少年Hのレビュー・感想・評価
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水谷豊さん、上手い。父も一人の弱い人間なのです。
WOWOWで何気に観だしたらとまらなくなった。
ある一家の戦争物語。
作家 妹尾河童さんの自伝的小説が原作。
腕のいいテーラーで愚直な父、敬虔なクリスチャンの母のもとに生まれた肇、少年H。
利発でまっすぐで、正義感の強いH。
仲の良い家族の戦前の平和な風景が、日常が、開戦ののち次第に富国強兵の世の中に飲み込まれて行く。
大変印象に残ったのが、Hの同級生の悪気ない行動によりHの父が政府にスパイ容疑をかけられ憲兵に連行され、翌日帰ってきた日の父子のこのシーンの会話です。
拷問により赤く腫れ上がった父の手を見て動揺し、同級生を殴りに行く!と息まく息子の腕を掴んで引き戻し、まっすぐ息子の目を見て、穏やかな、でもしっかりとした言葉で諭す父の言葉。
「その原因をつくったのは、あんたじゃないんか。(友達だけを責められるんか)
犯人探しなんかしても、つまらへんよ。あんたまで嫌な人間になってしまうで。
それよりも、むしろ友達は苦しんでるんちゃうか。自分のせいでこうなったって、一人で困ってるんと違うか。
ここに座り。ええか、よう聞くんや。この戦争がどうなるか、お父ちゃんもわからん。自分がしっかりしとらんと、潰されてしまうで。
今、世の中で何が起こっとるんか、自分の目でよう見とくんや。
いろいろ我慢せなならんことがあるやろけど、何を我慢しとるんかはっきり知っとったら、我慢できる!
戦争は、いつか終わる。
その時に、恥ずかしい人間になっとったら、あかんよ」
正座をして父の言葉を聞くH。
(お父ちゃんはこんな酷い目にあったのに、恨んでないんや。すごい人や)と子供心に感じたに違いない。
ハリウッド映画のようにここで抱き合ったりはしないけど、そこには父子の確かな愛がありました。父としての、子供の未来を思う、深い愛情がありました。
そして私は思ったんです。今と似てる、と。
これは戦争に走った日本が国からある意味一方的な価値観を押し付けられ洗脳され、大半の国民が疑問にも思わず、混乱しながらも夫や息子を戦地に差し出し、新聞の政府の都合の良い記事にある意味騙されていた時代。
当時の様と、今のコロナ禍の混沌とした状況が重なって、置き換えてみると、この水谷豊演じる父の言葉がズシンと胸にきたのでした。
【自分がしっかりしてんと、潰されてしまうで。
しっかりと、世の中を自分の目で見るんや。
いつかこの混乱が終わった時、恥ずかしい人間になっとったら、あかんよ】
久しぶりに、泣けた。
その後、空襲で焼け野原になる神戸の街。瓦礫の中で立ち尽くし、みんな家も財産も失い、一から這い上がってきた。
敗戦後は一変して「アメリカさん」の言うなりの価値観に。国って何なんでしょうか。
それでも人は、生きていくしかない。
水谷豊さんはドラマ【相棒】しか知らなかったけど、こんなに演技が上手いとは。
この役は彼しか考えられない。
子役も頑張ってるし、実生活でも実の奥さんであるすーちゃんもとても良いです。
子供の目線から見た戦争。
テレビ朝日開局55周年記念作品。
「日曜洋画劇場」で鑑賞。
原作は未読です。
太平洋戦争を子供の視点で描いていることに、本作の大きな存在意義があるように感じました。戦争の残酷さや当時の市民生活の厳しさが、余計に際立って来るようでした…。
理不尽で納得のいかない出来事ばかりが周りに溢れていて、主人公・H少年の頭は疑問だらけ。しかし、その疑問は飲み込んで胸の奥にしまっておかなければならない世相…。それも彼にとっては「なんでなん?」と疑問に感じるわけで…。
