ザ・マスターのレビュー・感想・評価
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あなたは眠くなる~眠くなる~眠くなる~ほーら、寝た
『ジョーカー』での演技がそのまま映し出されていた気がした。やっぱりホアキン・フェニックスの演技、またフィリップ・シーモア・ホフマンののめり込んでしまいそうになる演技が良かった。途中まではその狂気とばかばかしい信者の様子が面白かったのに、さほど盛り上がらず、そのまま寝落ちしてしまいそうになる映画でした。
戦争のトラウマ、精神科の治療が確立していない時代の催眠術、カルト教団。プロセシングという押し問答のような治療によって気持ちが楽になっていく様子。マスターのドッドは「単なる催眠術」だと批判されても「脱・催眠術だ」と応えるのだ。理解できたような、できないようなである。とにかく眠くなることでごまかされることは間違いなし!
やたらヌードが多いという印象と、『ボヘミアン・ラプソディ』のラミ・マレックが操られすぎという印象が残る。映像はフレディの妄想だったのか想像だったのか、結局は答えがわからない。また序盤のロールシャッハテストも笑えたのでよし!『マグノリア』が大好きという人にはオススメ。
あーもういいやー。
途中で何度再生を中断したことか。だって、つまらないんだもん。日本語字幕も薄っぺらいけれど、英語も大したセリフは喋っていなかったしなあ。これが賞をとっているのかと、がっかり。ホアキンの顔も、クセが嫌い。兄ちゃんは美しかった。もはや、自分にはドロドロの演技しかないと居直ってる?捨て身のアル中もハマり役過ぎて、却って退屈、ワンパターンだ。物語も、何でもありのアメリカならではの展開、群れたがる人を描いてさもありなんの域を出ない。シアターで見たら、お金返してと言いたくなるだろう。
宗教の一側面
ご自身4歳まで新興宗教の宣教師の息子として育って、お兄様を薬物で亡くされているフェニックス氏がフレッドを演じているのは必然か偶然か。
難解な映画。
鑑賞していて気持ちが良い映画ではない。
”愛”とはなんだというのを、考えさえてくれる映画。
解説が欲しくなる。でも、与えてはくれない。
救えると思ってしまった男と、救われたいと思った男の綱引き。
そこに、救えると思ってしまった男の家族が関わり、綱引きを複雑にしていく。
愛とは、信仰とは、支配ー被支配の関係でしか、あり得ないのか。
宗教とは、自分にとって都合の良い夢を見せることなのか。
魂の救いとは、何なのか。
”呪文”は、空っぽの魂を満たすのか。
究極のテーマをつきつける。
しかも、これでもかというほど、醜悪に。
ラスト。
これは、絶望なのか。ある一種の解脱。救いを示しているのか。
見る人によって、いろいろな感想があり得るだろう。
私的には、乾いた、魂の叫びが痛々したかった。
つまんね~ぇ!!!
こういう真面目な話も結構好きなんですが、何だろうなぁ…いらん間を取りすぎというか…どうでも良いシーンに尺を使いすぎな気がしました。
内容としては淡々としているというほどでもないのに、ダラダラと退屈に感じ、20分くらいを過ぎたところで既に「勘弁してくれ!」って感じになってました。何とか最後まで見終えたものの、何も心に残らなかった…最悪です。
あらすじ:
第二次世界大戦を終え、アル中になっていたフレディは仕事を転々としながら、恋人の元へ帰ることもできず、最後の仕事では同僚に毒を飲ませた疑いを掛けられ、新興宗教の教祖ランカスターの船に忍び込む。フレディの造る酒(シンナー等が入ったとても酒とは呼べないもの)を気に入ったランカスターはフレディを傍に置き、フレディもまた、ランカスターの教えに興味を持ち、徐々に2人は依存関係になっていく。
設定だけ見ると面白そうな話なんですが、どうにもこうにも。タイトルが「マスター」なだけあり、テーマは「主従関係」だと思うのですが、非常にアメリカ的思考だなと感じたのが、中盤のランカスターの妻ペギーの台詞「身を守るには攻撃しかない。でないとすべての戦いに負ける。もし攻撃しなければ望むように支配できなくなる」。
自然相手ですらすぐに「支配するんだ!人間様が上に立つんだ!」のアメリカらしいなぁと感じました。
要するに、普通の(少なくとも日本の)人が見ても、「こいつら支配することしか頭にねーなー対等で良いじゃん仲良くやれよ」としか思えない。
パッケージを見ると、フレディを中心に、彼の後ろにランカスターが、ランカスターの後ろにペギーがいます。話の中でもこのまま支配権があり、フレディを支配するのがランカスター、ランカスターを支配するのがペギーです。
