「桐島に隠された意図」桐島、部活やめるってよ parsifal3745さんの映画レビュー(感想・評価)
桐島に隠された意図
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途中で桐島が最後まで出演しないのは意図的なのだろうと。桐島がいないだけで、関係者は大騒ぎ。リアルに考えれば、直接、家に会いに行けばいいだけなので、これは作者が意図的に仕組んだものだろうと。オールマイティの桐島がいることで、バレー部は勝ち上がり、彼女である梨紗は、周りから羨ましがられ、頂上に君臨でき、帰宅部の宏樹は空洞を埋めることができる。彼らが生徒全員から羨ましがられることで、その取り巻きも我が物顔に振舞うことができる。しかし、その桐島がいなくなったら、自分の学校での地位が脅かされるから大騒ぎ。それらの取り巻きとつかず離れずの関係を結びながら、バランスを取っているのが、バド部の東原(橋本)や吹部の沢島(大後)。カッコ悪いながらも、等身大の自分を成長させようと生きているのが、前田(神木)や武文(前野)らの映画部。
承認欲求ばかりが肥大して、周囲からどう見られるかを優先していくと、かっこを追求、負けることをしない、異性関係が充実になっていくように思える。1970年代に高校生活をした自分の世代では、そういう風潮は強くなかったけれど、今は、この映画のような感じなのも理解できる。
自己肯定感をどうやって手に入れるか?経験の蓄積による自信、何かに所属すること、学歴や資格、誰かとの強い繋がりなど、いろいろあるけれど、思春期から青年期には、挫折したりもがきながらも、いろいろと経験をすることで、自己肯定感を身に付けてほしいと思った。
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