そんな彼を優しく見守る水谷豊・伊藤蘭の実生活でも夫婦な両親。時勢の割にはリベラルで開明的な考え方を持っている父親が、Hを正しく導くために優しく語り掛ける言葉の数々に、涙が止まりませんでした。彼のような姿勢を貫くのが困難な時代に、強い意思を持つことのどれだけ尊いことか…。
大変な状況に陥ったときこそ、時勢や周囲に簡単に流されてしまうのではなく、しっかりと自分の頭で考えて、物事の真実を見極め、決して己の信念を失ってはならない…。
※鑑賞記録
2020/07/05:WOWOWシネマ(2回目)
実際にも夫婦だったんですね
意外に良い作品でしたね。家族4人とも良い役柄で良い演技でした。深刻な内容なのに嫌な気分にはなりませんでした。多分、家族愛を感じ取れ、両親の生き方に共感を覚えたからでしょう。後で気がついたんですが、実際にも夫婦だったんですね。ミッキー・マッケンジーとは離婚していたんですね。
観て良かった・・素直にそう思う。
パッケージに小栗旬さんが出ていて・・・手に取りました。
しかし・・・中身はすごい・・・
衝撃的で言葉が出ない。
戦争ものって苦手なんですが・・
これは見て良かった。
この現代の平和さに訴えるなにかがある。
観て良かった。事実を知るためにも。
なにが怖かったっていうと
戦争は私たちの生活そのものを変える。
日常が変わる・・・ある日突然。
自分がいくつで・・何をしている時にそれは突然やってくるのか?
この家族が本当にリアルに戦争の時代に身を置いていて・・
胸が痛い。
中学生の少年Hが
日々、訓練している姿は痛ましい。
そして父も母も・・
娘は涙ながらに疎開。
やがて・・空襲も来たりと・・・
戦争とはそういうもの。
本当に怖い。
最後はなぜか爽やかに終わってほっとした。
時代は変わる。
また新しい時代に私たちは身を置いて
そして生きる。
単純だがそれは実に難しく・・
私は今・・この時代に生きていてまだ平和で
安堵している。
戦争を知らない世代の方にも見て頂きたく・・・
本当にリアルに映像化されていた。
考えさせられ・・・
そして今日の日が平和で感謝。
そんな後味です。
何を我慢しとるか、はっきりしとったら我慢できる
映画「少年H」(降旗康男監督)から。
主人公の名は「肇」(はじめ)、
だから手編みのセーターには「H」の一文字。
サザエさんの弟、カツオの「K」と同じ感覚だった。(笑)
「たぶん、明日から『H』って呼ばれるわぁ」と
嘆いたシーンが妙に可笑しかった。
「H」を「エッチ」と読むか「エイチ」と読むか、
それは大きな違いのようにも感じたアルファベットである。
さて、気になる一言は、戦時中に父親が息子に語る台詞。
「自分がしっかりしてないと潰されてしまうで。
今、何が起きているのか、自分の目でよう見とくんや。
いろいろ我慢せなことがあるやろうけど、
何を我慢しとるか、はっきりしとったら我慢できる」
「戦争はいつか終わる。
その時に恥ずかしい人間になっとったらあかんよ」
何でもかんでも戦時中だから「我慢しろ」ではなく、
こんな時でも、息子に助言できる父親の静かな強さを見た。
また、戦時中ならではの台詞ではなく、
今の世の中でも立派に通用するアドバイスでもある。
何も説明なしに「我慢しろ」と言われるよりも、
何に対して我慢しているのか、説明することの大切さ、
意外と大事なことなのかもしれないな。
穏やかで理性的な作品
私がまだ若いころは、夏になれば東宝の「8.15シリーズ」を筆頭に戦争映画が上映されていた。この作品を戦争映画の範疇に入れていいものか分からないが、そういう色眼鏡を抜きにしても、当時の様子を描いて予想以上によくできた映画だと思う。
