鳥のレビュー・感想・評価
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原初的な恐怖を描くために駆使された最新テクノロジー
ヒッチコックを語るときに欠かせないこの怪作。フィクションを扱った原作モノでありながら、しかしヒッチコックは実際に起こった鳥の大量発生や襲撃事件を周到に調べ上げ、「現実に起こりうること」として内容を膨らませていったそうだ。
改めて鑑賞してハッと気づくのは、全編を通して全く音楽が存在しないこと。代わりにドイツで探し出した電子楽器を用いて鳥の鳴き声をサンプリング加工することで、これまでにない不気味な音響効果をもたらし、さらにこれを駆使した冒頭の鳴き声の連なりは、さながら不気味な現代音楽のようにも聴こえてくる。
また、当時の未成熟な特殊効果をどうすべきかという課題も彼らの頭を悩ませたが、結果的にディズニーが開発した特殊効果を採用することで、おびただしい数の鳥が画面に違和感なく溶け込む状態を創り出した。こうして未だに人々を震撼させ続けられるのは大したもの。見るたびに新たな発見が得られる一作だ。
王道の作品
さすが名作と謳われるだけある。こわっ。見る度に増えていくカラス、始めは何とも感じなかったのに、カットが変わるごとに募る恐怖。鳥が1羽2羽なら怖くないのに、あんなにいると身の毛がよだつ。あれだけの数の鳥…CGもない時代によく撮れたものだ。なんか裏技があるんでしょうね。
ヒロインが美人なのに、悩みを抱えているのも、人物造形に深みがある。体にフィットしたスーツに、ヒールの足、隙なくセットした髪型…惚れてまうわ。ラスト、遠ざかる車が光の方へ向かっていくところは、ほっとした。怖いだけじゃなく救いもあるのが良い。
いやー、しみじみヒッチコックはすごい。
NHK BSの放送を録画にて。
おかしいです、視聴中暖房器具をつけて暖かい格好をしているにも関わらず、つねに鳥肌が立っていることが…
なんだろう…胸がずっとザワザワしました。ミッチのお母様と同じ気持ちになりました。
きっと音がないからでしょう…、
素晴らしいレビュアー様たちがおっしゃる通り
「音がない」んです。盛り上げるために激しいBGM流したり、音でびっくりさせる手法で
(名前忘れましたが汗)
そういったやり方が一切なくて、ただ自然の音。例えば鳥の鳴き声だったり、風の音?だったり、
とにかく不気味なんです。
とにかく、 不 気 味 なんです…。
それが自分には怖すぎて、ずっっと鳥肌が止まりませんでした。
やっとこさ、もはやヒッチコック監督の虜です…遅い…。
次はウ○ーリーを探せ、ならぬ、ヒッチコック監督がどこにいるか探すとしましょう。
確かワンちゃんを2匹連れている方とのこと…。
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(さいごに、
アニーを○さないでほしかった、泣)
鳥が襲ってくるホラー
最初はとても退屈だった。何故なら、最初はこの映画がどういうものなのかが掴みにくかったから。
主人公の美しい女性は親が太い典型的な自由奔放なアメリカ娘だが、そんな彼女が恋に落ちて、男の歳の離れた妹に鳥を贈るというのが冒頭のあらすじだが、ヒッチーの癖に全く怖くない。小粋で軽快な会話をダラダラ続けていて全然面白くなかった。さらに、これは彼の映画の持病なのだが、出てくる人物がステレオタイプ過ぎて共感できない。ところが、中盤になると、ぐんぐん面白くなっていった。
この映画は簡単にいうとゾンビではなく鳥が人を襲うホラー映画だ。ヒッチコックはたくさんの鳥が人間を襲うという実際の事件の恐怖以外にも、田舎者ならではの排他的な雰囲気や、当時の典型的な女性の持つ、弱さ故の凶暴さなども描こうとしていたが、どれも大量の鳥が人を襲うことよりは恐ろしくなかった。でも、ホラー映画にはそういう要素を持たせることができると学べた。
