道(1954)のレビュー・感想・評価
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「日日是好日」のワンシーンから
20~30年ほど前に「道」は一度観ていましたが、ジェルソミーナの演技をわざとらしく感じたり、ザンパノもなんか変な顔のおっさんというイメージが強かったりで、名画の誉れ高い作品らしいけど、私には分からない映画でありました。 そこで 大森立嗣監督の「日日是好日「」のワンシーン。 主人公と従妹が、浜辺で映画の「道」と「お茶」の世界をつなげていく会話シーンがあります。 二人の演技と相俟って、この映画の一番好きなシーンです。 5年位前にこの映画を観て、「道」をもう一度観なければ、と思ってはいたのですが、月日は流れ、やっと先日「道」を見直しました。 そして 自分でも分からないけれど、どうしてもついつい、ザンパノをからかってしまう綱渡りの若者とジェルソミーナ二人のシーン。 彼の台詞が良かった。とても良かった。ああ、これだ!と思った次第。 「この映画で感動できない人生なんてもったいない」(黒木華) とまで感動したわけではないですが。
不器用で粗野な性格が災いして孤独になっていく
ザンパノはとても不器用な男なのだろう。ジェルソミーナに対する想いも表現できない。粗野な性格が災いしてすぐに暴力に走る。理性を働かして抑制できないので、取り返しのつかない事態を招く。その苛立ちからさらに周囲に当たり散らし、益々孤独になっていく。気が付くと周囲に誰もいない。ラストシーンの海辺での彼の表情は、そんな感情を表していて印象的だった。 疑問なのは、ジェルソミーナはなぜ彼のような粗野な男といつまでも一緒にいたのか。巡業する中で多少なり愛情が湧いたのだろうか。
他者には理解されない孤独感と失望
頭木弘樹の「絶望読書」という本の中に、カフカの「生きることは、たえずわき道にそれていくことだ。本当はどこに向かうはずだったのか、振り返ってみることさえ許されない。」という言葉が出てくる。 この作品のタイトルは「道(La Strada)」。 劇中でスポットの当たる、孤独を抱えた旅芸人たちは、カフカの言葉通り、出会いやちょっとした不運をきっかけに、わき道にそれながら、それぞれの道を歩んでいく。 一緒に旅を続けるザンパノとジェルソミーナも、隣には居るものの、互いに深い孤独の中に沈んでいる。 自分が体良く、口減らしされた寂しさも、妹たちや母のことを思って堪え、体罰を受けながら覚えた芸を仕事として飲み込もうとするジェルソミーナ。 頼るべきザンパノは、旅先で亡くなったはずの姉ローラのことを尋ねても何も語らず、客前では彼女を妻と言いながら、気まぐれに他の女とどこかへいって、一晩中彼女を置き去りにする。 ジェルソミーナは、そんなザンパノに嫌気が差し、彼の元を離れ故郷に帰ろうとするが、帰る方角もわからない。 途中、出会った祭りの人の群れに呑まれながら、見知らぬ街を彷徨う彼女。そこで出会うのが、綱渡りの青年だった。 胸に巻いた鎖を引きちぎるザンパノの芸と、言い間違いや振る舞いの可笑しさを笑わせるコントをやり続けている2人に比べ、大観衆を熱狂させる陽気な青年の見事な綱渡りには、ジェルミソーナだけでなく、映画を観ている私も圧倒された。 やがて、ザンパノに連れ戻されたジェルミソーナは、合流することになったサーカス団で彼と再会する。 綱渡りの青年は、ザンパノと古くからの知り合いらしく、ザンパノを気楽にからかうが、それが気に入らないザンパノは、ある日、彼にナイフで襲いかかり、警察に拘束され留置所で一晩過ごすことになってしまう。 激怒したサーカス団の団長は、ザンパノと青年どちらとも契約しないという言葉を残し、次の興行地へ向かう。ジェルソミーナには、サーカスの女たちから一緒においでと誘われるが、一人ザンパノのオート三輪の中に残る。 