この宗教では、「何を言われても反応しないこと」を求めながら、懐疑派から「おかしいのでは」と言われて教祖であるランカスターがマジギレしたり、「自由になること」を教えながら教祖を「マスター(飼い主)」と呼ばせたり、矛盾だらけ。
実際ランカスターの息子も全く信じておらず、「本気で信じているのか?」と言われたフレディはマジギレ。でも、マジギレするということは、内心疑いがあるということなんでしょう。本気で信じてる人って、「何言ってんだこいつ?」って感じで怒るとか不快に感じるとか、そういう反応じゃありませんしね。
上に、少なくとも日本の普通の人が見ても理解しがたいと書きましたが、正直外国人の話を聞いてると、何事も上下、優劣、善悪など、はっきり2つに分けたがるというか、全てにおいて「どちらが支配する側か」みたいな考え方を無意識にしている人が多い気がします。
日本人でももちろんそういう人はいますが、概ね良くも悪くも「どっちでも良い」「どうでも良い」という人が外国より多い。
「皆が良ければ、それで」。この考え方は、外国では「主体性がない」と取られることがほとんどで、グローバル化した近年では日本でも悪く受け取られるようになってきました。が、個人的にはこの考え方で良い時も、少なからずある気がするのです。
日本で宗教が大して根付かない理由も、少し日本のことを知っている外国人は「日本人は不可知論者が多いからだ」と言うのですが(全然知らないと日本の国教が仏教だと思ってたりする)、日本人の考え方が不可知論?と個人的には疑問に感じるわけです。
「いるかもしれないし、いないかもしれない」ではなく、正確には「いてもいなくても、どーでもいい」じゃないか?と。しかも、日本は世界的に見ても最低限の教育は行き届いている。そういう人達に、何かを妄信させろというのが難しい話で、国内で発生した新興宗教はそういう日本人向けに最初から作っているからともかく、少なくとも外国から入ってきた宗教がパッと流行って浸透するということは考えにくい。
こうやって余所の国から入ってくる映画も、宗教的な内容だと日本で流行らないのは、「その宗教の人間じゃないから理解できない」のではなく「宗教の価値を説明されてもその必要性が理解できない」からで、信仰者からすると何故こんなに素晴らしい内容の教えなのに「必要性が理解できない」のかが理解できない。平行線です。
この映画では、信仰者達はランカスターの「教え」に深く共感してはいるが、ランカスター自身を見てはいない。ランカスターという人間の悩みなんて知ろうとも思っていないし、当然共感もしない。あくまで尊敬すべきマスターとして、そこに集っている。
フレディは、ランカスターの「教え」はよく理解できずとも、ランカスター自身の悩みに気付き、共感し、寄り添おうとした。だからランカスターもフレディを悩みから解放するため「教え」をより強く施し、フレディを救おうとした。
でも、2人の間にあるのは友情ではなく、共依存と支配し合う関係でしかなかった。
ランカスターはあくまでフレディを支配しようとし、フレディは支配から一旦は逃れたものの、結局逃れきれず(ランカスターに戻ってきてほしいと言われる夢を見るほど)ランカスターの元へ戻ってくる。最終的に、肉体はランカスターから逃れたものの、フレディの精神はランカスターの支配から逃れられないまま、彼の真似事をして物語は終わる。
結局、人間は「何に支配されているか」が変わるだけで、常に何かに支配されている。「何者にも支配されない」などということはどんな人間にも、決してありえないのだ、という結末でしょうか。
言いたいことはわかっても、やっぱり「重要なこと以外はフワフワしてても一向に気にならない」「どーでもいいから仲良くやろうや」の純日本人気質の自分には、特別思い入れることのない作品でした。
海がめちゃくちゃ綺麗だったことと、下品なシーンが多かったことしか印象に残ってません。とにかく支配支配。そんだけの話です。「対等」っていう言葉が微塵も頭にない人達の話。
誰かに支配されてるかって?
どーでもい~~~!
タイトルなし
第二次大戦直後のアメリカ
帰還後。社会適応できない男フレディ
新興宗教の教祖ドッドと出会い
次第に落ち着き始める
.
映画の冒頭からの音楽が…
何か不安定
狂気を感じる
フレディ演じるホアキン・フェニックスの
その動き
(…Jokerに通じている気がしてしまう)
.
