クラウド アトラスのレビュー・感想・評価
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壮大なラブロマンスイイネ♪d('∀'o)
『マトリックス』シリーズのウォシャウスキー兄弟・・・もとい「姉弟」の最新作と言うことで、またマトリックスに負けず劣らずの「才気走った」スタンスの映画だな~という印象(;^ω^)
国と時代を超えて、太古の昔から現代、さらに未来までを行き来する壮大なスケールは、予告編を見た限りでは手塚治虫の『火の鳥』、楳図かずおの『イアラ』、石ノ森章太郎の『サイボーグ009』、諸星大二郎の『ヤマタイカ』、小説だと光瀬龍の『百億の昼と千億の夜』などを彷彿とさせる雰囲気で、これを1本の映画にどうまとめるのかかなり気になってた(・∀・)ウン!!
そしていざ観に行ってみたら・・・
次から次へと国と時代が入れ替わるものの、移行がかなりスムーズかつ分かりやすいようになってて、全然混乱もしないc(´ω`o)ォヶ
1人何役もこなすけど、誰がどの役なのかは特殊メイクや衣装で全然分からない部分もあるけど、終わった後丁寧にちゃんと観客に提示してるから「ああ~あの役はあの役者だったのか~(。´゚ェ゚)。´_ _)ゥン」と分かるし、とにかく全編に割って壮大かつ長い映画だけど親切な作りになってる。
だから3時間近い長い映画だけど、全然その長さを感じさせないし、観客を飽きさせない出来になってる(・∀・)イイ!!
SFあり、ホラーあり、アクションあり、特撮ありと・・・とにかく古今東西のハリウッド超大作を1つにまとめたような映画になってるのが、色んな映画のファン層に受け入れられやすい作りになってると思う(゚∀゚)アヒャ
そして実は非常~~~~~~~~~~にシンプルな話なのも(・∀・)イイ!!
一言で言えば
「国と時代を超えたラブロマンス」
というところかなと(゚Д゚)
まずトム・ハンクス扮する年取った部族の長老みたいな人物が話す回顧録?みたいなところから映画が始まるけど、実はこの前近代的、古代的な設定が一番新しい未来という設定なのもΣd(゚∀゚d)イカス!
簡単な流れはこんな感じ(○ ̄∀ ̄)ノぁぃ
1849年、医者のグースは奴隷売買の契約を終えたユーイングと一緒にアメリカへに帰る船に乗ってたが、船底の船室でユーイングは、脱走して密航していた奴隷に助けを求められる。
グースはユーイングを亡き者にしようと付け狙ってて、病気にかかったユーイングに毒を盛って殺そうとするが、助けた奴隷は恩義に感じてそれを阻止する。
この船の雰囲気は『アミスタッド』『パイカレ』『ウォーターワールド』を彷彿とさせるもんがありますな(・∀・)ウン!!
1936年、ユーイングの航海日記読んでる音楽家フロビシャーは、交響曲「クラウドアトラス六重奏」を完成させたが、往年の大作曲家のエアーズに盗作されそうになって憤慨して銃で撃ち殺してしまう。
その後、ホモの恋人シックススミスに遺書を書き、拳銃自殺をする。
このアパートの雰囲気は『レオン』にちょっと似てるし、シックススミスがユーイングを探しに来る教会は『ダ・ヴィンチ・コード』を思い出す感じ。
その37年後に物理学者になったシックススミスは、原発事故を引き起こして石油の利権を守ろうとするフックスを告発するため、偶然知り合ったジャーナリストのレイに報告書を託す。
例は殺し屋に殺されかかるも、何とか生き延びて告発に成功する。
レイが車に乗った状態で、橋の上から突き落とされる映像は『インセプション』の第1階層の雰囲気と少し被る(゚∀゚)アヒャ
さらに2012年のロンドン。小説家のダーモットがパーティの真っ最中で仲の悪い評論家を突き落して殺してしまい、その酷評された小説が事件の影響でカルト的人気となる。
そのダーモットの担当編集者のキャベンデッシュは、この本が売れたおかげで大儲けするが、獄中のダーモットから命令された本人の弟に脅されて兄貴に助けを求める。
しかし普段からキャベンディッシュは放蕩三昧で。兄貴はこれ幸いと老人介護施設に監禁同様に入院させられる。
そこから怒涛の脱出劇が始まる(・∀・)イイ!!
そして今度は2144年。全体主義国家のネオソウルという場所。
人間は遺伝子操作でクローンを作って労働にこき使っていた。
そのクローンの1人のソンミ451は、革命家のチャンに救出されて生まれて初めて外界に足を踏み入れる。
見受けされて自由になったと思ってた他のクローンも、実は殺されて他のクローンの栄養源になってた事実を知り、レジスタンスを率いて戦うことになる。
町の雰囲気は『ブレードランナー』っぽいし、アジア系の店が連なってる様子はリメイク版『トータル・リコール』みたいだし、カーチェイスのシーンは『マイノリティ・リポート』に似てるな~(^O^)
全体的にこの時代はフィリップ・K・ディック的SF世界かなと思う(゚д゚)イーヨイイヨー
そしてさらに文明の崩壊した未来。
『ダークナイト』のジョーカーみたいなメイクをした凶悪な人食い人種に怯えながらも、遥か昔世界を救ったという女神のソンミを崇める部族の話になる。
その部族の1人のザックリーは、心の闇の部分であるオールド・ジョージーに悩まされ続けていて、襲われた仲間を見殺しにしてしまう。
この設定はメル・ギブソン監督の『パッション』のイエスの描写にすごく似てるし、悪魔の衣装は『コンスタンティン』とそっくり( ・∀・)アヒャ
ある日、科学文明を維持した惑星からメロニムという女が島に来て「悪魔の山」と呼ばれる人々が恐れて近づかない遺跡へのガイドを要請するが、カサゴの毒に侵されて瀕死の重体の姪を助けるのと引き換えにガイドを引き受けることになる。
そこは実は太古の文明の遺物が眠ってる場所で、しかも地球は放射能に汚染されているという設定も、放射能が原因で文明は衰退したということを暗に示してるような気もして、今となってはとても対岸の火事と言うか単なる映画の話とも思えないガクガク((( ;゚Д゚)))ブルブル
山の上の遺跡にたどり着いて、ソンミの真実を知る。
最初はオールドジョーの言葉通りその真実を信じようとはしなかったけど、「あの女を殺せ」とそそのかされるも、寸前でそれを思いとどまる。
その間村では人食い人種が大挙して押し寄せてきて、同胞が皆殺しにされちまって、寝てる敵を「寝首をかくな」という予言に逆らって寝首をかいて殺してしまう(lll゚Д゚)ヒイィィィ!!
