シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
全396件中、121~140件目を表示
美しくもあり残酷でもある。
昔の良い頃のジブリぽいなぁ…と感じるシーンもあった。
あと、この映画スタッフの良いところ、キャストよりもスタッフのネームの方が先にロールされてる。
これだけの作品を作るのは本当に大変だっただろう。
涙は自分のために流すもので…
テレビの『新世紀エヴァンゲリオン』はオンエア終了後あたりに、エアチ...
テレビの『新世紀エヴァンゲリオン』はオンエア終了後あたりに、エアチェックしたビデオで全話鑑賞しました。
劇場版はいくつかありますが、リビルドシリーズの「序」「破」「Q」は鑑賞していません。
なので、「わかるかしらん?」と心配しましたが・・・
ニアサードインパクトで、わずかに生き延びた人類は細々とした暮らしを営んでいた。
多くの犠牲の責任が自分にあると思い続けているシンジはほとんど人格崩壊のようなさまとなり、レイ、アスカとともに自給自足様生活をする「第三村」で生活を始めることになった。
そこには旧友・相田ケンスケの助けが大きかった。
そんな折、シンジの父ゲンドウは「人類補完計画」を最終段階に移すべく行動をとっていた・・・
というところからはじまる物語。
テレビ版しか観ていないので、前作からのつながりなどはわからないのですが、冒頭繰り広げられる戦闘シーンから、その画力に圧倒されます。
ですが、主人公シンジが登場してからは・・・
うーむ、やはり、ひとりで思い悩んでいるだけなのね。
というわけで、物語を進めていくのは周囲の人々。
ヒロイン(と思われた)レイは途中であえない最期を迎え、もうひとりのヒロイン、アスカも終盤の戦闘で最期を迎える。
(いや、どちらも最期ではないのだけれど)。
で、全貌が現れる「人類補完計画」。
当初計画者の葛城博士の思惑とは別に、ゲンドウは本当の目的があるようで・・・
「知識の実」「生命の実」のふたつのうちどちらかを選ばざるなかった人類にとって、「生命の実」を得、そしてすべてを構成する微粒子として存在することが究極の人類の姿・・・という壮大すぎるもともとの計画を、ゲンドウは「孤独な自分を救ってくれた妻ユイを甦らせ、永遠の存在にする・・・」という、恐るべきパーソナルなところに決着させる。
畏るべし、ゲンドウ。
そんな妻愛をゲンドウから最終的に引き出してしまうシンジが求めていたものは、父ではなく母だった・・・
って畏るべし古風な物語。
げげげ、そこかい!
いや、それだよ!
そうあるべき!
そうじゃなきゃ!
早大にみえてパーソナル、パーソナルにみえて壮大。
後半、物語はほとんど破綻している。
その破綻している物語をアニメで、どう表現するか。
たしかに、こう描くしか手はないように思われる。
「傑作」かもしれないが、「秀作」「良作」では決してない。
そういえば、庵野秀明監督はテレビ版『新世紀エヴァンゲリオン』以降は、エヴァ以外のアニメは監督していない。
そこから考えれば、やはり「エヴァンゲリオン」とは、庵野秀明そのものだろう。
さようなら、すべてのエヴァンゲリオン。
さようなら、アニメ監督・庵野秀明。
リツコさんのスーツにくぎ付け
映画3作を一気見してから映画館に行きました。映画では細部がわからず、遠い記憶を遡ってアニメでこんなこと言っていた気がする…と思うことが多々あった気がします。
なんかもう単語がわからず
途中意味がわからないところもありましたが
迫力が凄かったのでノリで見切りました。
アニメも見てからもう一度観たいです。
そしてシンジくんは変わらずうじうじでしたが
アスカが私が思っていることを全部言ってくれたのでスッキリしました。
何て言うか、女性が全体的に格好良かったです。みんな胆が座っていて。
綾波は途中めちゃめちゃ可愛いです。
後は難しいことを全部取っ払うと
奥さんを亡くして悲しみから立ち直れない父親とそんな父親と仲良くなりたい息子の壮大な親子喧嘩だと思いました。
ゲンドウの事を考えてエンディングのBeautifulWordを聴くと少し泣けました。
もっと書きたいことも沢山ありますし、
お金を払って映画館に見に行って本当に良かったと思いますが、私の理解力が足りず不明点が割とあったので取りあえず星3つで。
きっと二度目、三度目と見るたびに評価が上がっていくと思います。
気になっている人は見て後悔はないと思います。
真希波マキとは何者か?
この映画を見終わって一番に思ったのがこの疑問だった。
なぜ「ポッと出」のマキが最後のヒロインになったのだろうか?最後のシーンは何だったのか?