そこへ、警察の取り調べから、ザンパノより一足早く戻ってきた青年が現れ、ジェルソミーナと2人の語らいが始まるのだが…。 と、ここまで少し長く詳しくあらすじを追ったが、自分はこのジェルソミーナと青年のシーンと出会えただけで、この映画を観た価値があった。 冒頭に触れた「絶望読書」という本のコンセプトは、「絶望している時には、絶望の本が救いになる」だ。 自分はそこまで絶望している訳ではないと思っているのだが、綱渡りの青年の言葉と振る舞いには、涙がこぼれてきた。 綱渡りを生業にしていることでの死への覚悟とプライド。それ故に生まれる、他者には理解されない孤独感。ジェルソミーナをからかう素振りを見せながらも、彼女とザンパノを思う気持ち。そして、自分は仲間として選ばれなかったという深い失望への向き合い方。 彼が語る、何もできなくても「すべての存在には意味がある」という言葉。 「どんな意味?」と問い返されても、具体的な例なんて出せないのだが、そこに自分はぐっと来てしまった。 そこからラストまでの展開は、カフカの言葉通り「たえずわき道にそれていく」を地で行くが、とても切なく、だからこそ沁みる。 鑑賞したのは「日日是好日」で、名前だけ繰り返し登場してきたことに興味を惹かれてだったが、作者の森下典子さんが言うように、何度見ても、その時々に心が動かされることを予想させる作品。名画だと思う。
何とも言えない感情を揺さぶる作品。小石の気持ち
内容は、大道芸人へ親に売られるジェルソミーナと言う知的障害を持つ少女と傲岸不遜な大道芸人の2人のロードムービー。 印象的な台詞は、『この世のものは何かの役に立っている。お前も同じだ。』サーカス一座に席を置いていた気のいい若者からジェルソミーナにかけられる言葉。その時に小石も同じだと言われるシーンは、道という幅広い解釈にも繋がる伝えたい一部分でもあったのかなと感じます。気のいい芸人の若者が別れ際に見せる間と涙ぐむ表情や精神錯乱状態のジェルソミーナの動物の鳴き声にも似た泣き声は、背筋が凍りつく様な恐ろしさがあり感動しました。 印象的な立場は、綱渡りの気のいい芸人の若者と主人公ザンパノの人物対比です。この作品は、様々な対比構造で作られているので観ていて時代性もあり読み解くのに時間がかかります。それ故に何とも言えなく心に深く重くのし掛かる物があります。綱渡りは人生についても同じで、いつ死ぬかは覚悟の上の厭世観が付き纏うし、鋼鉄の肺を持つ男は力のみに頼りきり歳をとり力が無くなると、一気に自信喪失に陥る。修道院での尼さんとの会話もジェルソミーナとの対比で感情的に訴える諦観があり非常に感情を揺さぶられます。 印象的な場面は、何と言っても『ザンパノ彼の様子が変よ!?』と急に発作の様に話出し動物が鳴く様に泣く姿はホントに演技か?と思えるほど引き付けられました。あの場面を見るだけでも十分価値はある様に感じます。 映画の冒頭『ジェルソミーナ!』『ローザ(姉)が死んだ』との海辺の砂浜でジェルソミーナが、落胆する場面から始まます。最後では『・・・』無言で懺悔し自分に落胆するザンパノで終わるところ何回観ても素晴らしい。台詞は一つ一つとっても面白く。暗喩がふんだんに盛り込まれ技術の素晴らしさを感じました。個人的には、気のいい綱渡り芸人の若者が、ザンパノと喧嘩して時計が壊れたって言った後の死に関係する暗喩が分かりやすくて好きです。 終始暗くて気分の楽しくなる様な話では無いですが、当時の時代性や人間の感情描写が非常に上手いので名作と言われる所以かと感じました。『ザンパノ。少しは私の事好き?』って聞くジェルソミーナは心温まる一場面でした。
ヒトは、道の旅芸人
