「彼のような偽善者の白人に西部劇を撮らせるより、黒人や先住民や女性に撮らせた方がよほどマシだ。」ジャンゴ 繋がれざる者 jackyさんの映画レビュー(感想・評価)
彼のような偽善者の白人に西部劇を撮らせるより、黒人や先住民や女性に撮らせた方がよほどマシだ。
タイトルにも書かれてある通り、本作品を見るより、黒人監督が撮った「マグニフィセント・セブン」の方が数倍も面白いし、第一、健全な描写であり、娯楽作品である。
まともに、マニュフェスト・デスティニーもフロンティア・スピリットも理解していない、歴史書も読まないような、「オタク」に面白い西部劇を作れる筈がない。
先住民の立場も奴隷として当時生きた黒人の苦労もその過去の映画作品からの表層的な面しか、なぞらない者に分かる訳がない。
「マカロニ・ウエスタン」ばかり見るのでなく、タランティーノはちゃんと歴史書に目を通せ。
そして、南北戦争の子孫と思しき両南北部の生き残りの方々から語録を受け取れ。
そして、本国では一番禁句なNワードを連発した罪を犯した愚行に対し、黒人の観客にタランティーノは土下座せよ。
そして、元ネタ作者である「セルジオ・コルブッチ」氏に、作品の知名度とイメージに完全に泥を塗り、汚した「功罪」に対し、やはり土下座して贖罪せよ。
この監督は、現実にはサミュエル・ジャクソン他の黒人のキャストやスタッフ共演者には表向き、俺は君たちの味方だよというアクションや愛想を「社交辞令」で振りまいて、彼らを騙しているのだが、劇中でものの見事に黒人を「獣以下」「家畜並みの存在」として、その汚く、執拗に何度も連呼する「Nワード」のセリフを言わせしめ、ジャンゴを通して、表現している。
彼が援護する黒人の正当性と映像の本編の黒人の描かれ方がものの見事に乖離し、矛盾している。
暴力に対しもっとひどい暴力でマジョリティーである白人に復讐している。
果たして、この一連の被支配者からの反逆を白人たちは見て自分たちがこれまで黒人やマイノリティーに対して犯してきた数々の不平等の機会や待遇に対し、反省し述懐するのだろうか?
こういうやり方はかえって「火に油を注ぐ」というか、黒人はやはり危険な生き物だと再認識させてしまうのではなかろうか?
いくら、フィクション、映画の中とは言えど、これらの描写を信じてしまうマジョリティーも少なからず存在すると思うのだが。
これら、一連の描写を撮るにあたって、タランティーノは本当に彼ら「黒人」の味方なのかと、疑問視してしまう。
実際、本作品は本国在住のアフリカ系アメリカ人たちから作品として酷評され大ブーイングを掲げられている。
嘘だと思うなら、今すぐYoutubeへ飛んで「django unchained 」で検索してみると良い。
最も、タランティーノファンからすれば、信じ難い事実ではあるが、耳の痛い忠告という事も念頭に入れておいて貰いたい。
表現の自由という「自由」も、それらはあくまでも、表現のモチーフにされた相手の立場を代弁したものであるという事を。
そして、それは、本当にモチーフが心から望んだ結果を招いているのかを。
その結果から鑑みると、残念ながらこの作品はトンデモ作品である。
全くの逆効果であり、黒人と白人の分断を更に煽っている。
本作品の存在そのものが人種間の分断を煽り、黒人の地位を脅かせ、誤解させる基になっていると考えられ得る。
黒人も白人同様「人間というものはシロもクロも黄色も関係なく、本来、その存在はすべてが汚い物だ」という誤った「人間みな平等に悪だ!」という性悪説の精神を喧伝し、その歪んでひねくれた感性で茶化しあげ、彼が独自に持つ一種の「ニヒリズム」と「唯物史観」だけがこの物語の根底に流れる。
実際、その後のタランティーノは一連の「Black Lives Matter運動」をそう感じ、実に「シニカル」にアメリカ社会の分断を傍観しているに違いない。
いや、笑っているのかもしれない。
彼の作品を見て、苦痛に顔を歪ませる観客の反応を楽しむかのように。
こんなに腐った連中がアメリカのメディアの表舞台に立って、さも偽善者ぶってマイノリティーのご機嫌を取っているのだから、一向に黒人の地位や質が上がるわけがない。
黒人に必要なのは銃の腕前ではなく、白人と同程度の「教養」と「学識」である。
其の為の「教育」が必要である。勿論、産業に直結した実学である。 そして、哲学である。
そして、真に平等な労働条件の平等性とそれらに説得性を持たせる州全体をまたぐ法整備の拡充である。
ところが、この作品では、黒人の「反知性」だけを故意にクローズアップ・増幅し、黒人がさも危険視されるように描かれてある。 悪いのは、何も白人だけでなく、「黒人」も悪いのだと。
そんな事、人間なのだから生物学上、当然ではないか!
