かぞくのくにのレビュー・感想・評価
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母宮崎美子が、限界の愛を手渡している。
題材が題材なだけに、
断られるのを覚悟で台本を渡して
キャスティング打診をしたそうですが、
「ぜひとも自分にやらせて下さいね」って、宮崎美子は逆に頼んできてくれたそうです。
監督がラジオでのインタビューで言っていました。
この我々の日本国が、植民地支配の結果をいまだに引きずる、否、引きずらせている「大変な負の遺産」。
朝鮮戦争で大儲けをしたけれど、
日本はあの戦争の片棒を担いでしまって、
北と南の破滅的な分断と、知らぬ存ぜぬの旧宗主国=日本が出来上がってしまった。
どんなことがまだこの社会の暗がりで続いているのかを、
この異作は教えてくれました。
安藤サクラ、井浦新、そして宮崎美子。
迫真の演技でした。
お釣りの小銭をビンに貯めると、僕はフラッシュバックしますね。
かぞくのくに。真実に背を向けたらいけない。
帰国事業で北朝鮮に渡った兄が脳腫瘍の治療の為一時帰国する。日本で育った妹りえは北朝鮮には否定的、両親は朝鮮総連の運営に身を挺してとりわけ父親は帰国事業を熱心に薦める。兄とはイデオロギーですれ違い、手放しでは受け入れられない。ところで何故帰国事業を大々的に行ったのか?日本での差別があるから北にいけば差別の無い生活ができるはず、そして何故日本に来たのか?朝鮮併合で安価な労働力として日本の歴史的事業の建設に携わり棄てられてきた。両国の歴史の真実を認め反省するという気持ちを持たねばならないと。
ぜつぼうのくに
病気療養の為に北朝鮮から25年ぶりに日本へ帰国したソンホ(井浦新)は監視員(ヤン・イクチュン)と共に、家族の待つ実家で特別滞在期間の3ヶ月を過ごすことになる…
父が朝鮮総連で働く一家にとってソンホは人質同然であり、直ぐに家族団欒とはいかず…気丈に振る舞う両親と我慢する妹のリエ、痩せ細ったソンホは何を求め・何を語るのか?日本では異常な家族の形でも、北朝鮮本国ではありふれた家族の形なのかもしれない、家族の日常が変化していく。劇中、兄妹の会話の先に仄かな希望が見えるのだが…
我慢するリエの心が決壊し、一人で地団駄を踏むシーンにこの映画の全てが詰まっている。安藤サクラと観客の気持ちが一つになる瞬間、私の涙が溢れだした。
テンポの悪さでのめり込めなかった
訴えかけたいことはよく伝わったし、リアリティもあった。
特にヤン同志のキャラクターはその目的の上で強くワークしていたように感じたし、安定の「宮崎美子の母親役」は見ているだけで琴線に触れるものがあり脚本にハマっていたと思う。
実体験に基づいているという事で、事実に何を加えることで作品として成就するかという選択は成功していたのではないかと思う。
一方で、演出とは分かるが映画としてのテンポ感が自分にハマらず、物語にのめり込むことを阻害する部分が多かった。
25年ぶりに息子に会う母親はともかく、幼少期以来25年も会ってなかった妹が終始ここまでニタニタするかなというのがちょっと不自然に感じた点、兄が唐突に発言をしたり無言を貫いたりする点(その理由も一定の説明はされているが)、同窓会のシーンの展開等、芝居で状況説明されるものが全体的に唐突でぎこちなく感じてしまった。
「なんか分かりやすくニヤニヤしてるぞ」「急に喋り出したぞ」「急にギター弾き始めたぞ」それぞれ、数秒のタイミングやコマ割りが自分にハマれば問題ないのだろうが、それがハマらなかった。
役者がそれぞれ良い味を出していただけに、このテンポの悪さが残念に感じられてしまった。
理想に燃えて北朝鮮に子供たちを送る在日朝鮮人
「ディア・ピョンヤン」「愛しきソナ」を見て、やはり見ないといけないヤン・ヨンヒの作品。