確かに活躍はした。でもどうも作品の中から浮いていて、重み(生きている感)が無い。
何でも知っていて重要キャラ感は出しているが、深く絡んだりストーリーを引っ張ったりはしない。傍観者....
でありながら、ラストではシンジを呪いから解放(コンテ世界から救出、チョーカーを解除)し、そのシンジに手を引かれて街へ飛び出していく。
唐突過ぎる。なぜだろう?何だろうこれは?
そこでふと思い至った事がある。
マリは「原作付きゲームにおける自分の操作キャラ」では?
主人公を操作するのではなく、その世界にゲストとして呼ばれた存在.....
主人公を、世界を愛し(恋愛感情ではなく)、その世界の全てを知っていて、時に活躍もするがストーリーには絡まず、エンディングまで連れていく存在。
そう考えてみると辻褄が合うと思った。
・マリは原作(TVアニメ)では登場しないキャラクターである。
・いきなり主人公と絡ませるよくあるパターン(パンを咥えて曲がり角で...的な)で登場。
・他から浮いたキャラ。キャラ設定にアンマッチな行動。(鼻歌。バトルは超絶上手い。自傷も軽く受け止める。etc.)
・裏まで設定を知っている、理解できる。(プレイヤーとしてメタ視点で世界を理解しているから)
・各キャラをそれぞれ特別な呼称で呼ぶ(ワンコくん、姫、ゲンドウくん、etc.)
・あれだけの知識、実力がありながらストーリーに驚くほど絡まない。
どれもこれも、ゲームのプレイキャラだとすれば腑に落ちる。
なぜ登場人物の殆どが知らないビーストモードを使える?プレイヤーなら隠しコマンドを知っていてもおかしくない(いざとなればチートも使える)。
戦闘シーンで鼻歌、軽口。ピンチになっても「死」の切迫感が無かったりする。
これらはプレイヤーなら納得できる。
つまり、マリはエヴァ世界を回す為に、外部から導入された装置なのだ。
立ち位置としてはゲンドウ/冬月ともシンジ達とも絡む事ができて、エヴァ世界の中核には絡まず、それでいての全てを知る事ができる存在が必要だった。
だからマキが選ばれた、というかその為に用意された。
(漫画で出てきたマリと映画の中のマリ、同一人物にしてはキャラが違い過ぎる。それはキャラ設定だけ借りた別人(プレイヤー)だから。)
ただ、プレイヤーも神(製作者)の縛りを逃れられない存在。
死にイベントでは絶対勝てない。ストーリーを変える自由は持たされていないから。
死ぬ事もできない("神"にも殺すことが出来ない。世界はプレイヤーの為に作られているから、観客のいない世界は存在できない)。
これでは結局今までと何も変わらない。結果(エヴァの負の無限ループ)を変える事は出来ない。
しかし神(製作者)はマリにもう一つの役割を与えた。それはこの世界を「外から」破壊する事。
作品とメタの狭間にいるキャラを導入する事で、この閉じた世界を抉じ開け、結果をハッピーエンドに書き換える。
作品世界からはみ出した存在であれば、作品世界の呪いから影響を受けない。エヴァの呪縛や作品内の時間経過に影響されない(リアル世界の時間軸にいるから)。
そして著作物に介入もできる!(キャラとしてではなく、メタな存在として)
特撮セットを俯瞰してみる事も。原画に介入する事も。それがリアルな人間ならば。
ラストシーンで作中キャラは電車に乗って行ってしまう。作品は残り続け、走り続ける。
でもゲームは終了し、マリは電車を降りる。
ゲームは終わってしまったけれど、マリの心の中にはその作品が残っている。愛した作品(象徴としてのシンジ)が。
そして、作品はその人の一部(リアル)になって、共に成長しながら、時に手を引いてくれたり背中を押してくれる存在になる。
それがあのラストシーンなのではないだろうか?
そう考えるとラストでシンジと手を繋ぐのは、確かにマキ(=視聴者。作品を見続けてきた我々)以外にあり得ない。
監督はみんなの為のエヴァ、みんなの中にあるそれぞれのエヴァを受け止める事ができる様になった。
そのみんなのエヴァに、みんなの為に落とし前を付けた。
だから分かり易いハッピーエンドなのだろう。(「監督の作品」ならきっとこうはならない)
にわかなので、今までの作品や細かい設定は分からない。間違いは多分にあると思う。
でもこの映画で自分が感じた事は、庵野監督から今までの全ての視聴者への感謝とエール、そして自分自身の成長とエヴァからの卒業の報告なのだと思う。
こんな考察も数多ある「全てのエヴァンゲリオン」の中のたった一つ、自分にとってのエヴァンゲリオン解釈でしか無い。
でもこの映画を見て、初めてレビューを書きたいと思った。
この作品の一部になれた事に、そして同じ様に作られたこの世界の様々なものに感謝を!
