最強のふたりのレビュー・感想・評価
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あるある
なんか見覚えあるなと思ったら、観るの二回目だった。けど内容全部忘れてたからよかった。でも最近グリーンブック見たばっかりだから、ああこういうやつねって、なんだか新鮮味なかった…。。。
「これから食事を始めます。」って食事介助するのとか「障がい者が好きなんです!」とか、自分を障害者らしく扱うとか、健常者とは違う人間だと扱われるのが苦手だったのかな。甲斐甲斐しく介助されるあの感じ。
面接時点で他の候補者よりもドリスを選んだのは何故だったのか、よく分からなかった。
違うバックグラウンドを持つもの同士、お互いの文化や嗜好を嫌々ながらも取り入れ合うシーン、なんかでよく見たことある。。。グリーンブック観た後だと「あんたたちこういうの好きなんでしょ?」みたいな印象が強くなっちゃって…もう辟易してる自分がいるのが悲しい。見るタイミングが違ったな…。
こんなにいい映画なのに、あるあるだよねと消費してしまう自分が悲しい。
アクションものでも刑事ものでもない
何のジャンルかすら知らずに、邦題でアクションぽい映画だろうと
視始めた。
最初は車が暴走するシーンで始まり、そんな映画なんだと一旦仕分けして
その心づもりでいたら、序盤でいきなり肩すかし。
教養の無い粗暴で 前科もある失業者が、それでも職を求めて面接を受ける
何の映画か分からすに様子を見ている内、粗野なチンピラに見えてた
主人公が人間的に魅力のある者に見えてきて、一気に引き込まれた。
主人公はもう一人の主人公の障碍者の介護人だが、障碍者をかわいそうだと
いう目で見ていない。また主従の関係のようにへつらう意識もない。
このことが却って障碍者に居心地の悪さを感じさせず、人として対等に関わる
ことにもつながっている。
全部がこの映画と同じケースに当てはまるわけではないだろうが、
障碍者というと短絡的に「配慮」をあてがう最近の福祉の風潮は却って、
「配慮」することで自己満足する健常者との間に、壁ができることも
あるだろうと、感じさせる作品だった。
それにしても、オマール・シーのダンスの巧さにはびっくりした。
フォーカスがどこかわからない。
偶然ではなく、必然的だった2人の出会い!!
彼等最強の二人には、アルバート・アイラーの『サマータイム』を
ポジティブな話なので、大変に良いのだが、この関係は彼等だけの関係。白人と貧困な黒人の改善策には役立たない。同じ真似をして、頑固な白人の老人に通用するものでない。また、介護する黒人は、モロッコ辺りの出身の様で、ベルベル系の様だ。従って、黒人ではない。同じアフリカ大陸に住む人種だから、黒人を使う。何か間違いだと思う。ベルベル(差別用語)系はアース・ウィンド&ファイアーを聴かないと思う。フランス人から見た偏見に感じる。
また、クラシックの名曲をアース・ウィンド&ファイアーと比べて、ディスる場面があるが、価値観の押し付けに感じる。少なくとも、この映画で使うアース・ウィンド&ファイアーは『セプテンバー』くらいが知られた曲で、クラシックの名曲の足元にも及ばない。
4時間するワグナーを彼は聞き抜いたのだろうか?
僕の希望としては、黒人の方々にも楽しんで貰えるオペラとかクラシックを公演してもらいたい事と、もう少し、敷居を低くしてもらいたいと感じる。価値観を押し付けたくないが、アース・ウィンド&ファイアーならアイネクライネナハトムジークのほうが奥が深いと感じる。だから、彼等最強の二人には、アルバート・アイラーの『サマータイム』を聞かせたい。なんて言うだろう!
真の友情
アース・ウィンド・アンド・ファイヤー!
