別離(2011)のレビュー・感想・評価
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アルツハイマー爺ちゃんが置いてけぼり・・・
外国に憧れる妻は離婚を申し立てるが、夫にはアルツハイマーの父親がいるため外国には行けない。という離婚申し立てのオープニング。とりあえず家を出て行った妻のサミンだったが夫ナデルは戻ってくると信じて、サミンの紹介による家政婦を雇う。ところが、妊娠していた家政婦ラジエーは仕事が辛いと辞めたいと申し出をするが、次の日も辛さを隠しつつ父親の介護をする。
仕事中、ある用事で家を空けたラジエーはナデルの父親ベッドに縛り付けたことが原因で死にかけてしまう。おまけに泥棒扱いをして家を追い出そうとするが、その時事故が起こった。ラジエーが流産となり病院へと送られたのだ。ラジエーの夫ホッジャトはナデルを訴え、判事は殺人罪をも念頭に関係者を取り調べるのだった。妊娠をナデルが知っていたかどうかが争点となり、サミンは独自に示談交渉に持ち込もうと動く。
心理サスペンスとしても見事なストーリー。当事者同士の嘘や家族の疑心暗鬼の眼差しが見事に交錯し、根底には神の存在があり、法廷での真実を見つめているのだ。全て神様に決めてもらいたいように思えてくるし、両家族の娘たちの目が親たちを鋭く突いてくる。当事者の話し合いによる解決が理想的だとも取れるが、どこかに遺恨を残してしまう可能性だってある。イスラム世界だけの構図ではなく、国同士の関係にも通ずる普遍性も感じられるのです。
結末を見ると何故かホッとした。もし、ちょっと押しただけで殺人罪が問われるのなら、妊婦さんのみならず、お年寄りなど社会的弱者にさえ近づけなくなるよなぁ・・・
アイコンタクト
取り返しのできない事態を目の前にし、なすりつけたり、躱したりする大人たち。すべてが何らかの負い目に抗う。心ない行いに刺さる無垢な目。爺の目、少女、そして娘。少女と娘がかわす視線。娘は父に問い、踏み入り、涙する。過度に人を攻撃する訳でもなく、人のありようを照射する。中心人物だけではなく、周囲に至るまで実に細かい。
心理サスペンス
レビューが書けない位凄い映画。一人一人の心理描写が鮮やかに描かれていると思う。脇役の子役も含めて。
心理サスペンスとも言える。その心の動きも納得が行く。
兎に角、本年度一番かなぁ。って言っても新年始まったばかり。
両方の子供にトラウマが…
事の発端は海外に出ようと言い出した奥さんだと、私は思う母として妻として
イランには介護施設はないのか??
あっても宗教上許されないのか?
一方、不幸を背負ったまま子の手を引きホームヘルパーに来た女性も
信仰が厚いのにどんどん不幸になるのはなぜだろう
自分の罪を電話で聞くタイミングが遅いでしょ、散々ウソついてからなんだもん
しかしいろいろルールがありすぎるる…
時間を置いて考えると
これは映画ですからね、大変緊迫する面白い映画だった、と捉えるべきね
イラン版「マリッジストーリー」イヤな感じしか残らない、疲れた
だからこそ面白いんじゃ〜!