それまでは族長の「橋の下に隠れろ」とか「ロープを離すな」という予言に従って命を取り留めてきたものの、今回は寝首をかいたことで仲間の敵を討とうとする他の人食い人種に襲われて万事休すか???
と思いきや・・・
メロニムが助けに入って命を取り留める。
敵を全滅させて、ザックリーと姪はメロニムの船に乗って、メロニムの国に行くことにする。
どうやら悪魔の山で助けを呼んでたようで
「本当に空から助けてくれると思っているのか?ノミほどの希望しかないぞ」
「ノミはしぶといわよ」
イイネ♪d('∀'o)
さらにそれから何十年か経った後、年を取ったザックリーが子供に聞かせてた昔話を終わりにするシーンに。
ザックリーは子どもに「地球はどれ?」と聞かれ「あの青くてキラキラ光る星だよ」と言いました。
つまり無事助けが来て、別の惑星に行ったわけですなo(`・д・´)o ウン!!
ザックリーが「おばあちゃん(メロニム)は私に訪れた奇跡だよ」と言い、そして夜空にほうき星が流れて幕。
主要登場人物には『南総里見八犬伝』とか『ジョジョの奇妙な冒険』よろしく体のどこかにほうき星のあざがある。
それぞれの役者が演じてるキャラは、みんな生まれ変わりであることを意味してて、時空を超えた絆があるということですな(゚∀゚)アヒャ
仏教的な「輪廻転生」と言うか、ニーチェ的な「永劫回帰」と言うか、キリスト教的な世界観とは一線を画した、一言で言えば「国と時代を超えたラブロマンス」ですな(≧∇≦)b
つうかまさに『火の鳥』『イアラ』『ヤマタイカ』だろ(。_。(゚ω゚(。_。(゚ω゚(。_。(゚ω゚(。_。(゚ω゚ )スペシャルウン
普通だったらこれだけ色んな国とか時代をあっちこっちするのに全然混乱しないし、むしろ分かり易いというのが見事と言う他ないですな(=´∀`ノノ゙☆パチパチパチ
そして色んな役者が1人何役も特殊メイクとかCGを駆使しして演じきれてる
のが凄いし、どう観ても何人かは不自然な顔つきだったりするのに、それをうまく成立させちゃってるのもΣ(o゚д゚oノ)ノ凄ッ!
とにかくこの映画は長く語り継がれるだろうし、ありえない設定のありえない出来栄えの大傑作ですよ!!!!
普通
6つの時代を6つの物語で構成した映画で、時系列が行き来する。どうやら輪廻転生を描いているようで、お話どうしの密接な関連性はないようだった。
6つの話がどれも別に大した興奮も感動もない話で、けっこう退屈だった。意味合いを持たせようとしていて、それを読み取ってみろというような態度で、大して面白くもねえのに読み取りたくねえよと思った。
とはいえマトリックスの監督がこうして新機軸でみんなをびっくりさせようとあがいているような印象があり、そういった姿勢は感心した。
ホモの作曲家がおじいさんの師匠に曲の権利を取られそうになっているエピソードは強烈な欲が描かれていて一番面白かった。逆に一番つまらなかったのは、船のエピソードで、なんだそれと思った。
あと、ペ・ドゥナがかわいいおっぱいを見せてくれていてドキドキした。
ユーザレビューのおかげです
レビューで面白いってあったから観に行ったけどその通り面白かった!
3時間あっという間!
マトリックス並みに人気があっていいのにな。
マトリックスより好きだ〜
俳優が色んな役を演じててエンドロールでそれがどれかちゃんとわかって楽しかった。パンフレットにも全部載せて欲しかった。パンフレット800円は高かった…
ストーリーもちょこちょこ笑いが入ってて良かった。
グロいシーンはちょっと直視出来なかった。
話が壮大だから私にはあんまり理解出来ないけどなんとなくは伝わった。存在感ある俳優も美男美女俳優も出てて、映像もすごくて、ちょっとエロくて、切なくて悲しくて愛があって引き込まれます。
映画のジャンルを意識しない人はたぶん苦手
要するにアクション映画だからアクションだけに期待するとか、スプラッター映画だから色んな殺され方見たいとか、SF映画だからVFX重視とか、そういうのに拘らずにあくまでも一本の「物語」として映画を観てる人は受け付けないでしょう。
各エピソードは一つのテーマを伝えるためのつなぎ的な役割で、脇役が集まったその「グループ」が主役もとい一本の作品になっている様なものなので、そこを薄いと感じてしまうとあまり楽しめないと思います。
逆に自分のように、好きな映画の「今日はあのジャンルのあのシーンだけ見れればいいや」みたいな、見所だけたまに観たくなる、つまみ食いが好きな人にはたまらないと思います。そんな人いないですか。
それと外伝(前日譚)、番外編が好きな人。メイン作品との小さなリンク、小ネタでニヤッと薄ら笑いを浮かべる事が趣味の人は絶対に楽しめます。
そんな自分は3時間程で、SF、サスペンススリラー、コメディ、ドラマ、ロマンス、アドベンチャー、アクション等が一本の作品で一挙に楽しめるため、もうお腹いっぱいでした。そして「ここでこう繋げるかー!!」と暗闇でずっとニヤニヤしてました。
ただ演出などを気にしない人は雑に見えてしょうがないでしょう。
ただの薄いストーリーのぶつ切り映像にしか見えないと思いますし。
コメディとして観ないと女装したヒューゴ・ウィービングに戸惑いしか感じないでしょうし。
こういう実は繋がっていたみたいな話は結構ありますが、ここまで壮大な、何世代にも渡るような話は漫画の神様のアレぐらいしか知らないので、こんな構成の違うストーリーも観てみたいですね。スピルバーグとか上手いんじゃないんでしょうか。
久々にDVD出るのが楽しみな映画に出会えました。
火の鳥とクロノトリガーとLIVE A LIVEとetc、etc…
原作者の仏教史観…と言うよりも輪廻転生に対する価値観を元に実写化された、カルマ達の群像劇とでも言おうか…。
善意や罪と言う行いが次の時代の自分の人生にも影響を及ぼし、一つ一つの現象として命を彩り、形成する。
善業も悪業も、ちゃんと遺伝子に刻まれて連鎖反応を起こすんですなあ。
なんたる科学。
まあ改めてそんな事に気付かされ、もうちょっと自分を律しようと思わされた映画でした。
この映画について改めて思う事があったのでレビューします
この映画はそれぞれ別々の時代で、国籍も性別も違う者たちが大きな問題に直面してもなお、生き抜こうとする姿を平行して描いています。それぞれの話が最後に繋がるのかな、と思っていたけど、最後まで平行して直接交わる事は無かったです。そこがこの映画の少し残念なポイントですね。バラエティに富んだ6つのストーリーが入れ替わり立ち替わり交差して進行するので、少し付いて行くのが大変ですけど、決して難解な話ではないです。むしろ、この映画のテーマを、主人公達がちょくちょく口に出しているので、分かりやすいくらいです。あと、6つものストーリーを見れるので、満足はするのですが、ひとつひとつのストーリー自体は大した出来ではないかな、と。それと、時間の関係かは分かりませんが、割と重要な部分を端折ってしまっているのでは?と思う場所がいくつか有りました。
観客を飽きさせないように、次々 とテンポ良く時代を変えて行く編集のおかげで、三時間もの間、全く退屈しなかったのはスゴいと思いました。また、音楽を使うタイミングもうまいと感じました。ただ、題名にもなっている「クラウド・アトラス六重奏」がほとんど劇中で出てこなかったのが気になりました。
あとこの映画はエログロが意外と多いので、注意しましょう。
(以下、ネタばれ あり 注意!!)
