シン・エヴァンゲリオン劇場版のレビュー・感想・評価
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すべてのエヴァに終止符を。
ヴィレメンバーによるコア化されたパリ旧市街地の
復元、エヴァ換装用パーツの回収から始まる。
そこでネルフ産使徒とのバトルが開始。
またコア化された街を進むシンジ一行。
そこで出会ったのはかつての同級生たち。
カヲルを失ったシンジは心を閉ざしたまま、
一方ではレイは人と触れあい人との交流を学ぶ。
エヴァ旧作品を見ていると個々の体を持つ人間としての
在り方を否定的に描いている気もする。
本作は世界がどうであっても人の強さや生きる意味を
レイという器を通して知っていく。
根底にあるのは命の尊さ。
あの加持とミサトの間に出来ていた命。
鈴原トウジとヒカリの娘。
その街で産声を上げた新しい命。
本作はエヴァシリーズの中でも最も命の肯定を描いているように見えた。
そして父との対峙を迎え対話の末、シンジが望む結末は。
かつての旧劇の25話、26話でエヴァは完結した。
新劇場版:破でマリと出会った時、父から譲り受けたS-DATはチャプター27を再生した。
そして父との対話においてチャプターは29を再生していた。
手を繋ぐ行為は何?と問うレイ。
ヒカリは仲良くなるためのおまじない、と言う。
序においてはセントラルドグマに降りる際にシンジとミサトが。
破では取り込まれたレイをシンジが救い出すため。
Qは世界の真実を知るときの階段でカヲルがシンジに救いの手を。
物語のキーになるシーンにおいて必ず手を繋ぐシーンが挟まれる。
今回、最も大事なシーンにおいても勿論、手を繋ぐ。
誰と誰が手を繋いでたか。
宇多田ヒカルによるテーマソングが配信開始になる前、
「One Last Kiss」 の2曲目と8曲目はタイトルが伏せられていました。
エンディング曲にもなった序の「Beautiful World」Da Capo Versionでした。
Da Capoとは譜面による「最初から」演奏するという符号。
「シン・エヴァンゲリオン:II」の末尾はリピートの符号であったため
公開前よりエヴァはループものだという考察がたくさんありました。
本作のエンディングを見た方なら Da Capoの意味。
そして歌自体の「Beautiful World」の意味やその中の歌詞の意味も
深々と伝わってくるかと思います。
これが本当に終わり
3月8日、映画を観た直後に感想を書きます。心を落ち着けてから書いた方が文も、自分の気持ちも纏まるとは思うけれど、この瞬間の気持ちを記しておきたいです。
本当に、エヴァの最後の作品をこの目で観られてよかった。何よりも強くそう思います。シン・エヴァンゲリオンという作品の中で出会いも別れもありました。旧劇で望んでいた対話も、破の後に何があったのかも、今世界がどうなっているのかも全て細部に至るまで描き切った手腕に感激しかありません。
内容については触れません。ただ1人でも良いからこの作品を見る人が増えて欲しいです。断言します。この作品を観て後悔することは無いです。25年間の締めがこの作品です。アニメ版から観ていた人も、新劇から観た人も、誰かに誘われて今作から観た人も、何かが深く刺さるような作品だと思います。
この作品を世に出してくれてありがとう。
今はただ、誰かとエヴァのことを語り合いたいです。
今、私は世界で一番満ち足りた気分でいます。
本当にありがとう。
ついに終わった
映画館で破を初めて見てから11年間ひっそりと共にあったエヴァがついに終わりました。終わってしまった…………
エンドロールが流れ終わって終劇と出て、次回予告のないエヴァ
パッと劇場が明るくなった瞬間の寂寞感にこっそり泣いてしまいました。
公開初日の初回に見に行けたこと一生忘れないと思います。
ひとまずはこれだけの感想を。
結局、庵野秀明→3回鑑賞で前言撤回
3回鑑賞
1回目の評価は0.5。
2回目までにQを見直し、「夏色のエデン」を読んだ。
3回目を本日6月17日に鑑賞。
3回目で理解が進んだ結果大きく評価を転換した。
1番大きな要素はマリの正体を知って2回目を見た事。
その上で3回目の鑑賞はより理解が進み感情の動きが飲み込めた。エヴァの終わりに相応しいと思えるのに3回、3ヶ月以上かかったw
ゲンドウの独白にもマリが随所に登場している。こんなシーンあった?
