ル・アーヴルの靴みがきのレビュー・感想・評価
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流れがゆったりで昭和っぽい感じがした
いい人ばっかりが集まった映画。犬までいい奴で最後までいごごちが良い。
お人好しで憎めなくてお互いが理解していて素敵な町だ。
おまけに警部まで一役買っている。
善行を続けていたら不治の病も治してしまったという奇蹟まで起こすといいたかったのだろうか?(妻曰く近所では奇蹟は起こってなかったらしいが)
少年のこれから先が心配も去った後も街はおだやかな時が流れていくだろうと思わせる。
とは言っても難民をかくまって逃がしたらそれは犯罪だし、警部まで加担していた。
善行を重ねていたんじゃなくて悪行を重ねていたのだ。(見終わった後に気づく)
それを感じさせないぬくもりがこの映画にはあった。
見て損はない映画やねえ。
不法移民
2022年7月3日
映画 #ル・アーヴルの靴みがき (2011年)鑑賞
#アキ・カウリスマキ 監督がフランスで撮った作品
途中までシリアスで悲惨な結末を危惧していましたが、できすぎたハッピーエンドとなりました。個人的には悪くはないかなとおもいました。
愛と希望がある
愛がある。希望がある。優しさがある。眼が未来に向いている。
ああ、映画だなあ、と実感できる作品。
そうそう、やっぱり小津安二郎の世界観が見て取れるとね、ってところで、日本人である自分にも共感しやすい。
他方、西欧の移民問題については共感というと厳しい。
西欧とアフリカとの歴史的関係を考えると、思いやりのない世界がそこに存在しているように感じる。ボタンを掛け違えていませんか、西欧さん? と言いたくなる。
1つのヨーロッパ共同体などと悦に入っていらっしゃるが、アフリカや中東は違うのかい? と問いたくなる。
難民映画の嚆矢
難民三部作の第1作目。
次作「希望のかなた」に比べると、難民問題についての掘り下げが浅く感じますが、とても素敵なファンタジー作品でした。
主人公マルセルが靴磨き屋と言うのがインパクトがあります。それだけでカウリスマキの世界に持って行かれる。古い街並み、ボロい個人商店、救急車を呼ぶのに近所の人に電話を借りるなどなど、カウリスマキのグッド・オールド・ワールドが全開。さしずめ日本に置き換えると三丁目の夕日と言ったところでしょうか。カウリスマキの方がオフビートで距離感がありますが。
そして人々は優しく、助け合っている。ベタベタといかにも優しい、って感じではまったくないが、必要な時はスッと力になってくれる。
不法移民イングリッサも、マルセルをはじめとした、無愛想だが優しい人々に助けられていく。そしてそれがとても自然なのでグッときます。
本作でも、まったく押し付けることなく、人は互いに思いやれるという人間の素晴らしさを高らかに謳っており、カウリスマキってほんとシビれるなぁ、としみじみします。
対比して描かれるのが、公共システムの冷酷さです。この構図は「希望のかなた」とまったく一緒で、カウリスマキはしっかり怒っているんだなぁと推察します。単に彼がアナーキストなだけかもしれませんが、ヨーロッパで生きていると、多様性を否定する価値観の台頭が、為政者サイドに根深く浸透し始めているのかな、なんて想像できます。
あと、リトル・ボブがいいですね!唐突に登場してくるのも妙に笑える。お前誰だよ、みたいな。それで1曲まるまる演奏するから最高としか言いようがないです。
またステージがまたなんとも言えない説得力に満ちていて、強く印象に残りました。赤い革ジャンがクールだった。微妙にダサいロックンロール、リトル・ボブだからか逆にすげーカッコいいわ。面構えもコクがありまくっててイカす。
一方、イングリッサの背景がやや曖昧な印象も受けました。本作は2012年日本公開の作品なので、現在ほど生々しいリアルさを必要としなかったのかもしれません。
現在は当時に比べて明らかに切迫しており、2017年末日本公開の「希望のかなた」や、2018年日本公開のドイツの難民を描いた映画「はじめてのおもてなし」では、難民となった登場人物の背景をより綿密に描いています。
