突然炎のごとく(1961)のレビュー・感想・評価
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男二人からみたとんでも女
男二人の視点が興味深い映画。
ドロドロした邦題のほうが客寄せのうえではよいのだろうけれど、原題のほうが作品の角度、個性的特徴にマッチ。しかしこちらだと中身のイメージはちょっと掴みにくい
おもしろかったのは、2人が正直に話し合い、カトリーヌをカーシェアリングのように共有しようとしたところ。共有がまともかはさておき、柔軟性、斬新さが面白いなぁ。女を巡って決闘、などという古臭いセンスがここにはないのね。
仲良し二人の微妙な相違、嗜好の違いが運命を分けた。結局、柔軟性のあるジョーイが残った。柳に風、ということばが浮かんだ。彼は、なんだかんだ言いながらも彼女の相手が最後まで務まるキャラだった。が皮肉なことで、そういうキャラは求められなかったりする…。
一見ノリは軽いけれど、中身はなかなか印象に残る。
カトリーヌの迫力には男でなくても吸い寄せられていく。
三角関係
これでトリュフォー作品は
「恋のエチュード」に続き2作目。
また三角関係の話である。
と思いきや、本作は特に三角関係とは
また別ジャンルである気がしている。
と言うのも、まるで三人の関係は
取り合いや略奪では無く、多夫一妻に近い形で
ポリアモリーな関係に見えるのである。
三角関係の定義は知らないが、
よくあるドロドロした感じでもない。
そしてラストは突然訪れる。
あの空虚な終わり方は好きだった。
中盤、川に身を投げたのと同じような衝動で
ラストも川に身を預ける。
ジャンヌ・モローは撮影が大変だったろうなと思う。
生き辛かったであろうカトリーヌが哀れ
「智に働けば角が立つ 情に棹させば流される 意地を通せば窮屈だ」
夏目漱石の「草枕」の冒頭に出てくる有名な言葉ですが、これを思い起こしました。評論子は。本作のカトリーヌの生き様を観て。
きっと自由奔放に生きたかったのでしょうね、この世の柵(しがらみ)に、何ら束縛されることなく。己の情念の趣くままに。
(そして、結局は、突然に炎のごとく燃え上がった情念のまま行動して、この結末。)
カテゴライズされた世間一般の「枠組み」の中では生き辛かったであろう彼女を哀れに思うとともに、彼女に翻弄されても少しも変わらなかったジムとジュールとの友情の厚さに、胸が痛くなる一本でもありました。評論子には。
佳作であったと思います。
ジャンヌ・モロー、もうちょっと若かったらなあ〜
あの役やるには、ジャンヌ・モロー、もう年増だったので、ミスキャストなんだろうと思い、ずっと食わず嫌いが続いていたが…
う〜ん、やっぱり、もっと若かったらなあ〜
あと5年は早く撮影して欲しかったよ。
あの流れで行けば、たぶん最後は乾いた悲劇で終わるだろうと思っていたが…
もうちょっと鮮烈に出来なかったかな〜
当時としては、鮮烈だったかもしれないけど…
ゴダールが刺激を受けたのは良くわかる。
もろパクリ(一応オマージュ?)の元ネタなどもあったし。
やはり、この映画はモローが歌う「つむじ風」に尽きると思う。
なので、あの曲は他の様々なシーンでも部分的にリフレイン(鼻歌とか口笛とか)させて、もっとあの曲を軸に、カトリーヌの心情や言動を展開させて欲しかった。
但し、トリュフォーの原作への思い入れの方が、非常に強烈だったようで…
原作で受けた感動を忠実にスクリーンへと移し替えたかったようなので、即興的な翻案などは抑えたかったのかもしれない。
トリュフォー本人曰く、本作は「文学的な映画というより、映画的な小説」とのこと。
まさに言い得て妙。
そんな味わいの作品であった。
ジュールとジム
この作品に限らず、トリュフォーの作品に感情移入や共感するのは難しいと思う。というか、ある意味この世には、自分とまったく異なる感覚で暮らす人間が存在するのだ、という事に気づかせてくれるものなのだと思う。
因みに、監督が邦題を知って激怒したという逸話が妙に頭に残っている。曰く、「この映画はジュールとジムなんだ!!
決して、突然炎のごとくじゃないんだ!!」との事。観客からしてみれば、想像力を刺激する絶妙なタイトルだと思うけどね。
午前十時の映画祭8
稀にみる性悪女。
天然で自分がどれだけ相手を振り回して傷付けているのかを理解してないし娘の扱いも雑でまったくもって何を考えているのやら?
