小林多喜二

劇場公開日

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解説

昭和初期の暗い時代に生きたプロレタリア作家・小林多喜二の愛と青春を描く、フィルムによるモニュメント。脚本は勝山俊介、監督は「海軍特別年少兵」の今井正、撮影は中尾駿一郎がそれぞれ担当。

1974年製作/119分/日本
配給:多喜二プロダクション

ストーリー

小林多喜二は、一九〇三年(明治36年)秋田の貧しい農家に生まれ、彼が四歳の時、一家は伯父のいる北海道小樽に移住した。伯父のパン工場で働きながら彼は、小樽商業から高商(商大)へと学んだ。一九二四年(大正13年)北海道拓殖銀行に勤めた多喜二は、帳簿をつける合間に小説を書いていた。二十一歳の年の暮、「やまき屋」で美人の酌婦、田口タキを知った。貧乏ゆえに身を売らねばならなかった十七歳のタキを、彼は愛したばかりでなく、友人から借金して、彼女をわが家にひきとった。数日間、タキは多喜二一家のあたたかい笑いにつつまれていたが、突然、多喜二の深い愛から逃げるように去っていった。大正から昭和にかけてのこの時期は、日本軍国主義の抬頭期であり、治安維持法(一九二五年四月)が制定された。各地で抵抗運動が組織され、時代の鼓動は多喜二の胸を激しくうった。そして、タキへの思慕に苦しみながらも彼は文学にうちこみ、同時に労働者、農民闘争に参加した。一九二八年(昭和3年)一月、初の普通選挙がおこなわれた。多喜二は労農党山本懸蔵候補の応援遊説隊に加わった。山懸は落選したが、京都で初の無産政党代表山本宜治代議士が誕生した。全国無産者芸術連盟(ナップ)小樽支部幹事となっていた多喜二は、上京して理論的指導者・蔵原惟人と会った。二十四歳の多喜二にとって蔵原との出会いは大きな励ましとなり、小樽に帰るや「一九二八年三月十五日」を書きあげた。この作品によって多喜二は名実ともにプロレタリア作家となった。その後、「蟹工船」「不在地主」……と発表した彼は銀行を解雇された。「不在地主」が拓銀のあくどい収奪をあばいたという理由だった。一九三〇年(昭和5年)多喜二は上京し、積極的に活動した。治安維治法で豊玉刑務所に収容された時、タキが面会に来た。美容師になろうとタキも上京していたのである。そんな彼女を多喜二は、出獄してからも励ますのだった。翌三十一年、作家同盟書記長となった多喜二は、寝食を忘れて活動し、秋、日本共産党に入党した。この年勃発した満州事変をきっかけに、弾圧はいっそう厳しくなっていった。そのような状勢の中で「党生活者」「地区の人びと」などを発表する多喜二を、警察は“見つけたら殺す”を合言葉に必死になって捜索した。同志の計らいで多喜二が数年ぶりに弟・三吾と日比谷公会堂で会った三ヵ月後の一九三三年二月二十日彼は逮捕され、その日のうちに拷問にかけられ虐殺された。警察は“心臓マヒ”と発表し、病院は解剖を拒んだ。弾圧の中でおこなわれた葬儀の日、蔵原惟人、壷井栄ら獄中の同志たちに一輪の花が届けられた。それは、明日の時代を信じて闘った多喜二を象徴するようにふさわしく、真紅に輝いていた。

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