ユーイングが最後に、一滴から大海が生まれる、と言っていましたが、この映画はその最初の一滴を描いたものの様に思いました。六つそれぞれの物語の主人公は何か大きな事を成し遂げた訳ではありません。後世で神と崇められる事となるソンミ451 も、革命に失敗し、最後には処刑されてしまいます。彼らがそれぞれ成し遂げたことは、一見、大海には何の影響も及ばさないようなちっぽけなものに見えます。ですが、その六滴はやがて大海へと成る可能性を秘めているに違いないのです。
あ とはなんといっても「愛」が重要なキーワードとなってくるでしょう。同性愛や家族愛など、かたちこそ違うけれど、六つ全てのストーリーに「愛」が絡んできます。愛こそが全ての原動力になりうるということでしょう。
「 いま人生の謎が解けようとしている」とはこの映画のキャッチコピーとしてポスターに書かれている文言ですが、私はこの映画のテーマとあまり合ってないような気がしました。私がこの映画を見て感じたのは、「人生とは何か」といった謎解きではなく、「どう生きるのか」といったことだと思ったからです。(これは人によってまた違う考えを持っているとはおもうのですが)この映画の主人公たちは皆一様にさまざまな問題と直面しています。そして選択肢としてその問題を解決するにあたり、簡単なものが用意されています。(ユーイングなら、奴隷のオーティアを見捨てる、フロビシャーならクラウドアトラスを合作ということにする、ルイサ・レイなら原子力発電所にまつわる陰謀を探るのをやめる、といった具合に)しかし、彼らは自分の信念や、自分が正しい・善いと思ったことを信じて、わざわざ困難な道になるであろう方を選択します。そういった行動が一滴の水となり、やがて大海へと変わるのです。私はこの映画はどの時代、どんな状況下であろうとも困難に負けずに正しい道を選択することの尊さを説いているように感じます。
この映画は「輪廻」がテーマとなっているそうで、生まれ変わった姿を同じ役者さんが演じているという話ですが、私は生まれ変わりというよりも、ある人物と多かれ少なかれ血がつながっている人物を同じ役者さんが演じているのでは、と思いました。というのも、2012年に作家のダーモットがパーティー会場で見つめている女性はハルベリーが演じているのですが、同じくハルベリーの演じるルイサ・レイの時代(1973年)とほとんど時代が変わらないからです。ルイサ・レイがよほど早死にしたというので無い限り、パーティー会場の女性(彼女もそんなに若くは見えません)がルイサレイの生まれ変わりだとは考えられません。なので、私は彼女はルイサ・レイの相当遠く離れた親戚ではないかと思います。(ダーモットの前世はアイザック博士で、彼はルイサに恋をしていたから、ルイサと血のつながっているであろうパーティー会場の女性が目に留まったのだと推測します。)
この映画は人と人とが次の世界でも繋がっていく様子を描いています。ある人が行った善い行動が、次の世代の善い行いへと繋がっていく様がうっすらとですが、描かれているのです。演じている役者さんに注目することで、それがより分かりやすくなります。だからあえて監督も最後にスタッフロールで「ネタばらし」をしたのでしょう。
弁護士のユーイングは奴隷であるオーティアを見捨てずに水夫として雇うよう言い、彼が銃で殺されそうになる所を助けます。そしてユーイングは、後に、医者に殺されそうになるところをオーティアに助けられます。
オーティアの子孫は後にアメリカで兵士となり、朝鮮戦争である人物を迫撃砲から救います。そして、ルイサ・レイの父親となります。オーティアが救ったある人物こそ、ルイサ・レイをサポートすることになるボディーガード、ジョーです。ルイサ・レイは原発にまつわる陰謀を阻止することで、多くの人を救う事になります。
戻って1936年、フロビシャーはシックススミスの元を離れ、ヴィヴィアンの元で作曲活動を始めるものの、彼にクラウド・アトラスを奪われそうになり、発砲、殺人未遂を犯し、警察から逃れることとなります。彼は、シックススミスがそんな殺人犯である自分の元に来るだろう(実際、シックススミスはフロビシャーの元へ行った)と考え、愛する彼の人生を、殺人犯である自分をかばうことで破滅させてしまう訳にはいかないと考え、自殺をします。シックススミスは悲しみますが、彼の人生に汚点が付く事は有りませんでした。そんなシックススミスは年老いた後、ルイサ・レイに手を貸し、自らの命をフロビシャーと同じ方法で落としてしまうものの、原発事故を防ぎ、多くの人の命を救います。
一方、2012年の主人公は、ルイサ・レイの本を出版した人物、ティモシーです。ティモシーは老人ホームから脱出する際、仲間の老人を見捨てずに救い出します。そして後に、その老人の機転でピンチを脱出することになります。ティモシーのその出来事を書いた本は、そののち、映画化されることとなります。
その映画を見た人物は、ネオソウルのパパソングで働くクローンであるユナ939です。ソンミ451の友人である彼女を、断片的なその映画のセリフが奮い立たせました。彼女は自身の死によってソンミ451に「外の世界」の存在を知らせるきっかけとなる人物となります。ソンミ451はその後、革命家であるヘチュに救いだされ、クローン革命運動のシンボルとして、革命を率いて行きます。ちなみに、ソンミ451が処刑された後に革命が成功したであろう事が、ザックリーのパートで示唆されています。ソンミ451の像や彫刻が彼女が逮捕前に通信を行った天文台にあったことから、それは推測できます。(政府軍が天文台に突入した時には彼女の像はありませんでした)つまり、ソンミ451やヘチュの死後、革命の象徴であった彼女の像が、革命の転機となった通信天文台に造られたのでしょう。「もう信じている誰か」達の手によって。