現人神天皇陛下をいただく神国日本が、その御稜威により大東亜共栄圏の盟主となり、西欧列強をも打ち倒して世界を善導すべしという、今から見れば狂気の沙汰のような選民思想に多くの国民がとりつかれていた当時にあって、父親の盛夫のようなリベラルな考えの人間は少なかっただろうし、肇少年の「この戦争はなんやったんや!」の叫びも後出しじゃんけんのような気もするが(当時の人々は戦争が終わったことに安心するか、敗戦を受け入れられず呆然とする人の方が多かったと思うので)、映画的には現代の視点を盛り込むことがあってもいいと思う。
盛夫が肇に言う「この戦争はいつか終わる。その時に恥ずかしい人間になっとったらあかんよ」は、実際には少しでも戦争に批判的な人々を「非国民」「売国奴」「国賊」と罵り弾圧しておきながら、終戦後「命令だったから」「戦争だから」「みんなもやっていたから」と言い訳して、手のひらを返したように占領軍(進駐軍)にすり寄った多くの人々に向けられたものだろう。
主人公一家を演じた4人を初めとする芸達者な俳優陣を揃えて、穏やかに理性的に当時の市民生活を描きながら、権力が肥大・暴走した時の恐ろしさや、その権力に無批判に従うことの罪を訴えかけてくる。
表現の自由より秩序の維持を優先する憲法改正案や、「はだしのゲン」の閲覧制限が取り沙汰される今日においてこそ、観ておくべき作品ではないだろうか。
自分の頭で考え行動。
「終戦のエンペラー」ではイマイチだった方にお薦め。
とある少年の目線で庶民(でもないか)が描かれた作品。
これだけの情報を小学生~中学生が把握できるものか?と
やたら叩かれた原作本らしいが、軍国主義に突っ走っていく
日本を少年目線で的確に捉えている。
いつも一言余計なHは、まるで自分を観ているようである。
そういう奴は、やっぱりああやって叩かれたんだなぁ^^;
良い悪いの問題でなく、そうせざるを得なかった辛い時代。
皆がワカメになって(この表現がいい)あっちこっちへ流され
ユラユラと漂うしかなかった時代に生きていた。
戦後生まれで食う物に困る生活を経験していない自分には、
白米の貴重さはこういうところで真剣に学ぶしかないのだ。
ダイエット先行の若い世代にはもっともっとである。
妹尾河童のベストセラーで、何度もドラマ化されているので
原作をしっかり読んでいなくても(けっこう分厚い上下巻)
大凡のあらすじは知っていたのだが、やはり今回も泣けた。
主人公はもちろんHだが、やはりこの両親(特に父親)がいい。
育ちの良さは情操教育や思想に影響を与えるものだろうが、
とりわけH宅の当時の生活ぶりは一般宅とはかけ離れている。
こんな生活ぶりでは、後に大きく叩かれるだろうことが予測
できるだけに、こちらも観ていてだんだん辛くなってくるが、
スパイ容疑をかけられようとも(そもそもテイラーなんだから)
頑として意思を貫く父親像には感動を覚える。家族への配慮を
常に忘れず、息子への的確なアドバイスは明言となっていく。
戦後フヌケになった(Hにはそう見える)元軍人やら教師に加え、
自身の父親までも何も言わなくなった姿にHは不安を覚えるが、
どんな立派な人格者ですら根負けするほどの衝撃が敗戦後の
国民に与えられた消失感や空虚を見事に表現している。
隣人に白米を与え続ける母親に意見するHを、涙目で見つめる
母親の表情に涙がポロポロと零れた。クリスチャンでなくとも
マザーテレサは日本の至る所に存在していたのだと私は思う。
(一旦やったらクセになるで!には涙目で大笑い)
Hを演じた吉岡くんがとにかく素晴らしい(顔までソックリ)
自分が正しいと思うことを父親の方は声高には叫ばないが、
Hは常に真っ直ぐにモノを言う。それで何回も殴られる^^;
今ならやれDVだと言われて当然の大人から子供への暴力が