ありがとう。再見。
納得できない
劇場は貸し切り状態。1日で6回以上リピート上映され、感染対策も万全で座席は1個あけて満席でも50%しか入れない。そんな対策も杞憂に終わる。一人しか入場してないのに、ディスタンスもへったくれもない。どうやら口コミの効果も無く、世間の関心から置いて行かれているようだ。
そりゃそうだろう。だって世界中がウィルスに振り回され、これ以上ないディザスターが起きているのに、アニメの世界で人類の危機なのか福音なのかよく分からないシロモノを見せられても、しょせんは作りごとにしか思えない。
今回、劇場まで足を運んだのは、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』で描かれた、この世界が展開する可能性について少し興味がわいたのと、好意的なレビューによるものだ。始まりのTVシリーズで何とも消化不良になり、のめり込んで見続けた劇場版で謎は余計に深まり、『シン・ゴジラ』にまで足を運ぶようになった身。「その落とし前をつけるにふさわしい」というようなレビューには期待をそそられた。
しかし、見事に期待を裏切られた。
ストーリーは非常にシンプルで、かつてネルフを指揮していた碇ゲンドウが目論む人類補完計画を遂行するための、フォース・インパクト発動への一連の活動と、それを阻止すべく敢然と立ち向かう葛城ミサト率いる謎の組織(もはや組織名とかバックグラウンドとかどうでもよくなってしまった)チルドレンたちは反ゲンドウの側について命がけのミッションをこなし、シンジくんは相変わらず体育座りのまま誰ともコミュニケーションがとれない。しかし、ゲンドウの息子であり、母親はエヴァの依り代でもあることから重要なキーパーソンであり、後半、人智を超えた活躍をして世界を救う。または滅ぼす。
生理的に受け付けないような気味の悪さも味わった。さらに、教室のセットの中で暴れる着ぐるみのようなエヴァンゲリオンや、色指定の原画のようなものまで見せられ、デジタルで作画されるであろう現在のアニメに昭和の時代のテイストを醸している。以前、劇場でスクリーンに客席を映して、現実への回帰をうながしたように、所詮はアニメなんですよと言いたいのだろうか。
精緻の髄を極めた画像や、印象的な音楽。もともと魅力のあったキャラクターは深みを増していたと思う。前作までは存在しなかった赤ん坊の存在は、アニメオタクの世代が子育てをするようになったことを示すのだろう。そうなると、チルドレンたちが貞操を保ち続けることに無理性が生じる。アスカが腰をよじって股間を露出してもそこに発情を伴わない無機質な記号にしか感じない。
全ての演出はそれらしく見せるための特殊な効果と言えよう。
かれこれ20年ほど続いた一連のシリーズも、これでおしまいなのか。とても納得できない。だからってこれ以上続けられても…
2021.3.22
シンジ=ゲンドウ=監督の救済の物語?
エヴァという作品はそうとうに特殊だと思う。映画単体で評価することができない。★3つというのは、映画単体でいえばこのくらいかな、というところでつけた。
この映画のストーリーを読み解くには、アニメ版、旧劇場版を含め、監督とファンの関係など、メタ的な解釈が必要に思う。
ひとつ言えるのは、監督は常にファンのために映画を作ってきたんではないか、ということだ。監督とファンとの関係は、まるでゲンドウとシンジの関係のようだ。お互いに愛しい存在であるが、嫌ったり憎んでもいる。
ゲンドウはシンジに「大人になれ」とくり返す。旧劇場版から一貫して、監督はファンに「お前らエヴァから卒業しろ。これはアニメで虚構だ。現実を生きろ」と訴え続けている。
新劇場版の「序」「破」までは素直なストーリーで、「もしかして監督は今度こそエヴァを作品としてちゃんと完成させようとしてるのかな?」と思った。
しかし「Q」で、結局「お前らエヴァから卒業しろ」に戻ったのか…、と思った。
そして今回の「シンエヴァ」が目指したものは、「エヴァの無い世界」と「すべてのエヴァキャラの救済」だろう。
これは、従来までの「エヴァから卒業しろ」という突き放しとちょっとニュアンスが違うように思う。
エヴァがなぜこんなにも長期間ファンがつくことになったのか…。
それは、旧劇ではこの物語が終わっていなかったからなのではないか。
逆の言い方をすると、監督は旧劇でエヴァをちゃんと終わらせることができなかった。
それは、監督がシンジくんの問題を最後まで解決できなかったからだ。
監督は、ファンがエヴァから卒業できないのは、ファンが大人になれないからだ、と考えてきたのではないか。
しかし、実はそうではなく、監督自身の問題だ、と気づいた。
シンジくんの物語は、父親との確執が解決されなければ絶対に終われるはずがないのに、旧劇ではその決着がついていなかった。
「シンエヴァ」ではついに、ゲンドウ自身が自分が子供であることを認めた。
