そして父になるのレビュー・感想・評価
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良かった
キッザニアのベリベリの布財布に領収書、それぞれの服装とか、細かいところも凝っていて、見てるのが楽しかった。主人公の両親は離婚して主人公は父について行った?のであってるかな?真面目で堅い感じだったけどちょっとずつ変化というか受け入れられるようになっていくところが描写が丁寧だった。慰謝料とかドライヤーのところ、弁護士のくだり、領収書のところとかに相手の両親が裕福でないところがでてて、相手が絶対的に良い人間っていう感じじゃないところが良かった。良い父親だけど。子役の子も自然な感じでうまかったと思う。ただ私たちをパパママと呼びなさいのあたりとか琉星に怒鳴りつけるあたりは大人の都合すぎてしんどかった。
養子を育てあげた身からしたら
血の繋がりほんっっっとに関係ないと思うから、取り違えって言われて衝撃を受けるのはもちろんやけど、すでに7歳小学生である程度のことがわかる年齢の子供を交換しようという気にはならんと思う。0歳児やと少し悩むけどそれでもそのままにしましょう、って私なら言うかな
ただ、血縁者にはなるわけやから連絡は取り合うと思うし相手が嫌じゃないならいい感じで交流したいなと思う
曖昧でよう分からん
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福山・尾野夫婦の一人息子が実は病院で取り違えられたと判明。
相手家族と相談し、交換するという話になる。
しかし懐かず、福山は育ての子に会いに行く。
最後はどうなったんかあやふやなまま終わるが、多分元に戻す。
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この監督の子供を主体としたダラダラした作風は嫌いなんやけど、
相変わらずおもろなかったなあ、全てが曖昧やし。
福山は仕事の出来は良いが家庭を顧みない悪い親のように描かれ、
相手の親は駄目人間やが面倒見の良い親として描かれる。
最初から福山の方にしか共感がわかんかった。
出来の良い福山は子供がアホでガッツがないのを苦々しく思っており、
実の子でなかったと分かったとき、やっぱりかって言ってもうた(場)
それを聞いた尾野がそれを苦々しく思ったエピソードは笑ったw
でも交換した子供がとにかく下品。
福山の子なので多分賢いんやろうけど、いかんせん育ちが悪いというオチ。
おれならどっちもいらんなあ。しいて言うなら、まだ素直な最初の子かな。
たとえ血の繋がりはなくても、長い関係性で構築された親子の情愛は、とても深かった。
是枝裕和監督による2013年製作(120分/G)の日本映画。配給:ギャガ、劇場公開日:2013年9月28日。
是枝監督作ということで、いつものことながら、子供たちが何とも愛くるしい。特に、元福山家の子演じた二宮慶多のいじらしさは涙もの。
子供と接する時間が乏しいエリート社員を演じた福山雅治もサマになっていたし、彼のエリート臭い教育方針に不満ある妻役の尾野真千子も好演。対照的な理想の家庭的父を演じたリリー・フランキーも、かなり無理している感はあったが、頑張って絵にしていたし、真木よう子もとてもナチュラルな感じで好印象。
子供の入れ替わり以外は大きな事件も無く、淡々と進む二家族の描写だが、興味深く見ることが出来、流石是枝監督と思えた。妻たちは随分と仲良しになるが、リリーに対する職業的格差感も有り打ち解けない福山の描写が、見覚えがある様で上手いし、少々自分にも突き刺さってくる。
二宮慶多をミッションと言ってリリー家に送り出した福山。だが、知らない間にカメラで自分を撮ってくれていたことを知ったこともあり、愛しさが溢れ、我慢しきれずに会いに行ってしまう。血は繋がらないながら、長い関係性で構築された親子の情愛というものを描いていて、こころを打った。「万引き家族」の原点がここにあったのか。