では、白人の優位性が認められるなら、オバマのような黒人の優位性も評価されて然るべきである。
少なくとも、自分は現政権より、前のオバマ政権の方を人道的見地から高く評価している。
本当は、本作の主人公の黒人もむやみやたらに銃をぶっ放すのではなく、聖書でも片手に、その一説でも唱えながらやむなく銃を抜く等いささか銃撃する事さえ躊躇うような表現にでもしておけばよかったと思う。
更に不味い事に、タランティーノの自説や趣味嗜好を庇うように、現実の生活でもこんな偽善者野郎に忖度し、同調するサミュエル・ジャクソンのあまりの「人の良さ」「善人ぶり」はどうかしている。
君は、この顎のひしゃげた白人から「被支配者代表のスポークスマン」「エージェント」として、担がれ、利用されているだけなんだよと老婆心でもサミュエルに進言してあげたい。
タラに同調する行為はまさに「利敵行為」であり、同族(黒人達)に対する裏切り行為なのだと。
頼むから、目を覚ましてくれよ!と
だから、本来ならば、こういうデリケートな社会問題は白人が先導して作るのでなく、スパイク・リーとか、もっと辛口で信頼性の置ける黒人のアーティストにハリウッドは仕事を委ねるべきなんだ。
オバマ元大統領みたいなね。
もしくは、マイケル・ムーアみたいなちゃんと、マイノリティーの厚生福祉の問題まで提唱してくれる善良で教養ある真面目な白人が作り手としては最適なんだ。
こういう好戦的で武力や暴力優先で全てを片付けようとするおめでたい短絡思考派のマジョリティー(彼の先祖であるイタリア系白人も含める)がメディア側に立ち、狂暴で間抜けな黒人のイメージを意図的に作り上げ、無垢で無知な大衆を洗脳せんとする現在のアメリカ社会を見れば、分断自体、白人が作り出し、煽り、暴動を深めているとしか考えられない。
この物語を見ていると、そう感じざるを得ない。
まったく、解決手段があまりにも「短絡的」だ。
勿論、目玉である表現描写のアクション自体もお粗末極まりない。
バック・スピン・ショットとかロード・エイジェント・スピン等おおよそウエスタンには付き物の「ガンプレイ」の華麗さが全然足りていない。
銃撃やガンプレイの表現自体もアクションに何の一ひねりもなく、ただ銃をぶっ放し、無駄に血糊の量を増やすだけで、俳優に努力をさせないし、持ち味を生かさせていない。
これでは、本家本元の「用心棒シリーズ」で定評のあったフランコ・ネロの「真昼の用心棒」で見せた「宙返り回転撃ち」やジュリアーノ・ジェンマが「南から来た~」や「星空の~」で見せた「曲撃ち」の方がよほどファンサービスに徹して、カッコよかった事か。
マカロニウエスタンはかつてはむしろ上記のようなカッコいいい「ガンプレイ」のアクションを見せ場にしていたのが慣習であり、目玉であり、ヒットするのは大概ポスターに曲撃ちの技名を製作者側とは別に勝手に配給会社がキャッチコピーして宣伝していた。
それだけに、数多くの俳優が変わった「ガンプレイ」をマカロニ作品群で披露したものだ。
ところが、本作品では、俳優にろくにガンプレイもさせず、ただ、ライフルや拳銃を一発撃つだけで簡単に悪漢が身体から火と血を流して倒れてくれる。
せっかく、デカプリオを出演させているのだし、彼はクイック&デッド(1995年)で、ジーン・ハックマン相手に華麗なる「ファストドロウ」を披露して、実際ガンプレイ・テクニックも十分過ぎる位素養もあるし、見せ場も提供出来るはずなのだが、なぜか、彼にもガンプレイは封印させている。