ゲンドウはシンジを認め、シンジはゲンドウを認め、監督=シンジ=ゲンドウは救われた。
「お前らエヴァから卒業しろ」ではなく、「私はエヴァから卒業する」が今回の映画だったんではないか。
映画の最後、大人になったシンジくんは実写の宇部新川駅の階段をかけあがるところで終わる。これは、シンジ=監督が大人になり、エヴァから卒業した、ということをあらわしているのだろう。
終盤のマイナス宇宙にいくあたりの超展開は、なぜか仏典を思わせるなあ、と思った。
たとえば法華経では、はじめ現実世界からはじまって、途中から虚空に舞台をうつすという超展開がおこるのだけど、それを思わせる。
最後に、順番にエヴァを消滅させていくところとか、キャラを救済していくところは、仏典の最後に仏が登場人物たちに成仏の記別を順番に与えるところを思わせる。
成仏(解脱)というのは、輪廻から解放されて、もう二度と生まれてこない、ということなので、エヴァやキャラが作品という輪廻から解放された、と考えるとしっくりくる。
すべて計算されていたのか?
みなさんいろいろ考察されているが、どれもなるほどと思う。TVシリーズをリアルタイムで見ていた者として当時の記憶がよみがえる。あの当時も考察が流行ったな。EVAの面白いのは公式がすべての解説をしないこと、それでいて微妙なバランスで物語が破綻しない。TVシリーズの時はおそらくシンEVAの構想はなかったハズ。改めてすごい作品だと思う。
自分も考察してみる
旧劇場版の最後がずっと謎だった。最後アスカの首を絞めるシーン。旧劇でシンジの魂は救われており、新劇はシンジ以外の魂を救う物語ではないでしょうか?旧劇の最後は新劇「破」の前、やり直し直前ではないか?アスカはEVAの呪縛によりシンジ同様にLCLの中でも自我があり、やり直しの邪魔になったのでは?アスカの存在を首を絞めて殺そうとしたが、できなかった。そのため魂がやり直し世界のLCLの中に取り残された。そこで新劇ではクローンとして登場したのでは?
どうでしょうか
キャッチコピーどおり、やっとエヴァが終わった
キャッチコピーどおり、ようやっとエヴァが終わったんだなという作品だった。一部謎なところは残ってるけど、いちいち考察してもしょうがないというか、謎は謎のまま残しておく(というか完璧な解はたぶん監督の中にもない)のがエヴァなんだろうと思うのでこれで終わりでいいと思った。投げっぱなテレビ版からするとちゃんとしたハッピーエンドに進化してて感慨深いし、各キャラもちゃんと救われてて、四半世紀続いたエヴァの呪縛から観客を解放してくれるいい結末だったと思う。
旧劇とかと比較すると、やっぱりゲンドウとミサトさんがかなり救済されててよかった。ゲンドウの独白はコミック版でもここまで詳細には描かれなった部分だし、息子との和解、ユイへの思いを自ら終わらせてたし、ラストはゲンドウとエヴァがまた復活することがないよう念入りにとどめ刺して成仏させてたように感じた(笑)。スターウォーズ同様ホントの主人公は父親のほうだったんだなあと思うと、もしスピンオフがあるならゲンドウとユイの出会いと離別が話の中心になりそう…。ミサトさんはQまでだと問題の元凶みたいなとこあった(笑)けど、あの世界の大人代表として立派に責任とったし最後に名誉挽回した感じ、欲を言えば生き残っててほしかった。
ラストがマリエンドというのに困惑する感想もあるけど、ラストを必ずしも恋愛関係と捉える必要はないと思う。キスシーンもなければ子供が出来てるわけでもないし、ただ仲良さそうに新しい日常に一緒に踏み出してるだけ。そもそもテレビ版・旧劇に出てこないマリの存在がループする世界から新劇の世界線へ導いたわけで、物語のメタ的な視点ではマリエンドになるのは妥当。綾波エンドやアスカエンドを望んでいるのはエヴァの呪縛から逃れられない観客だけで、アスカも昔は好きだったけど大人になってしまったと言ってるし各キャラはみんな大人になってしまって、観客だけが長い時間の中に取り残されてんだなと感じる(笑)。アスカはなんでかケンスケとくっついててもうちょっと経過とか描写がほしかったけど、ケンスケが加持さんポジションに見えたのでそこまで違和感はなかった。もやもやするところとしては綾波はアレで救済されたってことでいいんか?とかあるけどまあ一区切りはついたのでいいんじゃないだろうか。
完全に謎がスッキリ、感動の涙が止まらない!スタンディングオベーション!!って感じではないけれど、総じて四半世紀のもやもやに一定のピリオドが打たれたと思うので自分はこれでよかったと思う。監督・制作陣も観客もホントお疲れ様でした(笑)、静かに拍手を送りたい、そんな感じの映画だった。
ありがとう。
エヴァTV放送が映らなかった当時、
友人から借りたVHSをテレビデオに
かじりついて観ていた僕も、子どもから、
”Q”わけわからん、カヲルってなにものなん?