理想に燃えて北朝鮮に子供たちを送る在日朝鮮人。日本とは国交がないが、彼らには国交があり行き来できるのである。
彼らの気持ちを思うと、北にいることや日本にいること、それぞれに強い思いとやるせなさがある。
20131208@TV
突き放したような諦めたような でも確実に怒りを含む複雑な表情
レンタルを3回に分けて鑑賞
店のおすすめ 結構信頼している
今回も良作だった
北朝鮮から病気治療のため一時帰国する息子
最近好きな俳優井浦新 妹が安藤サクラと申し分ない
小泉訪朝の前の話か後か 多分前だと思う
こういうことホンっと多いんだよ…っていう
井浦の突き放したような諦めたような
でも確実に怒りを含む複雑な表情が切なくリアルだ
付き添いの男にも国に家族がいる
津嘉山正種ってデニーロの声やる人だよな
超上手いし声も良い
なぜあまり出ていないのかが不思議
うーん、、
以前、舞台出身の方の作った映画「愛を語れば変態ですか」のレビューで、「映画ではない」とレビューに書いていた方がいまして。私も、これは舞台をそのまま映像にしただけで映画ではないな、と、共感したものです。
この「かぞくのくに」に関しては、これは、、どちらかというとドキュメンタリーに近いのかな、と。映画というより。
『悪人』で見せた満島ひかりの母役同様、宮崎美子はもちろん良いですし、やり場のない怒りと兄への想いに引き裂かれるサクラ、すっかりやつれて寡黙になったアラタ、皆いいんですけど、「演者たちが達者=映画」って訳じゃない。
あと、手ぶれっぽいカメラワークも苦手(それは個人的なことだけど)。
鑑賞後、若干、モヤモヤする。革命でも起こって独裁が終わらない限り、だって、大して変わらないでしょ。
「家族の絆」というよりは、どちらかというと儒教の影響を強く感じただけだったな、、
横断歩道を歩く安藤サクラ。
素っ頓狂な迄の短さがテーマにもリンクする、のが良いのだ。
クイズ王、宮崎美子の女優力はもっと評価されて良い。
そう言えば三択の女王竹下景子も女優力は高い。
横断歩道を歩く安藤サクラのラストシーンは何度見ても泣く。
荒井晴彦が映画秘宝で褒めていた作品
井浦新も、安藤サクラも、ヤクイクチェンも、宮崎美子もとても良かった。真摯でよかった。スーツケースは自由の象徴で、お土産持参で北朝鮮へ帰国する二人はスーツケースを持たない。考える自由があると言うこと。考えられると言う事だけで自由。、
北朝鮮への帰国運動につは本当に不思議、血と骨に出てきた帰国運動は、この時代よりもっと前で初期の事だったとおもうが、このくらいの年代でのこの物語は本当にありえな話としかおもえないが、めちゃくちゃリアリティがあった。
テーマを広げず焦点を絞った展開がよかったと思う。一個人それぞれの思いはあり、強くあり、泣いたり、叫んだり、抗議したり、話し合ったり、しても、どうにもできないことがあると思い知らされる。そしてそれは、北朝鮮だから、だけの話ではない、と、思えてならない。
朝鮮語が上手いのか下手なのかわからないが
監督自身の実話を 安藤さくらが演じる。
戦後の朝鮮半島問題の一端を非常にリアルに 派手にする事なく しかし日本人には考え及ばない理不尽な 真実の物語。
井浦新は ものすごく好きな役者さんで
最初に意識したのは 大河「平清盛」の崇徳天皇。
その狂気の演技は凄まじかった。
その後 アンナチュラルでもうちに秘めた怒りの演技を堪能したものだ。
この映画の役どころは 爆発することのない
じっとりとした役者魂を見た感じがした。
そういえば 最近
バラエティでお見かけする井浦さんは
いや〜
別人のようで
さすが役者さんなのだなあと思う。
とても不勉強だったけれど、在日韓国人と在日朝鮮人とは境遇が違うのだ...
