「『三丁目の夕日』から福島の復興へ繋げる、希望へむかって巣立っていった少年の物語」少年H 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)
『三丁目の夕日』から福島の復興へ繋げる、希望へむかって巣立っていった少年の物語
毎年お盆になると決まってかつての太平洋戦争をテーマにした作品が公開されます。本作もその部類に入ります。ただ、主人公の妹尾一家が経験した戦前から終戦後の日本という描かれ方で、あくまで妹尾一家から見たら戦争とはこのように感じたという一歩引いたところから戦争の悲惨さを伝えようとする演出が良かったです。
一家は一生懸命その日その日を生きようとしただけなのに、戦争は全てを奪っていきます。でも、そのことに公然と立ち向かうのでなく、なんでこんな時代になったのか、あの戦争は何だったのかと一家が自問自答するなかで、観客もそんな一家に感情移入して、同じ疑問を感じてしまうような作品でした。
ラストに主人公の少年Hこと肇が、看板屋で働き出し、大きなフェニックスの絵を描くシーンがあります。それは単に戦後の日本の再起を暗示しただけでなく、東日本大震災で罹災した人々へも、必ず不死鳥のように蘇るのだという強いメッセージを感じて感動しました。暗い戦争映画でなく、このあとの『三丁目の夕日』の時代へつなぐ、希望に向かっていくドラマだったのです。何しろ脚本が『三丁目の夕日』を担当した古沢良太が書きおろしているため、この二つの作品は繋がっているのだなと感じた次第です。
本物の家族にしか見えない妹尾家の暖かい空気感に包まれて、ユーモアを交えながら描かれる本作は、戦時中の深刻な時代背景を描いてもなお、気持ちをほっこりさせてくれる素敵なヒューマンドラマでした。
物語は、日中戦争が始まり、戦時色が濃くなりつつある昭和初期の神戸。
洋服の仕立屋を営み、家族を温かく見守る父親の盛夫(水谷豊)。大きな愛で家族を包む母親の敏子(伊藤蘭)。少年Hこと、肇は妹の好子とともに、この両親のもとで幸せな時を過ごしていました。学校が終われば、肇は海に出掛けタコを取ったり、父と一緒に居留地の外国人のお客さんのもとを訪ねたりするという日々。日本語の分からない外国人相手に日本語で会話をする父を不思議に思い、Hは「なんで言葉が通じるの?」と聞くところが面白かったです。盛夫は「言葉がわからなくても相手の表情などで理解できるものだよ」というのです。
肇が家に戻ると、敏子が待ち構えたように、捕まえてお説教。熱心なクリスチャンの敏子は聖書の教えを金科玉条の如く肇に押しつけるのです。でも敏子の都合が悪くなる部分では、手前味噌に教えを放棄してしまうところが笑えました。
しかし、時代は次第に戦争に傾いていきます。戦時中にはそぐわない大らかな感覚を持つ父親だけでも非国民のレッテルが貼られそうなのに、敏子に連れられて肇たち家族は教会に礼拝へ通っていたことから、肇は学校でいじめを受け、盛夫は特高警察に連行されて外国人に繋がっているというあらぬ疑いをかけられてしまうのです。
アメリカに帰国した牧師からのはがきに描かれていたエンパイア・ステート・ビルディングを見て、アメリカ文化の発展性に驚いた肇。次第に世の中の動きに疑問を持っていくようになります。
そんな肇の近所には、いつも出前で自転車に乗りながら、「風の中の羽のように、いつも変わる女心」とハイカラな歌を歌う「うどん屋の兄ちゃん」(小栗旬)がいました。しかし、ある日「赤狩り」にあって警察に逮捕されてしまいます。このことが、さらに肇のなかの疑問を膨らませていったのでした。
戦局は悪化の一途。中学生になったHは軍事教練を受け、また妹の好子は疎開します。敏子は隣組で班長を務め、空襲の際の火消しなど女性たちを結束させていました。そして盛夫は仕立て屋を辞め地元の消防団に入ります。
ついに神戸も大空襲に襲われ、盛夫は火消しに奔走しますが、町は火に飲み込まれ、残されたHと母の敏子は焼け落ちる家屋の中を逃げまどいます。そして、一家は終戦を迎え、再生の道を歩み始めるが肇の心には“ある疑問”が残っていたのです。
戦後の闇市でHは、米軍相手に愛想笑いをし媚を売る大人、「天皇陛下万歳!」と言っていた教官の変わりよう、米軍相手に商売をする教官など、子ども心に大人の変わりように矛盾を覚えます。
肇はそんな大人の都合良く変わる変節が許せませんでした。この戦争はなんやったんや!と生きる希望すらなくしかけたとき、それを受けとめた盛夫の言葉で救われるのです。これからまた始めるんや!という父親の強い決意の言葉に触れた肇は、独立を決意。一家から巣立っていくのでした。
こうして物語を振り返っていくと、戦争映画と言うよりも子育て映画といっていい内容なのです。戦争の悲惨さよりも、主人公の少年が、困難な時代を乗り越えて逞しく巣立っていく過程が描かれていったのです。肇の追及に一見逃げているばかりにみえる盛夫にしても、よく見ていると息子の自発性をどう引き出すか、辛抱強く見守っていたわけなんですね。自分の目で見て、自分の頭で考えて、自分の言葉で語るように躾けられた肇は、軍事教練の教官ですら、納得いかないと疑問をあけすけにぶつける、信念の強い子供に育っていたのです。子育てで悩んでいる方には、きっと親子関係でヒントが得られることでしょう。
もちろん、そんなヒューマンなストーリーだけでなく、戦前の神戸の町並みを再現した臨場感も見どころの一つです。特に一家の暮らす神戸が空襲に遭うシーンでは、火の粉のなかを一家が逃げ惑うという、思わず手に汗を握る緊張感に包まれました。
焼け跡に呆然と立ち尽くす盛夫が、虚しさを滲ませるところは印象的。ああいい芝居しているなと唸ってしまいました。
水谷豊というと、どうしても『相棒』をイメージしやすいところですが、本作の盛夫役では、杉下右京とは全く違う小市民的な空気に逆らわないタイプの役作りをして、イメチェンに成功しています。特に評価したいのは、仕立屋として姿勢や所作が実に様になっていることです。これはプロの仕立て屋に指導してもらって、何度も練習した成果なんだそうです。
伊藤蘭との夫婦役も息の合ったところを見せ付けて、普段のおしどり夫婦ぶりを伺わせてくれました。
でも何と言っても、少年H役の吉岡が凄いのです。大の大人の役者に向けて、スバスバ台詞を放つのところは、怖いものなし(^^ゞ 本当に少年Hと同化しておりまして、恐るべき子役だと感じた次第です。
追伸
空襲のシーンを見ていて、これはもはや戦争という行為を超えて、ジェノサイドだと思いました。敗戦国になったことで日本だけが悪者にされて侵略者のレッテルが貼られています。しかし、アメリカ軍がやったことを冷静に振り返れば、空襲や原爆の投下を通じて民間人を無差別に殺してしまっていたのです。
いま身に覚えのない「南京大虐殺」があたかもあったかのように仕掛けられていますが、それを言うならナチスドイツに匹敵するくらい民間人を殺したアメリカもお詫びしなくてはフェアーではないと思います。