問題意識を訴えるには、個人的にはここがポイントかな、と感じているので、難民映画としては習作といった印象でした。
カウリスマキは引退などせず、きちっと三部作を完成させて欲しいものです。
観客は滑稽にも置き去りにされる。
人々の愛に心が満たされていく中で、常につきまとう不安。
「いつ清算されるのか」と落ち着かない観客をよそに、誰もが望む、しかし1番あってはならないようなラストを迎える。
観客はただ呆然と泣き笑うだろう。
結末を恐れていた自身を一笑に付された様な気分で。
優しさのかたち
アキ・カウリスマキ作品はこれが初めて。期待を裏切らない、独特の空気感に出会えた心地よさが残った作品となりました。
仏港町、ル・アーヴルを舞台に、靴磨きの男と不法侵入の少年。また、男の妻や彼らをとりまくご近所さん。人間同士が紡ぐ優しさのいろんな形を、押し付けるのではなく、何気なく置き、見つけ出させてくれるような、さりげない感覚。
そんな類いの善意は、一つ一つは小さくても、それが結集して力を生み、事態を好転させるのだと思いました。
そして助けられた少年も 一度は命をあきらめた妻と主人公の二人のこれからも、心憎い警部や街のご近所さん達も・・いったん物語はおしまいになりながらも、またそれぞれの新たな始まりを予感させてくれるような終わり方が(小ぶりで控えめ、でも空に向かって咲いていた桜の木が、それを象徴しているように)気持ち良かったです。
奥さんの旦那様に対する愛の強さは無表情なのに、とてもこちらに伝わってきて、この最終展開はファンタジックでもあり、ちょっと感動しました(笑)
日本の人情映画の世界
北フランスの港町ル・アーヴルを舞台に、靴みがき稼業の老人とアフリカからの不法移民少年の交流を描いた、フィンランドの名匠アキ・カウリスマキ監督作。
素朴で淡々とした作風。
カウリスマキの作品を見ると、小津安二郎の作品を感じる。
小さな小さな人の善意、周囲の人間模様に夫婦愛…。
悪人も登場しない。あの警部の描かれ方もいい。
人情の世界、日本映画の世界だ。
心温まる作品ではあるが、べったり感情には寄り添わない。
クスッと笑えるユーモアもあるが、少しビター。
じんわりしつつ、移民問題も込める。
秀作。
不法滞在の少年との交流を描いた「扉をたたく人」があったが、こちらも良作!
「幸福」に包まれた秀作
あらすじだけ見るとどんよりと暗い映画を想像するかもしれない。だが実際はまったく反対なのだ。
まず特筆すべきなのはこの映画が持つ「雰囲気」だろう。貧しい老人や移民問題といったリアルでシリアスな問題を描いているのに、どことなく能天気で暗い気分にならない。それがノルマンディーの風景と重なり合って、良い味を出している。現代の話なのに映像感や描き方がどことなく’60年代、’70年代を彷彿とさせる。何とも言えない不思議な空気感なのだ。
俳優達も良い。誰も彼もが一度見たら忘れられないキャラクターばかり。マルセルの見た目は決して「いい人」ではないのに、彼の行動や言動から彼が持つ優しさがあふれ出ている。仲むつまじい夫婦の様子も非常に好感が持てる。近所の店主達や靴みがきの同僚、さらには警官まで。みんな全くの「いい人」ではないが憎めない。これがこの映画を一筋縄ではいかない者にしているのだろう。そして唯一の純粋な良い子である移民の少年イングリッサ。彼とマルセルの無言のやりとりは何とも言えずおかしい。
ところどころクサイ台詞や、理想主義的な展開が鼻につく人もいるかもしれない。でもこの映画の登場人物と同じように、心からは憎めない。見終わった後は何とも言えない幸せな気分になれること間違いなしだ。
(2012年5月20日鑑賞)
ル・アーヴルに舞い降りた天使とは・・・
カウリスマキ待望の新作は、優しさと温かさにあふれている。ヨーロッパの難民問題という社会派のテーマを扱っていながら、ファンタジックなハートフル・ドラマにしてしまうカウリスマキ監督が好きだ。