そんな彼女を崇める人物が、文明崩壊後の世界にすむ、上にも出て来たザックリーです。ソンミへの信仰はザックリーを助ける事となります。そんなザックリーはメロニムに手を貸すことで、放射能に汚染されつつある地球から他の部族の人達を助け出すことになります。そして最終的には地球外の星への移住を成功させます。
映画的には、ここで一区切りとなります。困難であろうと、善い行いをすれば、より良い世界に繋がって行くのだと、そしてそこでまた人間達は愛を育む事が出来るのだという事が、この3時間の中で語られているのです。
エンドロールを見ていて「嗚呼」と落ちる。
賛否両論が極端にありそうですが、個人的には今最大に楽しかった映画なので5です。
まず、まるで切り貼りされた話。サイトやチラシの情報でもそれは解っていたので最初は「よし、見るぞ」と腰を据えて見るき満々で、最初一〇分ぐらいは頭を使おうとするのですが、しばらくすると
「あ、何も考えないでいい」
とストンと落ちる。
最も、考えながら見ていて「あ、これはそれ」「あ、これがあれか」とか、その場その場でパズルを組み立てていくのもまた一興。
幾つものストーリーが並行して進むさなか、唯一恐らくお笑い要素を持ったストーリーがありますが、私はあれが一番好きかもしれないです。
でもそれが意外と未来に小さな影響与えてて「ああ!」となる。
ラスト、エンドロールまで見ているとある意味答え合わせ的な役者の演じたキャラが出てくる。
何となくは解っていても「あ、これがそれ。ああ、ああ!」と納得しつつも、このエンドロールの時間で自分の中で話を綺麗に構築し直すと、あの劇中にも重要な音楽が心に染み渡り、ほろりときます。
様々な愛、友情が様々な時を経て未来につながっていく。
中々面白い。
そしてある意味重要だなと思ったのはペ・ドゥナ演じるソンミ。
そして彼女が演じる他の時代の人。
とある時代のストーリーが終わるとき、彼女の行動が遥未来の彼女にもつながっていてホロリと来る。
これは久々にもう一度見たいと思った作品。
出来ればその内、非入れ替え制の小さな名画座で上映される際には居座って一日見て、切り貼りした話を再び違う目線でみながら、新しく話を構築したいなと思った。
映画、映像媒体だからこそ出来るのだろうと思う。
たかだか小さな演出でも、カットが変わるときの繋がりとかは見ていてリズミカルでかっこいいとも思う。
これは是非、色んな人に見て貰いたいですし、身内にも見た人がいたら是非話をしたいなと思う。そういうある意味、映画の楽しみを久々に思い出させてくれる映画だった気がします。
何を語ろうとしたのか伝わってこない
500年のあいだに主要人物が輪廻転生を繰り返し登場する。同じ役者が3〜6役をこなす。
生まれ変わりと時間的な相違から老若男女はもちろん人種も変わる。犬猫だけにはなっていなかったようだが、たぶんそうだろうとヤマをかけていても、けっこう見落としがある。
彼らを結ぶ証は身体のどこかにある「彗星の痣」のようなのだが、それがいったい何を意味するものなのかは語られない。したがって輪廻転生の概念は伝わるが、そのことによる運命的な出会いや事象といった語り口は長尺の割に浅い。
そのため、何を語ろうとしたのか曖昧で、結果的に仮装大会的な興味が優先してしまう。人が生まれ変わることへ、もっと深い意味を持たせてもよかったのではないだろうか。
何よりも、もう一度観たいという欲求が、ストーリーの再認識というよりも、誰が何処にいたのかという下世話な興味の方が上なのだ。そう思わせること自体、この作品の論点の曖昧さを物語っており、観る者の視点がズレてしまっている証しだ。
「2001年宇宙の旅」のように後になって評価される作品もあるが、この作品が一大叙事詩の名作として評価される時が来るかは微妙。未来人となって、この映画を古典名作として観ている自分を想像すると、ちょっと面白い。
原発の非安全性を隠匿する話はよくあるが、原油市場確保のためにわざわざ原発の安全性を故意に覆すという逆転した逸話は興味深い。科学にも自然に対しても謙虚であったなら原発もいいものが作れるということだろう。
壮大すぎる物語をどうまとめたのか
原作はかなり有名らしいが、私は手に取ったことが無い。この手の映画は原作が比重を占めることが多いが、これはあくまで映画のみのレビューである。
さて初めこの映画の存在を聞いたときは正直不安だった。なにしろ6つの違う時代の話が交差するというのだから、複雑きわまりない。上手く処理しないと、観客が混乱して話についていけなくなることすらある。しかもそれぞれの話を成立させるためには時間も必要だ。逆に言うと、ほぼ3時間の上映時間の中、見ている側が飽きるようなことがあってはならない。非常に多大な努力が必要である。
しかし、それらの点ではこの映画は見事にクリアしていると言える。少なくとも私は3時間の間集中できたし、ストーリーも上手くまとめられていたから混乱もしなかった。
事実、脚本は良くできていると思う。「すべての罪が、あらゆる善意が、未来を作る」という輪廻転生的なテーマを描くために、必要最小限の情報だけをピックアップし、筋道立てて整理されている。ある時代に登場した人や物が別の時代をつなげるものとして再度現れるのは、なかなか上手い見せ方だ。テンポよく時代も切り替わるから、この映画に中だるみは存在しない。
