「ニート気質の舞台奇術師が「今から」本気出す」オズ はじまりの戦い 永賀だいす樹さんの映画レビュー(感想・評価)
ニート気質の舞台奇術師が「今から」本気出す
主人公のオズはカンザスの舞台奇術師。小手先の技と口先のペテンで観客や女性をだまし、奇術の技術を磨くでもなく「俺はただの"善い人"にはならない。偉大な人物になるんだ」という人物。
「明日から本気出す」とか言ってるニート気質が痛々しい。観ていてズキンと胸に刺さる人もいるんじゃなかろうか。
こういう人物像が映画に登場した場合、ヒーローの小手調べ的なあしらいを受ける頭でっかちの小悪党か、小さなほころびから悪に転じる策謀家の二つに一つしかない。
ところが本作では、第三の道として、「偉大なる人物」となるべく黄色いレンガの道が示される。
さすがは主人公といったところ。
自身の願望をかなえるだけでなく、水先案内人が美人の魔女で、黄金と王冠が約束されるというのだから、ニート的マインドのオズだってイヤとはいえまい。
ただ観客としてはおもしろくない。
ちょっとイケメンなだけで、単なる小物が美女と財宝を上げ膳据え膳で用意されてしまうとなったら、「オレらもう、帰っていいスか」状態。
それを回避すべく、性根の部分はいい人ですよ的エピソードを挿し込む。観客としては我慢ギリギリのタイミングなので、監督はもう少し早めに展開組んだ方がよかったと思う。
ともあれ、「実はイイ奴」を提供したおかげで、オズは陶器の少女を得て、観客の途中退席を回避をできたのだ。運のいいやつ。
しかしながら運のよさもこの辺で打ち止め。この先はどんどん深みにハマっていく。
本当の魔法は何一つ使えないのに魔法使いと持ち上げられ、悪の魔女が率いる軍勢を王国から追い払うハメになる。
そして本作の本番は、おそらくここから始まる。
小説『オズの魔法使い』未読の方には少々酷だとは思うが、本家オズは臆病で小心な人物。
困り果てて訪ねてきた少女・ドロシーにも、機械で動く巨大な顔の後ろに隠れて接見、魔女を倒してこないと望みはかなえてあげないなどと言いつつ自身では一歩も動かない。
知恵を求めるカカシや、心を欲しがるブリキ人形、臆病であることを悩むライオンにも同様。望みをかなえる代償として、悪い魔女を倒すようにいう。
そして帰ってくると、カカシには脳みそ、ブリキ人形にはハート、ライオンには勇気、それぞれのアイテムを授ける。
しかしアイテムがそれぞれの望みをかなえたのではなく、三者が本来持ってる知恵と心と勇気に気づかせたに過ぎない。でも感謝される。
実際に何を与えたかではなく、何をなしたかによって評価される好例。
映画のオズも同様。
人々に知恵と団結と勇気をもたらすアイテムを差し出し、見事に悪い魔女を退ける。
原作のパターンに限りなく忠実。
善き人たちは信じ、行動し、そして悪を撃退する。もともと裁縫、小金細工、歌など平和なことにしか関心のない人たちを、悪い魔女の軍団に向かわせて勝利するのだからすごい。
本作のオズは間違いなくニート気質から脱出したヒーロー、いやさ、偉大な魔法使いといって差し支えないだろう。
ただ惜しむらくは魔法演出。
オズの使う奇術と魔女の使う魔法に釣り合いが取れるようにか、実際の魔法は意外とショボい。
そこは正直、ガッカリしないでもない。演出上、しょうがないとあきらめるばかり。
ここはひとつ、陶製人形の勇気とおてんばで手を打とうか。
もうひとつのガッカリは美女が醜女に堕ちるシーン。
これまた演出上、必要だと思う。だが、男性映画ファンとして、美女が画面から減っていくのを見るのは悲しい限り。
いくら魔法日照りでも、この種の魔法はないほうが嬉しいとは思う。
では評価。
キャスティング:7(美女の三魔女が出てくるだけでうれしい)
ストーリー:8(原作に忠実かつ新しい展開がそそる)
映像・演出:7(魔法はイマイチだけど、オズの奇術は派手に見える)
原作再現度:8(マインドの部分はかなり忠実。黄色いレンガの道など小物にもニヤリ)
陶製人形の少女:7(コツコツ足音響かせて小走りの姿がかわいい)
というわけで総合評価は50満点中37点。
きちんと小説原作を踏まえた本作。ちょっと世間をスネだした子どもと一緒に家族で観に行くのがオススメ。
鑑賞後、原作と比べたトークが親子でできたら、子どもは間違った道に進まないだろう。