この映画を観て僕は、改めてヒッチコックは魔法使いだと思った。彼の作る映画は、印象に残るシーンには必ず、力強く彼ならではの独特で力強く、雄弁な映像を仕上げてくる。それを観ると、映像の魔法とはこのことかと納得できる。
ヒッチコックの映画に出てくる女優は演技のできないイメージがあるが、ティッピ・ヘドレンはできる人だった。表情の演技が良かった。
それ以外には何もなかったが、純粋な映像体験だった。ヒッチコックの魔法を今までで一番濃く感じた。
縄張りを侵さない限り、鳥は襲ってこない
40年位前に音威子府から猿払へ行った事がある。音威子府 を朝の3時とかに出発して早朝に猿払に付く予定だったが、猿払まで、気動車の線路が走っていた。
太陽が登る頃猿払に付くのだが、オホーツクの海を見に猿払の海岸まで、一人で歩いた。それ程の距離は無かったと記憶するが、街には人っ子一人いなかった。しかし、橋の欄干の両側には、どこからやってきたか、いつの間にか、ビシッとカラスがタムロしていた。既にこの作品を見ていたので、その光景が怖かった事を思い出す。
しかし、同時に『鳥は朝になってから集まるんだ』って思った。
つまり、ヒッチコック監督のマジックだろうが『鳥が怖いのではなく、鳥のために軍隊まで出してしまう人間の方が怖いんだ』って思った。映画の最後に日の出に向かって、逃げて行く主人公達の未来が強く印象に残った。つまり、言い換えれば、核兵器に恐怖して自らの未来に穴を空けようとしている今の人類の未来なのじゃないだろうか。核兵器が怖いのではなく、核を使う人間が怖いのだ。つまり、日本人もロシア人もアメリカ人も核は使える。核兵器は無くとも核は大半の国が持っている。
追記
天王寺動物園に『鳥の楽園』と言う施設がある。今回、それを見に大阪に来た。しかし、前回見た時と違って、鳥達が元気ない。さて?
隣で施設の増築をしている。鳥でなくともうるさく感じる工事だ。人間の為の施設だから仕方ないが、なんか鳥達が可哀想に感じた。まぁ、檻の増築だから、そもそも鳥達は哀れな虜(とりこ)ではあるが。
平等院鳳凰堂を見て、鳥達にエールを送ることにした。
平等院へは何回も行っていたが、阿弥陀如来様を始めて見た。
良い映画に『巡り会えますように』と祈った。2023年10月4日18時53分
鳥かわいい。 人間の不安や恐怖の伝播や集団ヒストリーを 鳥をメタフ...
鳥かわいい。
人間の不安や恐怖の伝播や集団ヒストリーを
鳥をメタファーとして使ってるの面白い。
鳥いっぱいいて可愛いけど、なんでも一定数以上集まると怖いものだな。
ただ、モダンでお金持ちでツンとした女性も、インテリでクールな女性もツレない態度しつつも
男に惚れてるもんなんだよ、、、みたいな意識がキモい。
配信で鑑賞
鳥以上に怖いのは・・・‼️
とにかく怖い‼️鳥の大群が襲いかかってくるという実際にはまずありえない出来事が妙に現実味を帯びてリアルに迫ってくる‼️それというのもヒッチコック監督の手際の良い演出があるからで、ロッド・テイラーがペットショップの鳥の異常にふと気づく発端から、ティッピ・ヘドレンがカモメに襲われるシーンを経て、徐々に鳥たちの行動がエスカレートしていくのですが、鳥たちが人間を襲う理由が分からないから怖い‼️そして事件が解決しないまま映画が終わってしまうのも、なおさら怖い‼️ただただ鳥肌が立ちます‼️小学校のジャングルジムをいつの間にか真っ黒に埋め尽くしているカラスの群れとか、暖炉から突然なだれ込んでくる何百という小鳥とか、夢に出てくるくらい恐怖度MAX‼️ただ、ヒッチコック監督が本当に凄いのは、ストーリーが進むにつれて、鳥の襲撃から人の噂のでたらめさに物語の焦点を移してしまうことです‼️鳥の襲撃がエスカレートするに連れて広がる人間のデマや猜疑心‼️それによりお互いが疑心暗鬼に陥り、団結しなければいけない時に人間関係を自ら崩壊させていく・・・‼️やっぱり人間が一番怖い‼️
