シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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いやー安心した(笑)
いやー安心した。これがシンエヴァンゲリヲンを見た率直な感想である。
エヴァとは深夜の再放送と97年の旧劇場版からの付き合いである。
設定の詳細や深掘りは私より鋭く洞察されている方がいらっしゃる。私は1995年から26年間、エヴァンゲリヲンにどういった感情で接して来たか書いてみたい。
まず95年のアニメ版。
95年、当時のテレビ東京は18:00代に結構際どいアニメをやっていた。女性の裸体を強調した容姿や内容もグロ、残酷なものが多かった。(もしよかったら爆裂ハンターやブルーシードを画像検索してほしい)
まだアニメは子供が見るもので夕方の時間帯を与えられていた。しかし内容は完全にアダルト向け、当時はOVAという文化の始まりでアニメ媒体でハードなものを作れる人々が夕方の地上波の時間を与えられているような感じだった。
そんな時に始まったのがエヴァンゲリオン。女性の裸体のようなプラグスーツやグロ描写もこの時間帯だから生まれたものかなと思う。
アニメ版のラストは訳が分からなかった。ラスト前から物語の謎に置いてけぼりで全然ついていけなくなっていた。
「これどんな話だったんだろう?」それが素直な気持ちだった。
そして旧劇場版。
なんとなく凄いものを見た感想はあるのだが、意味が分からなかった。なんとなく恥ずかしい気持ちにもなった。
キャラクターが当然のように知らないことをしゃべり、なんとく救われていないことは分かった。
アニメ版を録画したVHSを貸してエヴァに引き込み、一緒に旧劇を見に行った友達とあれこれ話したが、何だったんだろうなぁ…というモヤモヤした感じで終わった。
それから10年。庵野さんがもう一度エヴァをやるという。序、破、Qいずれも旧劇を見に行った友達と行った。
旧劇で中1、序で大学4年、破で社会人と大学院生、Qでお互い社会人になっていた。エヴァは社会的立場が変わりながら鑑賞してきた。
とうとうお互いに世帯を持って子供も出来た。
そんな友達と一緒にエヴァの最後を見届けた。
エヴァンゲリヲンが終わるにはシンジ君がまた明日も生きていこう、と前向きになるしか物語を終われないと思っていた。
そしてちゃんとそうして終わってくれた。
細かい設定や裏で起きている事象はもう良い。俺には追えない。
シンジ君が前を向けたラストだったことが嬉しかった。
私はエヴァンゲリオンは「巨人の破壊」を描写するための作品としてスタートしたと思っている。まず撮りたい画があってストーリーはその理由づけでしかない。
その中で出てくる登場人物、特に女性は庵野さんの人生で出会ってきた人を当てはめたように映った。
綾波レイは母、葛城ミサトは仕事に生きる女性、アスカは接点が無かった美人でギャルなクラスメート。
誰も男として自分を受け入れてくれる存在では無い。だから旧劇でいくら女性に救いを求めても拒絶され続けたのだろうと思う。
アニメ、旧劇では男にとって彼女や嫁さんに当たる女性が居なかった。
だからマリが登場したとき俺には安野モヨコにしか見えなかった。彼女だけがシンジの隣に居ようとし続けたキャラだったから。
本作、何度もシンジの口から「決着を着ける」や「終わらせる」という言葉が出る。それは、エヴァに乗る=アニメを作るという庵野さんの本音だと思うし、それはやりきったと思う。
撮りたい描写の理由付けでしか無かったキャラクターを救うことでエヴァンゲリヲンを終わらせたのだと思う。
こっちも大人になったからかトウジ、ケンスケ、ヒカリは良かったなー笑
皆んな立派になっていた。特にケンスケ。私はアニメ版からケンスケが好きで(アイツはシンジが家出した時も付き合ってくれたし、アニメ版で唯一良い奴だった)シンジ達を同級生ではなく大人にとして受け入れていた。
そう、シンジ、アスカ、レイはもうずっと子供だ。周りは成長しているのに26年間歳を取れなかった奴らが大人になる話だった。
シンエヴァンゲリヲンには子供、新生児、妊婦が出てくる。エヴァンゲリヲンが今まで見ようとしなかったものだ。私はエヴァンゲリヲンには内臓が無いように映っていた。設定上はあるのだが生物が生きていくための捕食、排泄、性行為といったものに対する嫌悪感がビジュアルに出ている。
だけど今回の映画では人間が生命を紡ぐシステムの描写、そしてその先にある人々の繋がりを肯定できるようになっていた。
だから全てのキャラクターを救うことが出来たのだと思う。
