「ノーテンキなお気楽ギャング映画」L.A. ギャング ストーリー キューブさんの映画レビュー(感想・評価)
ノーテンキなお気楽ギャング映画
予告編を見れば分かると思うが、この映画はあくまで「事実を元にした純然たるフィクション」である。それもダイ・ハード並みに。
別に私はその点について、とやかく言うつもりは無い。むしろこの映画の馬鹿げた部分を気に入っているぐらいだ。
「いかにも」な戦後のLAがスクリーンいっぱいに登場し、挿入曲もこれまた「いかにも」時代を感じさせるものばかりだ。だがこの映画はリアリティを追求する類いの映画ではない。近年はまったく見られなくなったコテコテのギャング・アクション映画なのだから。
それでもこの映画に魅力があるのはひとえに俳優たちの力量によるものだ。ジョシュ・ブローリンは向こう見ずなタフガイをしっかり演じてくれている。彼がとる行動はどれもこれも無謀としか言いようが無いのに、良くも悪くも不安感を感じさせない。意外と銃器を使いたがらないところもミソだろう。
ライアン・ゴズリングはこの映画の中で一番素晴らしいシーンを担当している。彼が演じるジェリーは初めのうち、他の汚職警官と同じようにギャングの悪事を見過ごしている。だがあることがきっかけで(といってもかなり陳腐で唐突だが)凄まじい豹変を見せる。あの「ドライヴ」のライアン・ゴズリングがここでも見ることができるのだ。目が笑ってない時の彼はびっくりするほど凄みがあって、この映画で唯一鳥肌の立つシーンであった。
その他の役者も洗練されている。チームを編成する際、それぞれに特技があるおかげでとても楽しめるものになっている。何より誰一人としてキャラクターが被っていなかったのが良かった。
次に、ミッキー・コーエンを演じたショーン・ペンなのだが、前半はまあまあだった。静かな狂気を見せる場面が多くて彼の演技を生かすには十分だった。だが後半になると、次第にコミック調の大げさな「ギャングの親玉」に変貌していく。はっきり言って怖いとも何とも思わないが、そのコテコテの演技が見ていて楽しい。「サンタのお出ましだぜ」のシーンには笑わせてもらった。
彼の愛人を演じたエマ・ストーンは魅力的ではあるが、ファム・ファタールを演じるには色気が少ないように感じた。良い役者なのにほとんど出番が与えられず、たとえあったとしてもほとんど無意味な場面ばかり。とはいえ、序盤で見せるライアン・ゴズリングとの掛け合いは良く、台詞の中に40年代らしい華やかな雰囲気を感じさせてくれた。
それでも後半に行くに従い、この映画は自らの弱点を次々と露呈していく。
まずキャラクターの使い方がまったく上手くない。これだけ素晴らしい役者が際立ったキャラクターを演じているのに、肝心の戦闘シーンではまったく活躍していない。本当に、びっくりするぐらい。その銃撃戦の場面そのものも最低だ。まったくテンションの上がらないマシンガンの撃ち合いには飽き飽きさせられる。前半などで見せた殴り合いのシーンは効果音もぴったり調和していて、生々しさが良く出ていたのに。
よくわからない思わせぶりなシーンも気になる。本筋には全く必要のない無駄なシーンを多く含んでいるせいで、陳腐なストーリー展開がますます間延びすることになるのだ。
しかも、なぜだか後半では急に映像の質感が安っぽくなる。中盤の電信会社の襲撃シーンなどは陰影が際立っていてなかなかかっこよかった(馬鹿げたマシンガンもほとんど登場しない)。それなのに最後のホテルでの銃撃戦は妙に平坦な映像でまったく映画に入り込めなくなる。まるで映画が観客を拒絶しているみたいだ。
でも一番最悪なのはジョンとミッキーが退治するシーン。手元に銃があるのに、あえてジョンはそれを捨て、ミッキーとタイマンで勝負をする。ここから平坦な映像とヘタクソな構図が安っぽさを存分に引き出してくれるのだ。不良高校生だってもっとマシな決闘を見せてくれる。最後の最後で台無しになってしまった。
結局どうなのかというと、つまらなくは無かった。こういう何も考えなくて済むアクション映画には別の楽しみ方があるし、現に私は映画全体に流れる妙にのほほんとした空気感が嫌いじゃない。
最後の方でダメになったのは、おそらくシリアスさを引き出そうとしたせいだろう。何人かの仲間が倒れるのだが、あまりにも適当に盛り込まれているからまったく感動できないのだ。そんなことなら、最後まで頭空っぽアクション映画に徹して欲しかった。
はっきり言って良い映画ではない。でも意外と楽しめたのも事実である。
(2013年4月30日鑑賞)