皮肉なもので、ヒトは、捨てたはずのものに、拾われたりして…。 あんまり古い映画、興味ないんですけど、何だろう、今と違うなー、と思いつつ、今も、変わってないなーとも、思うんですよね。 今の世の中、多様性とか、基本的人権とか、いろんなワード増えました。でも、何か足りないんですよ。この映画のスープのように…。 やっぱり、何かの役に立っていると思いたいわけですよ。でもさ、その気持ちが強すぎると、おせっかいな勘違いになったり、あるいは「エヴァンゲリオン」のシンジ君になっちゃったり…。 中道と云う言葉があります。極端な考えを持たない、極端な行いを慎む、バランス感覚。ところがこれまた、難しい。タイトロープの上で、パスタ食うより難しい。何故だろう?。 ずっと昔から、ヒトは在る筈の無い答えが欲しくて、もがいているみたい。その回答のひとつが、この映画なのかな。 ヒトは生涯をかけて、その答え合わせをするのかも。さて、皆様、明日はどんな芸を披露します?。あまねくヒトは、旅の途中、道の途中なのだから。
ストーリーも良いが、それよりも演技!
この作品は「日日是好日」で取り上げていて「あぁ観ないとなぁ」と思っていて、ようやく動画配信で鑑賞した。 ジェルソミーナがすごい! 白痴というより小学校高学年程度の知能と純粋さ、人間として間違っていることをとことん嫌い、どんな辛くとも自分が役に立つ人のそばにいることを選択したところ、その演技に感動した。 ザンパノもすごい! 身勝手で、人、特に女性を虫程度にしか思っていない最低なクソヤローが、ジェルソミーナを置き去りにするときに見せる矛盾した優しさ、最後の海辺で泣き崩れるシーン、その演技に感動。 もちろん、マットの演技もすごいです。
2012年8月第三回午前十時の映画祭にて
年齢不詳なジェルソミーナは子供に見えたり年相応にも見えたりで不思議な魅力がある。ちょっとビョークを連想する。 大事なものは無くさないと気づかない。人生は一度きり、何があっても後戻りはできない。自分の選択の結果は自分で受け止めなくてはならない。当たり前だけど、ズシリと感じさせてくれた。
変わらないテーマ
退屈紛れにアマゾンプライム、サーフし何十年ぶりに見ました。 学生時代に新宿の地下で観た時は、感じなかった寂寥感、みたいなものが心に残りました。 モノクロだからかもしれないけど画面から醸し出される荒涼とした風景、… アメリカンニューシネマのラストショーにも通じるような乾ききった大地… 貧しい人々…、世知辛い人間関係… 映画が上映されて何十年たった現代の今日においても根底では、何も変わっていないんだと思う。 ラスト、ザンパノが(一人でいたいんだよ)って台詞、ホントは、その裏返しで一人ぽっちにしないでくれ!って言ってるみたいで切ないです。 ジュリエッタ・マシーナの泣きながら笑う演技とニーノロータの物悲しいメロディが秀逸です。
旅の哀愁と人間のサガ
まず、昔の旅芸人の旅というだけで趣きがある。そしてそれに人間模様も絡んできて、観終ったときには何とも言えない気持ち。 ジェルソミーナは印象的。この女優の演技は凄い!と思った。子どものようなピュアなかわいい笑顔がすてき。修道院を去るときの涙は、こんなに切なくて美しい涙のシーンって今まで見たことがあったかと思うほど感動した。 ザンパノをあまり責める気にはなれない。彼には生活があったのだ。彼の生い立ちにもいろんなことがあったと思う、彼は彼なりに現実的に一生懸命生きているだけなのだから。 心に余裕のないザンパノを、イル•マットはからかった。障害者を巡ってのこの映画のスタンスは、イル•マットの言動に集約され象徴されていると思った。 最後のシーンでザンパノは、もしかしたら海に入っていくのでは、と思ったが、そうはならなかった。 でも、それでいいのだ、とも。彼のその後の人生が変わっていきさえすればいいのだから。
見ていて少しだけしんどかったのは,話の流れが読めなかったからだろう...