笑ってごめんなさい
「ヒチコックはな、自作の映画には必ずどこかに自分を登場させているんだぞ」
「よーく見ていろよ」
・・遠い昔、映画好きの父が僕に教えてくれたことだ。
この映画も確か「ゴールデン洋画劇場」か何かで、うちのリビングでテレビで観たものだ。小学生の低学年の頃だった。
ラブバードを買ったお嬢さんが突然鳥に襲われて、白い首すじに出血したり、
カラスが電線に異様に群れを成していたり、
ガソリンスタンドが燃えたり、
不穏な空気がだんだんと迫って来ていたのだが、
事態は最高潮となり、あの有名なシーン、
⇒ 小学生たちがカモメの大群に急襲されて、必死で襲い来るカモメを後頭部から払いのけながら、泣き叫びながら走るあのシーンで
僕はゲラゲラと大笑いをしてしまったのである。
* * *
「○○!何がおかしい!なんで笑うことなどあるのだ!」と、腰を浮かせて激怒する父。
何かスイッチが入ってしまったのです。そこまでは白黒画面に漂う暗雲に胸騒ぎはしていたのですけれどね。
「入り込むタイプなのだなぁ」と憤慨している父を見て首をすくめた僕だった。
┐(´д`)┌ヤレヤレ
父が思うより僕が冷めた大人だったのか、あるいはあのスリラーパニック映画を理解出来ないお子ちゃまだったのか・・
実際たくさんの動物文学や図鑑を読みふけり、たくさんのペット=ジュウシマツとニワトリとアヒルと金魚と犬とマングースと蛇と、 (・・後略) を飼っていた動物研究家の僕としては、「バレバレの鳥のデコイに突つかれて引きつる表情を真剣に演技する子役たち」に堪らず吹いてしまったわけで。
お父さんごめんなさい、
僕もあなたを立ててフェイク(演技)すべきでした。
映画を観ると、映画の楽しみを教えてくれた父を思い浮かべる。
まったく遠い日の、懐かしい思い出である。
父は まったくいい人です。
帰郷するたびに父の好きな鳥肉=ケンタッキーを手土産にしている僕なのです。
【アニマルパニック不条理ムービーの嚆矢的作品。ワンシチュエーションで恐怖をあおる手法は現代でも通用すると思った作品である。】
■突然舞い降りてきた1羽のカモメが、メラニー・ダニエルズ(ティッピー・ヘドレン)の額をつつき飛び去った。
これが事件の発端だった。
不吉な影がボデガ湾沿いの寒村を覆い、若い弁護士・ブレナー(ロッド・テイラー)はただならぬ予感に襲われる。そして、程なくブレナーの予感は現実となり…。
◆感想
・1963年製作作品なので、現代で観ると恐怖感はあまりない。
・但し。今作がその後のアニマルホラーに与えた影響は大きいと思う。
<巨匠、アルフレッド・ヒッチコック監督が撮り上げた傑作パニック。鳥たちが人間を襲うというワンシチュエーションで、あらゆる恐怖を引き出す手腕は見事だと思った作品である>。
何もわからない恐怖
当方、大の鳥嫌い。
道にハトやカラスがいると遠回りしてでも別の道に行くし、テレビで養鶏場が映ったりするとチャンネルを変える。
それでもこの映画だけは最後まで観れちゃうのは、鳥そのものではなく「わからないことの恐怖」を描いているからだと思う。
なぜ襲ってくるのか。襲撃と静寂の波があるのはなぜなのか。どこへ行けば逃げられるのか。何も「わからない」
動物や宇宙人や幽霊や災害などが人間を襲う映画は数えきれないほどある中で、この映画が際立っているのは、この「何もわからない」からこそなのだと思う。
何もわからない、終わりも見えない、逃げ場もない。それがわかりつつ、どこかへ走り去っていくラストシーンの絶望感といったら。何度見てもたまらない。
新鮮な発想と説得力=ヒッチコック監督、本領発揮!!
1963年。アルフレッド・ヒッチコック監督作品。
鳥が人間を襲ってくる《パニック・ムービー》
この映画、見事にBGMがありません。
鳥の羽音がバサッ、バサッ!!