当時は歴然と行われていたし、拷問もかなりだったようだ。
(その辺りを手ぬるい描写に描き換えていないのが好印象)
それでも何度もモノを言い何度でも立ち上がるHに感動する。
あんな(暴力に頼らない)強さを子供の頃から持たせてやりたい。
自分の頭で考え行動できる人間になれ。当たり前のことだ。
厳しい母親も優しい父親も素直な妹も、皆素敵な家族だった。
的確に現実を把握するなんてことは、大人になった今でも
まったくできていないが、(私だって何回もワカメ化してる)
しかし、あらゆるフラフラやユラユラを経験したおかげで、
(これは言い訳だとしても)理解できたことがたくさんある。
バカげた社会だと思いながらもそこに身を置いている以上は、
生きていかねばならない責任が誰にでもあるのだ。
当時は中学を出たら自立する時代だったが、今じゃ40になっても
自立できない人が多いのはどうしてなんだろう。
こんな時こそHくんにビシッと一言、進言いただきたいよね。
(空襲と焼夷弾の爆発はリアルだった。ミシンって強いんだなぁ)
戦後から震災から人々は立ち上がる…不死鳥のように
戦時下を生き抜いた家族の姿を綴った、妹尾河童の自伝的小説の映画化。
水谷豊と伊藤蘭の夫婦共演でも話題。
以前別の作品でも書いたが、今戦争映画を作る意義は反戦映画である事。リアルで激しい戦場シーンや戦争の勝ち負けなど無くてもいいというのが持論だ。
戦争で最も辛い思いをしたのは、一庶民。
自由も思想も制限され、家族や愛する人も失い、何もかも奪われる。
そんな庶民の姿を通じて、戦争の愚かさを訴える。
その点、本作はしっかりとした反戦映画になっていた。
慎ましくも明るい生活を送っていた妹尾一家にも戦争の影が忍び寄る。
慕っていたうどん屋の兄ちゃんがアカの容疑で捕まる。
元旅芸人のオトコ姉ちゃんは出兵後に脱走し自ら命を絶つ。
仕立て屋の仕事で外国人の顧客を持っていた父がスパイ容疑で拷問を受ける。
学校ではイジメに遭い、教官に目を付けられる。
不当で不条理。柔軟な生き方や考えを持っていたからこそ、逆に息苦しい生活を強いられた妹尾一家の姿は痛切だ。
水谷豊が真面目な仕立て屋の父を、伊藤蘭が博愛精神溢れるクリスチャンの母を、それぞれ好演。
タイトルの“少年H”こと肇少年を演じた吉岡竜輝が達者で脱帽。
「はだしのゲン」のように少年を主人公に据えて語られる。
好奇心旺盛な肇は戦争の素朴な疑問を父に問う。父は真摯に答える。
戦争から60数年経ち、戦争を知らない若者でも、すんなり見れる仕上がり。
ただ重苦しいだけではなく、家族の絆に心温まり、所々のユーモアに笑わせられる。
戦争は終わった。
が、肇はコロッと考えを変えた周囲に何とも言えぬ思いを抱く。多くの物を失い、父は抜け殻のような状態に。
これからどう生きていくべきか、何をしていいのか。
全てがひっくり返って戸惑いながらも、新しい時代への一歩を見出す。
ラストシーン、肇が書いた不死鳥の絵。
灰の中から何度でも蘇る不死鳥は、復興へのメッセージ。
それは戦後に限らず、あの震災からの復興にも被る。
反戦と平和への祈りと復興への希望。
終戦の時期の今、夏にこそ見て、感じて欲しい映画。
熱中時代(洋服屋編・消防士編)
まず『H』とは、主人公『肇』のイニシャルです。
お母さんがハイカラな方で、戦争直前の英語を使いづらい時代に、『H』の大きな文字をセーターに入れていたのが凄かったです。
また、味噌汁も皿とスプーンで食べさせるような人で、お父さんは何事にも文句を言わない優しい人だったけど、少し引きぎみだった感じがしました。
妹尾一家はクリスチャンだったのも関係あるかも知れませんが、お父さんが当時としては、とてもグローバルな視点を持った方で、人格者でもあり、中学生のHに、「戦争が終わった時、恥ずかしい大人になってたらあかんよ。戦争に流されずに、よく考えて行動せんといかんよ」と教育していました。
