大きい電話、落ちたものを拾える杖など持ってきた息子夫婦に怒ってどなり帰す。プレゼントはぶん投げて帰すが バースデイケーキは夕食に食べようとして 隣人にバーベキューに呼ばれるシーンがある。
彼の初期の頃の「ローハイド」では、彼はいつもアルミの皿に、「また豆かよ。」と文句を言いつつまずそうにスプーンで豆をすくって食べていた。彼の出てくる映画で彼が 健康的でおいしそうな食べ物を食べているシーンを見たことが無い。男もつらいな。
ガスがもう30年近く前に亡くなった妻の墓で妻に語りかけるのは「ユーアーマイサンシャイン」の歌詞だ。
「おまえが俺には太陽の光
俺には この光があるだけさ
おまえだけが、この俺を幸せにしてくれる
ー
どうかこの俺からお前の光をうばわないでくれ」
泣かせる。妻が生きていた頃 優しい言葉ひとつかけてやらなかったに違いないが、墓に向かってなら、本心を言える。それでいて、残った唯一のサンシャインである娘に向かって、帰れ、帰れとどなりつけるだけで、まともな話しをしようとしない。こんな不器用な扱いのむずかしい親爺 まったくお手上げだ。
娘役のエイミー アダムスが良い。頑固親爺に意地っ張り娘。とてもきれいな目をした女優だ。わたしの愛用のLONGCAMPのバッグを映画のなかで使っていて、なんか、嬉しかった。
彼女の恋人になる元ピッチャーのジャステイン テインバーレイクの役者ぶりには恐れ入る。「ソーシャルネットワーク」でも良かった。ラッパー音楽家だけでなく役者としても一級だ。一芸ニ芸秀でている。
オットは、オージーでクリケットしか見ないので、野球をほとんど知らなかった。でもこの映画で ストライクもカーブも変化球も しっかり勉強できて、野球の面白さに目覚めた。ふりしぼったバットがみごとにヒットするときの 気持ちの良い音、キャッチャーとのやりとりの面白み、ピッチャーの豪快な投げ、など、たくさん映画で経験することができて、とても喜んでいる。
イーストウッドが口ずさむ「ユーアーマイサンシャイン」を聞いて、どうしてもギターで弾きながら歌いたくなった。一念発起して半世紀ぶりにギターを手にしてみよう。
とても心に響く良い映画だ。
愛すべき偏屈親父!
実際はそうではないと言われているが、クリント・イーストウッドの近頃のキャラは、本当に嫌な老人役。楽しげに演じていた。今回の内容は想定内の展開で、驚きはないが爽快感を持って観ることができた。アナログ親父、パソコン拒否いいじゃないの。「マネーボール」のデータ重視の野球もありかもしれないが、この作品のように足で稼ぎ、眼と耳で確認する方が、私は好きだな。データだけじゃ、その選手の性格とか、気持ちまでは読めないと思うしね。原題は何なんだろうって思っていたら、「カーブに難あり」だった。邦題はなかなか工夫しているね。最初の馬のシーンは配給会社のロゴかと思っていたらそうではなかった。後から理由がわかった。自分と父親との関係も思い起こされた。ちゃんと向き合っているかな? あまり自信はない。最近の作品は展開が早くてついて行くのが大変なのも多いけど、こういう作品に出会えるとホッとするな。安心して観ていられた。
仕掛けに気づいてもなお楽しかった
本作のテーマも、仕掛けも、「Trouble with the Curve」という原題が全て包含している素晴らしいタイトルでした。
そのうちの一つしか取り上げていない邦題が非常にもったいない作品です。
こんなありきたりの、「なんな~く良さそうな話」と思わせたい心が見え見えなタイトルを付けた方には、もう一度本作をしっかり見直してみて欲しいです。
長い人生で誰もが必ず遭遇する「人生の転機」。それはいつ来るか、また何回来るのかも分からないけど、そこでの判断や行動がその後に大きな影響を残すこともしばしばあります。
そんなターニング・ポイントをそれぞれ迎えた父と娘を、淡々とそしてじんわりと温かいエピソードで綴った快(ちよい)作でした。
正直言えば、メジャーのスカウトとして評価に取り組むバッターの行く末と、おそらく製作者側はどんでん返し的に準備したであろう、別の若者のことは登場した瞬間に感づいてしまいました。(原題が良すぎましたね)
でもそれはそれ。映画としての面白さは全く減ずることなく、エイミー・アダムスの、子持ちとはとても思えない魅力も楽しみながらあっという間に過ぎた娯楽の時間でした。
クリント・イーストウッドは、制作者としても役者としても、目が離せませんね。
100歳まで監督やってくれ
口も態度も悪いけど家族思いの頑固親父。「ミリオンダラー・ベイビー」「グラン・トリノ」から続く主役のイメージ。今作は「ミリオンダラー・ベイビー」で娘と和解できないでいる親父の後日談か?「ミリオンダラー・ベイビー」の父娘関係はもっと深刻そうだけど。父は娘を思い、娘は父を思いつつも、すれちがい。そのすれちがいの原因と和解を語ってしまうことにより深みがなくなる。それに比べスカウト部分はおもしろい。スカウトの結果を確認するには、スカウト選手が成功するか否か、少なくても数年かかる。ところが、映画では短時間に結果がでるのだ。それも大ドンデンデン。そこが映画のいいところ。
最高でした
今年映画館で見たなかで一番面白かった気がします。最高でした。ひとつひとつ、凄いリアルに自然に描かれていて凄いなって思いました。会話ひとつひとつも凄い笑わせてもらいました。これこそ映画館で見るべき作品です。
師匠イーストウッドの手を完全に離れた時どうなるか?
