夏の終りのレビュー・感想・評価
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夏の終りに観ました
セミの声はまだ聞こえるけれど、
ジリジリと照りつけるような暑い日は減り、
少し風も涼しく感じるようになってきた9月。
タイトルに惹かれて鑑賞。
瀬戸内寂聴さんの書かれた原作をもとに制作された
本作ですが、まぁ内容は特別変わったものでもなく。
文芸作品だなぁーと言った感じ。
絵柄はとても美しく、日本の夏をとても綺麗に
美しく背景として描かれている。
主人公知子を満島ひかりが演じていて、着物姿が
とてもお似合い。
キャラクターとしては、よくありそうな感じ。
男がいないと生きていけない子であるのは間違いな
いけど、ラストでどうなったかなーと。
不倫や浮気を受け入れたり応援する気は無いけれど、
人を好きになるタイミングばっかりは決められない
と思っているので、知子を全く理解できないとは
言い難い。
ただ、あっちもこっちもは良くないなと。
こっちの気を引きたいから、自分に好意を寄せる
元彼氏(昔、自分の家族を捨ててまで駆け落ちした
相手)を利用する気持ちも分からなくはない。
そもそも自分を好きということは、自分の方が優位
にあると感じるもんだと私は思う。
彼(綾野剛)がその状態に苛々するのも分かるし、
姿を消したのを観てよしよしよくやったとも思った。
この映画の中で一番おいこら!と言いたかったのは
もちろーん、小杉(小林薫)。
両方手に入れたいというか、手放せない。
美味しいとこ取りね。まぁ、全くわからないとは
言わないけれど、、、第三者からみれば、正直
この関係は面白すぎる。
夏の終りに大人の映画。
これ10代で観てたらもっと嫌悪感剥き出しで
すごい拒否反応示したに違いないな私は。
大人になって、世の中にはどうしようもできない
というより、自分勝手な人がたくさんいることを
知ってから鑑賞できてよかった。
世の中の不倫や浮気してる方々。
どうか、自分の本妻、夫、本命の彼女彼氏にその事
を知られたり、悟られたりせぬようお過ごしを。
映像がとても美しくひかりさんの着物姿も美しい
この映画は知子の自立の物語ですね。家族を捨てて年下の男と駆け落ちしてきたもののすぐにうまくいかなくなり、自分を見失っていたところに出会った売れない小説家。お互いに依存しあい、生ぬるい愛人関係を続けるものの、やがて染色家としての仕事も軌道にのり、一人の女性として知子がその関係から自立していく。そんな姿にすがすがしさを感じるのです。
とはいえ長い間「出かける時はバックの中身を整えてくれた」保護者のような愛人との別れはどこか切なくもあり、その切なさが「夏の終わり」というどこか寂しい季節としっくりくるのです。
この映画では夏の終わりに漂う、切ない雰囲気を美しい映像と素晴らしいキャストの演技で見事にその世界観を構成していたと思います。
ひかりさんは知子を演じるには少し若いかな?とおもいつつも、やはりこの人しかいないと思わせる存在感は流石でした。
とにかく着物姿が美しいかったです。
映画の中では「終わり」がクローズアップされていましたが、終わりはまた新しい始まりを予感させます。
そしてそれは、希望でもあります。その希望がどんなものかはっきりはしないものの、確かにそこには光がある、そんな余韻を残して終わります。
人は誰かがそばにいてくれないと生きていけない弱い生き物かもしれません。そして多くの人は愛や家族といった絆は尊いものという幻想のもとに生きています。
確かに、人とのかかわりの中で心は癒されますが、同時に濃密な関係にがんじがらめになると、個としての自分は死んでいきます。
そんな時、自立していくこと、一人で歩く人生にk希望の光を感じるかもしれません。でもその希望の光は真夏明るい太陽のような健全な光ではなく、夏の終わりの、秋にさしかかるやわらかな夕日の光にも似ている、そんな、心地よく、少し切ない感傷的な気持ちになる映画でした。