それと、自分は関西人じゃないので、自分の息子に語る時、名前で呼ばずに、「あんた」で始めるのには凄い違和感を感じました。
主役の少年Hより、お父さんの存在の方が大きな映画でした。
大笑いするシーンもあり、戦争中、消防員となったお父さんの放水訓練のシーンは凄いです。
印象深かったのは、バケツリレーで防火訓練していても、本当の火事になったら、みんな逃げてしまい訓練が無駄だった事です。
『三丁目の夕日』から福島の復興へ繋げる、希望へむかって巣立っていった少年の物語
毎年お盆になると決まってかつての太平洋戦争をテーマにした作品が公開されます。本作もその部類に入ります。ただ、主人公の妹尾一家が経験した戦前から終戦後の日本という描かれ方で、あくまで妹尾一家から見たら戦争とはこのように感じたという一歩引いたところから戦争の悲惨さを伝えようとする演出が良かったです。
一家は一生懸命その日その日を生きようとしただけなのに、戦争は全てを奪っていきます。でも、そのことに公然と立ち向かうのでなく、なんでこんな時代になったのか、あの戦争は何だったのかと一家が自問自答するなかで、観客もそんな一家に感情移入して、同じ疑問を感じてしまうような作品でした。
ラストに主人公の少年Hこと肇が、看板屋で働き出し、大きなフェニックスの絵を描くシーンがあります。それは単に戦後の日本の再起を暗示しただけでなく、東日本大震災で罹災した人々へも、必ず不死鳥のように蘇るのだという強いメッセージを感じて感動しました。暗い戦争映画でなく、このあとの『三丁目の夕日』の時代へつなぐ、希望に向かっていくドラマだったのです。何しろ脚本が『三丁目の夕日』を担当した古沢良太が書きおろしているため、この二つの作品は繋がっているのだなと感じた次第です。
本物の家族にしか見えない妹尾家の暖かい空気感に包まれて、ユーモアを交えながら描かれる本作は、戦時中の深刻な時代背景を描いてもなお、気持ちをほっこりさせてくれる素敵なヒューマンドラマでした。
物語は、日中戦争が始まり、戦時色が濃くなりつつある昭和初期の神戸。
洋服の仕立屋を営み、家族を温かく見守る父親の盛夫(水谷豊)。大きな愛で家族を包む母親の敏子(伊藤蘭)。少年Hこと、肇は妹の好子とともに、この両親のもとで幸せな時を過ごしていました。学校が終われば、肇は海に出掛けタコを取ったり、父と一緒に居留地の外国人のお客さんのもとを訪ねたりするという日々。日本語の分からない外国人相手に日本語で会話をする父を不思議に思い、Hは「なんで言葉が通じるの?」と聞くところが面白かったです。盛夫は「言葉がわからなくても相手の表情などで理解できるものだよ」というのです。
肇が家に戻ると、敏子が待ち構えたように、捕まえてお説教。熱心なクリスチャンの敏子は聖書の教えを金科玉条の如く肇に押しつけるのです。でも敏子の都合が悪くなる部分では、手前味噌に教えを放棄してしまうところが笑えました。
しかし、時代は次第に戦争に傾いていきます。戦時中にはそぐわない大らかな感覚を持つ父親だけでも非国民のレッテルが貼られそうなのに、敏子に連れられて肇たち家族は教会に礼拝へ通っていたことから、肇は学校でいじめを受け、盛夫は特高警察に連行されて外国人に繋がっているというあらぬ疑いをかけられてしまうのです。
アメリカに帰国した牧師からのはがきに描かれていたエンパイア・ステート・ビルディングを見て、アメリカ文化の発展性に驚いた肇。次第に世の中の動きに疑問を持っていくようになります。