ブンダーの連中もQで見た時、なんだコイツらと思った(特にピンク髪)が、皆んなに見せ場があり好きになった(ピンク髪は言ってることもやってることも至極当然、そりゃそうだと思う。一番感情移入できた笑)
ラストはシンジが自分の意思でエヴァに乗り、父と対峙するというこれ以外エヴァを終わらせる方法が無いというシチュエーションにきちんと向き合った。
旧劇になかったゲンドウの心情吐露、これがエヴァを終わらせる槍だったと思う。
シンジは破の辺りから逞しい奴になっていたが、今回ちゃんと自分で立ち直れた。
その方法が三番目の綾波との会話。これも良かった。二番目と三番目を区別してそれぞれを救ってくれた。
そしてアスカ。
彼女はエヴァンゲリオンからずーっと不憫だった。それはアスカが男から見た繋がれない女の象徴だからだと思う。嫁さんを貰った男にとって、他の女はどうでも良くなる。だからクローンだったのかなと思った。
そんなアスカも帰る場所を見つけた。それを受け入れるケンスケ。(オマエいいポジション着いたなー笑)
全部を救ったシンジ君は大人になった。そして伴侶と歩き出す。これ以外ないラストだった。本当に良かった。
一点だけ!最後に残酷な天使のテーゼ流れてたら号泣してた笑
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【追記・鑑賞から時間が経った後の感想】
エヴァンゲリオンはなぜ終わったか
庵野監督はなんでエヴァンゲリオンをこういう終わり方にしたんだろう。
NHK プロフェッショナル仕事の流儀の終盤、安野モヨコさん(マリ)によく出来ましたと褒められる庵野監督が映る。
普通に見れば良い作品を作ったね、よく頑張ったね、という労いに観れるのだが私は安野モヨコさんが「(沢山の選択肢から)よくこのラストを選択したね」ということを褒めてるんじゃないかなと感じた。
なんというかサービス、サービスし過ぎなのだ、シンエヴァンゲリオンは。
シンエヴァで言っていることは旧劇と同じだ。ただ、それを映像表現としてダウナーに見せるかアッパーに見せるかの違いで。
庵野監督の実力からしたら観客を満足させて帰すことなんて簡単だ。それをしたくないからエヴァを作ってたんじゃないのか?なぜ、庵野監督はエヴァをこんなに綺麗に終わらせたんだろう。
それは庵野監督自身がウルトラマンを作れることになったからだと思う。もうエヴァに足を引っ張られたくないから観客を満足させて映画館から帰したんじゃないか。
元々、ウルトラマン(神)の代わりに作ったのがエヴァンゲリオン(神に似せて作ったもの)だ。
私は庵野監督がエヴァンゲリオンへの執着が無くなったんだと思う。だからこそ終わらせることが出来た。
25年経っても、相変わらず下半身丸出し
25年前に始まった作品だ。
見る側も何度も体験を積み重ね、同作に影響を受けた作品も数多く生まれている。ギリギリまで見る側の理解を阻害して惹きつける造りは同作ならではの魅力だが、その世界観にもはや新鮮味はない。独特な表現技法も、同作自身が付けてきた手垢にまみれている。
しかしこの作品が最後にぶち込んできたのは、監督自身のまるで衰えない衝動と作家性。私小説的な丸裸のパーソナリティだった。これが極めて鮮烈で衝撃的。
特に『シン・ゴジラ』に明らかなように、この監督は器用で上手い。しかしエヴァンゲリオンという作品においては、常に監督自身のパーソナルな部分を、混沌とした物語に乗せることを重視してきたように思える。
しかし25年も経っているのである。そこで私達は驚かされる。「こいつ、まだこんなに吐き出したいことが残っているのか……」と。そして庵野秀明は知っているのである。自分の下半身を晒すが如くのパーソナリティを作品にする術と、その商品性の高さを。
小学生の農業体験のような人々との触れ合い、自治体のCMのようなだっさい終わり方、マリへの偏愛、ゲンドウとユイのタイタニック、わざとらしいタイトル回収など、本当にこれでいいのか?という点も多い(シャンプーのCMみたいな、マリの海辺のシーンはなんなん?)。ゲンドウの独白だって、ラジオの人生相談にも採用されないほど、凡庸でつまらない悩みだ。
もう途中から「何を見せられてるんだろう」と笑けてくるのである。こんなでかい画面とでかい音で、「オタクおじさんの割礼」を見せられても、こっちはあなたの友達でもなければ、懺悔室の牧師でもない。知ったこっちゃないのである。
しかし、そんな訳の分からない作家性と人間性が迫り来る状況に震えてしまう。監督の剥き出しのパーソナリティに、嬉々として興奮してしまう。他では得難い映画体験だ。
おつかれさまでした!