私の遺書のようなもの。
以前、上映中に拝見させて頂き、感想も書いたのですが削除してしまいました。改めて私なりの感想を自分自身の為に残しておきたいと思います。
私は、母から小学5年生の時に、原作を貰い夢中で読みました。自分では、気付かなかったのですが、かなり、変わった家庭環境だったようで、この年齢で、恋愛の意味や、結婚がゴールでは、無いと悟っていました。作者である、瀬戸内さんを尊敬して生きています。特に昔の結婚は、お見合いや、政略結婚、古い歌にもあるように、悲しい感じを受けます。昔は、愛の伴わない結婚も多かったのでは、ないでしょうか?今でも、自分が悪いとは、いえ赤ちゃんが、出来たから仕方なくなど、そこに、愛がない場合もあるのでは、ないでしょうか?人を本気で、愛すれば何かを犠牲にするのは、当たり前と私は、思います。例え相手や自分に、配偶者が居ても、愛したら押さえが効かないのが、私が生きてきた上での結論です。
映画を観て、二人の男性の間で、揺れ動く主人公の人間くささに、私は、共感しました。人の考え方は、一人一人違って当たり前だと思います。
不倫だとしても本人同士でなければ、心の中は、絶対に配偶者、子供、まして他人には、解らないと思います。不倫=罪と、考えられる方々は、むしろ普通の家庭環境で、普通に育った方々で幸せでしょうが、私には、それが、つまらないとさえ感じます。今では、私の育った環境に感謝しています。普通は、体験出来ない事を沢山体験出来ました。私自身不倫経験がありますが、子供への愛情は、人一倍あり、恋愛と切り離して考えられました。不倫と言うと、汚いイメージですが、私自身は、相手との関係も、清いものだったと、自信を持って言えます。私の不倫は、親子程の歳の差がありました。余計に、子供の心は、傷付けた自覚もあります。10年を経た今、成人した子供に、親子の縁を切られましたが、受け入れて心の整理も付きました。しかし子供もまた私より家族や家庭を知らず育った為ゆえの反抗心と解りました。故に親子の縁は切れません。私には、あの不倫が無かっら今、私は、この世に、いなかったと思います。親が教えてくれなかった優しさを、教えて頂きました。言葉は、汚い印象でも、私自信には、大切で、必要な時間でした。人の生き方は、千差万別です。主人とは私の母親と同じように愛のない結婚をしてしまいました。子供がお腹にいる時から離婚だけを考えておりましたが、子供が産まれてすぐ母親が、倒れ看病と育児、仕事に追われ帰らない主人だった為、機会を逃したまま母親が、亡くなり私は心身のバランスを崩しました。ただいつも助けて下さる男性が現れたので何とか子供も育て上げました。金銭的にではなく、真夜中でも相談出来た友達がいたと言う事です。
主人は、母親が亡くなってから帰るようになりお酒を飲んでは暴れダイニングテーブルの一枚板を、素手で、壊されたり家中の物を壊され続けたり、色々な暴力を奮われました。ただ子供を守るのに精一杯でした。半ば諦めていた私に、年下の彼と出逢いがあり看病から始まった関係が何時しか男女の関係になり、それを不倫と認識出来ないまま1年間過ぎてしまいました。最後は、プロポーズされましたが、私が年齢差に負け逃げてしまいました。彼からは、生きなおす力を教えて頂きました。不倫したくて不倫をしたわけでは無いのです。不倫した自覚が無いのです。もうその彼とは、別れて10年立ちます。気持ちも想い出に変わりました。子供も成人し私の手から離れた今やっと主人と離婚して、自分自身の人生を歩こうと、決意できました。
自分が、自分として生きられる人生は、たった一度ゆえ、心のまま先を恐れることなく、もし、この先大切な人と出会えたならただ、ささやかに、支えあい生きて、ゆきたいと、改めて感じました。