単純にスカウトマンとしての力量を問われる話で、経験豊富なスカウトマン、ガスをクリント・イーストウッドが演じる。この人が出てきたら、この役を他の俳優では考えられない。ここまで面白くはならないだろう。 娘役のエイミー・アダムスもいい。父親そっくりで意地っ張りで鼻っ柱が強いミッキーにぴったりだ。 どうやらこの父娘、長いことうまくいっていないらしいと分かるオープニングから、デキすぎのラストまで物語自体はまさにストレート一球勝負だ。これを星飛雄馬と花形の勝負を延々と引っ張るがごとく見せ場を作ってみせるイーストウッドとエイミーには喝采を送るしかない。 ガスが墓の前に腰を下ろし、亡き妻に語りかける“ユー・アー・マイ・サンシャイン”の歌詞。 ミッキーが同じ曲を恋人に歌って聞かせる。互いに反発し合いながらも、父娘の強い絆が伝わってくる。 この辺りは、長年イーストウッドの下でやってきたというロバート・ローレンツが、初監督ながら師匠の作品と同じようなカラーを打ち出している。 ただ、師匠のように人間ドラマでも何か事件性を匂わせるようなカットを挟んで遊ぶ余裕はまだ無さそうだ。もっとも、これは往年のアウトローのイメージが定着したイーストウッドだからこそ、観客に〈もしや?〉という疑念を抱かせられる芸当なのだが。そのため事件性を話の核に直接盛り込んでいる。 イーストウッドの出演なしでどこまで師匠に迫れるか、今後が楽しみではある。 ガスとミッキー父娘の真価が問われるラストは、そこに至る伏線があるのでお見逃しなく。 MLBファンには楽しそうなクイズの応酬もある。
気分爽快!
拍手1回、ガッツポーズ2回。 それくらい、痛快なお話でした。イエーイ! 野球が好きな男性なら、もっと楽しめるかもしれません。 また女性なら、お父さんを誘って行ってほしいな。 イーストウッド、御年82歳。本当いい味出してます。 彼が前面に出てばかりでなく、娘やほかの登場人物も うまい具合に絡み合ってますよ。 また、名脇役のジョン・グッドマンが、いい味出してます。
この姿をあと何度観れるだろう
クラシックな作りの映画。安心して観れると思います。やはりイーストウッドの存在が大きいですね。 話の主体は3つです。 1つ目は年老いた野球スカウトマンのガスの話。 昨年公開した「マネーボール」の真逆の立場です。マネーボール理論に共感出来なかった人には良いのではないでしょうか。 2つ目はガスとミッキーの父娘の問題です。 ここで面白かったのは「食べ物」のシーンです。 いわゆる「フード理論」ですが、福田里香さんが以前ラジオで「フード理論」というものを話しているのを聴いてから、劇中の食のシーンに注目するようになったのですが、本作でもガスとミッキー父娘の心の距離を上手く示していました。肉を焼いているガスがミッキーに「お前も食うか?」と言うとミッキーはそれを取り上げ流しに置いてしまいます。とりつく島がない感じです。 次のシーンは球場でミッキーがホットドッグを2つ買います。1つは貰えると思ったガスにミッキーは「2個とも自分が食べる」と言います。ミッキーがまだ心を開いていないことを表しています。 次は朝食のシーンです。2人でテーブルに座ってガスは食べていますが、ミッキーは食べ物をいじっているだけで口には入れません。フード理論的にはミッキーはまだ腹の底を見せていないといったところでしょう。しかし2人でテーブルに着いただけでも2人の距離は縮まったと言えるでしょう。 そしてラスト。父娘の問題を乗り越えた時ガスが言います。「ランチでも行こう」と…ミッキーも快諾して2人で歩き出します。実際には2人の食事のシーンは出て来ませんが、2人の心が打ち解けたことを表すシーンです。 こう観ていくと、また違った見方ができて楽しいですね。 福田里香さんに感謝です。 そして3つ目はミッキーの恋愛です。 この3つのテーマがラストに集約されていきます。 なんかホッとすると言うか、いいなあって感じる映画でした。イーストウッドの姿をスクリーンで観るだけでも価値があるんですけどね。
予定調和だけど、
ストーリーは、すべてがうまくいっちゃう。 映像は、全然、新しさを感じないモノトーンのよう。 俳優陣は、頑固ジジイに、いまを生きる娘。らしい俳優を配置。 すべてが予定調和的な映画だと言えるだろう。 でも、これは否定形ではない。 クリント・イーストウッドの俳優復帰作品として、 ああやっぱり、こんな役なのねと妙に納得してしまった。 そう「グラントリノ」で見せた頑固ジジイなんだけど、 心底じゃ、ふれあいや、つながりを求めてる。 コンピュータやITなんか触りたくもない。 だけど、どこか時代遅れな自分にもため息がでてくる。 そんな役。 だから、いまの高齢者たちへのイーストウッドのやさしさであり、 リスペクトであるとも言えると思った。 それに、忙しい弁護士で共同オーナーになる寸前の娘、 だけど、本当はメジャーリーグが大好きな娘。 そんな娘役のエイミー・アダムスが素敵だ。 はじめのうちは、どこにでもいる普通の女性だったのだが、 父親とメジャーリーグの旅を続けるうちに、 自分のルーツを発見していく。 そうすることで、輝いていく。 いずれにしても、すべてが予定調和的である。 でも、これは、むかしよく見た映画の世界ではないのか? 心ときめかせて、見に行ったハリウッド映画の良質な部分。 そんなことを思った映画である。