人間の深層心理に迫る
サイエントロジー創始者をモデルにしたとも言われている映画
新興宗教は怪しく胡散臭い
そこに救いを求めることに
同調出来ないが
フレディのように
救われるものがいるんだろうなぁ…
.
ホアキン・フェニックスと
素晴らしい俳優だった
フィリップ・シーモア・ホフマン
2人怪演は
第69回ベネチア国際映画祭男優賞を共に受賞
ホアキンとフィリップちゃんのガチンコ! これだけでじゅーぶん元が取...
ホアキンとフィリップちゃんのガチンコ!
これだけでじゅーぶん元が取れるんだけど、監督はPTAだしちょこちょことお馴染みの俳優出てるし、お得でした。
フィリップちゃん…惜しすぎる。もっともっともーっと見たかったあー
重低長
アメリカというお国柄、戦争出兵は良くある話で、
その都度、このフレディのような心神耗弱者は多くいるのでは?
と考えると、新興宗教はいつの時代にもあるとは思うが、
戦争終了のタイミングが一番信者獲得し易いのかも。
よく考えると、アメリカには細かい宗教が沢山あって、
狂信的で粗暴な集団に比べたら、
この「ザ・コーズ」はかなり紳士的な集団に見える。
それ故に、フレディの粗暴さは目立つ。
希望としては、もっと狂信的な集団に演出して欲しかった。
「マスター」トッドは魅力的な人間だが、インパクトに欠ける。
フレディがトッドに惹かれていくのは分からないでもないが、
それは「過去への旅」が一番の理由で、動機が弱い。
自分が日本人で、どうしても新興宗教の教祖のイメージは、
世間的に悪名名高い‘あの’人たち、
クンバカの人や、グルとかいう人、サイコーな人、
あのイメージが強すぎるから、
「マスター」に期待外れなのかもしれない。
互いが惹かれる理由も別れる理由も、
はっきりしてない所がモヤモヤ。
このPTアンダーソン監督が「ゼアウィルビーブラッド」の人だと気付いて、
一瞬見るのを躊躇った。
前作がつまらなかった訳ではなく、重くて長かったから。
今回も受けた印象は似ていた。
ただ前作も今回も、大人の喧嘩の生臭さはそのままだった。
喧嘩が笑えるのはこの監督作品と韓国映画に多い。
つまらなくはないが、スッキリしない話でした。
想像のワルツ
「ザ・マスター」
原題「The Master」
製作国 アメリカ
監督/脚本 ポール・トーマス・アンダーソン
時間 138分
公開日 2012年9月1日
○原点
本作の舞台は1950年、第二次世界大戦後のアメリカ合衆国である。
戦勝国となり経済的に豊かになりはしたが、共産主義への過剰な恐れや核競争時代の到来という不安が世相を覆い、メディアやハリウッドでは赤狩りが起こった。
その中で、アーサー・C・クラークやアイザック・アシモフ、ロバート・A・ハインラインなど、SF小説の大家が活躍したのもこの時期である。
本作にインスピレーションを与えたL・ロン・ハバードも元はSF小説家であり、そのSF的想像力の延長線上にあるフロイトの夢診断などの心理学的知見を応用し、独自の心理療法を解説した著書「ダイアネティックス」を出版しベストセラーとなった。
彼は療法や理論が宗教に関わりがあるものではなく科学的アプローチであると主張していたが、徐々に宗教的要素を取り入れるようになり、53年にサイエントロジー教会を設立する。
その変化は反発や疑問を生んだが、結果として多くの信者を獲得した。
合衆国の50年代、それは既成の教会信者の増加率が人口増加率を上回る宗教の時代であった。
○意匠
・65mm
制作当時、撮影や上映に於いてデジタルへの移行が決定的な流れとなり、フィルムが消えるのではないかという危惧が映画界に蔓延していた。
その中で、ポール・トーマス・アンダーソン監督は、物語の設定である50年代に使用されてた65mmフィルムで撮影(一般的に使われる70mmフィルムという呼称はフィルムの両端に記録された音声トラックを含めた上映時のサイズのことで、カメラでの撮影時は65mmのフィルムが使用される)し、フィルム撮影のみ表現出来る格調を絹のように滑らかな質感により証明した。
・冒頭
ゴダールを思わせる深い青の海面を真上から捉えたショットと、主人公である海兵隊員フレディの顔を捉えるショットを経て、カメラは浜辺でオリジナルカクテルを啜る彼の姿を捉える。
