「主人公の心理を追うにつれ深みがます」マリー・アントワネットに別れをつげて よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
主人公の心理を追うにつれ深みがます
マリー・アントワネットの姿が、その朗読係の侍女の視点から描かれる。
ゆえに、この断頭台の露と消える運命の王妃が、観客に与える印象の変化は、レア・セドゥー演じる侍女シドニーの王妃への感情の変化を表す。
朝の読み聞かせのシークエンスで姿を現す王妃は、思いつくままに次々と周囲の者へ指示を出す気ままな主人の側面を持つ。しかし、その言葉遣いは丁重で、物腰は柔らかい。そして、臣下に対して思いやり深く、お気に入りの侍女の虫刺されの痕を見て、手ずから精油をなじませるのだ。
シドニー以外の侍女たちは、それでも王妃の顔色を常に窺い、この高貴な女性の大らかさや頭の回転の速さを敬愛しているのが、ここではシドニーだけの特別な感情であることを示している。
ところが、王妃には貴族の女性という同性の愛人が存在する。この愛人と会っているときの王妃は、孤独な一人の女性の弱さを相手にさらけ出す。誰よりも、ありのままの姿を見せることのできる相手がこの愛人であることが、衆人環視のなかで額を寄せ合うショットで痛々しく描かれている。
侍女であるシドニーは、身分というヒエラルキーに加えて愛のヒエラルキーにおいても、自分を王妃から遠ざけるこの女性に激しく嫉妬する。
いよいよバスチーユが陥落し、貴族たちはベルサイユからの逃亡を図り始める。そんな中、王妃は自らの逃亡が王の意思とは相容れないと分ると、最愛の愛人にフランスからの脱出を促す。
そしてシドニーには心外なことに、この愛人は躊躇なくそれを受け入れるのだ。このときこの侍女が知るのは、王妃もまたこの愛人を深く愛しているほどには、彼女からは愛されてはいなかったことである。自分が王妃を愛するほどには、王妃は自分を愛してはいない。それと同じように、王妃は、その愛人に向けている愛に相当するものを、その相手から受けてはいないのだ。侍女シドニーの嫉妬はここで王妃の孤独への共感に代わる。
しかし、いよいよ王妃の愛人がベルサイユを離れるとき、王妃はシドニーに対して残酷なことを命じる。ここで王妃への共感は絶望と憎悪に変化していくかにみえる。ところが、シドニーは死を賭して臨まなければならない役割をむしろ至福の時間を楽しむかのように果たすのである。
レア・セドゥーの控えめな感情表現が、この映画の心理描写にむしろ深みを与えている。王妃を前に感情など表に出せるわけもない状況。パリで何が起きているのか、人の口を介してしか知ることのできない不穏でもどかしい背景には、派手な感情表現は似合わない。