鳥の嘴が激しく窓にぶつかる音。
嘴でガガッと噛み切る音。
逃げ惑う人々の恐怖に引きつる顔に効果音(BGM)はありません。
(ヒッチコックは、音声を消して映画を観ることを好んだそうです。
(音がなくても映像だけでストーリーも情景も伝わる・・・そう確信していたそうです)
この映画はまた、登場人物の仕事や背景そして性格は語られるのに、
ドラマとして発展しないのです。
主人公のメラニー((ティッピ・ヘドリン)は、ペットショップで出会った弁護士の
ミッチ((ロッド・テイラー)にわざわざスポーツカーを何時間も飛ばして、
サンフランシスコから、カリフォルニア州ボデガ・ベイまで《幸福の鳥の番い》を、
届けに行きます。
でも2人の恋のゆくえには、焦点は当てられませんし、その恋の結果にも触れません。
鳥・・・集団で人間を襲い、死に至らせるまでの暴力・・・その原因もそして、
その結果・・・
結果にも言及することはありません。
《鳥が集団で襲って来る》
この映像にはCGやコンピューター処理のない時代、とてつもない苦労があり、
色々な合成技術が使われたそうです。
それにしても《鳥が人間を襲う》
そのリアリティに心底驚かされます。
ヒッチコック監督の先見の明にも脱帽です。
(ジェシカ・タンディがミッチの影ある母親役で出演しているのも、とても嬉しかったです)
(ヒッチコック監督は2匹の愛犬を連れてお店から出てくるワン・シーンで、出演しています)
TBS版:初回放送1969年7月18日『金曜ロードショー』[3][...
TBS版:初回放送1969年7月18日『金曜ロードショー』[3][4]
フジテレビ版:初回放送1973年10月5日『ゴールデン洋画劇場』
TVの洋画劇場OA当時は田中敦子ではなく二階堂有希子が演じました。
さすが動物パニック映画の元祖
どうやって撮影したのか
CGの無いこの時代、鳥が少しずつ集まってくるシーンや鳥が子供達を襲うシーンは本当に怖い。
なぜ鳥が襲ってくるのか
その理由が最後までわからないところも怖いと思う。
え?これで終わり?
と思わせるラストシーン。
結末がどうしても思い出せなかった理由はこれだな。
問いかけることは
私は、映画というのは作り手が何を言いたいか、を必ず意識して観ている。
人間が世界のすべてをコントロールできるはずもなく、もしこうなったら・・・という怖い気持ちになった。
現代に通じるのは、インターネットを始めとするデジタル技術も、すでにコントロールが難しくなっていることである。
戦争も然り。取り返しがつかない事態にならないように、英知を絞っていい方へ向かって欲しいものだ。
相当昔の映画だけど、これどうやって撮ったんだろうって場面の連続 C...
相当昔の映画だけど、これどうやって撮ったんだろうって場面の連続
CGに頼らない昔の映像はやはり見てるだけで楽しい
ただストーリーはやはり古臭い。特に何もオチがないのが残念
母に代わって息子の恋人を襲う鳥の心理学
(1) 作品の狙い――パニックの奥に潜むもの
子供の頃、初めて観た時は特殊撮影が売り物のパニック映画だと思った。
しかし、大人になって、この作品は母性の自己防衛を描いた、ヒッチコックの好きな「心理学映画」だと気づいた。
(2) 強固な母子関係とそれを脅かすヒロイン
男性主人公のミッチはハンサムで高給取りの弁護士。まだ独身なのは、彼に近づく女性は母親に排除されてしまうからだ。
父が他界した後、母は息子に依存し、二人は強固な母子関係で結ばれている。母にとって息子は自分一人のものであり、彼に近づく若い女性は自分から息子を奪う敵である。
そんな息子に近づいてきたのがヒロインの富豪令嬢メラニーだった。
彼女はイタズラを仕掛けるためにミッチの住まいを訪問するが、家に近づくと突然、一羽の鳥が彼女にぶつかってくる。母親のテリトリーに侵入するなという警告である。
傷の手当をした後、メラニーは母親に紹介される。疑念に満ちた表情で彼女を凝視める母親。