しかしその「良い部分」がそのまま「悪い部分」になっているのも事実だ。まず、ピックアップされた情報があまりにも絞られているから、それぞれの時代が(当然だが)非常に薄っぺらい。それにあまりにもテンポが良すぎるせいで、ある時代の登場人物に感情移入し始めた所で、次の時代に移ってしまう。全体的なテーマは理解できても、個々の登場人物の存在が軽ければ何の意味も無い。
もちろん、それぞれの時代の出来にも違いがある。私のお気に入りは1936年、2012年、2144年だ。一番は1936年だが、この時代は並のSF映画とは思えないほど繊細だ。主人公のロバートはゲイであることを隠し、作曲に励むのだが、ベン・ウィショーはそんな彼に完璧になり切っている。自尊心が強く自分に才能があることを信じて疑わないが、恋人のことはひと時も忘れない。彼が自分のアイデンティティに苦しむ様子や恋人を思い焦がれる様子に人間味あり、登場人物の中でも最も共感できる存在だ。
2012年は他と比べてかなり軽いタッチで描かれている。意地悪な兄に騙されて虐待老人ホームにぶち込まれたカベンディッシュの逃亡劇が主軸なのだが、ジム・ブロードベントは自分の持ち味を良く生かしている。口が悪く、だらしない性格なのに、どこか憎めない。ほとんどの時代が重苦しいトーンだから、彼の存在は唯一と言っても良い心安らぐものである。
2144年は映画全体のテーマにも大きく関わってくる。ストーリー展開も他とは違い(厳密に言うと2321年も一緒だが)回想形式となっている。初めのうちソンミ451は外の世界を知らないが、同じくクローンのユナ939と映画を見たことで、次第に日々の生活に疑問を抱き始める。なぜ複製種は純血種(クローンでない人)に従事しなければならないのか、契約満了後はどうなるのか。こういった重苦しいテーマがSFらしい映像と共に語られていく。
その後ヘジュと出会ったことで、知識をつけたソンミは革命のシンボルとなる。しかし、できればこの心の移り変わりを丁寧に描いて欲しかった。というのも、あの衝撃を見せつけられて「反政府運動を展開せねば」となるソンミの気持ちは理解できるが、あれでは周りの革命家にまんまとのせられたように見えなくもない。ソンミがクローンとして植え付けられた意識ではなく、自らの意志で決断したことの描写が必要だったのでは。
そうは言うもののソンミ451を演じたペ・ドゥナは素晴らしい。彼女とヘジュの関係こそが「輪廻転生」に最も即しているし、何より“愛”のために革命に身を投じたという彼女の眼差しは、揺るがない決意で形作られている。
その他の時代も悪くはないが特筆すべき点も無い。1849年はそもそもストーリー的にも比重が置かれていない。1973年はその時代らしい社会問題を取り扱っているが、表面をサラッとなぞるだけで薄っぺらいのには変わりない。何より悪いのが主役のハル・ベリー。あまりにも70年代っぽくなくて、過剰な「ウーマン・リブ」的女性像が鼻につく。台詞をただ読んでいるかのようなシーンもあり、とてもオスカー女優とは思えない(ただ、後半に登場する逃亡劇は一応70年代アクションを意識していたが)。でも一番の問題は2321年。この時代が一番重要なはずなのに、真実を明かすまでのくだりが早すぎて何の感傷もない。トム・ハンクスも悪役を演じていた時代では(オーバーだが)良かったのに、この時代はただの一つの駒のように動いている(ハル・ベリーは言わずもがな)。彼の狂気の化身オールド・ジョージーもあまりにもステレオタイプな描写で煩わしい。
そして全編を通して問題となっているのが、特殊メイク。当然様々な人物を演じるためには必須となるが、そのほとんどは上手くいっていない。韓国人のペ・ドゥナが西欧人を演じ、ハル・ベリーがユダヤ人を演じる。申し訳ないが、あまりにも似合っていなくて不自然だ。だが最も酷いのは2144年のネオソウルの住民だろう。どいつもこいつも西欧人の考えるアジア人らしく「つり目で平たい顔」だ。はっきり言ってアジア人というより火星人に近い容貌なのだが。
それとは反対に大げさな特殊メイクでも上手くいっている人もいる。ベストは驚くことにヒューゴ・ウィーヴィングの女装だ。彼は2012年で老人を虐待する看護師を演じているのだが、これがなかなかゴツくて怖いのだ。普段とは違うコミカルな要素と彼の演技力が相まって、1973年で彼が演じるヒットマンの数倍良い。
こうして見ると、「輪廻転生」を表現するために無理に同じ役者を使わなくても良かったのではないだろうか。そもそも各時代の主人公には共通して「彗星型の痣」があるわけだし、各々のキャラクターの共通性もにおわせるだけで良かったのではと思う。
心に残るシーンはそれなりにあった。だが「クラウド・アトラス」という本の映画化としては、ベストな形とは言えない。むしろ壮大な物語をここまでまとめあげたことだけでも評価に値する。
(13年3月21日鑑賞)
男女を超えて。
最近、上映時間が長い映画が多くなった…なんて書いてたら、
またもや3時間弱のSF大作が公開されちゃった。原作モノだし、
製作が、監督が、あの方々なので^^;あーという感じもしますが。
テーマは輪廻転生? まったく意味が違うけど、
転生、という事実ではウォシャウスキーの兄→姉になったラナ、
これで姉弟コンビになったワケですが^^;そう考えると納得至極。
面白いことに今作の中でも俳優たちが見た目年齢性別を超えて(爆)
様々な時代の配役になりきっている。分かり辛いので(人によって)
エンディングの種明かし、まで楽しみに待ちましょう。
まぁハッキリ言って、いちばん面白いのもそこなんですけどね。
6つの話がほぼ同時進行、時代も性別も名前も性格も、そして誰?
