シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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26年付き合ってしまった、、、
ついにラスト。
アニメ版から観ているので、長い付き合いです。さすがに伏線やら謎を回収する気が無いのには慣れましたね。
常に、登場人物のなかで実は一番常識人のシンジ君がラストを選択するので、どのバージョンも同じようになるのはご愛嬌でございます。無事に終わって良かったです。
もう、二度とエヴァ作らんでくださいよ。
ナディアやウルトラマンのオマージュ作品
旧作シリーズからそうだけど、
今回のエヴァが提示している哲学にも共感ができなかった
毎度のことながら、ちょっと残念。
そもそも、人類の絶滅or 人類の単一化のどちらかしか選べない、
っていう二者択一がクソ設定だと毎回見る度に思う
後者を選択しつつ その方法論の違いが旧作とシン版にあるけど
込められた哲学はいつも一緒。
最愛の人を失って残された遺族が、
どうやってPTSDと克服していくか、という過程を
謎と伏線が交錯する壮大なダークファンタジーで魅せているけど、
いつもあんまり共感できない。
一方でジレンマの枠を超えて、
最後まで人類の運命に抗う選択をしたミサトには共感できた
主題をゲンドウの物語ではなく、
思い切ってミサトの物語に振り切ってくれたらよかったな
こんな否定的な印象を持ったけど、
最後まで 飽きることなく、むしろワクワクしながら楽しめた
庵野さんの 過去のレジェンド作品に対する愛、
オマージュがぎっしり詰まってて見所がたくさん用意されていた
冒頭のパリ奪還作戦には「ふしぎの海のナディア」の影響が強く出てるし、
無人艦隊群の描写は思いっきり「宇宙戦艦ヤマト」
「裏宇宙」や「ゴルゴダ」は「ウルトラマン」を想起させるし、
初号機と13号機の 旧第3新東京市での戦闘シーン、
あれには思いっきり「円谷プロの手法」を感じた
実際どうなのかは知らないけど、
スタジオセットとしてミニチュアで旧第3新東京市の要塞都市を構築して、
そこで モーションキャプチャを装着した2名がバトルを演じたのかなって想像した
往時の円谷プロなら エヴァの着ぐるみでそのまま戦ってそう
こういう庵野さんの個人的な嗜好がオマージュとして
本作に反映されていて、かなりよかった
自己満足映画。
友人の代わりに
1 はじめに
私はエヴァ初心者であり、にわかだ。
これを書くにあたり友人の見識や考察サイトから色々なものを補完し、いまこれを書き連ねている。
私とエヴァの出会いは中学生の頃だった。
当時周りはヤシマ作戦で盛り上がっていたと思う。その頃、何故これがこんなに面白いと言われているか正直分からなかった。
おそらく、当時や今含め私はシンジのことが分からず、好きとは言えなかったからだと思う。
ただ、周りの熱狂はその後も数年あいては再熱し、鎮火し再熱することを繰り返していた。
その間に、当たり前のように私も歳を重ねて行った。
そういう過程の中でエヴァンゲリオンに面白さを、親しみを、愛着を抱いたのだと思う。
今回、シンエヴァンゲリヲンを観て、ああ終わってしまったのだと思った。片手間のように追ってきたこの作品に対して一抹の寂しさを覚えた。それこそが、にわかでも私がこの作品を好きだと言える証明かもしれない。
2 シンジとアスカ、マリ
アスカとシンジがあの形で終われたことに嬉しさがあった。どちらかと言うと、エヴァの醍醐味であるシンジへの好意と嫌悪よりもアスカへの投影が私にはあったからだ。
そうとは限らないことを前提に書くけれど、幸せになりたいと思えるひとと幸せになることは割と難しいことだと思う。この人が好きとこの人と幸せになれるは意味が違うことがある。
学生の内の恋愛はとくに、大概歳の近いひとと付き合うので、同じ速度の同じ温度感で成長できないと距離や理解が遠ざかってく気がする。