いつも首を傾げつつ
嫌悪感を抱きつつも
シリーズこれまでのすべてを観た
次こそは観ないと決めていたのに
観てしまった
相変わらずいかれていたし
細かいことはわからないが
今更ながら
共感?手応え的なものを感じた
げんどうさん良かった
戦闘シーンうけた
ラストは笑い泣きしてしまった
皆さん元気そうで何よりでした
やっぱり映像綺麗だったし
世界観すごかった
そしてキャラクター皆よかった
これがなかったら
途中でくじけていたかも
宙吊りの期間が長すぎて
観てきてよかったとまでは断言できないが
諸々、成仏した
こっちで勝手にハードル上げてしまったのに
期待にこたえてくれました
こういったテーマを発掘できる才能
内面と客観を行き来し作品にできる精神力
本作での態度に脱帽しました
大事な扉を開けられてしまったからこそ
的外れな被害妄想を抱いてしまったのかも
号泣しました
変態的な演出も
今となってはお茶目に感じられ
諸々が成仏した結果
物足りなさ?寂しさ?を感じる
疑心暗鬼でない状態で
もう一度、観るかも
何はともあれ
皆さん、ご卒業おめでとうございます
皆さんもどうかお元気でー
後味悪くなくて良かったと思います
序から特に深く考察とかせず、ありのまま作品の演出やデザインを楽しんで見てました。
最後まで色んな表現の仕方がされていて飽きずに見れたかなと思います。
特に最後のマリとシンジが走っていき、現実世界になる所が気持ちのよかったです。
「大人になれ。子どもたちを守れ」
まず、アニメーションのクオリティがめちゃくちゃ高くて驚きました。
作画、CG・VFX、演出、音楽、声優などの完成度が高く、こんなん作る労力と時間を考えるとスタッフの皆さんに感謝しかないです…。
エヴァのグロいメカが大好きなのでめちゃくちゃ興奮しました。
ただ、ご都合主義な展開や批判を怖がってるのかな〜?と言う点がちょこちょこあって残念でした。
旧作のメッセージが「現実をみろ」なら、シンは「大人になれ。子どもたちを守れ」かと思いました。
決して、「恋愛、結婚、子育てしよう!普通の人間の生活しよう!」ではなく。
子どもが子どもらしく生きれないと大人になれない。エヴァの世界は大人になれなかった子どもだらけでした。その連鎖を断ち切って、子どもが傷つかなくていい世界を作らなければならないという切実な思いを感じました。
最後のシーンは蛇足かなと感じましたが…
あ〜、もう何回でも観たいな。
壮大な神話の完結
ファンでもなく、最近アニメを一気に見てその流れで新劇場版を見て気になって見ずにはいられなかった今作品。あっぱれでした。
エヴァシリーズは難解な点が多く、複雑な解釈を求められる。そのため理解できていない点や疑問に残る点があるままの鑑賞で、結局分からない部分も数多くあった。てか解説見るまで最後らへんとかは理解出来なかった。
それでもこの超大作の最後にふさわしい傑作だったんじゃないかと思う。世界を壊したすべてぎ自分の責任であり殻に閉じこもってるしんじがトウジやケンスケと話すことで立ち直り、自分のケジメをつけるとヴンドーに戻ったこと。ネルフのなかでしか生きれなかった綾波が人間の心に触れて温かい心を持ち始めること。そんな綾波が目の前で消えてしまうこと。あすかのエヴァに対する想い、ゲンドウのユイに対する壮絶な愛。人類全てを消してまでもユイに会いたいという想い。みさとさんがシンジを庇って撃たれること。自分を犠牲にみんなを助けること。まりがシンジをどこまでと探しにいくと言ったこと。最後に救ってくれたのはお母さんユイであったこと。そして、エヴァのいなくなった世界で行こう!と言って走り出したこと。など、名シーンの宝庫。
詳しいこと、細かいことはたくさんあるけど、最後に生きることに気持ちが前向きになってくれたこと、それだけでも心が幸せなのかもしれない。いろんな人の思いを知ってこれから新たな人生が始まるんだと、そう思った。