作者の瀬戸内先生、感謝しています。先生に、お会いしたいです。先生?娘さんには、今もお雛様を買い続けていらっしゃいますか?娘さんのお子さんも、女の子でしたよね?私も、生きて贈れる限り息子へプレゼントし続けます。母親がしてくれて私は嬉しかったからです。値段ではなく心だと教えてくれたのは、母ですから。ただ不倫は、どんな事情があろうと子供を傷つけたのが解りました。でも、私には、必要な時間と、恋愛は感情をコントロールできないものゆえ、これ以上傷を深く出来ない為離れますが、今も気持ちは、繋がっているのが、実感出来ました。産まれてくれて、感謝してます。
普通の人生ほど、味気なくつまらない事を先生からも教えて頂きました。
また必ず観たい映画です。
和装ひかりさん素敵
満島ひかりの和装が素敵でした。
あの版画もよかったなぁ…
若い頃はオジさんに惹かれる
歳をとると同い年くらいの若者が良く見える
よくある、よく聞く話です。
原作は寂聴さんなのね。
一度見てみても良い作品だと思いますよ。
特に女性向けです。男性には理解できなそう。
地味、、満島・小林は良いね
慎吾(小林薫)、知子(満島ひかり)、涼太(綾野剛)の三角関係の話だというのは
予告編を見ていて知っていましたが、三角関係というとドロドロしたイメージがありますが
そうでもなかったです。
この手は好きか嫌いかというと嫌いな方で、ストーリーも特に面白いわけではありませんが、
それでも最後までフツーに見れたのは小林薫と満島ひかりの演技力ですね。
小林薫のセリフの独特の間の取り方や表情のつけ方は好きです。
満島ひかりも慎吾と涼太の間で揺れ動く感情や慎吾との8年の愛人関係を精算したいのに
できない葛藤をうまく表せていたと思います。
そして序盤のシーンの、知子が染物の型を取っているところ、染める作業の映像が繊細でした。
それともう一つ、愛人の知子が慎吾の家を訪ねたときに、ちょうど慎吾が縁側にいて、
格子の陰で慎吾の顔が隠れて、片目しか写っていないシーン。
監督の演出への細かいこだわりがみえました。
慎吾は妻子がありながら愛人の知子の家に通い、知子が涼太ともできていることに嫉妬の素振りすら
見せない慎吾を見て、知子を愛しているのではなくて自分の家庭以外にこの人は居場所がほしいんだな
知子は慎吾への愛はあるけど、愛人という心の隙間を埋めるために自分が寂しい時だけに涼太の気持ちを
利用して涼太に会う。
魔性の女といえばそうだし、ただの自己中女といえばそうもいえる。
とこの作品を見ながらつらつらと考えてしまいました。
この2人には共感できないけど、ああこういう人もいるだろうな、と。
涼太には多少共感できました。
50点くらいだけど小林薫と満島ひかりの演技がよかったので65点で。
期待とは裏腹にあっさり終わったw
w不倫?とあって・・・もっとドロドロかと思いました。
夫とはゴタゴタしましたが・・・あっさり別れ
中年男と年下の男の間をどっちつかずとしている女性。
ちょっと終盤、「どうしたいんだ・・・」と疑問でした。
不倫ものってこんな感じなのでしょうか?
微妙な女心は作品にマッチしていましたが
もう少し激しい感情シーンも多く入っていたほうがわかりやすかったと思います。
最後もあっけなく・・・終わる。
不倫とはこうして答えなきものなのでしょうか?
てっきり年下の男と一緒になる?なんて期待していましたが
期待とは違って
なんか物足りなさをかんじました。
でも、キャスト陣の演技は私、好きで
やはり脚本がイマイチ?な印象です。
あと10年くらい年取ったらもう一回見てみようかなwww
わが谷は緑なりき ジョン・フォード
映画「夏の終り」(熊切和嘉監督)から。
ドロドしていようと、爽やかであろうと、瀬戸内寂聴さん原作であろうと、
男と女の三角関係をテーマにした、心理の読み合いみたいな駆け引きは、
どうも私は苦手のようだ。(理解しにくいのかもしれない)
こういう時は、どうしても作品の時代背景を現す、看板やメニューなど、
監督が意識的に入れたのでは?というものを探して、メモをする癖がついた。
今回は、映画の看板。(たしか、小田原駅前だったかな?)