同僚に毛ジラミの殺し方を嬉々として語る彼の佇まいは、50年代アメリカのビーチから凡そ無縁な不穏さを漂わせている。
ジョニー・グリーンウッドが奏でる不協和音が包む中、不気味にハイテンションな彼があからさまに卑猥な行動をとるに至って、本作の基調トーンへと決定付けられていく。
ラジオからは、日本の降伏をもって第二次世界大戦の終結を宣言するマッカーサー元帥の声が聴こえてくる。
この終戦は合衆国に於いて祝賀ムードを生む筈であるにも関わらず、画面は汗塗れで船の酒蔵からアルコールを盗み出す彼の姿が映されるばかりだ。
一海兵隊員にとって終戦がどれ程無意味なものであったかをマッカーサー元帥の勝利宣言との対比にて示し、過酷な戦争が多くの兵士達に齎した心的外傷が国に穿った虚無を物語の起点に据えている。
・プロセッシング
フレディは自分の過去、アル中で死んだ父、精神病院に入った母、性的関係を持った叔母、そして従軍中に手紙をくれたという16歳のドロシーという女の子について語り始める。
突然家に訪れたフレディをドロシーは優しく迎え、彼の頬にキスをし、兵士の帰還を願う歌「Don't Sit Under The Apple Tree」を歌う。
だが、ベンチに腰掛ける二人を捉えるショットは残酷なまでに不揃いな両者の外見を際立たせている。
ドロシーはノルウェーへ行く話を唐突に切り出す。
そこでランカスターは間髪入れず、それは誰が旅立つと言ったのかとフレディに問いただすと、彼は俺が言ったと答える。
ランカスターと我々は眉を顰める。
ドロシーはフレディの妄想の産物か?
しかし、そう疑った次の瞬間、やはりドロシーは実在すると考えるに充分な2人の別れが描かれる。
本作が齎す混沌は、我々の記憶と共に移ろい、確定的なイメージを結ぶことを拒否する。
・旅の終わり
マスターの右腕にまで登り詰めたフレディだが、ランカスターが死と隣合わせのバイクの疾走を楽しんだ後に、お前も乗ってみろとフレディを促す。
フレディはランカスターが走った方角とは逆の方向、フィーニックスの広大な砂漠を猛然と駆け抜け、そのまま蜃気楼の向こうへ消えて行く。
そして流れるジョー・スタッフォードの「No Other Love」(ショパン「別れの曲」)。
スモーキーな歌声はそのままに、画面は忘れられない過去を訪ねるフレディのショットへと切り替わる。
ドリスの母が彼を出迎え、事の顛末を告げる。
あっという間に過ぎ去る時間の残酷さを美しく表現したシーンである。
・別離
自由な男、何ものにも縛られない、海を股にかける、主に仕えない最初の人間。
今ここで君が去るならば私達が会う事は二度と無いだろうと告げるランカスター。
では次の人生で会おうと答えるフレディ。
異体同心である二人の別れに、ランカスターは「Slow Boat to China」を歌う。
ふと気付くと、本当に欲しいものからは見放されている。
そんな人生に於ける絶望を野心に満ちたフィクションの中で立ち上らせる本作に相応しい歌である。
○弁証
彼等が生きる50年代のアメリカ合衆国は詰まる所、組織と個人に集約される。
戦後の経済発展により中流層が膨張すると同時に、企業が全国的に組織化され、社会は家庭の結びつきや地域社会の縁故よりも学歴がものをいう世界へと変化し、組織に順応するホワイトカラーが増大した。
彼等は故郷を捨て、組織に命じられるままに移動していく。
もしフレディがドリスと結ばれていたなら、間違いなく組織人になっていただろう。
その代わりに彼は家族を見出すが、彼が守ろうとしたものは組織に変貌を遂げている。
本作は、激動の時代を漂う孤独な魂を浪々たるロマネスクへと織り上げてみせた。
波に攫われ、いつしか消えて、また新しい女を作り上げる。
ダンスの相手を変えて繰り返し踊り続ける人生。
それは孤独の道、だが悲観する事は無い。
音楽が止まぬ限り、巡り会う事の出来ないワルツは存在しないのだ。
米から英までの使いっ走り!?
イギリスにゃあCOOLの煙草が売ってないからってメチャクチャ長距離なお買い物!?
PTSD?からのアル中で情緒不安定な暴れ者が宗教に救いの手を!?