個人的に第八村で綾波が人間の心に触れて感情を覚えていく場面はとても好き。シンジがトリガーとなって引き起こされたサードインパクトで多くの人がいなくなった一方で、残された人々が協力して自然と共存しながらたくましくいきている。そんな人間味あふれる場所だったからこそ、綾波の心に変化ぎあったのかな。
そしてあすかの使徒解放。左目に封印していた使徒を解放してまでも人類を救いたいという想い。自分が人に戻れなくなってもこいつを倒すんだという強い思いに胸を打たれたよ。
20年の歴史に終止符を打つと同時にこの映画を見るものに安らぎと興奮とじわーっという余韻を深く刻んでいく物語。壮大な神話。
庵野さんの手のひらの上
傑作です。ただし(いつものとおり)一見様お断り。
自分としてエヴァは序・破・Qで見限っていたのですが、
NHK「仕事の流儀」庵野特集で、
・父親が事故で片足をなくし、ずっと世界を恨んでいた
・TVエヴァ終了後のファンからの殺人予告等で、自殺を考えた
・立ち直ったのは周囲の映画仲間や関係者、特に
何より、妻「安野モヨコ」が彼を支えた
・今回の一作で、決着をつける
という姿を見て、劇場に足を運んだ次第です。
こうした前情報があったせいか、徐々にシンジと庵野さんが
オーバーラップしていき、
「どうしてみんな、僕を放っておいてくれないんだ」
「それは、みんなあなたを愛しているから」のセリフや
今までどちらかというとサブキャラだったマリの唐突な
「何処にいても必ず迎えに行くから」のセリフに、
シンジ=庵野、 マリ=モヨコ、 同級生=映画仲間 という
構図があると気づいた次第です。
そうなると、後半にエヴァンゲリオンの映画製作風景が出てくるのは
映画と現実が侵犯しあっているということで納得。
となるとアスカは妹(実際に庵野さんには妹が実在)ということか?
ということでこの映画は、シンジの成長物語? 庵野さんの再生物語?
そしてNHKで庵野さんが語っていた「アングルと編集がすべて。内容は二の次」という
言葉から、結局自分の好きな絵をつくりたかっただけ?というすべてを多義的に
含んだ、実に奥行のある映画となったと思います。
さらに言うならば、庵野さんは、何故「仕事の流儀」に出演することを了解されたのか?
と聞かれた時に、「映画の為(番宣)」とちゃっかり答えておられました。
その手に引っかかって、見に行ったわけですが・・・
つまり全ては庵野さんの手のひらの上ということか。
それはそれでいいんです。
最後のホームの場面で、マリの手を引っ張って階段を
駆け上っていくシンジの姿を1日たった今もじんわりと思い返しています。
。
最初から最後まで難解。そしてやっぱり妄想オチ?
2021年映画館鑑賞30作品目
3月29日(月)イオンシネマ石巻
テレビアニメも劇場版も全て観た
前作の映画から久々のエヴァンゲリオン
鬼滅の刃と違いコナンくん同様これまでのあらすじを紹介する気配り
けれどもコナンくんと違い少々ちんぷんかんぷん
テレビアニメの終盤からずっとこの調子だった
庵野秀明監督自身もわけわからない状態なのだろう
周りは成長したけどシンジだけは成長しない
シャアより赤い世界
とはいえシャアは赤というよりピンクだけど
改めて見るとシンジってアムロ・レイより厄介
結局のところ母の死から引き篭もる少年が引きこもりを卒業し大人になる物語なのか
コミック版のラストとたいして変わらん
アスカのヌードあり
っていうか露出狂
こんなキャラだった?
綾波レイのそっくりさんが溶けて消えちゃうのは悲しい
写実化された巨大な綾波レイは圧巻
CGが良い
終盤はともかく全体的にテンポが悪い
難解な言葉が飛び交いこれは子供向けではない
解釈をめぐってオタクがネットで激しい議論するんだろう
自分と解釈が違うとブチギレる大人気ない人々
考えても無駄無駄
理屈じゃない
感じろ
これは芸術映画
なぜか宇部新川駅
なぜか山口県宇部市
これで本当に終わりだよね?