監督是枝裕和、脚本是枝裕和、製作亀山千広、 畠中達郎 、依田巽、エグゼクティブプロデューサー小川泰 、原田知明 、小竹里美、プロデューサー松崎薫、 田口聖、アソシエイトプロデューサー大澤恵、撮影瀧本幹也、照明藤井稔恭、録音弦巻裕、美術三ツ松けいこ、衣装黒澤和子 、鍛本美佐子、ヘアメイク百瀬広美 、古川なるみ、音響効果岡瀬晶彦、編集是枝裕和
、助監督兼重淳、スクリプター冨田美穂、キャスティング田端利江、制作担当熊谷悠、音楽プロデューサー安井輝、ラインプロデューサー新野安行。
出演
福山雅治野々宮良多、尾野真千子野々宮みどり、真木よう子斎木ゆかり、リリー・フランキー斎木雄大、二宮慶多野々宮慶多、黄升げん斎木琉晴、中村ゆり、高橋和也、吉田羊、ピエール瀧、小倉一郎、大河内浩、清水一彰、林剛史、中村倫也、森崎めぐみ、足立智充、加藤四朗、滝沢美結、押場大和、ノザキ・オジエル、田中哲司、井浦新、風吹ジュン野々宮のぶ子、國村隼上山一至、樹木希林石関里子、夏八木勲野々宮良輔。
親とはなんなのか、子どもと過ごす時間や接し方を改めて考えさせられた作品でした
子どもの気持ち、親の気持ち、どちらを考えても複雑で苦しくて、ところどころのシーンでジーンと泣けてくる作品でした。
血の繋がりか、一緒に過ごした日々かなんて選択苦しい。だけど、一緒に過ごす時間はやっぱりかけがえのないもの。
初めての交換お泊りのときに、車を見送るケイタくんの姿に涙😭
お迎えに行って、このまま2人で知らないところへ行っちゃおうかのママの気持ちも痛いほどわかりました😭やっぱり一緒に過ごした6年はなにものにも変えられない!血は繋がって無くても、我が子を誰かになんて考えたくないよね😭
福山さん
「リュウセイくんのお父さんとお母さん、
ケイタのこと大好きだから心配するな。」
ケイタくん
「パパより?」
福山さん
「そうだよ」
はえぇーーー!!!ってなった😭
子どものことを考えてあえてなのかもしれないけど、子どもの気持ち壊れちゃうよ😭
そんないろいろと不器用な福山さんが、リリー・フランキーさんのご家族とリュウセイくんとの関わりで、ギターでバン!から少しずつ変化していくところも涙が出ました。忙しいながら、おうちでキャンプを考えてくれたところもいーなと思いました。
お仕事が忙しいのもわかるし、家族のために大変だけど働いてくれている世の中のパパたちもきっともっと家族といたいと思ってるはず🥹
世の中がもっと働きやすい環境ばかりだといいのに🥹
川で2人の母同士が抱き合うシーンも、子を想って発する言葉、真木よう子さんが背中をトントンする愛の大きさにも涙😭
真木よう子さんのケイタくんに故障しちゃったかな?ぎゅー!のところも素敵だなって思いました🥹子への伝え方、接し方がステキすぎる😭
ケイタくんが福山さんの写真撮ってたことを知った福山さんの涙も泣けた。
そこからの、ずっと不器用な感じの福山さんが、会いたくて約束やぶって会いに来た!ごめんな!もうミッションなんて終わりだっていう素直に自分の気持を伝えてギューってするところも泣けた。
親とはなんなのか、子どもの気持ち、子どもと過ごす時間、その過ごし方や接し方を改めて感じさせられた作品でした。
一緒にいられる今をもっともっと大切にしようと思いました。
またも是枝氏に考えさせられる。家族とは?
他の方たちのレビューを読んでいて、ここにたどり着いた
自分も過去に見たことがあるので、思い出しながらレビューする
福山雅治演じる主人公・野々宮良多はエリートサラリーマン
妻のみどり(尾野真千子)と長男と3人家族で、高級マンションに住む
ある日病院から連絡が来る
「子どもを取り違えた可能性がある」と
という物語
検査の結果、やはり子供は取り違えられていた
自分には子供がいないが、どれだけ大変なことかは想像がつく
子どものいる人なら、なおさらだろう
血が繋がっていなくても、6年も親子として暮らしてきた
このままでいいじゃないか
一方、一度もあったことが無いが
自分と血のつながった子供を他人が育てている
このままでいいのか?