【以下1回目の評価】
独りよがりで納得したか?多くの人が取り残されたのでは?
終わらせる方法はこれしか無かったか。
碇ゲンドウの独白は、必要だっただろうけど。
これでいいのか?!
宇多田ヒカルの曲を映画館で堪能できるエンドロールは価値がある。是非、IMAXで。
追記
何が駄作の原因か考えた。
とにかく要素を詰め込みすぎではなかったか。
語られるべきはゲンドウの生い立ちと意図した事。そしてユイについて。他はそこへの導入に過ぎないのに、寄り道が多すぎて、ゲンドウの下りの前に眠くなる。
描き方も一部の戦闘シーンで突然3DモデリングのCGになったり、集中力を削ぐ。
時間の関係か、やたら物分かりのいいヴィレ構成員。さっきまでシンジを殺す事もやむなしと思っていたのか?
トウジ達の村のシーンは長すぎるというか、そもそも必要なのか?裸がたくさん描かれたが、全く必然性を感じない。
そしてやはりラストシーンの違和感だ。今まで何を観てきたのか?!何を見せられたのか?!あれは誰なの???まさかシンジじゃないよね。
夢オチよりも酷い。
そしてアスカは最期まで浮かばれないまま。そこが魅力ではあるがもう少し丁寧に最期を描いて欲しかったな。
追記2
何年も前に出たコミック最終巻にマリの正体をバラしてるが、こういうのありなのかね?映画は映画で完結させる気がないのか?ファンだけの物にしたいのか?感心しないな、そういうやり方。
俺はアスカが大好きです。だから..感想と評価はあてにしないで下さい。アスカが大好きだから!
アスカがケンスケの事をケンケンと言ったりケンケンの前で裸でいたりケンスケも特に照れる事もなく嫌な予感しかしなかったです。アスカの「昔はシンジの事が好きだった」「私が先に大人になった」だの聞きたくなかった。
トウジはええやつだった。
ケンスケは、サバイバル経験がそうさせたのか、なんか加地さんに似てる大人になっていた。そこにアスカは惹かれたのだろうか、多分アスカに向けてる優しさに惹かれたのだろうけど、見ていて辛かった。
真希波・マリに全て持っていかれた。何歳なんだろ、この人..ドラゴンボールのトランクスとマイと同じように感じる。
破から出てきたポッと出にヒロインポジションを持っていかれた。
確かに可愛い!スタイルも良い!美人、美少女だけどアスカの事が好きだっただけに悲しみが止まらない。漫画の最終話もアスカと恋人になる訳でもなく正直落ち込みましたがアニメと漫画は別と考えていました。まごころでも2人で最後にいるし、破でもアスカがシンジの事を意識して料理をしたりしていたので、ただただ悲しい結末でした。
ただアスカにもオリジナルがいてアスカシリーズがいる見たいで、どうやら今のアスカはコピー見たいです。綾波は身体を維持する術がないと死ぬけどアスカはネルフの維持装置は必要ないみたいです。
マリさんは過去の記憶を引き継いだシリーズだと考えるべきだと感じました。
ゲンドウは多分不死身になった。頭を撃ち抜かれ頭が割れたゲンドウさんエヴァのパイロットになってシンジと戦うんだけどユイの事が好きすぎてゲンドウの考えとか銀魂のマダオのイメージが強すぎてシリアスな話を真面目にしてるのに笑ってしまう。
ゲンドウの人類補完計画ってコードギアスのシャルルの目指した死んだ人にも会えていじめもなく嘘もない階級も関係ない、全員魂になってて感じみたいです。
第19話「男の戦い」並みの顔で父親と戦う覚悟を決めたカッコいい碇シンジ君、ちゃんとシンジ君戦って勝ってよ!と言いたい。
同じ動きと言いながらゲンドウの攻撃は食らってて納得できない。
話し合いでの決着も納得はできない。目的が目の前にあるのならゲンドウは貫くべきだ。
Angel Beats!みたいに、父親の話からアスカや綾波、カオル君や加地さんの思いや考え方を聞いて、精神世界?エヴァの世界から去っていく皆、そして1人残ったシンジ君を迎えにくるマリさん。
更に最後も、意味がわからなかった。確かにエヴァのない世界を望みはしたけど、この世界で生きて行こうじゃないんだなって。
音楽も、なんだかエヴァぽくない音楽のオンパレードで場面に合わなくも感じる。
戦いがQ からカッコいい戦い方ではなく感じる。劇場版 DEATHでアスカが復活した際の戦いや破の戦いを思い出すと、やはりあまりにも陳腐な戦い方にしか思えない。