タイトルの楽譜記号は 反復 なので‥ちょっとモヤッ
はっきりは分からない結末だけれど、完結して良かったです。カヲルくんが上官みたいなシーンは、未来なのかな。
最後はアニメから実物の映像に変わって、エヴァンゲリオンが存在していた世界から脱出したってことを表しているのかな。
タイトルの楽譜の記号としては反復だから、父が母を生き返らせるためだけに、何度も反復して世界を作り替えようとしたことが明らかになるって意味だったのかな。
何となくモヤモヤしますが、エンドロールで宇多田の歌を二曲聞けたのは良かったです。
こんにちは。ありがとう。
考察は書かない。
この何十年間、すべての物語にありがとうと言いたい。
すべての人間の抱える、青年期から大人になる過程で
抱える悩みを、素晴らしいエンタメで、楽しませてくれた。
シンジの物語でもあり、ゲンドウの物語でもあり、
自分でもあり、アスカでもあり。
人類がつづく限り、繰り返される物語。
この作品と共に歩んだ、年月はかけがえの無いもの。
監督も、作品も悩み、それをリアルタイムで見られた。
同じ時代を同じ流れで過ごすことの出来た、
奇跡的な年代だと感じる。
庵野作品。
長嶋も見た。王も見た。尾崎、青木、イチロー、野茂、大谷
羽生、羽生、藤井、Qちゃん、手塚治虫、
そして、宮崎駿、等々、、、。
その時代だからこそ感じられる現実感。
今の若者に、長嶋、王、の時代の熱狂は皮膚感覚として伝わらない。
それと同じで、庵野の熱狂も、同じ時代を生きたからこそ
わかるものが確実にある。
しかし、この感想もエゴだと感じる。
ゴジラも、ウルトラマンも、より進化して蘇り、
より素晴らしい作品となり、繰り返される。
多分、エヴァも、そうなる。
ああ、もう、エヴァはエヴァ後の作品で多大な影響を
すでに与えてるか。
ただ、アスカファンからすると、アスカの幸せな大人姿を
見たかったな。
惣流・アスカ・ラングレーの。
ずっといつ終わるねん!って言ってたけどスグにエヴァロスww
これ以上はない最後のエヴァ作品。多くの伏線を回収し大風呂敷を広げた最高の作品もこれでしっかり終わってしまった。シンエヴァンゲリオン=新約聖書・マリ=マリアなのか色んな考察ともとれるが「エヴァンゲリオンはこれで御仕舞いです!」と言われた感じがして寂しくもあり感謝もありなんとも言えない気持ちになります。兎に角、監督お疲れ様でした♪永遠と語り継ぐ作品を残してくれて感謝です!またシンウルトラマンで逢いましょう♪
何故か文系なエヴァ。さらば全ての、、、
僕は新劇版は好きになれなかった。TVシリーズのOPの映像に象徴されるような、世界の裏側や人の歴史を暴くかの様な神秘的なSF観が全くないからだ。それにリビルドであった序はともかく、その後新キャラを導入したりアスカの名前を変えたりして世界の輪廻を露骨にアピールして、全鑑賞者の悲劇とも言える旧劇を茶番化しようとしたため、新劇まで死後の世界の様な集中出来ない作品にしてしまった。レイだけが記憶を移植されなかったことで、かえって旧作の世界観を引き受けてくれた。ところが、そのレイを今作ではレイではなくしてしまう。かなり面食らった。これでは全然何の作品か分からない。だが長い尺のおかげか、後半はそれで良かったと思わされる。
マリは相変わらず出てくる。それもヒロインかの様に。このマリが今作品をフィナーレへと誘う。これはこれで良かった気がするから不思議だ。
アスカはまぁ。。。
庵野氏の特撮シフトがなんだか白白しいが、ゲンドウやシンジに彼の姿を重ねたことが彼の精一杯のサービスであったかも知れない。
カヲルはコロナ禍で大変な人へのサービス?
考察は、出来ない!(笑)
アニメは、好きなので(ガンダム世代)で良く見ます。
社会現象時代は実家(田舎)でTV放送すらさせず、(雑誌でよく取り上げられてて、「ふーん」くらい。)上京してからパチンコの映像で興味を持ち、TV版をDVDで鑑賞。で、新劇場版4作を観るに至った訳ですが
まあ、欠片も理解出来ん!
という前提の話を(苦笑)
まあ、何となくはね?思春期の複雑な感情からのすれ違いや葛藤。また、大人であっても上手く行かない人間模様。複雑に絡み合ったストーリーにロボット?アクション、人類滅亡(補完?)まで振り切った壮大な話な訳で、謎が謎を読んで色々と考えたくなるし、キャラも魅力的。人気があるのも分かります。嫌いではないです。が!
