「なんとなくをしっかり演ずる俳優。」その夜の侍 ハチコさんの映画レビュー(感想・評価)
なんとなくをしっかり演ずる俳優。
もとが舞台劇、その舞台作品で主演を兼務していたのが監督で、
今回主演に堺雅人・山田孝之を迎えて映画化したということだ。
舞台劇…ということで、あまり映画らしさは期待していなかった。
さすがに練られた脚本と台詞の数々、エッ?と思うような描写が
長回しで入ったりと確かに舞台らしさはあるが、私には思うほど
台詞充満の舞台感がなかった。むしろ、それだけの台詞を吐かせ、
思わせぶりな行動を延々ととらせながらも、しっかりと余韻を残す。
俳優各々の力量の成果もあれど、映画らしさは損なわれていない。
徹底的して悲哀と虚無感に固執した演出だったそうだ。
その虚無感は、主演二人のインタビューからも感じられるように、
これでもかこれでもかと俳優を追い詰め、絞った雑巾になるまで
山田君を雁字搦めにしたそうだ。でも、ちゃんとそれに応えている。
堺雅人はもともと舞台で活きたい人だったそうだ。
それを断念した(そんなことないのにねぇ)自分にとって、舞台作の
主演を演らせてもらえることがこの上なく嬉しいと語っていた。
私もよく言っているが、舞台と映画はのり代から違うものだと思う。
なので例えば舞台出身の俳優さんが、また舞台へと立ち戻るのは
やはりあの世界が恋しくて恋しくて(爆)堪らないのだろうな~と思う。
山田孝之は初めての演出にかなり戸惑ったそうで、
監督のいうことが全く分からなかった、理解できなかった、もっと
どう演じれば納得するのか自分を追い込み、ヘトヘトになったらしい。
でもその成果は…しっかりと出ているぞ!さすが山田くん。
彼の演じる木島という冷血な人間性が、彼にしか出来ないだろうと
思えるほどの迫力で観る者を圧倒する。堺演じる中村の妻(坂井)を
轢き殺して、平然とサバの味噌煮と渋滞の話をするのにゾッとした。
(なんとなく生きている)彼には、もう人の死すらなんでもない。
妻を失って以来(なんとなく生きてきた)中村も同様、もう死んでいる。
人間は、大切なものを失って初めて自分の本来の姿に気付くのか。
今までの自分は平凡で他愛のない会話や生活を、こんなに幸せだと
感じることがあっただろうか。自分の身を案じてくれる人の助言を
無視して愚行を続ける自分を支えてくれる人の大切さ、今作では
残念なことに中村と妻の日常はほとんど描かれない。しかしそれは
5年もの間、骨壷と共に卓袱台に置かれた留守番電話の録音テープが
(坂井の声で)繰り返し繰り返し反芻する。他愛なく幸せだったのだと。
中村の生き方にも木島の生き方にも、広く言えば出演人物誰にとて、
共感物質を抱けない、そんな映画である。
何なんだこいつは、どうしてこいつと離れないんだ、なぜ頭を下げる、
あんな奴サイテーじゃないか、早く殺してしまえ、何をモタモタしてる、
頭の中・心の中で悪魔の声が聞こえてくる…(爆)
その夜の侍。と銘打ったタイトル通り、決行日の夜、土砂降りの中で
包丁を抱える中村がとった言動とその意味とは…。
ラストの描き方の賛否が分かれるようだが、私にはスッと入ってきた。
妻のテープを消したこと。この復讐は、あくまで中村の話だったのだ。
プリンぐちゃぐちゃはまぁ…^^;異論あるだろうけど、
あの中村の決断、分かる(身に沁みた)人もいるんじゃないだろうか…。
孤独すぎて、もう何も感じなくなっている人が多いらしい。
平凡ってのは全力で築き上げるもの?…確かにそうかもしれない。
しかしこのご時世、頑張っても頑張っても報われない毎日を生きるのが
当たり前になり過ぎて、それで参ってしまってる人も多いんだろうな。
恐怖に支配される(木島にくっ付く)人間たちもそんな一片かもしれない。
でも中村にしても木島にしても周囲には恵まれているじゃないか。
虚無感でごまかしているのはむしろ自分の方で、誰かのために尽くす
(大きなことはできなくてもいいのだ)ことで関わりが生まれ、信頼感が
根付くという嬉しい始まりだってある。まずは自分から歩みださないと。
おそらく木島はこのままだろう…(汗)
そんな彼を演じ切った山田くんに拍手を贈りたい。
堺雅人が巧かったのは言うまでもないが、圧倒的に好敵手の力が大きい。
ブスを演じさせたらもはや右に出るものはいない安藤サクラにも拍手を。
(観ている間は映画だったけど、観終わると舞台の達成感が伝わってくる)