上手く噛み合わないまま恋をし続けるのは結構大変だと思う。
私自身が初恋を拗らせ、何年も沢山のことがあったからかもしれないけれど。
好きだなと思う反面、未来も幸せもそこにはない。
Q前日譚の中ではアスカはシンジが死んだものだと一旦理解してるのも理由のひとつ。
だからこそ、最後に明確にアスカとはそうならないよと庵野が言ってくることは現実だなとおもうし、くっついていたら安っぽいなとすら思う。(庵野がエヴァにおいて掲げてるテーマに現実を生きろというのがあるので)
成長の先で新しく現れた相手と幸せを望むのは現実的思考で、マリがシンジを迎えに来るのは自然かも。
最後、惣流が救われたのも良かった。14年間あの海辺で待っていた惣流は式波と同化して救われた感じがして、この辺に庵野が全てのエヴァを回収して終わらせようとしてるが見える。
3 ゲンドウとシンジ
ゲンドウの独白は本当、ゲンドウさあ…である。
孤独な幼少期を選び、人と関わることが嫌であることはいいけれど、シンジに同じことを押し付けているのはどうなんだと思ってしまう。
ユイに会ってわたしの世界が変わったなら、それ以前に自分から動けばもっと変わっていたのでは?ひいては、シンジが生まれる前にもう少しコミュニケーションを覚えられたのでは?という。
これについてはもうどうしようもない所だし、生きている誰かを傷つけそうなのであまり言えない所ではあるけれど。
作品としてはゲンドウの人間性の理由や想いが伝わってエヴァの解決に向かうのに必要な所だったと思う。
シンジがかなりゲンドウに近しい道を歩んでるのも分かる。
それでも、シンジが一歩先に成長した。
何故か考えた時、特異点はケンケンとトウジという純粋な友達がいたことなのかなと思う。
メタ的な視点になるが、14年後のケンケンとトウジが第三村でそれぞれ色々なものを乗り越えている世界線だから特異点になり得ているので、昔の友達の形ではシンジはエヴァを終わらせられないとも思うけれど。
トウジは感情に任せてシンジを殴らないし、ケンスケは裸のアスカをみてもはしゃいだりしない。どちらかと言うと、シンジの方が少し捻くれた大人びた雰囲気であった。
14年間の間に2人は成長し、ただ静かにシンジに寄り添っていたからこそ、第三村の綾波をまたしても目の前で失ったことから進もうと出来た。
アスカが生きるための尻叩きをしてくれ、2人がそのままの自分を受け入れて待ってくれている。
シンジの「なんでみんなそんなに優しいんだよ」色々集約されてる気がする。
4 ゲンドウとカヲルくん
ゲンドウとカオルくんは近い存在であることがシンエヴァで分かった。
ピアノの連弾はもう一つの親子の形か??
もちろん同一人物足り得ないのでこれは拡大解釈すぎるが。
ゲンドウもカヲルくんもシンジの幸せを決めつけ、シンジの幸せを見つけれあげられなかった点でも合致しているのかなと思う。
ゲンドウがシンジに注ぎたかった愛情をカヲルくんが持っているって言うのが近いかもしれない。
宇部新川駅でレイとカヲルくんが一緒にいるのもユイとゲンドウの再会になのかもしれない。
最後の方のシーンでカヲルくん自身がループしているので視聴者もループを観測している側か?
冬月が都合の良い逆行はないとも言っていたのでこの辺は少し曖昧。
5 ミサトさん
これまでのエヴァ作品で、ほぼ毎回ミサトさんはシンジがすることへの責任をもつと発言している。
これについて私は漠然と薄いなと感じていて、世界観として仕方がない部分があるのは前提として書く。
大体の場面において責任の所在を作ろうが責任は果たせないし、シンジの保護者という点でもシンジがしたことをシンジ自身がミサトさんに預けられる所ではない。シンジは目の前で身体で体験をしてしまっているので。
けれど、今回のミサトさんの「責任はわたしが持ちます。」というのは不思議と本当にその気があるぞと思わせてくれた。(もしかしたら、ミサトさんも私もあの場面のシンジに幼さを感じなかったからかも?)