と問われる立場になりました。
一人で”シン”を観に行って、
勝手に納得していたので、ニヤニヤしていると、
気持ち悪いと最大の拒絶の言葉を頂き、
落ち込んでいます。
すみません。僕にもわかりません。
わかりませんが、好きって気持ちがあれば、
理解と納得は可能だと信じています。
以下、25年を振り返って、
自分で勝手に解釈して、
ありがとうと納得した”新世紀エヴァンゲリオン”です。
庵野監督、スタッフの皆さん。
楽しい時間を有難うございました。
”シン”によって運命は定められている。
そして”この宇宙”に存在する限り、繰り返される。
”それは定まっている理(ことわり)=円環”。
理=使徒(アダム:力:物質:生命の実)側が
制するのか(せいめいのみ)、
ヒト(リリス:知恵:魂:知恵の実)
側が制するのか(ちえのみ)。
1つの宇宙では
”どちらか一方しか選ばれることはない”=定理。
理の外に出る方法=イマジナリーインパクト
=”シン”による新しい新世界(宇宙)の創造(想像)。
シンジくん
(=わんこくん=DOGこくん=GOD子くん
=神子くん=神児くん=申し子)が、
アイ(アイデンティティ:愛:相:哀:会:I:
eye:逢い:遇い:藍)をシる(オトナになる)ことで、
”シン”になる。
”シン”はその”モロ手”ですべてを掬う
(アイのカタチ=ハート)。
ヒトを滅ぼしたくない矛盾を抱えた使徒:
定理をシり、このムジョウな円環から
エヴァに関わる全ての存在を掬いたい、
赤色の瞳を持つシ者”渚司令”によって
導かれるイマジナリーインパクト。
どこにいても”必ず”迎えに行くからね。
わんこ君。
シンジ君を”必ず”掬う存在として、
姓名の書(脚本)にその名前が刻まれた
ユイと同じアイを持つ真希波マリ。
真理はあなたを自由にする。
0=在るのに無い 観えるのにない
不思議な数字
レイによってシンジ君は愛をシる。
”左目”を失い、”ノロイ”を受けたアスカ。
ノロイを解くのは名前にeyeをもつ男
相田ケンスケ、相田ケンスケです。
2人の子供:リョウジの母であり、
希望を捨てない
優しく明るい笑顔の女性ミサトさん。
彼女が消えることでシンジ君は哀をシる。
最後のシ者存在:赤色の瞳を持つゲンドウ
(父:擬似シン)との会話(会)を経る(得る)ことで、
”オトナになる”ということ:アイを自覚し(自シンを持ち)、
”両シン”からの自立を果たし、
赤の瞳に藍を以て紫にいたり、
その名の通り、”申し子”になったシンジ君は、
”エヴァの世界”を創造した”シン”と
会話が可能となる。=キセキ。
”シン”は全てのエヴァスタッフ、
エヴァが好きなヒト(ファン)の
”エヴァを好きな気持ち=まごころ”で
ある。
シンジ君はエヴァの全キャラクターの
望みを聴く。
エヴァスタッフ、エヴァファンの望みは、
エヴァキャラクターが幸せになってくれることであった為、
エヴァスタッフは、エヴァキャラクターの望みを汲む形で、
新世界創造のシナリオをその両手で描ききり、
全てのエヴァキャラクターを
掬い(ノロイからの解放)、
”最後”にシンジ君をも掬い、
物語を”完結”させた。
また、物語が”完結する”ことで、
エヴァファンも掬われた。
”すべて”を掬っての、
さらば、エヴァンゲリオン。
アシカケ25年。ずっと"好き”でいられる、スゴイ作品でした。
出会えてありがとう。エヴァンゲリオン。
多くは語れませんが
にわかなので多くは語れません。
途中から話について行けなくなりました。
用語が難しいです。
でも、言いたい事はぼんやりとだけどわかったような気がします。
委員長が言っていた「おまじない」は良いですね。