看板屋さんが、ペンキで映画のタイトルを書いているシーン。
「わが谷は緑なりき ジョン・フォード」と文字だけの映画紹介。
ストーリーもわからず、タイトル・監督の名前・主演の名前程度の情報で、
国民は映画に夢中になったのだろうか、不思議な時代である。
ちなみにこの作品で、ジョン・フォード監督が描こうとしていたのは
「善意と誠実さを貫いて生きる人間の姿と魂」らしい。(笑)
(日本上映は、1950年(昭和25年)12月)
他にも、映画「カルメン 故郷に帰る」(木下恵介 監督・脚本)
(主演 高峰秀子・佐野周二)の文字も見つけた。
こちらは、1951年(昭和26年)3月公開作品だが、
国産初の「総天然色映画」として多くの話題を呼んだはずたから、
もう少し、看板にも工夫がしてあったのでは・・と期待したが、文字だけ。
こんなものだったのかな、当時の映画看板というのは・・。
でもこんな時代に、年上の男と年下の男との三角関係なんて、
さすが、瀬戸内寂聴さん、波瀾万丈の人生でしたね。
P.S.(メモしてしまった看板の紹介)
■新宿ミュージック「フランス外人ヌード」
■「Grand Cabaret」
THE INTERNATIONAL CLUB
Shinjuku,Tokyo with Rooms for Refreshment
近日開場 乞御期待 世界クラブ
人形の家
小林薫演じる小杉慎吾:
妻がいる身ながら愛人に心中を持ちかける。理由は奥さんの命を絶つのは忍びないから。何だそれ?ズルくてダメな男だなあと思う。
(そんなズルい男をこれ以上ないくらいダメで可愛く演じた小林薫、とても良かった。)
綾野剛演じる木下涼太:
昔つきあっていた女を突然訪ねる。何年も経ってるのに、何で自分の事を受け入れてくれる、まだ愛してくれていると思えるんだろう。都合良すぎない?そして何で最後は被害者ぶるんだろう?そこも都合良すぎる。
(老練な小林氏に対し、綾野氏の演技がちょっと拙い感じもしたが、そこが青臭いヒヨッコな役ドコロに合っていた。)
こんな2人を受入れる知子(満島ひかり)の方が被害者だよ…なんて思ったりもしたが…。
いや、というよりも、恋愛関係というのは、どっちが被害者・加害者という訳でなく、どっちが良い悪いでなく、対等なんだー、その覚悟を持てーという事を、原作の寂聴センセイは声を大にして言いたいんだろうなあ。
この映画の登場人物は皆、善悪の彼岸にいる。
—
肉欲であれ恋であれ愛であれ、最初のうちは、止むに止まれぬ激情が各人を突き動かしていたのだと思う。が、年月が経つにつれ、ズブズブの日常となっていく。腐れ縁であり、共犯者であり、依存であり、逃げ場であり、ぬるま湯のような心地いい地獄の同居人だ。
慎吾は、ぬるま湯から抜け出せない。
が、知子はその依存から抜け出そうとする。自分だけの足で立ち上がろうとする。恋愛を逃げ場にしない。
そもそも知子は、自分の子を捨ててきたっていう、恋愛のどうしたこうしたよりも、深く重い罪を背負っている。世間の埒外に自分が居ることを自覚している。その自覚が、独りで立ち上がる源なのかもしれない。
—
寂聴センセイ版「人形の家」とも言える本作、説明的で説教臭い話に陥ることなく、単なる情念ドロドロにもならず、個人的には、とても爽やかな作品だと思った。
主演の満島ひかり、昭和30年代の女性を演じつつ、どこか現代っ子的な顔ものぞかせ、キュートだった。
誰のものでもない。
瀬戸内寂聴の自伝的映画。原作は読んでいないが、彼女の生き様は
幾度となくTV等で拝見してきたので、物語の大筋は大体分かる。
面白いか面白くないかは個人の好みに分かれるだろうが、
彼女がこういう生き方をしたのは本当のことで、こういうヒトなのだ。
正に素直で直情的。感情をそのまま人生に捧げている感じ。