主人公は「二人ともうちで育てる」と発言するシーンがある
ただし、この発言は
街の電気屋である相手夫婦を見下しての発言だったりする
福山演じる主人公は、ハッキリって父親失格
だが、この事件を通して「父になる」
最後は血の繋がった子供を自分の子供として受け入れるのか
これまでの生活を続けるのか
見る側にゆだねる終わり方
感動したとか、良い作品を見たとかではなく
凄く考えさせられた
父になるとは
自分の子育てへの関わり方が良かったかって突き付けられました。自分も正直、あまり子どもたちと遊んであげたり、子どもたち目線で接していなかったので。どちらかというと良多よりの子育てだったなあと。
第一印象は、子どもに罪はないよなって。看護師は言語同断。エリートサラリーマンで、優秀に子どもを育てようとしている良多だって、父親の子育ての影響を受けているだろう。昔は、父親は仕事中心、子どもは、子ども同士群れて遊ぶのが当たり前。家にいるより、外に遊びに出た。斎木夫妻だって、自営業で子どもも多く産むことができたから、あのような子育てができる。高層マンション住まいの野々宮夫婦に、すべて同じようには子育てできない。いずれ、子どもは正直で残酷。そして、子どもがありのまま、生き生きと認められるのが一番。
母親の育児のプレッシャーは相当なもの。でも、父親は忙しさとかにかまけたり、固定的な役割分担に甘えて、父親の役割を十分に果たしているとは言えない。(自分もそうだったよなと。)「そして、父になる」は、子どもの取り違えを通して、母子関係に加えて、父になるとはどういうことかを突き付ける映画だっだ。
バッハの「ゴールドベルク変奏曲」が、映画全編を通して使われて、冒頭の部分は、日常の感じ、変奏の部分は物語の展開にぴったりで、最後、また冒頭の動機に戻る感じが、上手い使い方だなと感じた。
フランス映画『もうひとりの息子』とテーマは全く同じ
フランス映画『もうひとりの息子』とテーマは全く同じ。だがしかし『もうひとりの息子』はその深刻度が全く違う。どちらの国(日本、パレスチナ)でも、あり得ない話しではあるが、主旨は同じで、この映画はフランス映画の後に公開されている。それでいて、この映画だけ、カンヌ国際映画祭は無いと思う。
出身階級に上下を作り、上の者が下の者を俯瞰した目で見下した話にしか思えない。
『貧乏人は仕事をしない』そんな事は無いだろう。
『金持ちは仕事をする』そんな事は無いだろう。
この事件は完璧な刑事事件になるし、看護師資格が永遠に剥奪になるし、その経緯を噛みしめると、看護師の行動が全く破綻していて、全く理解出来ない。つまり、
この演出家の良くやる手法である。
『愛せるとか愛せないとか、そう言った事にこだわるのは、子供と繋がっていない男だからだ』と一方の母親が言い切るが、この演出家は男だったはずだ。こんなあり得ない状況に陥るケースでは、現代の日本では犯罪以外あり得ないが、女性がこう言ったケースに陥った時、本当にそう考えるのだろうか?
男の立場で、他人の子と血の繋がった子を見た時、他人の子は仕草などはカワイイと思うが、泣いている他人の子供はうるさく感じる。しかし、自分の産んだ子供は泣こうか、喚こうが愛する事を止める訳にはいかないと聞く。それが子育何じゃないかと感じる。と男の私は感じる。
但し、養子縁組に反対する事とは別である。また、この映画はそう言った養子縁組にも懐疑しているように見える。
この映画を見て、女性の方々は本当に泣けるのだろうか?永遠に自分の産んだ子を他人に育て差せて、中二病を迎えて反抗期を迎えた他人の子を愛せる自身があるのだろうか?
また、俳優の方には申し訳ないが、父親になる俳優を入れ替えて見てもらうと、割に容易に理解できると思う。
子供は親の都合で育つ訳では無いと感じる。つまり、やっぱりこの映画の結末は怪しい。
女性がどう考えるか、男なので分からないので、0.5にする。
勿論、父としては全く理解出来ない。
グレン・グールドのビアノ曲はハミングが聞こえる。さて、それを良しとするかうるさいとするかは、賛否両論の様だ。私はあまり好きになれない。この映画の様に。
アイロニーとしての父を描ききれていないと感じる。アイドル映画だと思う。
できそこないのパパ
親子の関係を描いた作品
親子……血の繋がった両親と子供
…もし血が繋がってなかったらどうする
考えた事もなかった
この二つの家庭はそれぞれに特徴がある
子供と一緒に遊ぶ父親
仕事優先で子供は母親まかせている男
母親は常に子供と接して面倒を見ているので
いつしか親になれる(子供のお陰で)
でも。。 父親は……
劇中で子供がすり替えられた時に
福山が母親だったら気づくだろうと
彼女に言った
気づく訳がないと思った
赤ちゃんの時は尚更
父親だって赤ちゃんを見て気づく ?
