ペタル ダンスのレビュー・感想・評価
全18件を表示
見知らぬ他人が運転する車に乗る時は『搭乗者傷害保険』有無を確認しよ...
見知らぬ他人が運転する車に乗る時は『搭乗者傷害保険』有無を確認しよう。勿論、車の保険も重要である。
『風の形をした木』ではなく『風の力に抗えない』若しくは『力に屈してしまった木』である。
自分が生きていれば、親友と言えども他人なのだから、『生きていても死んでしまっても』どちらでも良いのではないだろうか?
女性は特にそう考えると思うが。男性が『女性はそうあってもらいたい』と思って、デフォルメした台詞として、後出しジャンケンの如く貼り付けた台詞に見える。なんか不自然に感じた。
但し、
ロケ地は青森県横浜町らしい。過疎地を通り越して、人がいなくなった土地らしい。この浜で育った知り合いがそう言っていた。10年くらい前にね。この映画が上映された時だったんだ。鰺ヶ沢の浜も含まれているので、横浜町の海そのものではないだろうが、どちらも過疎地である。しかも、東日本大震災の翌々年。都会の消息のしれない友人の安否を慮ると言うよりも、『海を眺めながら』震災の被害者に対する思いを暗示していると言うなら共感する事が出来る。
タイトルなし
宮﨑あおい
忽那汐里
安藤サクラ
この三人が、自殺未遂をして入院している友だち=吹石一恵に会いに行くはなし。
台本も無しに、監督はこの四人に即興で好きに演じさせたのだという。
狭い車の中で、そして海岸で。
彼女たちは《死のうとした友だちに今から会うのだ》という、とてつもなく重たい緊張を負っている。
筋書きがシリアスである上に、決められた台本も、与えられた台詞も無いものだから、同世代の実力派女優たちの実験的共演への緊張が、さらにそこに上乗せされているのだろう。皆の硬い表情からそれが伝わる。
若い娘たちの心が、
風に押しつぶされて折れて曲がりそうな 生き様の木になり、
飲み込まれて藻屑になりそうな死に様の 荒磯の波になる。
オファーに応えたプロの役者であることと、プロットに没入する主体が生身の自分自身であることとがひとつになっているから、
なにか、画面がドキュメンタリーのようにも見えてくるのだ。
この企画でなければ、まず顔を合わせることなどなかったろう演者四人の素性を、僕は生身で見せてもらった気がする。
全員が凄い。
全員がバラバラだけど、それぞれの理由で死に損なった友だちに会いに行こうとしている。
監督は、期待以上のものが撮れて身震いしたのではないかと思う。
・ ・
地元を離れているので同窓会的なものには縁がなかった僕なのだが、この秋、45年ぶりに親友に会う計画を立てている。
死ぬまえに会っておきたいと、お互いに想っていたことが判明したからだ。
風と涛と、命と死を経て、勇気を出して旧知と相まみえる計画だ。
どのような言葉や表情が、この自分から湧き出すのか分からない。
人生は劇場だ。
【2013年公開の作品。今にして観ると余りに豪華なキャストと、余りに静謐でアーティスティックな世界観が印象的なロードムービー。】
■ある日、大学時代からの友達であるジンコ(宮崎あおい)と素子(安藤サクラ)は驚くような話を耳にする。
6年間会っていなかったかつてのクラスメイト・ミキ(吹石一恵)が、自ら海に飛び込んだというのだ。
2人は偶然知り合った原木(忽那汐里)も連れて、一命を取り留めたミキに会うために雪舞う北を目指す。
◆感想
・今作の監督は、今作以降映画を公開していない。宮崎あおいさんがインタビューで応えているように、世界観が独特で好み(評価)が分かれたからであろうか。
・ストーリーもシンプルであり、登場人物達が抱える背景も余り詳しくは描かれない。つまりは、観る側に想像させる様な映画の構成なのである。
<起承転結をキッチリと求める人には向かないかもしれないが、今作のように解釈を観る側に委ねる作品は好きである。
今作は、茫漠たる不安を抱えた女性たちが久しぶりに合う中で微かなる希望を感じ、新たな一歩を踏み出そうとする姿を描いたロードムービーである。>
台詞まわしが独特ですね 自然に聞こえると言えば聞こえるけれど、間が...
台詞まわしが独特ですね
自然に聞こえると言えば聞こえるけれど、間が多いし、下手すると退屈に感じてしまう
安藤サクラと宮崎あおいを共演させるならもっと違った作品を期待してしまうが、この二人だからなんとか持つのかなという感じもする
こんな重い場面に知り合ったばかりの若い子連れてくるか?とか、いろいろ不自然さはあれど、
観終わった後の気分は悪くない
音楽と風景が素敵でした
物語の起伏はまったくない、それでも退屈せずに集中して観れたのは、四...
物語の起伏はまったくない、それでも退屈せずに集中して観れたのは、四人のキャストの演技が自然でよかったからだと思う。
見終えたあとの満足感はほぼないがが、暇潰しにはいい作品!