古き良きドラマでした。
心温まる父娘の絆を取り戻すドラマ。 ライト感覚でサラっ〜と進んでいきます。 クリントイーストウッドが4年ぶりに出演するには妙に深みがないというか…。 昔のアメリカホームドラマのような優しさと、ラストもこれまたTVドラマのようなオチ付き。‘やったね!’って感じのオチですよん。 だからイーストウッドもセレクトしたのかしらん…。 古き良きアメリカンって感じでした。
昔に観た映画。
昔はこういう映画がたくさん製作されていたように記憶しています。即ち、殺人シーンや暴力シーンや性描写が全くなく、人間同士の交流に重きが置かれていた映画です。最近の映画は視覚や聴覚に突き刺さる映画が余りに多く、辟易していました。井筒和幸なる監督は、「ボクの映画には暴力とエロは必須」と豪語していました(読売新聞の夕刊)。全く、情けないことです。マイナー・リーグの老スカウトマンを演じたイーストウッドの演技は絶妙でした。是非とも、来年のアカデミー賞で主演男優賞を獲得してもらいたいものです。(尤も、イーストウッドはアカデミーの会員たちから煙たがられているので、難しいかもしれません)。時代の最先端を切り開くような新機軸がある訳ではありません。でも、落ち着いて観ることができます。イーストウッドが監督から外れていたせいか、いつものように映画が重たくなることがありません。映画の最後はまるでバート・バカラックの音楽のような軽やかさがありました。 TOHOシネマズ海老名で鑑賞。客の入りは大体、8割くらいだったでしょうか。一人でも多くの人に観てもらいたい映画です。
心温まる映画
父娘の長年の確執が徐々に解けていく、それがとても自然に描かれていて、最後は心温まるハッピーエンドでした。すべてが丸く収まると「うまくいきすぎ」感が出ることも多いけど、この映画については「うまくいってくれてよかった」と安心してしまうほど。
それから個人的に、セリフが(日本語字幕が?)とてもWittyというか、ストレートに言うよりちょっと機転を利かせた言い回しが多く、よくできているなと思いました。
クリント・イーストウッドがとてもいい味を出しています。こういう頑固親父的な役はとても向いています。
クリント・イーストウッドは、まだまだ健在。
『グラン・トリノ』で、半分引退の様な事を言っていたクリント・イーストウッド。ここ最近の作品は、自身が監督・主演か、あるいは監督専業と言う事が多かったが、今回の作品の監督が愛弟子ロバート・ロレンツと言う事もあってか、俳優専任として登場している。 渋いねぇ。やっぱり、クリント・イーストウッド良いですよ。自分の年令を隠すこと無しに、むしろ自分の年令を活かして今回のガスを演じています。いぶし銀の演技です。って言うか、『グラン・トリノ』もそうだったかもしれませんが、“怒れるオヤジ”と言う役どころが染み付いてしまったかもしれませんねぇ(苦笑)。 さて、冒頭、何で馬が走る映像なのか疑問を感じますが、物語後半、ガスが何故娘のミッキーを遠ざけるようなことをしてしまったのかの謎と一緒に、疑問は解けます。それと、ミッキーが酒場で男に絡まれた時のガスの興奮の理由も氷解しました。 その他にも、物語中、その後の話の伏線が結構目につきますね(笑)。原題が『TROUBLE WITH THE CURVE』と言うのも、ボーがピーナッツをもらうシーンもそういう事。特にピーナッツのシーンは、「その後に何かあるな。」と言うのはバレバレです。このあたりの演出は、もっと師匠のクリント・イーストウッドに学んだほうが良いかも>ロバート・ロレンツ監督。 タイトルに関してもう一言。これは日本人の感性と、アメリカ人の感性が違うからかもしれませんが、私はこの映画のタイトルは邦題の『人生の特等席』の方がしっくり来る感じがします。原題は、そのまんま・・・。 この作品は、クリント・イーストウッドの、クリント・イーストウッドによる映画と言っても良いでしょうか?そこにつきます。
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