これについては、割と漠然と思っていたことで感覚的なものなので、結末からの影響もあると思う。
それでも、14年たって28歳だったミサトさんも大人になったんだなと感じたし、母親になったんだとも思える場面だった。
また、カジさんの最後を知ってQでのミサトさんの態度にも納得した。
6 庵野
エヴァンゲリオンは庵野の私小説だと思っている。
少し調べたところQの後精神的にきつかったと聞く。
シンゴジラをやってみないかとか、ジブリの声優をやってみないかとか誘われたのは、庵野にとって休息と周りからの優しさを実感する機会だったのだろう。
だからこそ、シンエヴァでシンジは周りに助けられ前を見ることを決められ、ああいう終わりを見出せたのだと思う。
それまでのエヴァンゲリオンという作品は庵野しかり、視聴者しかりこじらせまくったもの。というか、拗らせてるからこそのエヴァンゲリオンとも言う。
最後の駅でのシーンも実生活で庵野が結婚したことも関係あるかなと思う。
シンジは自らの贖罪のためDSSチョーカーをつけているが、マリがそれを外す。
シンジ(庵野)を許し、救い、共に生きるのは、アスカやレイ(過去の女性)ではなく、新しく突然現れたマリ(安野モヨコさん)という所も反映されていそうだ。
7 ありがとう
ここまで書いてきたが、なんでエヴァが好きで、庵野のことを絶妙に雑に扱ってしまうのかはエヴァが庵野の私小説でシンジもゲンドウもおそらく庵野であったことを最初から感覚的には知っていたからなのかもしれない。
エヴァの呪縛で年を取らない子供のままのシンジは、いつまでもエヴァ(自分にとって居心地の良い世界)を卒業できない私でもあるので、完結ありがとうと言いたい。
エヴァがエヴァのままきちんと落とし前をつけれくれたことに嬉しさがある。
とにかく、製作者や鬱の庵野を支えてくれた方々、宇多田ヒカルありがとう。
8 蛇足
箇条書き感想
重複等あったらすみません▽
・庵野はシンジだと思ったらゲンドウか?
・シンクロ率無限大♾笑う
・パリ以外パチスロ感強い(新カットはマシになった方)
・アスカがシンジにレーション無理くり食べさせるシーン、シンジがまだ人間としてていをなしてる上に情けなさがあって良い(新カットは画角変わって薄れる)
・もしかしてゲンドウの眼鏡われすぎ…?
・綾波が第3村で爆けるシーン分かってたのにびっくりするし悲しい
・デカ波の恐さ
・ミサトさんの反動推進型エンジンね聞けて良かった
・綾波いつでも3歳だな
・シンジとゲンドウ戦うところ刃牙みあった。家で普通に戦ってるところとか
・その後精神性の会話する所はエヴァ
・エヴァは観測者視点からのループか?
・みんなコミュニケーション不足すぎでは?エヴァに関わると大人も成長遅くなるのか?
・大人役のシンジ神木隆之介声良い
・現実を生きろ
正直疲れた…
エヴァは序に始まり、漫画、その後の新劇場版と進んでいった自分ですが、何というかこれまで以上に「考えるな感じろ」感の押し付けがすごい。
元々、作中の専門用語や世界設定への説明が少なかったが、今回は更にそれが多い。また、キャラクターの心情の描写にしても、アニメや漫画はじっくりと見たり読んだりすることで、こちらが理解し、キャラに感情移入するようになるものだが、新劇ではキャラの掘り下げやキャラ同士の絡みが少なく、アスカが昔はシンジのことが好きだった、なんて発言をされてこっちはえぇ…っていうリアクションしかとれず、全く理解できない。また、設定が漫画、アニメ、新劇と微妙に異なったり大きく異なったりして頭がこんがらがってしまう。常に見る側として頭をフル回転させねばならずとても疲れた…。
そして、ラストでほぼ接点がないレイとカヲルがくっついているのをみて思わず気分が悪くなり、漫画ではラストに出てくるはずのアスカが全くいなかったりともやもやするところもあった。
とりあえず、エヴァが好きという点で星2にしました。
追記:他の人のコメントをみたらラストにフードを被ったアスカが居たらしく、全く気がつかなかった…
ジブリEVA?