自由・奔放さと規律・秩序の交錯が二人を成長させ…
以前、やはりTVで観た記憶があったが、
短縮版だったためか今一つピンと来なく、
NHKBSでの放映を機会に再鑑賞。
事前に観た「グリーンブック」との
比較の点でも興味をそそられた。
映画自体の出来としては、
ノンフィクション作品にありがちな、
登場人物のその後の事実を
ナレーションで描いたこの作品よりも、
フィクション作品ならではの
見事なラストシーンで締め括った
「グリーンブック」の方に軍配を上げたいが、
両作品の観点こそは異なるものの、
今やどの国においても
多様な人種混在の現実や所得格差の問題、
そしてLGBTへの理解が進むことを
思い知らされる。
そして、この作品では
自由・奔放さと規律・秩序の交錯が、
主人公二人を成長させていく
経過が面白かった。
果たして「最強のふたり」とは何か。
多分に「自由と規律」あるいは
「変革と伝統」への程良いバランス感覚が
より良い社会の形成と人間の尊厳に寄与する
のではないかとの観点を
主人公二人に集約して描いた作品
なのだろうと思った。
ヒトは何を求める?
何を求める 風の中行く
種田山頭火
たとえ多くのものをを持っていても、たとえ多くのものを喪っていても、ヒトは何を求めるのかしら?。
私、ヒトと距離を詰めるのが苦手なの。いつまでも、仲良しでいられる自信がないから。他者とはちょっと距離置いて、あまりヒトの印象に残らない存在でいるのが、楽なのね。だから、ヒトとヒトが解り合える、ヒトが打ち解け合う映画に、緊張しちゃう。だって、いつまでも、仲良しでいられるのか、不安になるから。
ところが、世の中とは不思議なもので、そんな私にも、付き合いの長い呑み仲間がいます。私のキャラを知ってか知らずか、いつの間にか、私の懐に居座っている。あるいは、絶妙の間合いで、鎧の隙間に野太刀を突き立ててくる。私には真似できない、ある意味最強のキャラです。
私は誰かの最強になるつもりはありませんが、世間様には、そんな最強のキャラがいるようです。諸般の事情で、酒席にありつけない日々が続きますが、大切にしないとね。
私はヒトに何を求める?
最強のキャラに、乾杯!。
お互いの人生に刺激を与え合った二人
ドリス(オマール・シー)とフィリップスが共助精神が旺盛だから二人が交流できたのだろうか? たしかに、自助しか考えていない二人だったら接点はなかったろう。しかし二人はこんなことを考えて心が通じ合えたのだろうか。この映画は事実をベースにしているので、脚色はあるだろうが現実にあったことなのだ。
私はキアロスタミ監督のある映画に出てくる青年を思い出した。彼の言葉で直訳ではないが、共助の見本のようなことを言う。貧しい人と金持ちが結婚して助け合うべきだと。という意味は単純に考えて数学のできない人とできる人がいっしょに助け合って学ぶべきだということだと思う。
果たしてこういう実例をよく見るだろうか?
私は教師なので、はっきりいってこういう例を見る。クラスの中でだからもしれない。先生がいるからかもね。またそれに反して、自分勝手の見本のような生徒もいる。「先生、XXさんとパートナーになるのは嫌です。全然勉強しないから一緒に座らせないでください」と。共助を踏まえて成長していくことについて話しても聞き入れない。自分のことしか頭にない。
そこで、この二人のナレソメ、初めから相性が良かったんだろうか。映画の最後の字幕でもわかるように、お互いにそれぞれ結婚していても二人は友達だったと。あくまでも個人的な見解だが、フィリップは自分を介護してくれる人を見つけるために何度も面接をしているようだが、なかなか気に入った人が見つからない。50歩100歩と言ったら聞こえがいいが、彼の好奇心を揺さぶる人は出てこなかった。ドリスの思考や発言にはフィリップのように(偏見かもしれないが)教養が高い当時のフランスの文化をわきまえて行動できるタイプではなかったのだ。フィリップの持っていないものに対する魅力、正反対といっていいくらいに違う人間に対して興味を持ったのだ。自分と180度正反対な人間との接点を探すのが難しいのが現実だ。この二人が歩み寄りを見せているのだ。例えば、フィリップは娘の教育をドリスから学び、ドリスは芸術をフィリップから学んでいる。他にも、フィリップはハングライダーや人生に再挑戦できたし、ドリスはおばさんから認められることができた。
分断の時代だが、全く相入れそうもないふたりの人間が共に助け合えた。現実にあった話だと。
人に勧められる前向きになれる映画!
ありのままの二人。ほっこりするハートフル映画
実話でなければ見ていられない
邦題の意味がよく解らないが…
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