見ていて少しだけしんどかったのは,話の流れが読めなかったからだろうか.一言で言うと,旅芸人に売られた女性が売られた先の男性から愛されずに死んでしまう話だろうか.その外部のいくつかの事件があって,それが物語の中でぴったりと活用されることが無く,淡々と進んでいく.出てくる答えに対して与えられている情報が多すぎるような気持ち悪さがあって,でもそれが現実らしさであるという事も言えるのだろうと思った.
名作鑑賞
フェリーニはゴダールの様に華やかさに欠けていると 感じていて、現代ではなかなか観るのに 積極的になれなかったが、観て良かった。 この映画はカトリックの精神をもって魂の救済を描いているらしいが、そこを気付けるわけもない。 ただ、道端でうずくまる横を 自然に馬が単体で通り過ぎるシーンは 非常にアイロニーに満ちていた。 ストーリーだけをとると ものすごく単純で 一つの出来事が大きなうねりとしてあるわけだけど 粗野な男と純朴な女性との距離感を 物理的移動とともに見せてくれる分 風景を楽しみながら、飽きずに見れるのが良かった。 このような映画文学のようなモノが 今もヒーロー映画とかとは違った文脈で続いているのが 映画という芸術がまだ生き残れている所以であり エンタメで良い映画と、芸術でいい映画の2つは これからも続いてほしい。 日本映画における金がないから、チープな顔面映画は 無くなっても構わない。
ジェルソミーナは天使
ジェルソミーナは神が罪深い男の魂を救済するためにつかわした天使なんだね。そう思うとこの映画の全てがしっくりくる。 ニーノロータのテーマ音楽は、音楽がこれほど効果的に使われてる映画はないんじゃないかと思うほど。 ジェルソミーナの死んだ姉の生涯が妙に気になる。
Essoの看板あるけど、あのEsso?
死んだ姉が手伝いをしていた大道芸人、ザンパノに買われたジェルソミーナ。 各地を回るものの、ザンパノの女癖の悪さや自分への酷い扱いに、ジェルソミーナはなんだかモヤモヤ。 そんなある日、同じ大道芸人のイル・マットに出会い… 人の死や自分とは何かについて、改めて深く考えさせられる作品でした。 子供のように無邪気で純粋無垢なジェルソミーナ、冷たく獣のようなザンパノ、そして嘲笑的なものの良いこと言うイル・マット。 どのキャラクターも個性的で魅力的。 ザンパノやイル・マットが、良い部分も悪い部分もあるキャラクターだったため、ジェルソミーナの純粋さが際立っていました。 石でも何かの役に立っている。 終始、ジェルソミーナのなんとも言えない悲しみや苦悩が伝わってきました。 彼女にはもっと幸せになってもらいたかったと、エンディングの海岸でのザンパノのような気持ちになりました。 今まで観てきたフェリーニ作品の中では、フェリーニらしさ抑えめでしたが、それでもニーノ・ロータの音楽や人々の営みなどにフェリーニらしさが現れていました。 また、ジェルソミーナ役のジュリエッタ・マシーナさんはフェリーニ監督の奥さんだそうで。 ちょっと変わった感じのなんだか独特な雰囲気もありつつ、どこにでもいそうなリアルな仕草の芝居のおかげでとても身近に感じ、感情移入しやすかった。 なんとも悲しそうな表情がリアルでリアルで。 とても良かったです。 難しい部分もありましたが、8 1/2よりは明らかに観やすい。 意外に深い内容で、どの登場人物の気持ちも理解できる。 芸人という人を楽しませる職業からは想像もつかない、悲しい物語でした。
「俺は一人で生きていけるんだ」 この叫びの虚しさ。