あなたのお子さんですって言われたら
自分の子供だと…思うはず
慶多はず~とパパが好きだった
こんな事になってパパは
ぼくを好きじゃなかったと…いつしか避ける様に
子供の気持ちも聞かず親だけの考えで
血の繋がった子供を引き取って
子供に違った環境でましては両親が違うことで
子供に大きなストレス与えてしまった
叶えたい夢は…… 家に帰りたい(流晴)
たくさんの自分の写真とママの写真(慶多)
子供たちの気持ちに気づいた
やっと……… 慶多の父になれた
私だっらとは思いませんでしたが
血の繋がりだけではない
他のところも考える切っ掛けになりました
おもちゃを直せる人ってカッコいいな~
正解なんてないのだろうけど。。。
立場も環境もあまたなだけに、この手のテーマに正解なんてない。それでも、子を持つ親として、賛否両論上等で作り手の解答を見たかった気がする。
修理技術の高さや物持ちの良さを表すドンキーコングのゲームウォッチ、エリートを象徴する40系LSからの明確な時代設定が把握できませんでしたが、家庭<仕事=エリート、仕事<家庭=清貧みたいなイメージは今ちょっと当てはまらない気がする。劇場公開した今から8年前といえば、うちの子どももだいたい同い年。そのとき見てたら印象も違ったのかも。
ちなみに、経済面はリリーフランキー側、精神面は福山側に属する最低な自分だったら、映画のジャンルが胸糞悪い系へと変わってしまうんだろうなあ。
親になってから再度視聴。
6年間、育ててきた我が子が自分の子どもではなかった。
ここから物語がスタートする。本当の我が子と対面、やっとお互い本当の我が子、本当のお父さんお母さんに会えた。めでたしめでたしで
終わるような話ではない。
一緒に過ごしてきた6年間なんて、そんなもの
血の繋がりのほうが大切だという考えの
福山パパ。
そもそも、その6年間の子育てを
ほとんど妻に任せきりだった。ちゃんと
子どもと向き合う時間、一緒にあそんだり
話を聞いてあげたり…仕事が忙しくて
お子さんと向き合えていない世の中のお父さんたちはドキっとしたのではないだろうか。
さて、旦那に見せるとするか。
答えのない選択肢の連続
人間関係に正解はない。それは親子関係ならなおさらである。
親になるということは、常に選択肢を突きつけられ、その中で、後悔しない選択を性格かつ素早い判断力を持って対処しなくてはいけないのだと感じた。
血のつながっていない息子を最終的には引き受けたが、これが正しい選択とは限らない。
それでも、この問題に向き合い続けなければいけない。親になるということの難しさと、覚悟のようなものを感じた。
父になるどころじゃねぇ
『万引き家族』『誰も知らない』路線の、重厚な是枝社会派ムービー。流石に引き込まれましたが、鑑賞後は思ったほど残りませんでした。
福山演じる、エリートで情緒が薄い父親が、子どもの取り違え事件をきっかけに変化していく物語。
主人公である父親に焦点が当てられていますが、事件自体があまりに非日常で深刻なため、父親よりも子どもの気持ちばかり気になってしまった。
いやいや、親父の変化どころじゃないでしょ。子どもの問題がデカすぎるでしょ。6〜7歳の子どもたちの親がいきなり変わるんですよ!「少しずつ慣らしていきましょう」じゃねーよ!ケイタもリュウセイも、泣いたりしないのがまた胸に来ます。なんか、大人の事情をうっすら把握して空気を読んでいるようにも感じるのです。本当に可哀想すぎます。
尾野真千子演じるケイタの母がケイタに「2人でどっか行っちゃおっか」とこぼすセリフはとても印象に残ります。本当その通りですよ!行っちゃって!福祉を利用して上手に暮らして!いきなり子どもが変わるとかありえないから!受け入れられるわけないですよね。
こんなヘヴィでセンセーショナルなプロットで親父の変容に焦点が当てられても、正直フーンで終わってしまう。もちろん父親の変化はメタファを多用しながら丁寧に描かれているし、説得力は十分にあります。しかし、そっちよりも子どもだろ、なんて思わざるを得なかった。
父親に焦点が当たったために、相対的に子どもの心情描写が少なくなっており、それは正直いただけなかった。
それから、本作で思ったことですが、タワマンって結構やばい環境ですね。確かにゴージャスな気分で生活できそうですが、一歩間違えば陸の孤島になりますね。尾野真千子がメンタル病みかける描写がありますが、一度躓くと孤立しかねません。
一方、リリー家の環境は子どもにとってなかなか理想的です。人がわちゃわちゃおり、日常にいろんな刺激が満ちています。雑然とした環境は子どもの好奇心を育てますから。
タワマンは、無駄を排した合理的で鋭利な大人の世界であり、子どもとか老人とか病人には適さない住居環境だな、と実感しています。
良かった演者は真木よう子です。ヤンキーっぽい女性を演じさせれば天下一品ですね。もともと品のない人だとは思ってましたが、下品というほどでもないので、芯の通ったワーキングクラスウーマンはドンピシャでした。
尾野真千子もなかなかのハマり役。リリーは上手いけどなんか邪悪な雰囲気があるように感じます。
子どもの気持ちに感情移入…
子どもって3歳までの育て方で決まるっていうからね。
う〜ん…
「元に戻そうとしないでそのまま育てればいいじゃない」って見ながらずっと思っちゃった。
最後の福山さんが「もうミッションは終わり」って言った時の子どもの気持ちとか考えると…
私はそんなに良い作品だったとは?