静か
ストーリー性はほぼなくアドリブのような会話が淡々と続いていくだけの映画。
だが、エンドロールは邦画独特の多幸感で満ちていた。ずっとその時が続いて欲しかった。
空気を感じる映画。安藤サクラが素晴らしい。
ゆったり
「好きだ、」と同じ石川寛監督、宮崎あおい出演と聞いて観てみた。
ゆったりとした雰囲気は相変わらずで良く、ほとんどアドリブっぽくてよかったのだが、最後までその調子が続き、終わりは「え?これで終わり?」という感じ。もう少しメッセージ性が強ければよかったのに。
男性には分からぬ(?)女性たちのナチュラルな距離感
ジンコと素子は、旧友のミキが海に飛び込んだという噂を耳にする。偶然知り合った原木と共に、北の果ての町へ会いに行く…。
「tokyo.sora」「好きだ、」など繊細な映像と演出で知られる石川寛監督作。
「好きだ、」で組んだ宮崎あおいがジンコを、素子を安藤サクラ、ミキを吹石一恵、原木を忽那汐里…豪華な女優陣が共演。
この監督の作品を見た事がある方なら分かる通り、淡々として何も起こらない。
一応ストーリーはあるが、空気と言うか雰囲気を見る映画。
なので、4人の女性の友情ストーリーを期待すると肩透かし。
感情移入しにく、見た後何も残らない。
でも、実際はこんなものかなと思う。
旧友を心配して会いに行くが、何が出来るか。
叱咤激励とか涙の友情ストーリーとかはあくまでフィクション。
こそばい距離感を描写するのが目的だったとしたら、成功。
ただ、好き嫌いはハッキリ分かれる。
透明感ある映像は美しい。寒々とした空気が伝わってくる。
即興のような演出で、女優陣もほぼアドリブのような台詞、ナチュラルでリアルな演技。
最近、誰かの奥さんや恋人役が多い宮崎あおいが久々の等身大の役柄。
安藤サクラも珍しいごく普通の女性。
ポジティブな役柄が多い(気がする)吹石一恵も抑えた演技。
忽那汐里は言わば傍観者で、一歩引いた演技。
それにしても、忽那汐里の役柄は何故他人なのだろう?
後輩とか繋がりある役柄でも良かった気もするが…。
日常をドラマにしてくれる映画
主演の女性4人の演技があくまで日常的で、とてもリアルです。
友人同士で話をしているときや電話をしているとき。
そういった現実にいくらでもある会話の場面の中で、たどたどしさ、間の埋め方など、忠実に演出しています。
会話の仕方だけでなく表情や細かい仕草にもそれは感じられ、どれも映像の中では不自然に感じるほど日常的な演技でした。
それは自分の現実の世界との共通を感じさせ、私には映画を見終わった後の自分の空間もドラマのワンシーンのように感じさせてくれました。
菅野よう子さんの音楽も映画の透明感を助長しています。
人は、何か大それたことをしなくても自然でいるだけで何かを与え、何かをもらっているのかもしれない。
そう思わせてくれました。
何気ない日常が幸せであることを改めて感じさせてくれた映画です。
もぞもぞしゃべるだけで終了
過去、最高につまらない映画でした。
ずっと、もぞもぞぶつぶつしゃべってるだけ。
大どんでん返しを期待してましたが、何もありませんでした。
結局何が言いたかったのか、まるで分かりません。
こんなにも、さっぱり分からない映画は初めてです。
即興で作ったお芝居みたいでした。
こんなにも、時間とお金が無駄だと感じた映画は初めてです。
映画の設定を聞いたときは楽しみでした。
でも、こんなよそよそしい関係の友達ならいらないな。
よそよそしさに気づかない程、淡々としてましたが。
いくら運転手が必要だからって、無関係な人を一緒に連れて回る行動が理解不能です。
自殺未遂した友達も居心地悪いんじゃないかな。
なぜ、忽那汐里を他人設定にしたのかなと思いました。
会わなくなった友達へ
会わなくなった友達がいる。喧嘩した訳でも、仲違いした訳でもなく、いつの間にか疎遠になった友。恐らく誰にでもそのような友人はいるのではないだろうか?
