生きてる死骸

劇場公開日:

解説

恐怖劇流行の波にのったレジノルド・デンハムとエドワード・パーシー合作の舞台劇の映画化で、脚色には原作者の一人デンハムと「手紙」「嫉妬」「喝采」「肉弾鬼中隊(1934)」等のギャレット・フォートが当り、「医者の日記」「我が子よ、我が子よ」等のチャールズ・ヴィダーが監督した作品、撮影には古くは「熱砂の舞」「目覚め」等、近くは「追憶(1941)」の名手ジョージ・バーンズが当っている。出演者は、戦前は「海は桃色」「ある雨の午後」「歌へ陽気に」「消え行く灯」等で知られ、その後性格女優として躍進を続けているアイダ・ルピノ「風雲児アドヴァース」「パリの評判娘」等のハイス・ヘィラォード、チャールズ・ロォトン夫人で異状性格に名技を示す「フランケンシュタインの花嫁」「孤具ダビド物語」「描かれた人生」「幽霊西へ行く」「運命の饗宴」等のエルザ・ランチェスター、セルシ・B・デミルの門下で「海賊(1938)」等に出演し、今日ではコロムビアに活躍している「幽霊ニューヨークを歩く」等のイヴリン・キース、その他舞台女優のエディス・バレット、イソベル・エルソム、太い傍役のクライド・クック等である。

1941年製作/アメリカ
原題または英題:Ladies in Retirement
配給:セントラル映画社
劇場公開日:1946年9月

ストーリー

英国のある寒村に、たった一軒ぽつりと立つさびしいエステュァリイ館には、その女主人で元女優だったフィスク夫人、話相手で家政婦のエレン・クリィド、下女リュシイの3人が住んでいた。エレンには、精神消耗の姉が2人、ロンドンに残してあるが、フィスク夫人はその2人を、この館に連れてくることを許した。エレンは喜んでロンドンへ出発した。その留守中に、エレンの遠い従兄に当たるアルバアト・フェザアが訪れて来た。フィスク夫人は、彼が小悪党で、銀行の金を消費していることを知り、却って興味を感じ、現在は信用していない古い館の中に隠した金を出して与えた。間もなくエレンは2人の姉を連れて帰って来た。が、狂気じみた彼女たちが家中を荒すので、フィスク夫人はたちまち嫌気がさし、エレンに対して、1日もはやくこの邸から連れだせと命ずる。エレンは、2人の姉が、この新しい住居をすっかり気に入っているのを見て、再びロンドンへ帰すに忍びずついに意を決し、2人を散歩に出し、下女のリュシイも外出している隙を狙って、ピアノを弾いている夫人を背後から締め殺す。そして人々には、夫人が旅行に出たといいふらした。ある雨の夜、突然にアルバアトがやってきた彼は官憲に追われているのである。エレンは快く思わなかったが、アルバアトのほうもフィスク夫人が居ないのを不審に思い、リュシイを色仕掛で手なづけ、絶えずエレンの行動を監視しはじめた。ある日、無人に乗じて彼はフィスク夫人のカマドをあけてみると、意外や、その扉口まで煉瓦で埋められていた。さらに、彼はエレンが、フィスク夫人の写筆で小切手を発行したことを知り、エレンが夫人を殺害したことを確信した。そこで、リュシイを説き伏せ、夫人のかつらと衣裳をまとわせ、夫人の幽霊をつくりあげ、エレンを失心させた。が、このときリュシイも真相を語るに至り、邸を脱れて官憲に急を告げた。アルバアトは、あわてて逃亡を企てたが捕われた。そしてエレンも、2人の姉を邸に残し、良心の呵責から脱れるため、自ら進んで官憲の許へ赴いた。

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スタッフ・キャスト

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受賞歴

第14回 アカデミー賞(1942年)

ノミネート

作曲賞(ドラマ) モリス・W・ストロフ エルンスト・トッチ
美術賞(白黒)  
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映画レビュー

4.0圧倒的な面白さ!! 精神障碍者家族の悲哀を描く倒叙型の「ザ・お屋敷」サスペンス!

2021年8月9日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

こりゃめっぽう面白い。……くぅぅぅ、たまらん!!
今まで、こんな名作の存在を知らなかった自分の不明を恥じる。

シネマヴェーラで『フリークス』の前に上映されていたので、併せて観たきたのだが、これが思わぬ拾い物。霧に閉ざされた田舎の一軒家(外観はいかにもエドガー・アラン・ポー風)を舞台にしたゴチック・サスペンスであり、家屋の所有権自体をテーマとする、字義通りの「館もの」である。
邦題のホラー味は多分にこけおどしで(たぶん、ポーの『早すぎた埋葬』や『ヴァルドマール氏の死の真相』を意識している)、どちらかというと、倒叙もののミステリーといってよい。
舞台・人数が限られ、暗転でつながれる叙述スタイルはいかにも舞台劇だが、実際、本作は同英題の1940年のブロードウェイ劇を原作としている。