ル・アーヴルという港町に流れ着くガボンからのコンテナ。扉を開くと予想以上の人数がいて驚く。新天地を求めてやってくる彼らだが、半分以上は強制送還かあるいは難民キャンプ行きだ。長年働きつめてようやく“買える”偽装の身分証明書。主人公(フランス人)と一緒に靴みがきで生計を立てているベトナム難民の青年は「名のっているのは本名ではないが、これが僕の名前だ」と言う。自分以外の名前にアイデンティティを見い出せる彼らの原動力は、少しでも幸せになりたいと願う気持ち。その幸せは日常の些細なものだ。元をただせばそんな些細な日常の幸福さえもつかめない貧しい故国での生活・・・。難民問題の深さを今更ながらに知る。
さて、前述のようにこのような深刻なテーマを扱っていながら、本作は一種のファンタジーとして描かれている。その要因の1つとして、主人公が助ける難民の少年のキャラクターにあると思う。港に漂着したコンテナからただ1人逃走した少年は、主人公の靴みがきに助けられる。まず彼の眼力がスゴイ。その真っ直ぐな眼差しは、相手が良い人なのか悪い人なのか見透かすようだ。だからこそ、自分にサンドイッチを恵んでくれた靴みがきを頼ったのだろう。若いころ芸術家を目指してパリで放浪していた彼は、今は街角に立つ靴みがき(忙しい現代人が足を止めて靴など磨くわけもない、第一革靴を履いている人などほとんどいない)として、わずかな日銭を稼ぐだけ。それでも献身的な妻と気のいい近所の人々との心温まる交流で、彼の人生は満ち足りていたはずだった、妻が不治の病で倒れるまでは。それでも本来無邪気な性格の彼は、妻が夫に心配させないためについた「すぐに良くなる」という嘘を信じて、難民の少年をロンドンにいるという母の元へ送り届けようと奔走する。妻の病はどんどん悪くなり、周囲を探る警察の存在や密告者の登場などで、物語はサスペンスフルな展開になって行くが、カウリスマキ特有のオフビートな笑い(中折帽にコートという一昔前のファッションのしかつめらしい警部が、パイナップルを持って歩く姿がキュート♪)に満ちている。
先ほどから再三本作はファンタジーと表現しているが、その最たる理由がラストシーンにある。余命いくばくもないと宣告されていた妻の病が突如として完治してしまうのである。医師も医学的に証明できないと驚きを隠せない。カウリスマキ監督は何故ここで唐突なハッピーエンドを持ってきたのか?可哀そうすぎる作品も苦手(嫌いなわけではない)な私だが、個人的に取って付けたような御都合主義のハッピーエンドは好きではない。だが本作におけるこのハッピーエンドには、私なりに1つの解決を得ているのだ。それは少年がロンドンに向けて無事に出港するクライマックス直前にある。少年が靴みがきの代わりに妻へ届け物をするシーンだ。妻は自分の死装束のために一張羅の黄色いワンピースを持ってくるよう夫に頼む(もちろん夫は死装束だとは思っていない。余談だが、クローゼットを開けると夫と妻の衣装が1~2着くらいしか入っていないことに胸が熱くなった)。そこで少年が初めて靴みがきの妻の病室を訪ね、「早く良くなってください」と握手をするのだ。そう、これこそが“奇跡”の瞬間なのではないか?少年との握手がヒーリング作用を起こしたのではないか?何故なら少年は天使だから(笑)。深読みなのは十分承知の上だが、私にはそう思えてならない。あまりにも少年の瞳が真っ直ぐだから、そう思わずにはいられない。ロンドン行きの船に乗り込んだ少年の元へ警部がやってくる。荷物置場の中から警部を見上げる少年。その真っ直ぐな眼差し。相手を良い人か悪い人か見極める瞳。警部は黙って蓋を閉める・・・。
ル・アーヴルの港町に舞い降りた黒い肌の天使。人々の心に春を呼び、去って行く(現実を考えるならば、無事に母の元へ行けるとはかぎらない。ロンドンの港で強制送還される可能性もありえる)。ラストシーン、黄色いワンピースを着た妻と2人で見る軒先のサクラ(日本の復興を願う監督からのメッセージ)。どんなに辛い状況下でも、思いやりをもってさえいれば希望があることを示している。
もう理屈抜き。
観たあと旅に出たくなる映画、一杯飲りたくなる映画が好きだ。カウリスマキ監督は期待を裏切らない。スチールの連続のような絵、色調、照明、演出。しかも今回は港町でカルヴァドスだ。もう理屈抜き。★4.5 http://coco.to/4034
カウリスマキの独特な世界
原題:「LE HAVRE」
監督:アキ カウリスマキ
キャスト
マルセル:アンドレ ウィルム