この「ペタルダンス」という作品は自殺未遂を起した大学時代の友人に会いにいく女性たちの物語。「tokyo.sora」「好きだ、」の石川寛監督作品ということもあり、物語はこれといった出来事が起こる訳でもなく淡々と進む。映画に非日常感を求める人には退屈な映画に映るだろうが、だがそこがいい。ずっと会っていなかった友人に久々に会ったらどんな顔をするだろう?どんな話をするだろう?そんな想像力をかき立てられるのだ。
この作品を見て共感せざるを得ないのは疎遠になった友人への思いである。映画とは違い疎遠になった友人に会う機会はなかなか訪れないし、それどころか、その友人が今どこで何をしているのかさえ分からないのが現実だ。だからこそ、物語の最後で忽那汐里演じる原木のポツリと呟く一言が会えなくなった友人への私たちの思いを代弁し、小さな希望となって心に静かな余韻を残すのだ。
ジェネレーションギャップ
とにかく会話がリアルで楽しかった。私も一緒に旅してる気分になった。でも一緒に観た妹にはあんな友情関係あり得ない。友達とあんなよそよそしく話すとかわけわからんって言われてしまった。私は友達とあんな感じですが、これがジェネレーションギャップかと妙に納得してしまいました。
さようならば、と言いたくて…。(^_^)ノ
ん~、何ともいえないアルファ波映画。優しいわぁ~(○´∀`○)。口調が(笑)。女子が集まるとあんな感じなんかなぁ(笑)。否定しないわ~(゚o゚;慌ただしい時代を生きる今だからこそ響く映画。
さよならば←気持ちを新しくして、いろんなことに向き合っていく。
彼女たちはいろんな意味でとびたかったのかな。新しい世界。環境。人間関係…。
「かあさん、僕は自分が空でやれることは何か、やれないことは何かってことを知りたいだけなんだ。ただそれだけのことさ。」←かもめのジョナサン(リチャード・バック)
感じたままに・・・。
予告編を見てある程度覚悟が出来てはいましたが、やはりかなり独特の世界観を持った作品でしたね。
この世界観が好みか好みじゃないかで言えば、私はどちらかと言えば後者の方だったかなと・・・。
特にこれと言ったことが起こる訳ではないアートのような作品でしたので、かなり見る人を選ぶ作品だった気がしました。
キャスト目当てで鑑賞した分、まあとりあえず最後まで普通に見ることは出来ましたが、心揺さぶられるような感情を抱くまでには至らずでしたかね・・・。
この映画は何やらほぼ役者のアドリブに近い形で作られた映画なんだとか?
監督がある程度のシチュエーションを伝え、それを役者は感じたままに演技し、それを長回しで撮影すると。
石川寛監督に詳しい方が見たら当たり前のことなのかもしれませんが、私は初見だったので、なかなかその独特の世界観に入り込むことが出来ませんでした。
まあ宮崎あおい、安藤サクラ、吹石一恵、忽那汐里と言った著名女優陣の素の演技を見れたことに関する喜びは感じれましたが、全体的な満足度としてはもう一歩な感じでしたかね。
ただこの映画を見たことによって、いつの間にか会わなくなってしまった昔の友人のことを久しぶりに思い出させてもらいましたよ。
何で会わなくなったのだろうか、今会うとしたらどんな顔をして会えばいいのだろうか、今も友人と呼べるのだろうか、等々・・・。
劇中の6年ぶりに会う友人との対面シーンに関しては、本当に興味深い目線で鑑賞させてもらいました。
でもはっきりこれと言う答えのない映画でしたので、まあそれが良かったような、モヤっとしたものが残るような・・・とにかく不思議な感覚に陥りっぱなしの作品でした。
石川監督と是枝初期作品
石川監督は素晴らしい映像を作る。
その空気感や、情景の美しさは本当に素晴らしい。
しかしこと映画となると、まだその素晴らしい才能を昇華する術は完成されていないようだ。
是枝初期作品にみられる、ドキュメンタリーのような演技を役者に求めるなら、全員がそれをやってもらわないと違和感が凄い。
特に、初出演のミュージシャンさんの演技が大きくて、とても残念。
安藤サクラさんが上手すぎて、他がついてきていない。
役者のレベルのバランス、演技指導の徹底が成されていないようだ。
映像だけでなく、細部まで徹底して、石川監督の素晴らしい世界を、いつか完成させて欲しい。
まだ映画監督しては、これからだ。
寒い((((;゚Д゚)))))))
宮崎あおいさんと安藤サクラさん
が好きです(≧∇≦)
終始、寒そうな映画で
ゆっくり進んで行きます!
セリフも少なく、ドキュメ
ンタリーを見ているような?
不思議な世界観(o^^o)
キャストもとても少ない(笑)
うまく言えないけど、嫌い
じゃない一本でした♡
ふわり、ゆらりと。
『ペタル』とは花びらのこと。
全編を通して、
花びらが舞うように、ふわりふわりと場面が展開し、
彼女たちが交わす言葉も核心には触れず、
ふわりゆらりとその場を揺れる。
近づいては離れ、
離れては寄り添い、
誰しもが本心を語ることなく、
ただ、舞っている。
私がもう少し若かったら、
彼女たちの揺らぎを自分のソレと重ね合わせることも出来ただろうけれど、
生憎私はそんな季節も越えてしまったので、
その、ふわりゆらりとしたそれぞれの足元を
ぼんやりと眺めることしか出来なかった。
あれこれ悩まずに、誰の感情にも移入せずに、
ただ眺めるだけの映画も、たまにはいいのかもしれない。
全18件を表示