というくらいに内容が、パッと見は分かり辛いんですが、
なにせ3時間も観ていると、段々と目が(そして脳が)慣れてきて…
あーこの人がこのヒトで、そんでこの話がこう繋がって、と結構
分かるようになってきます。ただ問題は、だからナニ?ってところ。
結局のところ、楽しい(場合によってムチャぶり)メイクや設定など
そういう映像美で飽きない分、物語としては今ひとつ面白くない、
一つの話が実を結ぶ話でもないので、盛り上がりに欠けるというか。
6つもあるけど、ウキウキするような楽しいパートはないのよねぇ。
暗いし、重いし、けっこう辛い。あ、それが人生ってことか。
とりあえず、すぐ分かる、誰でも分かる、トムにポイントを置いて
観ていたんだけど、この人もうメイクを超えて(爆)声で分かります。
エ?と思うような役もやってるんだけど、あははトムだ^^;ってすぐ
分かっちゃう。こういうキャラ持ってると、役得にならないかも。
あとは不自然なメイクをのぞけば、ヒューとかヒューゴあたりなど
へぇ~!って思う化け方してましたね。ハルもかなり超えてました。
俳優陣はメイクだけでなく、演技の方も上手いので、それはそれで
本当に楽しめる(だから3時間も観ていられるワケで)ので問題なし。
しかし今、映画サイトのキャスト欄を見ていて笑っちゃうのが、
こんなに長く配役名がズラズラと下まで並んでるの見たことない(爆)
いかに大変で、いかに楽しい役作りだったのかは想像できますね。
個人的には(自分が男になるとかは考えたくないけど)
輪廻転生を信じている方で、何か見た時のアレ?という既視感には
ひょっとして…なんてウキウキしちゃう方でして。まぁ最近では、
単に記憶違いだの、物忘れだの、そっちの方が多くを占めてますが。
もし自分が過去のどこかで、別人として生きているのを見ちゃったら
今との落差に(なかったりして)驚いたりするんだろうか…。でも案外、
同じような生き方を(価値観変わらなかったりして)してる可能性あるな^^;
考えるほど果てしなく、キリのない物語ではあるんだけど、
だから人間って面白い。の発想で観ることができれば楽しめる作品。
自分だけでなくあらゆる人間同士の繋がりが、
せめて希望へと導かれることを切に願ってしまう、そんなラストでした。
(この物語を3時間で描けるんなら、他作は全て90分でいけると思います)
イマジネーションの世界
久しぶりに見応えがあり、終始画面に釘付けでした。
中弛みも無く、時代の切り替わりの多さについて行くのと
キャラクターの設定を理解していくのに必死な3時間でもありました。
特殊メイクも俳優によっては似合う似合わない、無理があることも興味深かったです。
前世→現世→来世と時間軸を順番に構成してくれたらもう少しストーリーが
理解しやすかったかな、とも思いました。
でも経験したことの無い感覚が見終わったあとに込み上げて来たのも事実です。
上手く表現出来ませんが、自分の前世と来世を想像していました。
これまで歩んで来た自分の人生を振り返ったのと、これから死ぬまでの残された人生がいかなる展開になっていくのか…なんて。
普段なら考えないようなことを想像している自分がいました。
映画としては最後に壮大な結末を見せてくれた方がいいかと思いますが
この映画はテーマからして答えは無いのだと思います。
誰も確認したことのない現実の世界の果てしなく先にあるイマジネーションの
世界。
ゆえに何回観ても楽しめる内容だと思います。
韓国女優のぺ・ドゥナの演技力が強烈に印象に残りました。
何が言いたいのかさっぱり!
輪廻転生とか人とのつながりを映画化したというようなイメージで宣伝されていたように思い、おもしろそうだと見に行ったんですが・・・。
欧米人にはこの程度の感覚が精いっぱいだったんでしょうか。
がっかりです。
アジア人、黄色人種にある、自然に対する恐れや輪廻転生のために現在の人生を正しく生きるということは欧米にはないのでしょうか?
死ぬのは新しい扉を開くこととそれらしい言葉はありましたがそれが何ら広がっていません。
何が言いたいのかさっぱりわからない。
夫婦や友人との愛情は輪廻した後も生きていくとか、もっと広げていけば共感できたかもしれない。
唯一の神を信じる人種にこの手の話は通じないのでしょう。
宗教が駄目な映画を造ったのでしょう。
韓国が世界の中心でスラム街に住んでいるのが中国人っぽいのは韓国の出資でもあったのでしょうか?
酷い映画でした。
見応え十分!!
「6つのストーリーが同時進行しながら巧みに組み合わさり...」という前衛的なストーリー構成。3時間という長さだが、各々のストーリーのクライマックスが次々に折り重なり最後まで引き込まれた。ただ、最後にはもう少し明確に一つの物語に集約されるものなのかと期待していたが...。ところで、この映画では特殊メイクで一人何役もこなしており、面影も無い様な登場人物も多いが、それならば違う役者で良かったのではないか???
これこそ映画だ!人生と映画の醍醐味を映画館で是非!
流石は、「マトリックス」シリーズを制作したスタッフによる作品だけある!
ハリウッドでは、絶対に真正面から真面目にこのテーマを扱う事はタブーである、魂の連鎖・人の個々の生命の輪廻転生とその魂の旅路で出会う他の魂との繋がりを真摯に描いた力作だ。
ヒンズー教や、仏教徒など東洋人には自然に受け入れられ、信じられている魂の旅をテーマの軸にしてストーリーを展開して行く映画を制作したと言うこの事実だけで、キリスト教圏である欧米社会にとっては、一大事件の歴史的な意味のある作品である。
かつて、オスカー女優のシャリー・マクレーンが自作の著書のテレビ映画化を図りアメリカでは大反響を起こした「アウト・オン・ナリム」と言う作品があったが、この作品では人の日々の生活行動の結果が新たなその人の未来を創造していく事から、人間自身も創造主であると主張したこの作品は、アメリカでは大変大きな話題を撒き起こし、彼女はこの作品を制作した以降は、変わり者のレッテルが張られた。この作品では彼女の半生で出会い、体験した人々との交流を通して、人と人の魂の繋がりを個人的に描いた作品で、本作「クラウドアトラス」を観た人にはお薦めの1本であると共に、こちらの作品は個人の半生なのでストーリーを追って観て行くのもとてもシンプルで理解し易い作品だ。
私の個人的な好みで言えば、人の魂の旅がテーマ作品は大大大好きなのだが、6つの転生をランダムに行き来するこの映画では、主要な登場人物の何時の人生が今観ているシーンの人生にどう繋がって来ているのかを判別する事に観客の神経は総て終始してしまう帰来が有る為に複雑で難解な作品であると言えるし、映画をリラックスして楽しむ感覚で、映画館に行くと大失敗と言う事になる。
単純にアクションシーンや甘いラブロマンスなどのストーリーを楽しみたい方にはNGの作品だ。それにデートには不向きの映画?と言えるかな?しかし観賞後に、2人で自分達の転生の出会いや、過去世や来世を想像してみるととてもロマンチックで、悪く無いから、考え方に因ってはデート向きの映画であるとも言える。
しかし複雑なので、この映画は寝不足で観るのは、NGだ。
この作品に関しては、レビューで種明かしが出来ないので、敢えて作品の詳細に付いては発言を差し控える事にするが、出来る事なら、映画館の大画面で、是非観る事をお薦めしたいが、1回では頭の中で登場人物の相関関係が理解出来ないので、2度3度と観て頭の中を整理し、しっかり理解するならDVDとなるし、難しい選択だよね。3時間以上の作品なので、2回3回観るのも時間的にも大変だ。
昔なら、映画館は入れ替えが無いので、1日朝から終映まで居て何度も観れば理解が出来る作品かも知れないが、今日のシネコンなどの入れ替え制の映画館では、そうはいかないので、映画の上映をする時には、リピーターの観客には、是非半券持参で半額または3割引きなどのサービスをして貰えたら更に嬉しく、安心して、観賞後の難解で未消化な部分も次回に解決出来ると思えば、更に映画が楽しめると思うのだが?映画制作者や、配給会社など、関係者はどう考えるだろうか?映画人口の全体の連鎖も考えて欲しい作品だ!