ハッピーエンドで良かったのかな。でも最近エヴァを見始めたのにこの喪失感はなんなんでしょう。単にシリーズ物だからという以外の理由が有りそうです。
サヨナラはまた会う為のおまじない。
まずはヱヴァンゲリオンに関わった全ての人に感謝
そしてお疲れ様です。
シンヱヴァンゲリオンを公開にあたって
おめでとう(*’ω’ノノ゙☆パチパチ
全てのヱヴァンゲリオン作品にありがとう(*^_^*)
今作は去年公開予定でしたが
新型コロナの影響で二度の延期に(。´Д⊂)
新劇場版Qから9年くらい💦
映画は完成してるのにまだ待たせるのかって感じでした。
1月の緊急事態宣言で延期が決定した時は、
「共にこの困難を乗り越えましょう」
で我慢しました
3月8日に公開が決定しました
以外に早いΣ(゚∀゚)
てっきり公開は今年の夏頃かと(笑)
自分は公開初日に観に行きました\(^_^)/
そして2回観に行って来ました!
ネタバレ有りで勝手に感想を書くよ。
まだ観てない人はこれを閉じて映画館に行こう((o(^∇^)o))
自分はエヴァに関しては
東京で当時TV放送してた頃から見てました。
当然地方には放送されてないよ💦
仲間の知り合いでTVのダビングを見せてもらった
それがエヴァとの初の出会いでしたね♪
それからTV、映画に何度もみました。
今作はシンヱヴァンゲリオンは、
何故、最後はマリ(/ロ゜)/
シンジは綾波が好きではないの?
間違いなく新劇場 破まではメインヒロインは
綾波だったと思います。
それなのに最後はシンジとマリが手を繋いで行くシーンがΣ(゚∀゚)
アスカは使徒になったからね❗
綾波は新劇場 Qではシンジ対して冷たいしね❗
マリはシンヱヴァンゲリオンではシンジを見つけて迎えに来たからね(*^_^*)
今作はシンヱヴァンゲリオンでは真希波・マリ・イラストリアスが
メインヒロインだと思う、一番活躍したと思う。
ゲンドウが人を捨てて使徒になったのかな?
ミサトさんは最後旗艦AAAヴンダー共に死んだのかな?
アスカのオリジナルは13号機に乗ってたって事?
色々訳分からない所があるけど、
最後はシンジが三本目の槍ヴィレの槍で
ヱヴァンゲリオンのない世界を作り替えたって事かな?
色々間違ってたら(´。・д人)゙ゴメンヨ
今作は、前作の映画Air まごころを君に
に似てるところがありますね
Air まごころを君にではシンジの心の補完だけど
シンヱヴァンゲリオンではゲンドウ、アスカ、カオル、綾波の心の補完
だと思います。
ついにヱヴァンゲリオンという作品が終わりを迎えましたね
「サヨナラはまた会う為のおまじない」
庵野秀明監督がシンウルトラマンを作ったら
破とQの間の作品を作って欲しい((o(^∇^)o))
何かの形でまた新しいヱヴァンゲリオンに会いたいですね(*≧∀≦*)
さよなら、エヴァ‥ありがとう‥
この作品を鑑賞して思ったことは、まず新劇場版シリーズを完結まで導いた全てのスタッフとキャストに感謝と敬意の気持ちでいっぱいです。
パンフレットにも記載されていました通りアニメーションの面白さを様々な形で取り入れていてストーリーや映像作りはどれも興味深く、9年間待った甲斐がある程の出来栄えでした。
良かったシーンはヴンダー艦隊戦と初号機VS13号機がとても印象強くワクワクさせられた。
そしてなによりシンジが一人の男として成長した姿が描かれていてとても感動できました。
【総合評価】
エヴァシリーズを観てきた者としては、エヴァらしさが素直にある納得する終わり方だったので個人的には大満足。日本のアニメーションにまた一つ名を残せる素晴らしい作品に仕上がっているんではないかと思います。
女性達の描写がカッコよくて好きだ!