*てっきりキアロスタミの作品だと思って見てた、、、
検索リストに入っていたから、、、
こんなのも撮るんだ〜って^^;
正しい道というテーマ
個人評価:4.3
異文化の日本人だからこそ刺さる物語なのか。それともイスラムの教えがあればより刺さるのか。
アスガー・ファルハディという監督は、日常の中に潜む不運の中に、深いテーマを本当に上手く絡めてくる。
他作でも一貫していると私が感じるのは、誰もが正しい道に進みたいというテーマ。それは宗教とは関係なく、人間である以上、普遍的なテーマであると感じる。自身が決めた正しい道(ルール)があるからこそ、人は悩み葛藤する。
本作も嘘と正しい道とを、宗教観を交え巧みに表現していると感じる。
本当に作品性が高い映画を作る監督だ。
観賞後、最も感想戦が長引いた一作
映画の観賞後、家内と作品の事を語り合うことが多いのだが、本作は最も多くを語り合った。
それほど一人一人の背景が描かれており、それぞれの仕方のない事情と嘘をつく理由を飲み込んだ上でこの登場人物たちは一体どこでボタンを掛け違えたのか、どうすれば幸せになれたのか、語らずにはいられないほどの衝撃を受ける。
決してハッピーエンドでは無いが、心揺さぶられるヒューマンドラマを求める方には是非お勧めしたい。
受け取り方次第
一体何を言いたかったのか。
家族を守るためについた嘘がキーとはなっているが、何を言いたいのか、この映画のテーマがよく分からず、最初から最後までモヤモヤした気持ちを抱いたままま映画が終わってしまった。見終わった直後はこれは「家族間のいざこざを見せられているだけの映画」と思ってしまったが、重介護者を拘束したという人間の尊厳の側からこの映画を捉えるか、妊婦の信仰心の高さから真実を言えなかったと言う女側から見るか、家族を守るためについた嘘をついた男の話として見るか、多くが重なり合い展開していく中で、この映画は、「正解のない見方ができる映画」なのではないかという思いに至った。そういうことが発見できたという点では貴重な体験であった。
一体誰が主人公なのか。
しかし、あえていうのであれば、この物語の主人公は誰なのかがもう少し見えてくれば、見易かったと思う。全体としては、離婚を迎えた夫婦に巻き込まれていくもう一つの家族の話ではあるが、誰か1人を挙げてその人の話であるとわかれば、製作者側の意図も拾いやすかったと思う。
初見ではわからないことが多かった、でももう一度見たいと思えるほどのエネルギーも出てこないのが現状であり、時間を置いて機会があればまた観たい。
みんな、気持ちがわかる。
男は女性の気持ちがわからない
女性は男性の気持ちがわからない
娘、非常に繊細で。
相手方の気持ちもとてもわかる。
なぜ、こうなるんだろう。
どこかで皆が素直になれば良いのに。
でも、現実世界もなかなかできない。
妻と娘に、寄り添っていかなきゃない、、。
嘘の積み重ねで不幸せに
罪を被ること、夫から暴力を受けること、娘を失うこと、様々な「恐れ」から嘘を積み重ねる人々。
嘘がばれることを恐れて再び嘘をつき、皆が皆その嘘でがんじがらめになる。
そもそもの原因は一組の夫婦が別れるということから。
二人が歩み寄っていれば、負の連鎖は起きず、回避できることが様々にあった。
和解することの難しさと、人間の業よ。
介護をするにあたり異性の裸をみていいのか、裁判で確証がないまま慰謝料をもらっていいのかなど、聖職者にいちいち確認する女性の姿が印象的。
コーランに手を当てて誓うということが、ムスリムのなかでいかに説得力を持つ行為か、ということがよくわかる。
個人的には、神の畏れより人として信頼を失うことを恐れて欲しい。
個人的には主役の男性に同情してしまった。
アルツハイマーの父を置いて外国へ行きたくない気持ちはわかるし、妊娠していたヘルパーの女性を突き飛ばしてしまったことに対して、保身から嘘をついてしまったことも大きな悪だったとは思えない。
すべての小さな不幸せがドミノ崩しのように彼に収斂したようで、ラストぽつねんと座る姿に胸が痛んだ。
もちろんヘルパーが流産したことは大きな不幸だが、あれは人的被害というより事故だった。
イランは意外と女性も強い自己主張ができる国なのだな、という点で驚きはあったが、世界中どこの家族にも起こりえる、普遍的な辛さを描いている映画だった。
男の嘘の罪深さ
この作品では2つの家庭を中心にストーリーが展開するが、一つは中流階級で離婚直前の夫婦と中学生の娘、もう一つは貧しい階層の家庭でイスラムの教えを守っていて、とくに妻は敬虔な信者で、幼児がいる。
その二つの家庭が裁判で争う中で、イラク社会の構造的縮図のような問題が浮かび上がってくる。
この作品の胆となるのは「嘘」だ。
イラクのような(そしてそれは、日本でもほんの数十年前まで同じだった)封建的な男尊女卑の社会において、男は嘘や誤摩化しを日常的に使い分けて社会で生きている。