アルレッテイ:カテイ オウテイネン
警部:ジャン ピエール ダルサン
密告者:ジャン ピエール レオ
ストーリーは
フランス北西部の港町、ル オーブルで、マルセルは妻と、つましく暮らしている。若い頃は作家として物を書いていて、芸術家らしくボヘミアンな生き方をしていたが、成功して世にでることはなかった。年老いた今、苦労させた妻と二人、日々の靴磨きをして得る小銭で何とか生活している。
ニュースでは、この港町の貨物船からアフリカの密入国者が潜んでいるところを発見され、そのうちの一人の少年が逃走していることを伝えている。
その日 マルセルが港で海を見ながら弁当を食べていると 逃走中の少年が半分冷たい海に浸かったまま隠れている姿に出会ってしまった。弁当を買って 少年の隠れているところに置いてやると 翌日には、マルセルは自分の家の犬小屋に、この少年が眠っているのを見つける。予想外の展開になってマルセルは 少年イングリッサを自分の家にかくまうことになる。
そんなときに、妻のアルエテイが病に倒れ、入院することになる。病気は重く、予後が良くない。となり近所の人々は アルレッテイの見舞いに出かけ、マルセルがかくまっている少年のために食べ物を差し入れて協力を惜しまない。
マルセルは、たった一着の背広に着替え、夜行バスでカレーの街の難民収容所の出かけて行き、少年イングリッサの祖父に会い、少年が行きたがっている母親の住所を聞き出す。父親は生きておらず、母親はロンドンで働いていたのだった。祖父を難民収容所から助け出すことは出来ないが、イングリッサを是非とも母親のところに送り届けてやりたい。マルセルは 少年をイギリスに密入国させるための船の手はずを整える。しかし船のガソリン代、2000ユーロというマルセロ達にとっては とんでもない大金を作らなければならない。
近所の人々は2000ユーロを作りために頭をひねる。おなじ靴磨きをしているチャンは 息子に玩具を買うために積み立ててきた400ユーロを出すという。ロックコンサートで資金稼ぎをしよう ということになったが、歌手で、今はただの飲んだくれのリトル ボブの助けが必要だ。彼は妻のミミが居なくなって腑抜けのようになってしまった。マルセロは、家出しているミミを説得する。ミミはあっさりボブのところに戻り、ロックコンサートは成功裏に終わり、マルセロは渡航費用を手に入れた。いざ、イングリッサを船底に潜ませでイギリスに向けて船が出ようとしたときに、執拗にマルセロをマークしていた警察署長らが追跡してきて、、、。
というおはなし。
一般的に映画は、普通の生活している人々とは違った、スターと呼ばれる美男美女が出てきて 普通の人々がいつも使っている車や家具調度品よりも洒落たものに囲まれ、そのへんで売っていないような服などを身に着けて、ちょっと小市民が住んでみたいと思うような優雅な家に住み、見ている人のために非現実的な経験をしたりして、人々を楽しませてくれるものだ。それが一般人に手の届かぬ夢物語であり、映画の中でだけ体験できる冒険だったり 普段と違う興奮や感動をもたらせてくれるものだったりする。
アキ カウリスマキ監督の作る映画は、そのすべての「一般」と対照的だ。登場人物は、美男美女とは程遠い、見ているあなたより見劣りするし、生活は貧しく、映画の中で体験していることは冴えないことばかりだ。不運続きのお人よしのおばかさんだったりする。だいたい主役も端役も笑ったり、泣いたりしない。激しいやり取りして喜怒哀楽を表現して観客を巻き込もうとなどしない。終始、無表情で、せりふを画面に向かって表情なしに並べてみせる。事件など 何も起きない。特別な出来事など何も無い。
これが、アキ カウリスマキの世界だ。見ている人は一人でじんわり感動したり、にんまり笑って そっと涙をうかべてみたりする。
だから、カウリスマキの世界は一般受けしない。それで良い。