ジブリエヴァ、と言うと語弊があるなら、イマドキのジャパニメーションになったエヴァ、と言うと雰囲気的にはピッタリするのではと思う。
さすが時流を逃さない一流の作家の作品です。
もっと簡潔に言うなら、角の取れたエヴァンゲリオン。もちろんエヴァであるからには一筋縄でいかないし、庵野氏の性癖はそのままに、庵野味が維持されていることも勿論で、その意味では角が取れているとはとても言えないハズなのだが、コレがしっかり取れている。
その証拠に、20余年胸に棘が刺さり、腫れ物に触るように大切だったこの映像体験が、なんかそんなことはどうでもよくなるのです。たいして理由もなく。
これでおさらば、スッキリしたい人は、拍手喝采で終わるべし。
何か大切なものを喪失した気がしてしかたない人は、部屋を真っ暗にして、映画館みたいにして、旧劇を見るべし。
さて、このシンエヴァを見て気が付いたことは、現実というものには2種あるんだということ。
ひとつは人間がどう生きようが、何を感じようが、太陽が昇って西に沈む普遍の現実と、もう一つは、どんなに時間が経ってもその人が生きて、執着心が消えない限り残り続ける不変の一瞬という現実。
普遍の現実は変わらない様で変わっていきますが、不変の一瞬は過ぎ去った大したことのない、2度と戻らない過去を、愛しくてならないほど輝かせ続けます。
ええ、知ってますよ。執着は不幸の元。でもねえ。さして成功者になったわけでもなく、大したこともできずたいていの人は人生を終わる。普遍の風景しか見えないと、侘しい。
何かコツコツと打ち込めることでも見つけないと、社会や他者の評価してくれる幸福では贖えないものはあります。
でも庵野さんてのは優しいのでしょうね。シンエヴァを見ると旧劇の理解度が上がるから、元に戻ることもできる。勧めもしませんが、執着を否定はしてないんですよね。
終わったなあ
10回観て感じた違和感
※貞エヴァ夏エヴァ履修済み。TV版もリアタイ世代ではないですが観てます。
アンノ監督の私小説というメタ的側面からするとハッピーエンド大円団。だと評価できます。
が、10回観てふつふつと違和感が言語化されてきました。
以下、良かった点と悪かった点。
素人の呟きですので、悪しからず。
◎良かったところ
これまでのエヴァンゲリヲン新劇場版
→綾波ボイス×エヴァ文字
いいですね。すごくエヴァっぽい気がします。エヴァ文字と綾波ボイスは良い組み合わせ。エヴァのヒロインはやはり綾波です。
レーションがしがしアスカさん
→やたらと凝った撮り方してましたね。面白かったです。が、そんなに力を入れるべきシーンなのかは非常に疑問。マリがヒロインならマリにやらせるべきだったと思います。
サクラとピンク髪の娘が銃を向ける場面
→ピンクちゃんはウザがられがちですが言ってること正論だと思います。初見でかなり印象悪かったですが、2回目、3回目と観るうちに納得しました。みんなでシンジ君ありがとう。だと内輪すぎて違和感があるのでその他の人の立場としてあの場面は良かったです。
ミサトさんが髪を下ろす場面
→ありがちな感想で申し訳ないですが、サングラスかけ始めてからTVシリーズからお馴染みのミサトお姉さんがいなくなった気がして寂しかったので最後にいつものミサトさんが見られたのは良かった。
幼少アスカの『作画』
→前後関係は不明でしたが、文句なしの可愛さでした。セカンドインパクトで常夏なのは日本だけなんですかね。
◎イマイチだったところ
音楽
→シンエヴァを観てからアニメ版や序破Qを改めて観ましたが面白すぎてびっくりしました。今作は音楽の印象が弱すぎます。ヤシマ作戦のテーマ並みの曲が欲しかった。というか越えられないなら序破やアニメ版の緊迫感のあるBGMを使って欲しかった。
第三村
→眠い長い。必要なシーンだとはわかりますが、もう少し短く出来ないものか。朝一で9回目のエヴァに行ったときあの部分は寝ました。エヴァは序破Qを軽く観たくらいの同行者と行ったときには訳分からんと言われていました。アヤナミレイ(仮称)がとても可愛いことしか伝わりません。
マリというヒロイン(?)
→ここですね。これが一番地雷でした。
メインヒロインに格上げするならにゃーにゃー言ったり趣味の分かれそうなキャラクターにせずに霧島マナくらいの設定にして欲しかった。彼女自体は嫌いではないのですが、アスカを可愛がるお姉さんのイメージが強く、彼女が姫と呼ぶアスカから主人公を取り上げてしまうのはわからんです。そもそも(新劇とは関係ないですが)貞エヴァの『夏色のエデン』の印象が強すぎて、母親世代の人をヒロインにするのはちょっと......。破ではめちゃくちゃレイがヒロインしてたのに意味不明です。「綾波ッ、来い!!!」はどこへ。マリとシンジだとお姉さん感強すぎませんかね。非オタクの友人は彼女の鼻歌とにゃーにゃーに引いてました。
ケンスケとアスカ
→この二人がくっついた/今後可能性があるとも思えるように描く必要があったかは不明です。アスカはエヴァのアイドルだったと思うのでシンジ以外ならわざわざ誰かとくっつける必要はないと思います。
神木くん
→神木くん自体は好きですが、突発的すぎて。緒方さんに最後までやって欲しかったです。
ラストシーンについて①
→碇シンジくんは28歳になっても「胸の大きい良い女」とか下品なこと言わないと思います。良い女はまだしも胸とは。あれ誰ですか?そういう意味では緒方さんの声を使わなくて良かったかもしれません。もはやマリ姐さんの求めた世界のシンジなんじゃないですかね。
ラストシーンについて②
→そもそも大人になったシンジくんが一人で駅から出て行くので良いのでは。個人的にはそれが一番良かったと思います。アンノさんと妻というメタ的解釈に行き着いてしまいますね。
One Last Kiss
→良い曲ですがBeautiful worldに比べると尖っていないというかイマイチだと思います。残酷な天使のテーゼで良くないですか。(あくまで個人の感想です。)
『なんかよくわからないけどすごいものを見たという気持ちにならない』とどこかの評論家の方が書いていた感想に同意です。私は夏エヴァで補完して終わらせようと思います。
これは平和でポップなエヴァですね。
別物として受け入れます。
アンノさんが現在幸せなのは大変いいことですし、関わってきた皆様には長年ありがとうございました。お疲れ様です。が、
妻への熱烈なラブレターにエヴァーを巻き込むのは御免こうむりたいニャ......