マカロニの真骨頂はガンプレイなのだから、少なくともHoward DabyやJoey Dillon等現在でも活躍するファストドロウの名手に監修でもさせておけば、もっと「cool」で「テクニカル」な「ガンプレイ」の楽しさをお客に堪能させる事が出来たはずだと思うのだが。
もっとも、僕をゲンナリさせている表現は銃撃戦で相手にヒットした際、無駄に血が多過ぎる。
娯楽やエンタメにしては、この血の量が多過ぎると、見る人にとっては大変「心臓」に悪い。
実際問題、銃撃戦ではあれほど多量の血が流れない。
タランティーノの作品はどれもそうだが、血糊の量が必要以上に多いので、少し、抑え気味にして、観客にもう少しという所で止めておくぐらいでエンタメ作品としてはちょうど良いと思うんだが。
本作の銃撃戦も無駄や冗長さ・クドさが際立ちすぎる。
「スカーフェイス」等のギャング映画や「仁義なき戦い」のような日本のやくざ映画じゃないんだから、連射して、必要以上に悪役を蜂の巣にする必要もない。
もっと爽やかに「ワン・ショット ワン・キル」(一撃必殺)のヒット(相手の体に着弾させる)だけで十分だと思う。
カウボーイらしくもっとスマートにダンディズムにさりげなく演出してほしいのだが……。
自分の世界の絵(映像)の撮り方しか興味がない御仁のようだ。
全く、ナンセンスの極みだし、露悪趣味過ぎる。 スプラッターの趣向しかこの監督は頭にないのか?
お客は鮮血が見たいわけじゃない。 華麗なるカウボーイのガンプレイが見たいのだ。
こういう訳で、この監督、全く、御客の潜在ニーズもヒトの心理も心得ていないし、関心がないらしい。
全編、自分の趣味だけ、自分が好きなカットと見せ場だけ。
タランティーノは、趣味も嗜好も偏向過ぎて、彼が描く人間観もアメリカ人としての「アイデンティティー」もすべてが歪んでいる。
マカロニウエスタンばかりでなく、もっと「大西部への道」「大いなる西部」「西部開拓史」等の少しクラシカルで真面目な「アメリカの正統派の西部劇」それもガンファイトが少ない出演者のセリフが多い作品群も多く視聴し、趣味をもっと健全に広く保つべきだ。
あまりにも、短絡的で単純な人間像を描き続ける愚行をこの監督は相も変わらずどんなに年数を重ねてもこれでもかと繰返す。
それこそ「暴力」しか解決手段がないかのようにこれでもかゞと同じ表現手法しか見せ場を作らない。
現実の人間像とは程遠いような、全く思慮深くもなく、只々、暴力と残忍な報復しか考えられないお粗末な人間像しか描かれていない。
なので、彼の作品では出演者のセリフに全く共感できない。
彼の脚本には「知性」も「教養」も全く感じ取れない。
ただゞ、血と阿鼻叫喚とナンセンスで殺人の後でさえ、人を人とも思わないセリフのオンパレードだ。
登場人物は、絶対的なリアリティーの欠如だらけのキャラクターばかり。
こんな「ヘイトフル」な連中にどこをどう共感し、彼らに理解を示せというのか?
こういう人間に憧れでも抱かせたいのか、勝負に勝てばどんな卑劣で残忍な手段でも甘んじて受け入れろという正義へのアンチテーゼを広めたいのか?
最後に一抹でも良いから、少しは敵に情けをかけるとか、後味に「希望」であるとか、ある程度の「ファンタジー」を感じさせてくれれば自分もこれほど酷くこの監督を批評しないで済むのだが。
正直、彼の作風は「嫌い」だ。
私は、ニヒリズムでもなく唯物論者でもないので、この作品の視聴は、B級西部劇としても最も最下層にカテゴライズされ、下品極まりなく、見るに堪えない。
したがって、人には決してすすめない。 問題作である。
最後に、「Black lives matter」運動の急先鋒で吊るしあげられる映像作品の代表格として本作品は徹底的にマイノリティーから糾弾され、叩かれるべきだ。