可哀想なのは、こういう女に振り回される男たちで、旦那、年下の男、
愛人、確かに男はズルい生き物ではあるが、完全に振り回されている。
最大の不幸は、愛人の本妻と自身の娘が味わったのに他ならないが、
その行いを詫びて、彼女は晩年に尼僧となる。そして今も人気を誇る。
幾つになっても人を惹き付ける魅力のある人なのだと思う。
良い悪いは別として、我儘な女ほどそそるものはないことを実感する。
女の業。なんて言ってしまえば簡単な言葉だけど、
それを本領発揮する女があの時代にどれくらいいたんだろうか。
今でなら「ヤグる」の如く(ゴメンね)、夫の留守に平気で男を連れ込む
主婦が80%越えしているらしいが、あの時代に堂々と囲われたあげく、
いやまだまだ足りん^^;とばかりに、心の向くままに情事に耽る女。
アッパレな女、もともとそういう気質(作家向き?)があったのだろう。
私などがどうこう言える立場でもない(言う気にもならない)が、
男が方々で浮気を重ね、其々の女性が100%好きなんていうのを聞くと、
女の方にだってそういった業があってもおかしくないのかもしれない。
観ていて気持ちいいか悪いかは、己の恋愛観を象徴することになる。
それにしても小林薫が抜群にいい。
満島ひかりとは、現在あるドラマで母の再婚相手と娘の立場で共演中。
何だかその風情がそのまんま出ている感じで、やはり歳の差を感じる。
包み込むような優しさと、週半分ずつ妻と愛人を使い分けるその狡猾さ、
頭のいい男であり嫌味を感じさせない。主人公・知子がこのままでいい
と思わせるささやかな幸福?を与えてくれるのに絶品の男である。
だけど、決して自分のものにはならない。奥さんの手中にもいない。
手に入らないオモチャを欲しがる子供と同じで永遠に憧れ追い続ける。
知子が直情的我儘女であるのと同時に、慎吾もそれを弄んでいるのだ。
自業自得。とはこういうことだな、を感じさせる見事な体現である。
年下男・涼太には刺激があるにはあるが、知子は都合よく利用する。
都合お構いなしに押しかけ、愛人男の話を聞かされる年下男の心情…
涼太とて慎吾に対する畏敬の念と嫉妬が混ざって計り知れないので
余計イライラするのが分かる。聞くのもヤダよね、他の男の話なんか。
だけど知子が完全に涼太の方に靡かないのは、アンタにその甲斐性が
ないからで(ゴメンね)、必死に知子を追う姿には哀れを通り越していく。
夫と子供を捨ててきた女を受け止められる男ではないし、いや、この
知子も結局、誰のものにもならないのだ。さらに次を求める女だから。
(実生活ではその後、抜け殻のような涼太を彼女が支えたらしい)
原作通りの演出らしいが、中盤以降はダラダラと愛憎劇が続きダレる。
他人のドロドロを楽しめる時間にも程度があるんだな、と感じた。
いま振り返って寂聴さんは、過去をどんな風に見つめているだろう。
誰もが過去の過ちを振り返り嘆く瞬間があると思うが、嘆いたところで
大切なものは何も却ってこない。まして今の自分があるのは、その過去
あっての成長だと思うと、あれはムダな時間じゃなかったともいえる。
バカな過ちを犯してしまった後、反省する間もなく復帰するアイドルは
別として(あらやだ、ゴメンなさい)
誰もがそれをトラウマに抱え、もう二度との思いで這い上がろうとする。
だけど二度三度と過ちは起こるもの。幸福のあとにまた苦しみがくる。
繰り返し味わうことで自分を知り、どう生きるかを模索して時を迎える。
振り返って過去を慈しむことのできる人間になれたらいちばんだろうな。
私は瀬戸内寂聴という人が好きだ。
(夏の終りに公開されたけど、まだまだ夏が終わらないわねぇ、今年は)
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