おさらばです。全てのエヴァンゲリオン。
サマーウォーズ???
あるきっかけで序が終わった頃から取りつかれ、破、急も封切一番で観賞した日が昨日のように思い出され、終わりを受け入れ作品に向かうまで3月かかり劇場に向かいました。
まずは、終劇に導いてくださいました皆様へ感謝します。
興行的には、前作でボロクソにされた仮称綾波が、今回は多少可愛らしいキャラに戻り少し安心。じゃなきゃ、キャラ商品売れませんよ。
しか~し!!、最後の最後で大どんでん返し。現世に戻り、最後、駅の3番ホームに入線する単行電車のCGが全てを台無しにした。単一直線移動であまりにもに甘い。NHK特番であれまで拘り見せてたのに、普通の作品にも劣るじゃん。電車も左右に揺れるし、パンタグラフも跳ねるんよ。最後の最後に手ェ抜くんじゃねーよ!
ちなみに妻のコメントは、ただ一言。サマーウォーズかよ。だって。
サマーウォーズ…確かに言われれば半分はそうかも。
スイカの苗が青々繁る、夏の思い出にリピート♪ 終劇
大作。見てよかった
良い評判を聞かなかったが、全然良かった
いい評判を聞いてなかったので、公開から時間があるときに見ようと思っていたらこんな時期に
期待もせず、せっかく前の映画まで見てきたから見ようと思ってみたら、すごかったやっぱり
戦闘シーンも葛城さんの元の髪型が見れたことも、げんどうさんも悩んでたことも
ただTV放送を見てただけだと、ここまでよかったと思わなかったと思う
オリラジあっちゃんの説明動画やら、エヴァのクイズ番組の動画、都市伝説でのシンジ役の収録エピソードだったり、
いろんなファンのひとの解説や情熱にここまで連れてきてもらった感じがする。
感謝さえしています
展開の早い戦闘シーンも、覚醒シーンも、それだけで胸をアツくさせて、気持ちを湧き踊らせるが、
それだけでなく、日々なんとなく抱えていた、誰にも言えない不安みたいなものを代わりに言ってくれて、誰もが持ってる感情なんだと気づかせてくれ、
「この世界は美しい」ということを、ストーリーやら脚本やら製図の緻密さで、ほんとにそうなのかもしれない?と思わせてくれる
虚構対現実
どれだけ庵野さんが意図したことを汲み取れているかわからないが、凝縮されたエネルギーの塊をもらった感じ
2時間半強、長いとも思ったけど、この時間でこんな気持ちになれるんだったら短いのかもしれないと思った
発案から何年もかけて、生命を賭してる感じも、説得力を持たせるというか、
こんなに長い時間をかけて、この間にも恐らく想像もできない努力や労力、充実も、色んなものを置いていってくれた感じがする
加持さんやミサトさん、ゆいげんどうさんじゃないけど
1800円も高くなかった気がする
映画館で見てなかったら後悔はしてたと思う
また見たいかと言われたら見たいが、体力的に、一人で寝っ転がって、休憩はさみながら観たい
あとは、相変わらずのわけわかんないところも、気持ち悪いのも良かった。
いつか理解したい
☆4.8くらいをつけたいです
あとは、宇多田ヒカル
今でもよく宇多田ヒカルのアルバムを聞くが、Beautiful Worldは映画と相まって、聞いていて神秘的な感じがして、日常生活においても聞き始めると気持ちが持っていかれる
ゲーム『キングダムハーツ』中の『光』もそうだったが
劇中では、現実の駅みたいなところから曲が始まり、エンドロールが終わるまで、作品の終わりの寂しさを、ネガティブなものから「この世界は美しい」っていう勇気をもらう
ほのかに力強く
最後の最後、監督の名前でエンドロールが終わるところで、ここまで、すご、と思わせられる映画は少ない気がする
言う事なし
わかる人にはわかる映画
三回見てきました
変更点や特典もふくめて満足しました
シンは見ましたが 昔の旧劇のまごころを君には 一種の芸術ともいえる映像でインパクトもありますし好きです あのラストのサードインパクトは わかる人にはわかる内容をはっきりだしてます
都市伝説やもろもろ知ってれば表現したいことはだいたいわかります
