ぼくたちのムッシュ・ラザール : 映画評論・批評
2012年7月3日更新
2012年7月14日よりシネスイッチ銀座ほかにてロードショー
アルジェリア移民の代用教師による学園奮闘記
絶えず曖昧な微笑を浮かべるラザール先生の表情が印象的だ。ある小学校で女教師が首を吊って自死する事件が起き、代用教員として採用されたアルジェリア移民の彼は、生徒たちと真摯に向き合う。女教師はなぜ死んだのか、さまざまな憶測が広がる。その<死>を視界から遠ざけるように急ごしらえのケア対策に追われる学校側と、間近に<死>と直面し、激しい動揺を抑えきれない子供たちの間で、ラザール自身も密かに苦悩する。祖国での凄惨なテロ事件で家族を失い、カナダへと移り住んだ彼は自らも永住権を取れるどうか審議されている身の上なのだ。
ラザールは、現代的にプログラミングされた授業を拒み、生徒たちにバルザックの「あら皮」を読ませる。バルザックはフランソワ・トリュフォーが最も愛し、自作で何度も引用した作家だが、本作もオマージュのごとく、「大人は判ってくれない」から「野性の少年」「思春期」に至るトリュフォーの子供を描いた名篇を思わせる親密で、やさしい手触りが感じ取れる。
自分が流した心ない噂が女教師の自殺の原因だったのではないかと悩むシモン、ラザール先生にジャック・ロンドンを読ませるおませなアリス。微妙な反撥と共感で結びついているこのふたりの子役のあまりに自然で、内面から湧き出るような、みずみずしい存在感が、映画に独特の柔和な光沢を与えている。
厳寒の冬から夏へとゆるやかに季節は推移し、あやうい均衡を破るようにして、ラザールは学校を去る。最後の授業の光景には、安易な結論やおざなりな教訓的メッセージを拒む、血の通った真の教育とは何かという問いかけが垣間見えて、感動的である。
(高崎俊夫)