例えば、マルセロが チャンと呼ばれる同業の靴磨きと二人で壁を背に立っている。カメラは真正面だ。マルセロに靴を磨かせていた男がカメラの横を通りカメラの後ろに歩いていく、と同時に銃声がして マルセロとチャンがちょっとだけ顔をしかめる。カメラは動かない。だから死人も映らない。マルセロとチャンのわずかな表情だけで ギャングに何が起きたか想像させる。マルセロはボソッと「代金払ってもらった後で良かった。」と言うのだ。ちょっとしたハードボイルドよりも、ハードじゃないか。バシャバシャ血が流れたり ギャング同志の抗争や、物が壊れたり、人々が叫んだり大騒ぎするよりも、ずっとハードボイルドだ。
妻が、治療中は2週間面会に来てはいけないのよ、と無表情で言う。黙って聴くマルセロ。無表情でいることによって妻に状態が良いものではなく、先が余りない、ということがわかり、哀しみに心が冷えていく様子が、見ているものにはわかる。
ヨレヨレでくたびれたマルセロのジャケット、ほこりだらけの靴、深い顔の皺、くちゃくちゃのタバコの箱、それに対照的な 上等な黒のコート、帽子、ほこり一つない完璧ないでたちの警察署長。マルセロの家のクロセットには 一組の背広があるだけ、並んだアルエッテイにも2組の服しかない。家にはテレビもラジオもありそうにない。
ロックスターだったリトル ボブはミミが出て行ったあと酒に溺れていて、もう歌えない。マルセロはミミを説得して リトル ボブが酒を相手に嘆いているところにミミをつれてくる。ボブとミミのふたりは見詰め合う目がこれほど優しく見つめあうことが出来るのかというほど 優しく優しく見詰め合う。そのままカメラは動かない。長い長い台詞の無い時間が過ぎる。で、その次には、ボブがマイクを持って絶叫し、ファン達がビートに合わせて踊りながら叫びだすシーンだ。
実に表現がうまい。
マルセロが稼ぎが少なくて、パン屋にの八百屋のも借りが貯まっている。マルセルがパンを通りがかりに摑んでいくと、店主は怒って詰め寄るし、八百屋はマルセロの目の前でシャッターを閉める。そんな隣近所の人々が マルセルが不法移民をかくまったとたん、パン屋は、いくつものパンをマルセルに持たせ、八百屋は缶詰や果物を詰めた箱を渡す。会話はいっさいない。
パン屋、雑貨屋、八百屋のおやじ、パブの女主人、靴磨きのチャン、リトル ボブ、ミミなど、このル オーブルにすむ人々の心の温かさ、しわの深い顔、クタクタの服を身の纏った人々が、みな天使に見えてくる。
難民収容所に収容されたイングリッサのおじいさんに面会を要求するマルセロは、所長に肉親でないと面会できない、と言われて、私はおじいさんの兄弟だと平然と言う。署長がおまえは白人じゃないかと言うと、マルセロは「ぼくはアルビノ(先天的色素欠亡症)であって、兄弟に間違いない。肌の色で人を差別するなんて、あなたは所長の立場で民事法に違反しているではないか。」と言い返し、屁理屈を並べ立て 無理やり面会する。マルセロの不器用だが 人のためなら必要なものは必ず掴み取る姿勢に 見ているものは心から拍手喝さいする。
派手でない。地味で言葉数が少なく、役者の動きがなく、画面の背景で物語を語るカウリスマキの手法は独特だ。彼はハリウッド嫌い。才能を認められてハリウッドに招待されたが そこで自分の映画を作るつもりはないと断った。「シネマは一日、一生懸命働いた人がその日の終わりにリラックスして楽しむ為に見るエンタテイメントだ。シネマによって その日をリフレッシュできて翌日いい人間関係が築けるのであれば その映画は成功したといえる。」と言っている。
徹底した市井の人々、権力にも法にも守られていない、貧しいが、自分の足できちんと地に立っている生活者たち、彼らなりの正義、弱者の立場に立った正義の為なら どんな犠牲も恐れない人々、小さな英雄達、小さな美しい天使達を、彼は描いている。
カリウスマキはフィンランド人だが、小津安二郎のファンで 彼の作風に強い影響を受けていることが 見ていてよくわかる。小市民の単調な生活の描写を見ていると、フランスの港町なのに、昭和初期の香りがしてくる。最後のシーンで マルセルの家の前では桜が満開になって夫婦を迎い入れてくれる。小津に敬意を表したかのように、清楚な桜だ。
渋みと苦味とペーソスが合わさって、優しい笑いをかもし出してくれる。
ときには こんな映画で、心がやさしくなれる。
観てみる価値はある。
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