若く美しい、教養と機知に富んだメラニーは、息子にとって申し分のないパートナー候補だ。それを見てとった母性は、いっきに警戒心と攻撃本能を全開にする。
(3) 攻撃本能を全開にしヒロインを襲う母性
① 女性教師宅での会話
ミッチ宅でディナーを摂ったメラニーは、地元小学校の女教師宅に一泊することになる。居間で寛ぎ簡単な身の上話をするうちに、教師はかつてミッチと付き合ったが、母親に排除された一人だと分かってくる。訳知り顔でメラニーを眺める教師の、諦念と皮肉と嫉妬の交差する表情から、母親の絶大な支配力がひしひしと伝わってくる。
② 母性を憎むヒロイン
翌日、ミッチの妹の誕生パーティ会場で、メラニーとミッチは母性について興味深い会話を交わす。母と強い絆で結ばれるミッチは、メラニーには母親の愛情が必要だと語る。しかし、彼女の母親は11歳の時に娘を捨て、他の男と駆け落ちしてしまった。そのためメラニーは母性なるものと激しく対立する考えを持っており、母親の愛情など邪魔でしかない、というのである。
その直後、二人の会話を盗み聞きでもしたかのように鳥が会場に襲来し、子供たちに襲い掛かってくる。
鳥の集団はその夜、ミッチ宅のディナーにも押し寄せ、煙突から無数の鳥が飛び出してくる。幸いにも大事には至らなかったが、恐怖の中でメラニーがミッチや妹と接近すればするほど、母は険悪な目付きになっていく。
③ 怒り狂う母性
三日目に入ると、周囲一帯は鳥パニックに陥ってしまう。近所の知人を訪ねると鳥に両目を抉られて死んでいる。
学校には夥しい鳥の群れが取り囲み、子供たちを襲い、街の中心部でも通行人や店、車を襲い、ガソリンスタンドまで爆発してしまう。
母性はミッチを失う不安に怒り狂い、怒りは炎となって燃え上がる。街全体が鳥に覆われ、鳥はありとあらゆる人々を攻撃し、ミッチ宅も攻撃してくる。その中で多数の鳥に襲われたメラニーは、手酷い負傷を追ってしまう。
ここまでくると鳥の襲来は危機を察知した母性の自己防衛と、敵であるメラニーへの攻撃本能の象徴であることが、観る側にも伝わってくる。
最後に鳥たちが穏やかになるのは、息子のヒロインへの愛の深まりに気づいた母性が、自己の敗北を悟ったからに他ならない。
(4) 「サイコ」の続編としての性格と優れた人間ドラマ
ヒッチコックの心理学への傾倒はよく知られており、同じティッピ・ヘドレンの「マーニー」や、グレゴリー・ペックの「白い恐怖」はフロイトの精神分析学入門の趣きを呈している。
そして、本作の前の作品が「サイコ」であることも忘れてはいけない。その最後で、主人公ノーマンの殺人動機はどう説明されていたか。
「ノーマンの半分は母親となり、彼が女性に惹かれると嫉妬心を燃え上がらせ、その女性を殺してしまった」
ノーマンの「母親」は自分で殺人に手を染めたが、ミッチの母親は嫉妬を鳥に仮託させてティッピを殺そうとしたように見える。つまり、本作は「サイコ」の続編と見ることもできるのである。
そしてこうした背景があるからこそ、女性たちの意味ありげな視線のやりとりから濃密なドラマが形成される。本作は人間ドラマとして傑作たり得ているのだ。
(5) おまけ
町の中心部が襲われた時、レストランで住民たちが怪しげな蘊蓄を傾け合うシーンが小生は大好きなのだが、中でイスラエル民族の罪を糾弾したエゼキエル書等を引用する酔っ払いがいて笑わせる。
同書は「パルプ・フィクション」でも奇怪極まる引用がされており、あるいは本作の遠い影響があるのかもしれない。
鳥、キライ
様々な野鳥の集団に人間が襲われるお話。CGなんてない時代にどうやって撮影したんだろか。スゴっ😳。カラスなんか一羽でも怖いのに、群れて襲ってくるなんて恐ろしすぎる。普段、頭上からの💩攻撃を多数くらっている身からしたら、鳥がますますキライになったよ。
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