先ず、作品として掴みのアクションから前作「Q」の続きからスタート、被害から逃れた第三村にたどり着き、ヴンダーから迎えを待つ3人(一人はウジウジ)。
避難民との生活に人間らしさが出てきた綾波と思ってたら爆死!シンジ君何やら決心。このあたりまでは良かったんですよ。
ヴンダーに戻ったらいきなり決戦で、その後がひたすら戦闘が続いて、裏宇宙?に入ってカオスな状態に突入。親子の会話から
なんか皆が救われて。少し成長したシンジ君とマリでラスト。
映像とアクションは凄いです。
しかし、やはりと言うか、エヴァンゲリオン特有の断片的な映像(心理描写)の切り替えの中での会話劇が馴染めないかなと。
ゆっくりならまだ良いのですが今回は展開が速い気がして。
また、シンジ君もウジウジから立ち直ってからが、全てを悟ったかと言うような振る舞いで拳銃向けられてもピクリともしない。(笑)ゲンドウとの親子の会話?と言うかゲンドウが勝手に喋って勝手に悟ったように感じしました。
新劇場版は、序、破、Q迄はしっかりアニメしてて良かったんですよ。で、今回の「シン」でやっぱり現実とのクロスオーバーみたいな実写シーン入れてきて、で、ガクンと。
ファンは、それでも良いのでしょうが。
ひと言「アニメ観に来てんだから実写入れんな!」
残念
ギュッと縮めてシンプルに言うと、旧劇場版に多少の説明を付け足して、エンド内容を変えましました…。
という印象。
世界が作り変えられる過程(難解でほぼ強引)は焼き直しされたけど、「またか」という印象でした。
初期(エヴァ乗りたて)のころの心理描写がほぼなくなってしまっているせいで、キャラに感情移入ができず…。
終わったというより、「終わらせた」印象。
新劇場版…なんのために作ったのか?
Qのときから嫌な予感はしてましたが、ある意味予想通りの展開でした。
何度も考えてレビューを書き直している
書いては消してのこの思考地獄にハマるのもエヴァ的ではある。
プロフェッショナル仕事の流儀見てしまったので。
60歳の庵野監督が妻のサポート得ながら作った作品。
最初からマリはモヨコだし、綾波は母性の象徴だった。
その上で、このDパートが「分かって貰えているつもりだったけど全然わかって貰えてなかった」という絶望の中で、それでも全部終わらせることにしたので全部説明したということですね。
細かいギミック的な裏設定自体は旧で完成していて、あとは監督がどう作るかだけの状況で、監督はそもそも各キャラの辻褄よりは構図がどれぐらい格好良くなるかの方が主要な懸案事項。
ぶっちゃけ脚本は軽く流して構図を突き詰めたい。その中でアレが出来たと思うと納得がいきます。
自分は裏設定みたいなものはあまり興味なし、各キャラの心理描写は興味ありというタイプでしたが、監督自身はその辺どちらも枝葉で映像の格好良さが全て、脚本や辻褄はそこに追いついていれば大丈夫といった感じで作品作ってたっぽい感じですね。
多分、ガンプラを作っていく過程で、これは原作の大体あのシーン、あのシーンならこういうダメージ処理が入るはず…の前者より後者が強く出ているような感じと思われます。
この映画の構造に得心がいってきました。多分ストーリーより見せ方に興味がある、根っからの絵描き気質で作られているということなんでしょうね。
映像のスペクタクル感はこだわっただけ非常に高いので、是非映画館で見て頂きたいと思います。
あと、宇多田で感動します。本当に曲がいい。思い出して泣いちゃいそうになります。
作品ではなく作者が一人歩きした映画
私は大きな思い違いを2つもしていた。
●思い違いその1。
エヴァンゲリオンはシンジやレイ、アスカ、ミサトの物語だと思っていた。
だが違った。
「私、庵野秀明をご覧ください」という映画だった。
解釈、ではない。オーラスのシーンははっきりそう宣言しているに等しい。
庵野秀明の出身地・山口県宇部市の宇部新川駅が舞台となり、成長し声変わりまでした主人公が恋人と駆け出して映画が終わるのだ。
「シンジはわたしです。本作品はわたしの世界観がすべてです」ということだ。
創作の世界では「作品が一人歩きを始める」ことがよくあるというが、この映画は真逆だ。
作品ではなく「作者」が一人歩きしてしまった。
エヴァとは何だ。エヴァとは私自身ではないか。そう開き直れば何をしても許される。
綾波が輪島の千枚田で田植えをしようが、2台のエヴァが中学校の教室内で格闘しようが、碇ゲンドウが精神世界の電車にワープして来ようが、死んだカヲル君がまたぞろ語り始めようが、何でもありだ。