結婚も出産もしたくない人はどう感じるか
『そして父になる』(2013)
劇中で昭和40年代以降は、赤ん坊の足の裏に名前を書くなどして防備して、今はほとんどないような事が説明されているが、赤ん坊取り違えによって起きた物語である。DNA鑑定のシーンが出てくるが、これは取り違えによってなされるが、他にも男女の乱交によって、誰が本当の子供かわからないところから鑑定になったりするのは、芸能人がそれをしてワイドショー沙汰になったりもした。男女の乱交問題も現代の日本社会がもっと問題視すべき点だが、この映画では、取り違えられた男の子二人は小学校入学半年前の時期らしく、それぞれの夫婦(福山雅治と尾野真千子の夫婦役と真木よう子とリリー・フランキーの夫婦役)が、どちらの子供をそれぞれが引き取るかという話になっていくだろう。6歳くらいまで大事に育ててきた思い出と、血のつながっていると言われてきたが遺伝子を引き継いだ実の子と。6歳くらいまでも育ててしまうと、簡単に取り換えなおす気にはなれない。ぶっちゃけて言えば、取り換えた後も、夫婦二組と子供二人も定期的に会うなどして、気軽に出来ないのかという考えもありそうなものだが、感情はそう簡単なものではないだろう。筆者に子供がいない現在、この気持ちは私に強くはわからないだろう。二つの家庭は、子供連れで一緒に会う。子供たちは取り違えなんて知らないし、それぞれの二人と、リリー演ずるほうは2人他にいて、一緒に遊び始める。二つの家庭のキャラクターの違いも経緯に作用するが、福山は育ての子も実の子も両方引き取ろうとする。友人の弁護士役が田中哲司。実物は仲間由紀恵と再婚して双子の父親になったばかり。この映画は現在の5年前。双方の夫婦と福山側の弁護士と病院担当者と、リリー側の弁護士もか、話し合いを持ち、どうしていくのかみていく。ただ、現在の日本人の中には、結婚もいらないし子供もいらないとする個人主義者が増えたようなイメージがあるから、この映画では、そういう場合よりも夫婦もクリアしているし、子供だって取り違いがなければクリアしていた段階の人達だった。子供を交換して様子をみるが、福山側は都会のエリートの生活。リリー側はかなり田舎の個人商店、育て上げられてきた雰囲気がまるで違う感じなのだ。ただ、6歳頃の子供なら、だんだん新たな環境に適応していくような気もする。でも何か大変な異文化体験な気もする。リリー側は放任的だが、福山側は習い事などもさせていて、気持ちが複雑かも知れない。リリー側は食事も豪快だが、福山は、実の子に箸の持ち方から教えようとする。だが子供は別に拒否もせず、教わる。適応、再適応は子供の年齢にもよるだろう。この作品が6歳頃に子供を設定したのは、年齢によっても、家族の考え方によっても、経過が違ってくるだろう。電車での母と子の陰影とか、福山が「壊れたヒーターも直してもらおうか」というセリフなども、なにか思わせる。福山役のエリートサラリーマンのキャラと、リリーのそれとの違いが考えさせる。福山役が二人の子供を引き取ろうとするところでいざこざが生じる。リリーのセリフ、「負けたことのない奴は人の気持ちがわからないんだな」。この映画は福山役のようなエリートサラリーマンがどうこの事件によって変化していくかというのもあるのか。そして、裁判の現場になる。取り違えたと思われる看護師も出廷していたが、そこで看護師が幸福そうな一流企業の赤ちゃんに嫉妬して、
わざと取り換えたという。私には書ききれないが、時効の問題や、それぞれの取り違えられた人達がどう考えるかなど細かい。考えさせられる。福山役の実家も出てきて、父親役の夏八木勲が存在感を出しているが、この映画の放映年に亡くなっていたのか。父親は血で似てくるから、早く交換して相手の家族と会わなくなることをアドバイスする。そう簡単に行かないという福山役に、後で、