それにたいして 今回のシンは 曲もそうですし 各シーンが対比になってるところもあります
旧劇は 甘き死よ来たれ
心身は 日付のない墓標
人の死にたいして 絶望と それをうけとめる未来
りつ子さんの 銃のシーン
まごころを君にでも 最終的にシンジ君は絶望のはてに 世界をひとつに望まないでいましたが テレビシリーズでも旧劇でも 心の葛藤と成長はあったものの 今回父親をとめ 人の死を乗り越えるということをして より心の成長を描いてました
背景もいわゆる宗教や 都市伝説もからみつつ ゲンドウとのシーンは精神世界を描いてて かなり深い映画ですので 表面上だけでは見てはわからないと思います
エヴァンゲリオンは世界でも日本でしか作れない映画です
それは間違いないと思います
宗教とかで問題になりますし 繊細なメッセージはなかなか難しいですからね
現象世界でも いろんな世界の可能性を示してくれているのです
あの 第三村はすごい大切なメッセージかなと思います
さようなら、エヴァンゲリオン
エヴァシリーズの終わり
特別な作品
今までエヴァを見てこなかった。なぜか見なきゃなーと思いながらなかなか手を出さなかったが、amazon primeで序破Qを見てから本作をみた。やはり他のアニメとは一線を画すクオリティと仕上がりにまずは驚くし、世界観の作り込みがすごいからこそ終わった時に遠くから戻ってくる感覚があるぐらいやはり特殊で特別な作品である事は間違いない。この手の作品のマニアではないので、かなり俯瞰な感想しか持っていないが庵野監督は父親が片足を欠損していたという原体験ゆえに完璧な物よりもどこか欠けているものに魅力を感じてそれがキャラクターに反映させられているという。それゆえに愛されるキャラクターが生み出せてるものかと思うが、とにかく、シンジくんお疲れさまでした。めっちゃ大変だったね。w
Beautiful World
公開後すぐに観劇してから、ずっとレビューを書けないでいました。
考察やレビューが巷には溢れかえっていて、自分がなにを書けば良いのか
分からなくなっておりました。
そんな中、終映が迫って新バージョンが上映されるとのことで再度劇場へ。
同じ映画を2度劇場で観劇するなんて、映画館が入れ替え制になってからは初めてです。
で、です。
わたしたちはいったい何を見せられているのだろう?
2回目を見ても、そう思いました。
エヴァンゲリオンっていうロボットアニメに見せかけて
わたしたちは1人のクリエータの思い出語りなのか、自戒なのか、諦めなのか
本当のところは良く分かりませんが、とにかく庵野さんの独白を見せられたと思います。
もう完全に「庵野秀明物語」です。
TV版、旧劇、Qと
「なんで君たちは僕が意図することを理解してくれないんだ」って
想い悩んで、苦しみ抜いて、25年かかってやっと捻り出して生まれた作品を観劇したのです。
でもそこには、良いものを創りたいというクリエータの必死の気概と、その産物を享受して楽しんできた人たちの幸福感に満ち溢れた世界がただただ流れておりました。
たとえ、クリエータの自己満足と揶揄されようとも
こんなラストは望んでいないと落胆しようとも
一人の人間の創作物をこんなにも多くのひとが共感し、ときには支え、必死になって世に送り出し、それを享受している消費者が嘆いたり、称えたり、考察したり。
そしてなんといっても興行的には大成功を収めているわけで。
庵野さんにとっても、エヴァファンにとってもエヴァに係ったすべての人にとって、こんなに幸せなことはないのではないかなと思います。
この物語を紡ぐ側のみなさん、そしてそれを享受してきたみなさん、
ほんとうにほんとうにみなさま、おつかれさまでした。
わたしは、いま
#シンエヴァ薄い本
に収録されたのカットの数々で
経験したことのない幸福感で包まれています。
エヴァ大好きだったが、冷めました
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