高3の時に友人から借りて観たTV版エヴァ。
どハマりして、映画を観に行って、よく分からなくて離れて、今回ラストということで観に行った。
色々な人の感想を読んで、賛否両論あるというのはエヴァというのは「個人的な体験」なのだなと思った。
いつどんな精神状態の時にこの作品に出会ったか、また男性か女性かで感想が大きく違いそう。
私個人としては今年41歳になる独身女性。
まだまだ自分は未熟だなと思うことの多い人間。
それだからか、今回それぞれのキャラ達の成長と未来が見れてスッキリできたし勇気をもらえました。
あとは何より映画館でリアルタイムで観れて本当に良かった。
映像の進化がまずはとにかく凄いなと。今だから表現できたことが多いのだろうな。
映像は大大大満足!
日本のアニメは凄いなあ。
今回は廃墟シーンの美しさにとにかく感動。
ストーリーは、前作をサラッと観ていた程度だからか、よくわからないことも多かったけれど、それでも何をやろうとしているのか、何を伝えようとしているのかは理解出来るので、分からないながらも面白く思えた。
まあ、とにかくゲンドウとシンジが最後に分かり合えて良かった…。
そのラストしかあり得ないのだけども。
ゲンドウは元々弱い人だったのに初めて愛した唯一の人が死んでしまったことで、やっぱりだいぶ昔に壊れてしまっていたんだなと。
人間はそんなに強くないよね。
最後は少し戻れたようで良かった。
シンジという息子がいて良かったね。
地球を完全に壊さずに済んだ。
ミサトさんがカッコよかったな。
母親になると、あんなにも強くなるのかな。
この映画、女性達がカッコよくて好きだ。
それぞれの境遇で悩みながら、悲しみながら、或いは楽しみながら戦ってる姿がいい!
アスカとマリの戦闘シーンはホント最高。
委員長の今が一番若い、ってセリフはよくあるセリフだけど、やはり大好きな言葉。
この言葉しか歳とった自分を救わないから笑
これだから若い男は、も良かったな笑
庵野監督のモヨコさんへの愛をたくさん感じて、それもキュンとしたな。
ご都合主義という批判があるのもわかるけど、それでも沢山の愛の詰まった素晴らしい作品で、私は好きです。
映画館でもう一回観たいなあ。
エヴァンゲリオンは何度見ても大まかな内容までしか理解出来ずそれでも...
エヴァンゲリオンは何度見ても大まかな内容までしか理解出来ずそれでも何度でも見たくなる映画でした。人間の欲や生き方、それから日本人らしい性格そういう言い方を悪くしたら汚い部分をエヴァンゲリオンには描かれていて好きです。使徒が怖くて映画館で見るか迷いましたがもし今回見なかったらきっと後悔すると思ったので見に行きました。しかも1人で笑笑 一緒に見に行く相手がいなかったので…。アニメも漫画も読んだことがなく映画しか見た事がないのでどんな終わり方をするのかどのようにシンジくんが成長するのか気になりこの2時間30分で完結できるのだろうかと思いながら見始めました。心を閉ざしたままのシンジくんに対し心を開き始めたレイちゃん。でも生きることに意味を見いだせないシンジくんに対してレイちゃんは生きることの楽しさや面白さすごさを見出したのに生きることの出来ないレイちゃん。シンジくんの前でレイちゃんがカヲルくんと同じ死に方をしたのはシンジくんにとって残酷だなと思いました。だけどレイちゃんの死がシンジくんを動かし前に進ませたと思います。変わり果てた世界で1人取り残されたように突然目を覚ましエヴァに乗り、周りに責められる。そんなシンジくんだけど最後は世界も父親も全てを救い出し私たち現代人に未来を切り開く方法や気持ちの持ち方を教えてくれた気がします。もし時間があればもう一度見に行きたいなと思いました。
見終わっても、「うん、知ってた」としか言えない
「まあ、こうするしか無いんだろうな・・」
本作を見た直後の、これが率直な感想です。
「エヴァ」という作品を牽引していたものとして、
・学園エヴァとしてのラブコメ要素
・既存のロボットものの枠にハマらないバトル描写
・謎によるクリフハンガー
・私小説的でさえある心情描写
などがありますが、今回の「シンエヴァ」でどれほどのものが残っているでしょうか。
今の庵野さんがラブコメを描けない事は既に「破」で露呈していますし、
バトル演出はほぼ全てをCG化する事で作画時代のケレン味を失い
屋上屋を架すような謎を本気で追いかけるのは一部の好事家のみとなり
そして一番大事な事として、すでに庵野監督自身がシンジ君に仮託するほどの熱情を失っている。だからこそ9年かかるわけです。作りたいものを作っているなら、こうはならない。