そんな肇の近所には、いつも出前で自転車に乗りながら、「風の中の羽のように、いつも変わる女心」とハイカラな歌を歌う「うどん屋の兄ちゃん」(小栗旬)がいました。しかし、ある日「赤狩り」にあって警察に逮捕されてしまいます。このことが、さらに肇のなかの疑問を膨らませていったのでした。
戦局は悪化の一途。中学生になったHは軍事教練を受け、また妹の好子は疎開します。敏子は隣組で班長を務め、空襲の際の火消しなど女性たちを結束させていました。そして盛夫は仕立て屋を辞め地元の消防団に入ります。
ついに神戸も大空襲に襲われ、盛夫は火消しに奔走しますが、町は火に飲み込まれ、残されたHと母の敏子は焼け落ちる家屋の中を逃げまどいます。そして、一家は終戦を迎え、再生の道を歩み始めるが肇の心には“ある疑問”が残っていたのです。
戦後の闇市でHは、米軍相手に愛想笑いをし媚を売る大人、「天皇陛下万歳!」と言っていた教官の変わりよう、米軍相手に商売をする教官など、子ども心に大人の変わりように矛盾を覚えます。
肇はそんな大人の都合良く変わる変節が許せませんでした。この戦争はなんやったんや!と生きる希望すらなくしかけたとき、それを受けとめた盛夫の言葉で救われるのです。これからまた始めるんや!という父親の強い決意の言葉に触れた肇は、独立を決意。一家から巣立っていくのでした。
こうして物語を振り返っていくと、戦争映画と言うよりも子育て映画といっていい内容なのです。戦争の悲惨さよりも、主人公の少年が、困難な時代を乗り越えて逞しく巣立っていく過程が描かれていったのです。肇の追及に一見逃げているばかりにみえる盛夫にしても、よく見ていると息子の自発性をどう引き出すか、辛抱強く見守っていたわけなんですね。自分の目で見て、自分の頭で考えて、自分の言葉で語るように躾けられた肇は、軍事教練の教官ですら、納得いかないと疑問をあけすけにぶつける、信念の強い子供に育っていたのです。子育てで悩んでいる方には、きっと親子関係でヒントが得られることでしょう。
もちろん、そんなヒューマンなストーリーだけでなく、戦前の神戸の町並みを再現した臨場感も見どころの一つです。特に一家の暮らす神戸が空襲に遭うシーンでは、火の粉のなかを一家が逃げ惑うという、思わず手に汗を握る緊張感に包まれました。
焼け跡に呆然と立ち尽くす盛夫が、虚しさを滲ませるところは印象的。ああいい芝居しているなと唸ってしまいました。
水谷豊というと、どうしても『相棒』をイメージしやすいところですが、本作の盛夫役では、杉下右京とは全く違う小市民的な空気に逆らわないタイプの役作りをして、イメチェンに成功しています。特に評価したいのは、仕立屋として姿勢や所作が実に様になっていることです。これはプロの仕立て屋に指導してもらって、何度も練習した成果なんだそうです。
伊藤蘭との夫婦役も息の合ったところを見せ付けて、普段のおしどり夫婦ぶりを伺わせてくれました。
でも何と言っても、少年H役の吉岡が凄いのです。大の大人の役者に向けて、スバスバ台詞を放つのところは、怖いものなし(^^ゞ 本当に少年Hと同化しておりまして、恐るべき子役だと感じた次第です。
追伸
空襲のシーンを見ていて、これはもはや戦争という行為を超えて、ジェノサイドだと思いました。敗戦国になったことで日本だけが悪者にされて侵略者のレッテルが貼られています。しかし、アメリカ軍がやったことを冷静に振り返れば、空襲や原爆の投下を通じて民間人を無差別に殺してしまっていたのです。
いま身に覚えのない「南京大虐殺」があたかもあったかのように仕掛けられていますが、それを言うならナチスドイツに匹敵するくらい民間人を殺したアメリカもお詫びしなくてはフェアーではないと思います。
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