ウォシャウスキーの将来が心配
6つのお話が入り混ざって物語が進行していくのですが、互いの物語に大きな関連があるわけでもなく淡々と進んでいきます。
この手の作品はそれぞれの物語が一つの収束点に向かっていき、感動のクライマックスというのが普通で、本作にもそれを期待したのですが、全くそんな仕掛けはありません。まあ脚本が駄目ということですね。
とくに未来のソウルの描写はこの監督の悪い面がもろに出ています。スピードレーサーのあの品のない安っぽい極彩色が、ここでも登場します。この人はもうSF止めた方がいいですね。全然センスがない。
正直監督が難しい映画を撮ったという自己満足作品といったところでしょうか。この内容ではヒットは望めないし、マトリックス以降全部コケて、この監督(姉弟)って次回作撮れるんでしょうか?
輪廻転生に大混乱
輪廻はめぐり、前世の因業は来世で償う・・・という考え方は日本人にとってなじみのあるもので、すんなり受け入れられるストーリーだと思います。
それを謳い文句にした予告でしたし、そういうものだ!と思って見はじめて・・・
もう大混乱です。
時代が交錯し、人物も交錯する映画ということでしたので
ある程度の混乱は予想していました。
初っ端から頭の整理を付けよう、順序良く記憶しよう、と頑張りましたが、これは一番昔の話、これは一番最近の話、これは二番目に古くて、これは一番最近の話よりちょっと古くて・・・???と段々時代が訳が分からなくなってきます。
しかし、映画は容赦なく進行していきます。
人物の相関関係も混乱してくるなか、「通しで見ればわかるようになる」「これを見終えればきっと訳が分かるようになる!」と期待していたのですが、残念ながら、終演後も頭の中が大パニックのまま。
人物相関は、二回三回見たとしても、きっと分からない。
ネットで相関図、人物表を見てようやく時代の整理と人物の整理がつきました。
一度で理解できない映画、そんな映画。
面白くないわけじゃないのですけど、なんだか分からなかったという感想が多いのでは。ただ単純に面白かったと言わせてもらえない所に、深みを感じる、とよく言えばそうですが、エンターテイメント性を下げているとも言える。
分からないと言ってもストーリーのことではないです。ストーリーは通して見ればよく分かりますが、輪廻関係が分かりにくい。
崩壊後の世界の景色や、SFの世界観が良いだけにすこしもったいないかなあ。
ただ何となく見ても、アクションや、コメディ要素や、素晴らしい景色で面白い映画だと思いますが・・・
まず『前世の行いが来世に影響する』という聞けば、すごく面白そうなコンセプト。効果的に描写されていません。
人物のつながりがどうなって、こいつは前の時間のこいつで、という事に気を取られて、物語があまり入ってこない。確実にこいつはこいつだ!という事を訴える様な特徴づけがない。
前世の因業が今世に影響していて、前世やったことのカルマを背負っている、そしてその描写がされている、のだとしても、前世の人物と今世の人物が頭の中でつながっていないのだからよくわかりません。
あと、トム・ハンクスとそのヒロインらしき人、以外の輪廻を巡っていく人たちにも焦点があてられている、という事に気が付いたのが終盤だったというのが余計に混乱した原因でした。
恥ずかしながら物語の中心になっている人=トム・ハンクスが演じるザックリーにつながっていくんだ!つまり同一人物なんだ!!(魂が)と安易に思っていまして、物語の中心になっているものの当のトム・ハンクスはすでに違う人物として出ていて、同じ時代にトム・ハンクスの転生体が二人・・・??と劇中混乱していました。
まあ、『流れ星のあざ』が余計にミスリードを誘ったし・・・
『あざはその時代の主要人物に付く印』らしいです。
だって、共通したあざを持つ、というのは同じ人物が転生したから持っている、それがセオリーじゃん!!と文句を言いたい。
同じ役者が演じている人物が転生のつながりを表していて、同じ顔の人が同じ魂だからわかり易いのでは?と見ていない方は言うでしょうが、まるで別人のようになれる特殊メイクが逆効果になり理解を妨げます。私もいくらなんでも同じ顔なんだからトム・ハンクスぐらいわかるだろうと思って見ましたが、ハリウッドメイクのすごさにやられ、ある時代のトム・ハンクスは全く分かりませんでした。
分かりやすい傷、あざ、前世でやったことを覚えている、好きな色や趣味が同じ、などの共通点を作り、分かりやすく場面場面ではめ込む所が出来るのなら多少わざとらしくてもガンガン入れて、この人物とこの人物は同じ魂でできています!!と宣伝しなければ、前世と今世との繋がりを視聴者に伝えることが出来ず、視聴者は混乱するばかりです。
輪廻物のデメリットです。
2世界をまたにかける輪廻物ならば、人物の説明を省き人物のつながりを明確にしないのもまだ分からなくもないのです。だけどそれが6世界にもなると・・・
結果は上記の私の混乱ぶりでお判りでしょう。
前世が~とか今世が~とかはハリウッド流の風味付けとして他の映画との差別化を図るために使われたのかなあ。
こういう印象を抱くのも輪廻世界の真っただ中にいる日本人だからそう思うのかも。
だって、『来世また一緒になろうね』という文句は日本の中では使われ古した言葉で、前世助けたあいつが、今世ではこっちを助けてくれる、とかもよくあるシチュエーションですもんね。
輪廻世界が~ということに期待するよりは
単純に世界救済ものとしてみた方が○かも。
いや、そうするとじゃあ何のために6世界同時進行のストーリーなのか、ということに・・・
志の高さを評価したい
最近の大作SFやアクションは何せ志が低い。トータル・リコールのリメイクにしろ、トロン・レガシーにしろ、「あ、すげー、俺マトリックスみたいな絵が撮れたわ!」という声が監督から聞こえてきそうだ。映画ファンがyoutubeに自主映画をアップするようなノリで、大作映画の監督を恥ずかしげもなくしてしまうのは、プロとしてどうなんだ?と思う今日このごろ。
で、そのマトリックスを作った本人達のウォシャウスキー兄弟とラン・ローラ・ランの監督が久しぶりに撮ったSF。フォロワー達の映画とは対照的に、非常に志の高い映画となっている。
フォロワーが表層的なレベルでマトリックスをコピーしている間も、「マトリックス的表現」にとどまらずに、新しい表現を模索し続けているのがわかる作品になっているからだ。今回の場合、明らかにそれがはっきりしているのは、物語の構成だろう。
映画のストーリーは時代設定が違う6つのエピソードなので、それぞれの時代の世界観の説明にはもちろん時間はかかる。でも、物語が同時並行で進んでもそんなに混乱がない。なぜなら、各メインキャラクターは、共通した葛藤を持っているから。
例えて言うならば、「穴に落ちてしまって追いつめられている、あるいは自分が穴の中にいることを知ってしまう(社会や既存の倫理観、物理的環境等、様々な事情による束縛)」から始まり、そして「どうやればその穴から抜け出るか試行錯誤する(束縛からの解放・自由を求める)」という物語運びになっている点で共通している。
そう考えれば、なぜ、各エピソードのキャラクターの抱えている問題が異なるにもかかわらず、それぞれの危機的状況や感情の流れがシンクロしていて、見ている側が混乱しないかがわかってくる。基本的に全ての物語が同じ方向性を持っているのだ。
「自分が穴にいる事に気づく」→「穴から出ようとする」。考えてみれば、「マトリックス」という映画もこの構成に見事に当てはまる映画だったと言える。そういう点では、ウォシャウスキー兄弟はブレていない。ちゃんと自分たちの語りたいテーマを語れている。「カンフーでスローモーションでアクション映画を撮りたい」とか言って表層的な部分だけで、「マトリックス」という映画が構成されているわけではないのだ。
ちなみに、映画の特色である、多くの登場人物が異なる場所で物語を進めながら、実はつながっているという構成、これ自体は「クラッシュ」や「バベル」等、近年よくある。だが、先に上げたその「クラッシュ」や「バベル」、実は「人と人とがつながっている」必然性が薄くないだろうか?