なぜならすべてが庵野秀明の世界観だからである。
庵野秀明の“わたしを見て”を是とするファンには、本作は素晴らしい映画となる。
が、私のように“あんたの頭の中は興味ない。シンジやレイ、アスカが何処に行き着くのかが見たいんだ”という者にとって、この結末は“何じゃそりゃ”なのだ。
●私の思い違いその2。
新劇場版 序・破・Q・:||は、テレビアニメ版・旧劇場版で物語を終わらせることができなかったことに対する贖罪の映画だと思っていた。
「前作は失敗しました。でも今度はちゃんとやり直します」ということだ。
だが違った。
これは贖罪の映画ではなく、25年間のエヴァ全史を肯定し、まとめて終結・卒業するための映画だ。キャッチコピーにある「さらば、すべてのエヴァンゲリオン」とはそういう意味だ。
テレビ版の「おめでとうパチパチパチ」も旧劇場版の「気持ち悪い」もすべてあるべくしてあったシーンであり、渚カヲルとはそのパラレルワールドを渡り歩いて世界を繋ぐ存在で、繰り返される円環の物語の目撃者だというのだ。
…なんといさぎ悪いことか。
(「いさぎ良い」の反対語は「未練がましい」だが、ちょっとニュアンスが違うのでこの変な言葉を使うw)
テレビアニメ版は放送スケジュールに追われ、終盤は作品の体をなしていなかったし、旧劇場版はストーリー的に破綻し、なんとも胸糞悪い「Bad End」になっている。
学生劇団であるまいし、広げた風呂敷を回収できないのはプロの仕事ではない。
私は庵野秀明の天才的感性に大きな敬意を払いつつも、エヴァの過去作品は明確に失敗品であったと思っている。
だから、過去作は明確に否定して決別し、新にやり直した作品を観たかった。
だが、製作者の思いは過去作も全肯定ということのようだ。
これは私にとっては大きな思い違いと言わざるを得ない。
●以下は上の2つの思い違いを踏まえた上での感想である。
・この映画が良かった点
完結したこと自体は本当に良かった。もやもやを引っ張るのが一番よくない。
製作者サイドから「これで終わり」というメッセージを強く感じ取った。
「鬼滅の刃」の原作同様、作品をちゃんと終わらせることは極めて重要なことである。
ラストの駅のシーンでは、まさかまさか、すべてはシンジ(=庵野秀明)の夢だったというオチかと一瞬怖れおののいたが、杞憂だったようだ。
・この映画が良くなかった点
あくまで個人的な思い入れだが、エヴァンゲリオンの肝はシンジとレイである。
綾波がどこに行き着き、シンジがどう変化するのか。それが腑に落ちる結末ならば私にとって「Good End」である。だが本作の綾波はあまりにもはかない。「黒波」が白くなってチュルンと消えるなんてあんまりだ。
また、アスカがクローンであることが明かされるが、このような悲しい存在は、綾波一人で十分ではなかったか。
最後、シンジが救世主と言える存在に成長し、ポッと出のマリがスーパーガールを演じるのに対し、25年にわたってメインキャストを務めてきた二人のヒロインに、このつれない仕打ちはどうなのだ。
結果的にマリがいたから本作は幕を引くことができた。レイ、アスカではなくマリに頼らざるを得なかったのは残念な顛末だ。
そして本作のラスボス・碇ゲンドウがあまりにちょろい。彼が目論む「人類補完計画」の真の目的は妻ユイと再会するという極めて個人的な願望だった。この歪んだ動機のアイディアは素晴らしい。それを支える冬月コウゾウのいかれ具合もいい味だ。
しかしその戦いざま、死にざまのなんと情けないことか。人類滅亡を招いてまでやるつもりのくせに、息子が怖いだの初めて孤独を味わっただの、ヘタレにもほどがある。
余談ながら一緒に映画を観た妻(エヴァの知識は乏しい)は、2時間30分の上映時間の半分はスヤスヤモードだったが、観終わって開口一番「ゲンドウがダメすぎて話にならん」と切って捨てた。おお、意外とちゃんと観てるやないけ、と見直した。
・この映画を理解できたか
裏側に精緻な世界観が構築されているようで感心させられる。
複雑で自力では理解できないので、YOUTUBERによる解説動画などを観て参考にした。
結論としては理解できてもできなくても、作品に対する評価に影響はしないと思った。
アダムスがどうでリリスがどうで、カシウスの槍だ、ニアサードだフォースだ…
ふ~ん、そういうことなんだぁ…。
………で?