夏八木役の後妻役の風吹ジュンが、育てていると血以上に親密化するようなことを福山役にいう。
夏八木、風吹と、渋い演技だ。雲空のシーンが少し入ったり、細かい工夫だ。エリート人間もいろいろとそれによって言われるシーンも多い。エリート対庶民、社会的有能対非有能という部分も
是枝作品には意識されているのか。取り換えたくない気持ちを残しながらも、取り換え違えられた二人は交換されて、それぞれ血のつながったほうへ向かう。別れの辛さを言葉なしに演技で表す。
これは是枝監督のカンヌ最高賞記念に新たに監督が編集して民放テレビで放映されたのを録画しておいたのをみたものである。本当にその後はそれぞれ会わないほうが良いのかどうかは私にはなんとも言えない。それぞれの父親、母親が、友情のようなものも感じさせていたりした。個性はあるものの、誰もが悪人ではなかった。映画の宣伝でもみられた、双方の家族全員での記念写真のシーンになった。実の子がやってきた段階も、これまでの躾の違いから親子とも大変かも知れないが、それぞれの躾をはじめる。福山役が風吹役の義母と電話で会話するシーンも泣かせる。福山側に戻った子供が元のリリー家にいってしまうのだが、福山役が連れ戻す。寝ている子の前で夫が妻に、昔同じことをしたんだと語るシーンは深いものを感じるシーンだ。福山役の男は社会的にはエリートだが、基本的に不器用なのに、器用なリリーの家で育った息子がだんだん親子に慣れていくシーンはかなり泣ける。それからも複雑でデリケートな親たちの心情が映される。その後も思い出すことでの泣かせるシーンなど、連続する。そしてまだ複雑な関係性が描かれる。もう涙が止まらなくなる。そして、別に会ってはいけないということもなかった。不器用なほうと器用なほうと、それぞれ補完し合っているようにも思えた。育ての親というテーマもあるが、それでも結婚も出産も子育てもしたくないという人がいるという側面を間接的に垣間見させる。
正解が無いことが正解なのかも?
"土曜プレミアム" で2回目の鑑賞(特別編集版)。
ノベライズは未読。
誰にでも訪れる人生の岐路における選択の場面で下さなければいけない答えには、正解なんてものは端から存在しない。
もしも決断して選んだ道が間違った方向へ導くルートだったとしても、また考え直して新たに選択し直せばそれでいい。
節目節目で考えて、考え抜いた末に選択し決断することが、人間の行動としての正解なのかもしれないと思いました。
血の繋がりか過ごした時間か。究極の二者択一を突きつけられた良多(福山雅治)は苦悩の末に後者を選択しました。
その選択も、あくまでも良多が自分なりに考えて下した決断でしかなく、決して正解などではないのかもしれない。
それからの親子の様子を描かなかった辺りに、是枝監督自身そのことを伝えたかったのではないかなと思いました。
※修正(2024/04/09)
感情
一切の感情を封印し、世間体や効率といった理性を一番に生きてきた良多。これって、世の男性と被って見えました。逆に、電気屋さん、ふたりの母親は感情で息子に接しています。「可愛いから」「好きだから」という感情は、「将来のため」という理性よりも、原始的なものなのかもしれません。だから、子供にも伝わるのかも。
息子が入れ違いになったことでやっと、良多は育ての母親や妻、そして息子に愛されていることに気がついたのだと思いました。感情を封印していると、愛されていることにも気がつかない。なんか、警告のようですね。のらりくらりなリリーさんの演技は、今作でも素晴らしかったです。
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