すごーく大雑把に言うと、それらの映画は「出会った人それぞれに、それぞれの人生の物語がある。みんな違う孤独や痛み・差別・偏見を抱えている。そんな孤独な魂達が人生のある一時だけ交差する。」そういう物語だ。でも、それって結局、「みんなつらいよねー。」しか言ってなくね?そんなとこでつながっても・・。
ひょっとしたら上記の二作はむしろ「魂の孤独」を強調したかったのだろうか?「人って結局周りに人がたくさんいても一人。差別とか悩みなんて人それぞれ立場違うし。寂しいよねー。」みたいな。だったらなおさら、そんな事最初から言われんくても、わかっとるわ、っていう感じだが・・。
いずれにしても、それらの作品と比べるとクラウド・アトラスにはもっと肯定的なメッセージがある。もっと人と人がつながる必然性のある物語になっている。その鍵になるのが、人が表現すること・芸術を生み出す事への希望だ。
映画の中では、クラウドアトラスという楽曲が、ある人の日記や手紙、小説や映画そして言葉が、本人が亡くなっても残り、他の人の心を動かし、人生を変えていく。人々が残していった様々な表現を介して、人と人が時代や場所を超えて繋がっていく。その大きな流れこそ、別の形での輪廻転生であり、「なぜ人は芸術を作るのか」という事への解答になりえている。(逆に言うと、そこで十分に感動的なので、デジャヴュ等、宗教的な意味での輪廻転生を思わせる内容はもう少し抑えても良かったかもしれない。ウォシャウスキー兄弟は禅や仏教にも関心があるようだが、逆にアジア人の自分からすると、いかにも西洋人のニューエイジ的な東洋の神秘性に対する過度の憧れの様なものを感じ取って冷めてしまう。)
この映画の欠点を述べるなら、(アメリカではもっとセンシティブな問題のはずの)人種の描き方だ。輪廻転生の話だから、もちろんさまざまな時代で違う人種に同じ人の魂が移っていくというのはわかる。でも、特殊メイクで白人が黄色人種をやるのはともかく、その描き方・・。黄色人種=全員一重まぶたってどうよ?あれは未来のエピソードだから、もしかして、黄色人種じゃなくてミュータントか何かなのか?黒人の役者は黒人のまま一重だったし・・。まあ、じゃあ仮にそうだとして、19世紀のエピソードの、ペ・ドゥナの白人はどうなのよ?まさかの「鼻を高くして、そばかすメイクしてカラコンつければ白人じゃね?」って、吉本のコントか!骨格の違いとかなんで考慮しないの?意図的なのか意図的じゃないのかはっきりしてほしい・・。今のCGのレベルなら、「ベンジャミンバトン」みたいに特殊メイク+CGとかも出来ると思うんですが・・。顔が気になってストーリーの邪魔になってるレベルなんですけど・・。この点に関してはウォシャウスキー兄弟の意図を知りたいものだ。
というわけで、クラウドアトラスは決して全てが成功している作品ではないかもしれないが、十分に魅力的な作品だ。音楽がキーな作品なので、近年のSFとは違う趣のサントラも好感が持てるし、(最近のSFとかアクションってダブ・ステップが使われているか、「ヴォーン」ていう重低音でノーランの「インセプション」か「バットマン」のまねをするのが多すぎ・・。)ネオ・ソウルの都市や各キャラクターのコスチューム等のデザインの作りこみ、キャラクターを誘惑する悪魔の造形等、ちりばめられたたくさんの要素の一つずつにこだわりを見る事が出来る。先に挙げた、特殊メイクの問題さえ、好意的に捉えれば、チャレンジした試行錯誤の跡だとも受け止められる。
どうせ映画を作るなら、この映画のテーマとも重なるけど、ずっと人々に語り継がれていくような物を作りたい。この映画がそうなれるかはわからないが、少なくともそういう志を感じさせてくれる映画だと思う。
目的が良くわからない映画
何か目的がある映画ではない。
ただ単純に色んな時代を平行して流す映画。
色んな人が輪廻していて、
何時の時代も魂は絡まりあっていることを表現する為に
同じキャストを色々なパターンで演じさせている。
もしかしたらメッセージ性の強い映画なのかもしれないが、
色んな時代を平行して観せる割には
1つに纏まらない形で終わるので
伝えたいものが何なのか良くわからない作品だった
ハリウッド挑戦作
久しぶりにオッと来ましたね。上映時間長いです。めっちゃ長いです。でも中だるみしません。なぜか? 頭が忙しいからです。1人6役、素晴らしい演技力の俳優陣・女優陣でした。ミスター・ノーバディと似た印象を少なからず受けました。すごく面白いです。ストーリーは過去未来複雑に交錯しますが一貫して核は1つです。このメッセージを多少宗教的に受け取るか人の本質として受け取るかで評価は割れそうですね。
※エンドクレジットは最後まで観ましょう。
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