「特等席は座席指定。」人生の特等席 ハチコさんの映画レビュー(感想・評価)
特等席は座席指定。
「グラン・トリノ」で俳優に終止符を打ったはずのイーストウッド卿が
またもや愛すべきクソジジイとなって帰ってきた。
あれ以上の偏屈をどう表現するかと思えば更に磨きが繋っていた。
いや~あっぱれだ。高倉健が佇まいで魅せる映画俳優とすると、
イーストウッドは立ってよし、喋ってよし、殴りかかってまた、よし。
この佇まいは現在の老役者でもなかなか味わえない。
今作は設定や物語でいえばかなり単調な部類に入ると思う。
驚くような展開(ほぼ予想がつく)はないし、娘が出てきた時点で、
あーこの娘の将来はきっと…なんていう想像もたやすい。
ただ、この二人の最大のわだかまり、幼い頃に何があったのか。
が解き明かされる後半、父親の願いと娘の想いの交錯にグッとくる。
観る立場にも依ろうかと思うが、私などはドンピシャでこの関係だ。
むろん、里子に出された訳でも母親不在の訳でもないが^^;
幼い頃から現在に至るまで、父親と楽しく会話できた試しがない。
自分が親となり、親がどれだけ子供を愛しく想うかは理解できた。
問題はその表現力(性格がおおよそ占めるが)だよと今では思う。
だから彼の娘ミッキーが抱えるジレンマが非常に理解できるのだ。
ホント分からないんだよねぇ…その言葉の真意が(爆)
娘を最大限傷つける言葉を吐いといて、いけしゃあしゃあとしている。
ちょっと父親がそういうこと言っていいのかよ!謝りもしないとは!
こちらは噴火寸前の火山である。何を言っても通じない。無視される。
おそらく私が今まで生きてきて他人に吐かれたどんな卑劣な台詞より、
最も傷ついたのは父親(母親もあるが)から吐かれた台詞である。
感情でモノを云う生物の人間は、理性のコントロールでそれを回避する
というが、回避できない人間がこんな身近にいるのを知って悲嘆した。
しかしまぁ面白いのは、おそらくあとになって…後悔するのだろうが、
何気に優しく近づいてくるのである(爆)でも決して言葉での謝罪はない。
こちらが気付くか気付かないかのレベルで赦しを請いにかかってくる。
…バカか、こいつは!
だったらあんなこと言わなきゃいいだろが!よく考えろ、クソオヤジ!
今まで何回、こんなことがあっただろう。いや、未だに何回もある^^;
まるで自分らを観ているような父親と娘の掛け合いが面白い反面、
なんでこの親父は、娘に心を拓けないんだろうと哀れに思えてくる。
(このあたり、頑固一徹親父の皆さま、どうかご助言下さい)
どんな子供でも可愛いのと同じで、どんな親でも子供には最愛の親だ。
お互いを理解し仲良くやっていきたいのに、どうして些細なことで親子は
こう、ぶつかってしまうんだろうなぁ。
老スカウトマンのガスは、ほぼ目が利かなくなっており解雇寸前。
最後のスカウトに賭けた彼に、仕事一辺倒の娘が心配して寄り添う。
蛙の子は蛙で、娘にもその才能は受け継がれている。野球が好きなのだ。
しかし父親は頑なに娘を拒み、帰らせようとする。その真意とは…。
酒場で娘に近寄る男に殴りかかろうとする彼の行動の裏に秘密があった。
幼い頃に娘を手放し、音信不通にまでなった父親の決断と、
父親に遺棄された(も同然)と思って育ってきた娘の葛藤の日々をさらい、
父は娘の未来に何を願い、娘は愛されたいがために優秀であり続けたと
いう(この部分など凄く分かる)切ない事実が浮かび上がってくる。
私のことキライなんだと思ってた…と娘が吐く台詞に号泣してしまった。
誰もが誰かに認められたいと願っている。
認められたいから頑張ってその座を得ようと努力をする。
力が落ちて、もう使い物にならない烙印を押されても、いや、まだまだ!
と踏ん張るお年寄りも多いと思う。特に男性は…しぶといよね(我が父も)
子供が勉強や習い事を頑張るのは(小さい頃は)親のためである。
親が喜ぶ姿を見たくて、自分が褒められることが嬉しくて、頑張るのだ。
本当は好きな道(今作でいえば野球)に進みたかったけど、親がダメだと
いうからこっちを選んだ。なんて年老いてから聞かされたら、私は悲しい。
そのために子供の芽を摘むなんて(親だけの責任とはいえませんけど)
やっぱり道は拓いておいてあげたい。失敗や苦労は本人のためになる。
人生の特等席。かぁ…。
私の特等席といえば、もちろん映画の座席指定になるけれど(爆)
イーストウッド卿の特等席は、未だ現役で頑張れるその位置だろうか。
引退など考えたこともないという。さすがだ。
死ぬまでその姿を私らに焼き付けて下さいませ。いまの調子でね。
最後になるけど、A・アダムス、J・ティンバーレイク、いい演技でした。
(R・パトリックの渋さもハンパじゃない。彼にも長生きを強要しますよ)