「モーターサイクル」プレイス・ビヨンド・ザ・パインズ 宿命 いずるさんの映画レビュー(感想・評価)
モーターサイクル
ライアン・ゴズリングとモーターサイクルの組み合わせはしっくりきます。
ルーク(ライアン・ゴズリング)はバイク乗りとしてサーカス巡業する旅芸人。
彼がどうしてバイク乗りになったのか、そして家族はいるのか、なんてことは全く描写されません。だけど、彼のその悲しそうな目と刺青だらけの体にそれまで生きてきた人生の痛みを感じます。
きっと彼には家族がいないのでしょう。そして幸せな子供時代ではなかったはず。
だから『自分の子がいる』と知って、その子に何かしてあげたいと思った。
自分が一緒に暮らすことで、『自分のような者』にはならないようにしてあげようと思った。
しかし、もう自分の子を産んだ女には新しい男がいて、自分と血がつながっているはずの子も、その男の家族になっています。決して悪い男ではないのですが、やはり自分のテリトリーに踏み入れられる事が我慢ならないのでしょう。ルークは追い払われがちです。ルークだけ仲間はずれなんです。
キリスト教徒にとって、新しい家族を形作る象徴のような洗礼のシーン。
そこでも自分の子が洗礼を受けるというのに、まったく知らされなかったルークは、教会の一番後列に座り、幸せそうな家族の情景を見て、黙って涙を流す。疎外感が胸を締め付けます。
ルークも何とか自分の家族を作ろうとするのですが……
救急車を家の前の階段で待つシーン。
私ならあそこでジェイソンを連れて逃げます。逃げないの偉いなーと思いました。
確実に自分の立場が悪くなって、もしかするともうジェイソンにも会えないかもしれない、だけどじっと救急車を待つしかない。呆然とした目にも見えますし、悲壮な目にも見えました。
なんでライアンゴズリングってこんなに悲しそうな顔が似合うんでしょう。
ルークは息子ジェイソンに様々なものを残そうとしました。
しかし、ジェイソンに伝わったのは、意図して残そうとしたアイスの思い出でもなく、金でも知恵でもなく、自分が人生で一番没頭したバイクに乗ること。
意図しなくても、不意に受け継がれるものがある。
それがバイクで、ルークの象徴のようなバイクで良かったのかも知れません。
欲を言うのならば、ジェイソンが家庭・社会対して感じている疎外感を匂わせるシーンが、ほんとに匂わせるだけだったので、もっとはっきりあってほしかった。
ルークが予感した通りになった、ルークがいないからルークのようになったジェイソン、というものがバシッと決まったなら、また一味違うものになっただろう。