侠客の掟
劇場公開日:1967年10月10日
解説
「侠客道」の宮川一郎、「兄弟仁義 関東命知らず」の村尾昭、「浪花侠客 度胸七人斬り」の鳥居元宏の三人が共同でシナリオを執筆し、鳥居元宏が監督した任侠もの。撮影は「大奥(秘)物語」の吉田貞次。
1967年製作/89分/日本
原題または英題:Code of Chivalry
配給:東映
劇場公開日:1967年10月10日
ストーリー
明治の末。大阪の綱嶋組に草鞋を脱いだ竜次郎は、一宿一飯の恩義に報いるため、明石組の親分を斬り、代貸の吉岡に深手を負わせた。三年後、竜次郎は四国で酔漢にからまれていた芸妓を助け、それが明石の娘おかよだと知って驚いた。聞くと、親分を失ったあとの明石組は明石の息子照夫が継いだのだが、綱嶋組の圧力から次第に没落し、ついにおかよが身を売らねばならないところまで来た、ということだった。渡世の義理とはいえ、罪なことをしたと思った竜次郎は、おかよを自由な身にしてやると、再び大阪に戻った。刺青師の彫長の家に旅装を解いた竜次郎は、早速、片目となった吉岡に狙われたか、竜次郎はせめてもの罪ほろぼしに明石組再建のために力を尽すと、明石の墓の前で誓うのだった。やがて開かれた大阪中の親分の会合で、明石組の工事の遅延が追及された時、綱嶋組による妨害の証拠を示したのは竜次郎だった。一方、綱嶋は照夫を刺客に襲わせた。照夫は逆に刺客を殺し、身代りに竜次郎が自首したのだが、三谷刑事は何故か竜次郎に激しい拷問を加えた。ちょうど明石組に滞在していた石神は、そんなことから三谷が綱嶋に買収されていることを突きとめ、三谷をしめ上げた。間もなく、事件は正当防衛としてケリがついたが、阿部野の顔役川勝が綱嶋の悪どいやり方に怒り、公然と明石組に肩入れすると宣言した。追いつめられた綱嶋は、明石親分の三回忌の法要の席で川勝を射ち殺したのである。怒った竜次郎と石神はたった二人で喧嘩仕度を整えると綱嶋組に殴り込んだのだった。二人が綱嶋を斬ってすべてを終えたあと、おかよは自首して出る竜次郎を熱い想いをこめて見送るのだった。