映画の序盤、貧しくも若く敬虔なイスラム教徒であるラジエーは、暴力的で稼ぎのない夫に内緒で、ナデルという中流階級の家庭の家政婦として働こうとする。ナデルは、妻シミンが外国で暮らす事を望んだ結果、今は妻と別居し、認知症の父の面倒を見なくてはならないため、ラジエーを雇う事になった。ところが、ナデルはラジエーに父が認知症である事を隠していたため、ラジエーは1日で仕事を辞めようとする。結局、その後も働く事になるが、それが登場人物達をさらに悲劇へと導く事になる。
この序盤で描かれているのは2つの嘘だ。ラジエーは暴力的な夫に内緒で働きに出て、ナデルはラジエーに父が認知症である事を隠して仕事を依頼する。互いに「嘘」を抱えて物語が始まる。しかし、ラジエーの嘘と、ナダルの嘘は、本質的に全く異なっている。ラジエーは家族の生活と夫の暴力を避けるための身につまされる嘘であり、一方のナダルは自分の目の前の問題を安易に解決するために、明らかに女性に対して軽い気持ちで誤摩化した嘘である。
「嘘」には、良い嘘も悪い嘘もない。
しかし、立場や階級が違えば、その嘘の本質は絶対的に異なってくる。
物語の終盤、ラジエーの夫は妻の流産の真相を知り、確信が持てないままナダルに責任を押し付けるような証言を拒む妻ラジエーに対して「神に対しては俺の罪になるから、コーランに誓え(嘘の証言をしろ)」と妻に迫る。妻ラジエーは、神からの厄を畏れそれを拒否する。
同じく終盤、ナダルは、裁判で嘘の証言をしていた事を娘のテルメーに見破られ、真実を言う事を誓うが、結果的にテルメーに嘘の証言をさせてしまう。その後、テルメーには、ナダルがこれまでにしてきた小さな嘘やほころびが、徐々に見えて来るようになってしまう。
男たちは、見栄や金を優先し、神や家族の気持ちを蔑ろにする。ラストシーン、様々な人が行き交う裁判所で、ナダルが孤独であることが延々と映される。父の病いを憂うナダルは、悪人ではない。本人は強い悪意で嘘や誤魔化しを繰り返したわけではないだろう。しかし、彼は妻や子供を失った。その不条理さが見終わった後に余韻として残る。
中流階級の家族にとっては子どもが、下層階級の家族にとっては宗教が、男たちの嘘の罪深さを浮き彫りのしている。嘘と信頼、男尊女卑、介護問題、夫婦の関係など、普遍的な社会問題を、2組の夫婦を描く事で対比させ、分かりやすく描いているのは素晴らしい。このレビューの冒頭で「2つの家庭を中心に物語が進む」と書いたが、あくまでも主人公は中流階級のナダルだ。カメラの視点(観客の眼差し)は、常にナダルとその家族から見た世界や心情描写である。そのためラジエーやその家族に起きているであろう状況について、観客自身の想像力で補うしかない。その突き放した描写がとても効果的。非常によくできた脚本。
ただ、全体的に重苦しく、最後まで息が詰まる。
この息苦しさは、ある意味でイランという社会の抱えて閉塞感を表しているのかもしれないが、とても疲れた。
歯車がズレる
一つの歯車がズレると全体のバランスが崩れるのだなと家族を持つ者としてゴクリと唾を飲んだ。舞台がイランという事で、宗教の解釈の違いこそあれみんな自分を律しきれてると思ったら、自分や誰かを守るために嘘をつくし、相手をなじり罵倒したり人間臭くてよかった。夫婦愛の話かと思いきや裁判を中心に話が流れて目が離せなかった。全く知らなかった世界の扉を開けてくれた映画。
畏れを知る、という知恵
隠し事をしている信心深い女性が「コーランに誓えない」とジタバタ悩んでいる姿がなんだかうらやましくも美しく。
畏敬、自分よりおおきな存在に畏れをいだく、ということは、生きるという大海の中にあって灯火をみいだすようなものかもしれない。
重いなぁ…
引き込まれました。
イラン映画という事で、宗教色が濃いかと構えていたらそうでもありませんでした。
内容は分かりやすい物語です。
別離というタイトルが示す通り、一組の夫婦の離婚話です。
そこから派生する出来事に面白さのポイントがあるのですが、人々を巻き込んで行く様は見事です。
見ている自分自身も、その場にいるような錯覚を覚えます。
日本にいる私達にも、ありふれた出来事として、抵抗なく受け入れられます。
「どこの国でも似たような悩みはあるんだなぁ」と、感心さえしてしまいました。
しかし、物語が動き始めた中盤からは、一気に閉鎖的な状況へと移り変わり、緊張感ある展開が続きます。
人の業というか、優しさというか、なかなか想いが伝わらず、もどかしいです。
見終わってから、明日からは、広い心で優しく生きて行こうと決意しました。
他人を想いやりたい方にオススメです。
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