場面場面は変わるし見ていて燃えない。父親だから..完全な悪役でも使徒でもないからって言われたら、そうかもしれませんが男の戦いが見たかった。
最後に、俺はアスカが大好きです
今も、これからも。
やってはいけない映画ドラクエEND
冒頭のこれまでのエヴァンゲリオンと、今作品のタイトル表示迄がこの作品の一番のクライマックスです。
後は結局ユイのストーカー達の身勝手な話で、広げた風呂敷を畳めず終了しました。
終劇後に拍手してた人が10人程居ましたが、最後までちゃんと見た自分に拍手したのでしょう。
宇多田さんの歌が良かったので星1です。
もしも願い一つだけ叶うならチケット代半分だけ返して欲しい
見た
現世と人類が愛おしくなる3時間だった。
最後まで作り抜いた庵野監督やスタッフの方に感謝。日本中のアニメスタジオが協力した?エンドロールでヤシマ作戦を思い出すという別の感動もあった。
ひとまず初回はここまでしか書けない。
それでも縁は残る
破壊と創造の物語
自分はコアなエヴァファンではない。にわかファンだ。
深い考察も出来ないし、監督の人となりも知らない。ただ、このシリーズと同じ時代を生きただけの人間である。
そんな自分でも鑑賞後、心臓が激しく鼓動した。
多くの映画を見てきたけれど、こんなにもドキドキしながら劇場を後にしたのは数年ぶりだ。感動と喪失感と希望を与えてくれた本作に感謝。
アクションも人間ドラマも超一級
作画も構図も超一級
影響力、メッセージ性も超一級
エヴァンゲリオンは神話になった。
見た人の人生を変えるほどの力がある作品は数あれど、エヴァンゲリオンほど日本の文化に影響を与えた作品は今後生まれるだろうか。
必ず生まれるはずだ。本作が生まれるために糧にした素晴らしい作品が有るように、本作を糧に素晴らしい作品が創造されるのは必然だから。
恩返しというものが有る。恩は受けた本人に返さなくてもいい、誰かに返せばいい。
そうして築き上げられる円環こそがより良いもの、より素晴らしいものに繋がるはずだから。
そんな円環を意識せずにはいられない。本作に対する感想はこれにつきる。
シンジの引きこもり描写やゲンドウの人間不信、親子の対話。
見ていてグサグサ心に刺さった。
監督の心情がもろに出ていて苦しかった。
自分にも重ねてしまった。
物語が終焉に近ずくに連れて、終わらないでくれ、もっとこの世界に居させてくれと願った。
しかしラストで解き放たれた。
それは悲しいお別れではなかった。
「行こう」と言ってくれた。うれしかった。
生きる事は進むこと。
これはエヴァ直撃世代ならもうすでに知ってる答えだと思う。
この作品に教えてもらったものではなくて、自分なりに歩んだ人生から学んだ答えだろうから。
しかしその答えをエヴァが提示してくれた。答え合わせをしてくれたことほどファンにはたまらないものはないだろう。
憧れた作品が、手が届かなかった作品が、苦しい道を進んでいた事、寄り添っていたこと、自分と同じだった事に喜ばないファンはいないはずだ。
だから私は泣いた。希望と共感と後押ししてくれた事を感じた時、涙が出た。にわかファンだけれど「ありがとう」と心の中で叫んでいた。
もう生きる術は知っている、もう歩む道程も見えている。でもそれ以上に大切な進む力を背中を押してくれたエヴァンゲリオンに感謝せずにいられない。
本当にありがとう、あとは我々の物語だ。
エヴァが私にかけた魔法、呪い、夢は解けた。
次は魔法も呪いも夢もかける番だ。
おやすみなさい
開拓してくれて
おはよう
新たな始まりを迎えたさせてくれて
ありがとう
そばに居て導いていくれて
さようなら
後を任せてくれて
明日へのおまじないを全ての人へ。
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劇中セリフより
「今が一番若いから」
生涯現役とか一生青春とか「寒い」と思ってたけど、体じゃなくて心が大事なんだと気が付いた。心や気持ちを衰えさせないようにしていきたいものです。
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