この映画の二人はなんて切ないんだろう。 この映画を観た後、なんて人が恋しくなるんだろう。 それは”恋”と”愛”とかの言葉が薄っぺらく見えるほど。 ジェルソミーナの行為は自己犠牲・自己アイデンティティの確認・自己満足ともいえるが、今流行の自己顕示とは対極にあるもの。 一見DV・共依存カップルのようにも見えるが、ジェルソミーナはサンパノを支配しようとはしていない点で、単なるDV・共依存カップルとは袂を分かつ。 親が子を売り飛ばすような環境での物語。ザンパノだって似たような境遇だったのかもしれない。誰かに大切にされた経験がない男。一人で生きてきた男。路上ライブ同様に相手にされない時の世間の冷たさも半端ないだろう。バイトもできないあの頃なら、生きていくだけで精一杯。 愛の表し方どころか、愛そのものさえ認識できない。 そんな二人の関係をシンプルに丹念に描き切っている名作。 単なる善と悪という二元論で語るには勿体ないほど、暗喩に富んだ物語。 途中出てくる馬とか、病床の少年等、何故ここに挟み込まれる?というエピソードが、まだ消化できていないけど、これから何度も見ているうちにイメージが膨らんでくるのかしら。 あの『8 1/2』の監督作品だもの。きっとまだまだ私が気がついていない暗喩が挟み込まれているんだろうな。 語りつくされているけれど、ジェルソミーナの表情が素晴らしい。 初めてザンパノに会った時、大道芸能の時、食事をしている時、置いてけぼりになった時、綱渡りの男との場面…。 ピエロの如くな表情。うれしさに打ち震える表情。人を引き付ける瞳。悲しさとあきらめをたたえる瞳。 確かに、ここでこういう表情をするかという微妙な表情をするので「頭が弱い?」ように見えるけど、チャップリンのパントマイムにも似て、言葉で語られるより、万華鏡のように観るたびに様々な想いを想像してしまう。 特に、ザンパノと別れる時の表情がぞくぞく来る。誰よりも誰よりも深遠なる真理を知っているかのような表情…。 ザンパノも素晴らしい。 少しだけの、不器用な思いやりの見せ方。ジェルソミーナのその後を知った前と後との、持ち芸の見せ方の違い。そして自分の心の奥底にあったものが溢れだしてきた時の表情…。 字幕版だと画面に集中できないから、幻の市川悦子さん達の吹き替え版で観てみたい。声の響きによる解釈が加味されて、もっと多層的になるんだろう。 あらゆる断片をとりあげて絶賛したくなる映画です。
どうしてこんなに泣けるのだろう?
絶品。 "旅芸人" という、通り過ぎて行った時代の風景(今でいうサーカスや大道芸なんですね) 粗暴な旅芸人ザンノパ、彼に買われて助手となる知的障害の娘ジェルソミーナ、サーカスでピエロを演じる口が達者なマットの話。 「僕は、本を読んだよ。この小石だって、何かの役に立つんだ。(だから君だって、何かの役に立つんだ)」 「この小石が、何の役に立つか? わからないよ。もしそれがわかったら、全知全能だよ」 「でもこの小石が役に立たないなら、何だって役に立たないよ」 「僕はしがらみを持たないように生きるんだ」 ああ、大好きなのに、そのことをうまく言えない人たち... どうしようもない、どうしようもないんだね... 残念だが、これ以上書けない。涙が止まらないから。すばらしい経験だった。
ザンパノみたいな男嫌だー
なんか誰にも感情移入はできないけど、でもその気もち理解はできる、みたいな距離感の映画だった。ザンパノくずすぎたけど、孤独だったんだね。こちら2018年に音楽劇として舞台化しており、ザンパノ役が草彅剛、ジェルソミーナ役が蒔田彩珠!あじゅちゃん絶対良いし想像だけで飯食える
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