Qのラストに続く物語に、私が期待していたのはジュブナイルSF的な展開でした。シンジ、綾波、アスカの3人が赤い荒野の大地を旅する・・そこで人としての何かに触れる、気づく、取り戻す・・どんな壮大なお話になるかと期待していました。確かに作るのはむつかしい、9年かかっても仕方がない、と。ところが出てきたのは災害後の日常をサバイブする共同体。after3.11のアレです。「あーこっちに持っていっちゃったか・・」って、思いましたね。楽な方を選んじゃったなと。
このコミュニティの住人がまたやたら饒舌で。綾波に絡むおばちゃん達や、委員長やらが、聞かれてもいない事まであれこれ語る。限られた尺の中で役割をこなすために、みんなが都合の良い住人になっている。綾波もまた、やたら素直に順応する。シンジに勧められても本を頑なに読まなかったQとは既に別人です。段取りをこなすための、舞台装置に過ぎない。そんな描写の薄っぺらさが、見ていて辛い。前半はアスカだけが救いでしたね。
シンジ君が復活してからも、艦長がひとり特攻するヒロイズムだとか、父殺しを行う息子だとか、最新の映像技術を駆使して古典を見せてくれます。庵野監督のご年齢を考えれば、新しい引き出しがあるわけもなく、こうするしか無かったのでしょう。もちろん、古典やお約束が悪いわけでもないですし、実際よく出来ている。だから感動する人が居ても不思議じゃないです。それを否定するつもりはありません。ただシナリオが弱いから、引用したシーンのコラージュで終わってしまっている。ヤマトだったり、999だったり、ナウシカだったり。「旧エヴァ」も引用は多いんだけど、それらが修飾する中心に「エヴァでしか見れない熱量」があったわけですが、新劇場版の中心には何もなくて、空っぽなんですよ。だからこそ脚本でもう少しスイングさせたい所ですが、原案が監督だとこの辺はどうにもならないですね。
さてラストですが、庵野監督が富野さんの「新訳Z」を見て今回の連作を作ることを決めたと聞いた時から、こうなるだろうなとは思っていました。そして「新訳Z」のラストがオリジナルに比べて語られる事が少ないように、ハッピーエンドというのは物語の死を意味します。「エヴァ」はこれまで、例えお話として一応は完結していても、何かを観客の心に宿題のように残してくれてきました。問題作とされたQですら、その意味ではれっきとした「エヴァ」でした。だからこそ、綺麗なお姉さんと走り出すシンジ君を見て、「あーほんとにエヴァ終わったな」って思えました。私が受け取るべきものは、もうこの作品にはないなと。
まあ、だから、これで良かったのでしょう。だって終われたのだから。
PS.それでもシンジ君はアスカとくっついてほしかったな~
エヴァンゲリオンが1番庵野ワールド全開で最高でした
庵野さんの癖を観ていたような映画
登場人物がそれぞれとても魅力的でアスカさんとマリさんはとても好きでした。コンビでの戦闘もとても良かったです。終わってしまって寂しさがあります。
天才の天才達による凡人の為の作品
アスカさんは本当に天才だなと思いました。
それぞれの最後の時がとても象徴的で様になっていてかっこ良かったです。
こんなご時世だから終わってしまったのかな~。
ラストの宇多田さんの歌はまた最後にエバを強く感じることが出来ました。
エヴァンゲリオン本当にありがとうございました。
いつまでも永遠にファンです!
Ps 年配のお父さんは隣ですやすやと寝ていました。
追記
Paris(エヴァ)と別れることが寂しいことを感じました
エヴァンゲリオンロスになってしまった
これからエバの知識をどんどん補完していって、チャンスがあればまだ劇場でエヴァを観たい😣
パンフレットも買いたい❗
(式波)アスカ・ラングレーをまだまだ追い続けていたい🏃♂️
まだまだエヴァロスになんてなりたくない
勘弁してくれ
レイの様に爆弾持ってでも劇場まで突っ込む感じで観に行きたい
この使徒を殲滅させる
まだ終わっていない
終わってしまった……
公開から1週間ちょい行けそうだったのでシンエヴァンゲリオンを見てきました。見に行くまでにTwitterで田植えがどうとか感想でアスカ……みたいなのがありもしかして明日か死ぬのか……?と思いながら見に行きました。
まぁ、映画館はほぼ満席で始まり(ポップコーンかなり落とした)最初の田植えシーンみて黒波の成長を見た後のあの驚き。アスカにタオルをかけるシーンとかでも驚き。
いやー、やばいですね(語彙力)
でもアスカのは前回からかなり時間経ってるしまぁ、わかるかなって。
最後に、とても面白い作品だったと思います。ありがとうございました。あと何回か見に行こうかな……。
全396件中、121~140件目を表示