師弟関係でも男同士の熱い友情でも兄弟でも一体全体どう捉えて良いのやら。
信じていたのか?求めていたのか?バイクで逃走してイギリスまで現れる。
デタラメな親父と息子は言うが半信半疑な筈のフレディはマスターを否定する輩にムキになり鉄拳制裁。
どうなる話でもシッカリ着地するオチがある訳でも無く何がテーマなのかも難しいが興味心は持続され二人の役者の演技に存在感に感服。
P・T・アンダーソンとJ・グリーンウッドはヤバい。
♪聖者になんてなれないよー だけど生きてる方がいい
♪聖者になんてなれないよー だけど生きてる方がいい だから僕は唄うんだよー
精一杯デカイ声でー 見えない自由が欲しくてー・・・♪を思い出したー
911から12年、311から2年、いや、古今東西、
世界中で求められているスタンダードな題材の一つではないか?
様々な人が映画で小説で音楽で、
このスタンダードな命題をテーマに(その分量は1シークエンスだけのものもあれば、
全編に配置してるものも・・)どんなエンターテインメント要素をベースに、
観客を楽しませるか?を考えている。(もちろんエンタ要素皆無のモノも数多ある。)
例えば
<警官2人のバディで楽しませて人生を問う>
<ベースボールの作品で親子愛を問う>
<カウボーイやヒッチハイカーをベースに友情を描く>
<タイムスリップをして人類そのものの原罪を問う>
様々な方法を用いた名作があるが
本作は一対一の人間対トラ・・・失礼・・人間対人間!
マシンガンも日本刀もCGも不要、
素心、素手に素っ裸!マワシもチョンマゲもない。
生き方、思考、什麼生説波(そもさんせっぱ)だけで描き切る力技!
では、そもさんせっぱの中身は?
自己啓発的な事を行っている団体が舞台だ。新興宗教ともいえる。
その団体のリーダーである聖者(ただの人間)と、よっぱらいの新人(普通の人間)のお話し。
聖者はよっぱらいの本能的な感覚に揺さぶられ、よっぱらいは聖者の理性的な思考に
もんどり打つ。
団体の描き方もニュートラルなスタンスで、この2名への悪影響、良影響は最低限に留めて、
あからさまにカルト的扱いで糾弾するでもなく、不幸そうでもなく、ショッキングな事件を起こす事もなく、
必要以上には言及しない。
あくまでも、ただ(一見聖者)のオッサンと普通(一見よっぱらいで純粋)のやっぱりオッサンの関係だけで
観客をユサユサ揺さぶる。
ある人にとってはベストな説破の作品、
ある人にとってはタダタダ退屈な作品になってます。
とにかく、このスッポンポンの真剣勝負、
これこそがエンターテインメントの原点といっても過言ではない。
冒頭の揺らり、揺られる、船の美しさから始まって、
2人の葛藤、周囲の人間の戸惑い、団体自体の動揺の描写は必見!
くだらない解釈や、つまらないメタファー呼ばわりを揺るさない・・・程の美しさだった、ただただ見惚れた。
PTAさん、凡作マグノリアをセルフリメイクしたら、大傑作になる気配!
深い映画好きの人への作品
この監督の作品を何作か見た事があれば、楽しめるかな。
ただ単に映画を楽しもうと思って、評判だけで見ると決して面白い映画とは言えないよ。
作品は凄い深いので、ある程度の感性がないと難関な映画で万人ウケはしない。まあ、この監督作品の特徴がでてる。
個人的にはコアな映画好きの人への作品で、普通におすすめは出来ないと思った。
話は意味不明だけど滅法面白い。
まず、冒頭から音楽が印象的。そして、映像の美しさに驚く。そして、役者たちの異常なテンションに驚く。あまりに凄まじい映像的パワーに圧倒されるが、次第にこの映画は実は非常に繊細なラブストーリーだと気付く。いわゆるBLというやつですね。フィリップシーモアホフマンの役どころ、完全に『ブギーナイツ』と一緒じゃないか。ストーリーについては色々と分からない部分も多く、途中掘り起こしていた箱の中身とか、謎が多いのでもう一度見てみたい。劇場で観るべきでした。
役者はスゴいが,個人的には苦手なジャンルで響かない
役者はスゴイ,オスカー男女優3賞ノミネートは納得だが,いかんせん「心に傷を負った登場人物が…」という作品は苦手というか個人的には響かないんだよなぁ.この顔の役者でカルト宗教ものとの情報で想定してたのと違った
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