理屈がわかったところで話が面白くなり、感情が揺さぶられるわけではない。
・庵野秀明ワールドについて
基本設定は近未来SFアニメである。なのに若き日の庵野秀明の目に焼き付いた原風景をそのまま映像化する手法はいかがなものか。思い切り昭和チックな光景を多用し、精神世界の表現もかなりレトロである。これではエヴァンゲリオンでなく庵野秀明の頭の中を覗いているに過ぎない。“一体これは何を見せられているのだ?”という気分に何度かさせられた。
仮に同じテーマは描くにしても、作品設定上のオブラートで包むのが創作の“作法”ではないのか。ダイレクトに自己投影したいのなら、はじめからSFアニメの衣をかぶるなよと言いたい。
庵野秀明は天才だ。尊敬する。だが、エヴァになると正気を失ってしまうように見える。
よほどエヴァは彼にとって特別なものなのだろう。
だから次作「シン・ウルトラマン」はいい意味で力が抜け、「シン・ゴジラ」に続く傑作になるのではないかと勝手に期待している。
鑑賞直後の走り書き
・テレビ版では女の愚かさを強調されがちだったのがずっと気になっていたけれど、距離感をこころえたミサトさんリツコさん、アスカマリのバディ感とかよかった。ゆるやかかもしれないけど、やはりこの25年で社会の、そして安野モヨコさんに出会った庵野さんのジェンダー観にもそれなりの変化があったのだとおもう。おもいたい。
・アスカがケンケンのところへいくのはちょう納得。14年のあいだに、ケンケンがアスカのシェルターとなり、頭をなでてくれる存在になっていった余白をすごく感じさせるつくりだったし、シンジくんは多少成長してもたぶん頭をなでてくれる存在にはなれないだろうし、アスカもプライドとかいろんなものが邪魔して、シンジくんに頭をなでられる自分を好きになれないとおもう。
・カヲルくんが意外とBLらしいエンドをむかえていたのは、たぶんもう一部のある種のユーザーむけのサービスだったとおもいます。シンジくんをしあわせにしたかったとかいっちゃったよ。
・てゆうか死んだ恋人で子どもの父親の名前を、息子に名付けるってかなり正気の沙汰ではないとおもいます。ミサトさんはほんとうにはなから親になることを放棄しちゃったんだなあとおもった。まあ中途半端で身勝手な放置親にくるしめられるチルドレンをみてきたから、まるっきり期待をもたせないというのは英断といえば英断だったのかもしれないが。
個人的は納得のいくラスト。
綺麗な終わり方。
正にその通りの結末の付け方だと思った。
いくつかの謎や伏線は回収されてはいないもののストーリーとしては気にならなかった。それだけ流れの組み立てが上手かったのか見せ方が良かったのかは分からなかったが個人的に腑に落ちたというのが感想です。
...ネタバレなしで感想書こうと思いましたがこれだけは書いておこうかと。賛否の分かれるマリのヒロインもよくよく考えるとアリなのかと思います。彼女の存在は特異点そのものです。その彼女の登場により用意されたシナリオの外側へと展開していく。そんな役回りの様に感じますね。映画の冒頭のセリフもラストへの伏線も兼ねているのも良いと思いました。
マリの存在はチートという批判もあったけどそもそもチーターと意識されたキャラだから仕方ない。Qとシンでマリが冒頭で歌っていたのは水前寺清子さんの楽曲。水前寺清子さんがデビュー前に使おうとしていた芸名は東京マリ。そしてその愛称はチータ(チートキャラの事をチーターとも呼ぶ)。製作側がこの辺りを意識してない筈がないですもん。
色々と語ると終わらない感じなのでこの辺にしておきますが、個人的にはよい結末だったと思います。
終わらせてくれてありがとう
当時アニメを見てたのが高校の頃で現在アラフォーの自分ですが、アニメもその後の映画2作、何これっ?て終わり方だった。期待してた序破Qも、えっ?どうなんのこれ?っていつも裏切られてきてました。
そんなエヴァもこれで終わり。過去の映画のシーンもうまく入れてきてたり、今までのラストはいつもシンジ君が悲壮感漂う状態だったのに今回は違う。お父さんから逃げずにもっと話したい。お父さんも自分と同じだった。親の落とし前は自分がつける。最後にきてすごく落ち着いた大人に成長していくシンジ君だった。
すべての伏線が回収できたとは思わないけどこれはこれでちゃんと終わったと思います。
さらばエヴァンゲリオン。
監督お疲れ様でした。ありがとう。
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