挙句に思い通りに行かなければ巻き添え喰らわせて心中と二人の男にも理解が出来ないお人好しで三角関係プラスもう一人の男。
映画自体がまろやかでふわぁとした雰囲気で静かに進むから男と女の綺麗な恋愛モノと勘違いしてしまうけれどヒロインの女が人として間違った考えに行動で稀にみる酷さ加減。
相当な我儘を発揮する女に振り回される二人の男との不思議な関係を愛憎入り交じらない感じで消化不良。
それでも放って置けない男に呆れるw
バカだなあと苦笑しながら見ました。
内容が内容だけに、イライラするけど、映画全体としては重くなりすぎないように、テンポを意識されていてコメディっぽい演出もされてる所が新鮮。邦画のあのドロドロだけでカラダが重くなるような感じがない。
きつかった
迷惑な女には近づかないのが一番としか思えない話だった。それでも好きになってしまったらどうしようもないけど、人生がめちゃくちゃになってしまう。それもまた人生と思えるならいいのかもしれない。ただ、オレには自分のことしか考えていないクズ女としか思えなかった。フランスは性に寛容だそうだけど、こういうことなのだろうか。
何より腹立たしいのは娘を全然かわいがっていないところで、母親であることよりも女を優先させすぎにもほどがある。急に部屋の鍵を掛けて銃を向けてきた時はどうしたことかと思った。完全にやばいやつだ。
けっこう退屈でちょっとウトウトした。
面白くも感動もしないが見てよかった
町山智浩氏の解説を事前に聞いておいたおかげで何とか理解ができたが、そうでなかったら画面で何が行われているのかすらさっぱり理解できなかったであろう難解な映画。見ても面白くはなく退屈すること請け合いである。
にもかかわらず、この映画は見て良かった。男と女のあり方にはこういう形もあるのかと、人生に対する見方が格段に広がったからである。もちろん、こんな形のカップルがうまくいくはずはないのは他の方も書かれている通り。
どうせこの映画を見るならば若いうちに見たほうがいいだろう。その後の人生をきっと豊かなものにしてくれるから。
自由奔放な女性
カトリーヌの自由奔放さには驚いた。正直このような女性には付いていけないのでジムに共感する。母である前に女でありたい女性の典型的な例しょうか。最終的な結末に陥るのも納得。モノクロ映像も含めてさすがに年代のギャップを感じた。観客には高齢者が多くいびきをかく爆睡者や途中退席者もいた。
(午前十時の映画祭にて鑑賞)
2017-72
オーストリアとフランスの青年がパリで出会い意気投合し、まるでドン・...
オーストリアとフランスの青年がパリで出会い意気投合し、まるでドン・キホーテとサンチョパンサのように離れがたい友情関係が生まれるんだけど、そこにファムファタル、ジャンヌ・モロー演じるカトリーヌが現れて、3人は互いに愛し合い長い時間を過ごすって話なんですが、
カトリーヌがこの二人以外にも次々愛人を作り瞬間的な愛をこなすんですが、
カトリーヌの人生には嫉妬が無く、彼女の苦しみは詩的で美的な苦しみしかないんです。
これは、これは、選ばれた女しか出来ない事ですが、嫉妬不要は大事な事だと思いました。
愛の形は様々で、男も女もそれぞれの愛し方が出てくる映画で、もし恋愛に行き詰まっているなら、ここに形の雛形があるかもしれないから鑑賞を勧めたいです。
友情も愛情も詰まった映画。
気質によって運命は決められちゃうのかなぁ。と思いました。
映像特典も豪華でトリュフォーが言う「いい人は、でも、面白い話にならないでしょ。」という旨の話に安心させられました。
ピカソが沢山と思ったら、原作者のロシェが美術愛好家でアメリカにピカソを広めたんだとか。
カトリーヌのモデルがマリー・ローランサンで、ロシェは恋人でもあったとか。
史実を調べて原作を読んで、もう一度観たい映画です。うわー、先生。って言いたくなる映画でした。
既存の社会の価値観に収まらない若者の愛と友情
総合:80点
ストーリー: 85
キャスト: 75
演出: 85
ビジュアル: 60
音楽: 65
現代の社会の常識から見れば奇妙にも見える友情と愛情を中心に描きながら、三人の男女の三角関係を綴っていく。
彼女は既存の価値観などに支配されない。一人の男を愛し結婚し子供を生み育てるのが女の幸せなどと誰が決めたの?とばかりに、自分の思うがままに人を愛し、思うがままに行動する。そんな彼女を愛した男たちは、とても自分の理想とする男女関係などを構築できないことを知りつつも、それでも彼女を見捨てることなど簡単に出来はしないのだ。
そのような価値観を映画の中心に置くことで、この映画が新たな風を社会にもたらしているように思える。実際は1960年代に作られた第一次世界大戦前後の時代設定の映画なので、新しいわけではない。映像も白黒だし音楽も時代を感じる。だが社会から解放された自己の自由の確立を物語っているようにも感じる。それを途中途中で小説のように述べたり手紙の交換をしていくことで、ただの好き勝手に生きる社会の逸脱者で無教養な若者たちの話ではない、心理描写も含めたちょっと格調高い作品になっている。そしてそんな彼らだからこそこのような結末になるのだろうとも思う。
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