有難や節 あゝ有難や有難や
劇場公開日:1961年5月3日
解説
野村耕三の原作を、「風に逆らう流れ者」の山崎巌が脚色し、「俺の故郷は大西部」の西河克己が監督した歌謡映画。撮影は「太平洋のかつぎ屋」の岩佐一泉。
1961年製作/67分/日本
原題または英題:Doing What I Please
配給:日活
劇場公開日:1961年5月3日
ストーリー
春山浩一は守田自動車会社で働くチャッカリ青年。守田が神田商事から借りた金を返すため、ポンコツ車探しに懸命だった。期日が迫ったが、金が出来ず、浩一は豊川にいる祖父の竜光和尚に相談に行くことにした。彼は守田の娘洋子にあとを頼み家を出た。箱根の山中で車の故障で困っている梅沢雅子を助けてやった。雅子は梅沢建設の令嬢で、会社の重要書類を岡崎に届けるところだった。彼女を神田商事のジミイと梅がつけているのを知った浩一は、護衛役を買って出た。そのころ、神田商事の子会社で梅沢建設のライバル風間土建は、橋梁工事の入札に負けた腹いせに、梅沢建設のタービン設計図を狙っていた。神田一味の本拠キャバレー“サンシャイン”で、浩一は行方不明だった守田の息子弘に出会った。二人は神田から借金しようとしたが失敗した。しかたなく浩一は竜光和尚に泣きついたが、反対に坊主になれといわれ逃げ出した。浩一は梅沢建設の坂崎技師が神田と密談しているのを目撃し、橋梁現場に爆薬が仕掛けてあるのを発見した。危機一髪、現われたジミイの貸してくれた拳銃で、浩一は爆発を防いだ。神田と亡き母が一緒に写った写真をみつけた浩一は神田に手をひけと迫った。拒絶した神田は坂崎に雅子を誘拐させ、設計図と交換に返すといった。浩一は神田を捕え、おもいきり殴りつけた。そこに竜光和尚がきて、神田は自分の子供で浩一の父とは違うといった。神田は改心した。--豊川稲荷の祭礼が始まった。踊りの輪の中に、浩一、雅子、洋子らの笑顔がみえた。