愛情の設計
劇場公開日:1977年7月16日
解説
里中満智子の原作をもとに、心臓弁膜症の少女の悲しい初恋を描く。脚本は「恋人岬」の石松愛弘、監督は「突然、嵐のように」の山根成之、撮影は「美女放浪記」の小杉正雄がそれぞれ担当。
1977年製作/90分/日本
配給:松竹
劇場公開日:1977年7月16日
ストーリー
槙村美世は十八歳。十三年前に両親を交通事故でなくし、今は兄の圭と二人暮し。北野翔平は二十歳。北野病院の御曹子で、病院を継ぐのがいやで両親にさからって文科系の大学を志望していた。こんな二人が初めて出会ったのが東都大学の入学試験の日。その日の朝、二人は電車の中、教室、食堂というぐあいによく出会い、いつしか意気投合するようになった。美世の十八歳の誕生日に、大学の合格の前祝いをかねて圭がケーキを買って来た。しかし、美世は、その夜、突然倒れてしまった。圭は美世が心臓弁膜症であることを、彼女にかくすのだった。大学入試発表の日、美世は合格、翔平は不合格。二人は、残念会と祝賀会をかねて町でデートを楽しんだ。翔平は東都大進学をあきらめ、親がすすめる城南医科歯科大へ入学。そして、翔平は、両親の進める大学へ入学したプレゼントに何をもらうか美世に相談。美世はヨットがいいと提案。二人はさっそく兄・圭の設計事務所へ行き、ヨットの設計を依頼した。新緑に映える軽井沢。翔平の入学祝いが彼の家の別荘で彼の仲間といっしょに開かれ、当然美世も誘われた。圭の反対を押し切って参加した美世。二人の仲はこのことをきっかけに急速に接近。仲良く乗馬に興じている二人。その時、突然美世が倒れた。圭は翔平に美世の病気のことを話し、二人の交際の中止をたのみ、二人は激しく対立。しかし、美世の幸せを祈り二人の仲を圭は許すのであった。数日後、美世は自分の病気の事に気づき、翔平との愛に生きようと決心し、ウェディングドレスに身を包み、翔平が借りたヨットで航海へ出た。しかし、病いの美世の身体ではやはり無理だった。発作がおきたのだ。そして翔平が無線でSOSを打ちつづける中で、美世はこの世を去っていった。岸に戻った翔平と圭は向いあって、翔平は自分の責任だと言い、圭は、美世は思う通り生きてきっと幸せだったろうと翔平に礼を言うのであった。残こされた美世の日記には人を愛する素晴しさが、よるこびにあふれる文字でいっぱいに綴ってあった。