馬車を呼ばないと街にも出られない田舎の湿地帯(?)に建つ、霧に囲まれた一軒家。
そこで女主人フィスク夫人と、付添人のエレン(アイダ・ルピノ)、女中のルーシーが住んでいる。
ある日エレンは、ロンドンから来た手紙を見て衝撃を受ける。それは、ロンドンに住むエレンの姉ふたりがあまりに周囲に迷惑をかけるので、フラットから追い出すという最後通達だった。
エレンはフィスク夫人に、姉の素行は隠しながら、ふたりをこの家にしばらく呼んでもいいかとお伺いを立てる。信望篤いエレンのたっての頼みということで、夫人はそれを了承する。
しかし、やってきた二人の姉妹は、言動からして見たまんま異常なうえに、部屋の調度を壊すわ落書きするわ、ゴミやら動物の死体やら拾ってくるわと、まいにち迷惑ばかり引き起こす、完全にイカれたサイコさんだった……。
しかも最初は2日という話だったのに、なんだかんだで6週間も居座って一向に帰る気配がない。
たまりかねたフィスク夫人は、ついにふたりを即刻追い出せとエレンに告げるのだが……。

とにかく、頭のおかしな姉妹が、本当に頭がおかしくて、両名の演技力にひたすらビビらされる。
で、この「ペルソナ・ノン・グラータ」が、なぜか家のなかにずかずか上がり込んだあげく、ちっとも出て行かない怖さ。イカれた隣人ものやルームメイトものやベビーシッターもののサイコ・サスペンスのはしりのようなテイストである。
このふたりのサイコ姉妹に輪をかけて怖いのが、ヒロインのエレンだ。
有能そうで、善良そうで、従順そうな清楚な美人さんのエレンが、ぎょっとするような押しの強さで、姉を呼びつけ、家に連れ込み、居座らせ、けろっとしている。
出だしで感じた楚々とした付添人のイメージが、じわじわと壊れてゆく。
何が怖いかというと、表面上の正常さと内なる狂気の「印象のギャップ」が怖いのだが、より正確に言えば、「フィスク夫人や観客が明らかにおかしいと思っていることを、まるで意に介していない」のがとても怖い。
で、それをフィスク夫人に指摘されると、逆切れし、泣き落とし、脅迫し、それでもだめとなると、ついには……。

たしかにエレンは追い詰められている。
愛する家族は、残念なことに頭がおかしい。
どこに置いていても、周囲に迷惑をかける。
何が何でも手元に置いておきたいし、できれば場所は田舎の一軒家がいい。
しかし家主は強硬に反対している。
さあ、どうするか。
これは、障碍者介護家族が直面する危機に際して、闇堕ちしてしまう介護者の悲哀を描いた映画でもあるのだ。

とはいえ実際には、エレンはあまり共感できるようなキャラクターとしては描かれていない。
むしろ、中盤以降は、もう一人の悪漢である甥のアルバートと丁々発止の頭脳戦を展開し、ヤドカリ作戦で家を乗っ取ったろくでなしたちの、ピカレスクなノワールの状況を呈してくる。
なかなか丁寧に推理の過程なども描かれているし、ゆすぶり作戦も多くの前例はあるものの、伏線がしっかり貼ってあるぶん期待通りで面白い。カマドのネタはポーの『黒猫』や『告げ口心臓』あたりも意識している感じだし、凶行の証拠をひとつふたつでなく大量に用意するところに、そこそこミステリーマインドを感じる。
アルバートと女中のコミカルなやりとりも、実にいい感じだ。

惜しむらくは、終盤の崩壊劇がちょっとなし崩しで、前半ほど創意に富んでいないのがなあ。
締め方にもう少し盛り上がりがあれば、真の傑作になったかもしれないのに、もったいない。
最後も、なんだか妙にいい感じになって、おもむろにエンドマークが出るのだが、作り手がどうなって終わったから良いと言いたいのか皆目わからないのが結構怖い(笑)。

とはいえ、総じてみると、演技、脚本、演出、美術、いずれをとっても、間違いなく一見の価値のある秀作。ひとりでも多くの人にぜひ観てもらいたいものだ。

ちなみにネットや古い本を見ていると、昔はふつうにこの映画『生きている死骸』って呼ばれていたんだね。どうやらDVD化に際して「い」抜きに変えたみたいで、おそらく旧字の「生きてゐる」が嫌で取っちゃったんだろうけど、まあまあ最悪の変更だと思う。……ダサすぎる。
あと、今回の字幕ではふたりは「姉」となってたが、DVDだと「妹」なんだね。英語じゃ基本どっちかわからないんだが、英語のWikiを見ると「23歳のルピノは40歳の役を演じた」って書いてあるから、ほんとは「妹」が正しいのかも。ちなみにIMDbによれば、アイダ・ルピノとアルバート役のルイス・ヘイワードって、この映画が作られた当時、実際の夫婦だったらしい。へえええ!

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じゃい