とても不勉強だったけれど、在日韓国人と在日朝鮮人とは境遇が違うのだということを初めて教えてくれた映画。帰国後息子に良くしてくれるように同じ土産を監視人にも渡す宮崎美子演ずる母の想いに涙😢
辛すぎる、、、。
25年ぶりの再会って、どんな気持ちなんだろうか。
こんなことが実際に起こってるなんて、信じられない。彼らの気持ちは計り知れない。。
井浦新、とても良かった。
はぁ、、見終わって、無力な自分がいる。
感情が麻痺した国民
感情を麻痺させたような無表情な役所の井浦新が本当に物悲しい。
彼の国に翻弄される息子を思う母親の気持ちを思うと胸が苦しくなります。
兄を思う妹の気持ちを考えるとやるせない思いになります。
愛国心と息子の処遇に対するジレンマに思い悩む父親の気持ちは、やはり私は理解できません。
本当に物悲しく、色々な事を考えさせる映画です。
できれば是非色々な人に観ていただきたいと思いました。
そして、今現在、彼の国に顕著な変化がある物の、
やはり私は彼の国を信用する事が出来ません。
ただ、国民に罪は無い事も理解はしているつもりです。
監督の自伝的作品
東京国際映画祭での鑑賞。
ヤン・ヨンヒ監督の自伝的な作品。
安藤サクラ・井浦新・ヤン・イクチュン
北朝鮮から一次帰国した兄と家族の物語。
病気治療の為に25年ぶりに帰国した兄は、口数が少なく、話せないことも多い。
もし、25年前に行かせなければと後悔する両親。
妹は一番感情的で正直。
治療も出来ずに、緊急帰国命令が出て兄は戻ることになる。
あの国では考えてはいけない。ただ従うだけ。
無口な北朝鮮から帰国した兄。無口ではなく、しゃべれないという現実と...
無口な北朝鮮から帰国した兄。無口ではなく、しゃべれないという現実と、本意ではない工作員への誘いを妹にしなくてはならないという任務。
これは北朝鮮やそれに通じる国ではまず見れないだろう。
家族の絆は国や政治を超えたものだが、その壁はものすごい高いことが分かる。
思考停止でただ従う、どうやって生き抜いていくかだけを考える国って・・・。
考えさせられた。こんなことが本当にあるのかと思った。このとき初めて...
考えさせられた。こんなことが本当にあるのかと思った。このとき初めてARATAが井浦新に、改名したことを知った。安藤サクラいい。
ポスト・コロニアル映画
かの国の理不尽さというよりも、我が国との関係が余りにも複雑であることが、映画で描かれている家族に苛酷な運命を与える。
こうした物語を通して多くの日本人が見たいと願うのものは、相手国政府の横暴さや閉鎖性だろう。そしてこの映画において、ある意味その欲求は満たされる。
だがしかし、この在日朝鮮人の一家に起きたある夏の出来事には、北朝鮮という国家だけが深く影を落としているだろうか。この一家の歴史からは、第二次世界大戦後に、宗主国と切り離された故国との間で揺れるアイデンティティを抱えた人々の苦悩が感じられる。国民というアイデンティティをどの国からも与えられることのない人々。そのために国境を超える自由を持っていない人々。これには我が国に歴史的な責任があることも事実である。
そしてまた、彼らを朝鮮半島からの移民の子孫としてとらえた場合、この映画は、ヨーロッパを中心として語られることの多い、ポスト・コロニアリズムを題材とした作品として観ることができる。主に西ヨーロッパの国々で、アフリカや中東からの移民が織りなすドラマと同じ位置を占めるのではないだろうか。
そういった意味で、兄ソンホの同級生にはもっと彼ら自身の来し方を語らせて欲しかった。日本に残った友人たちの物語に耳を傾けさせることで、ソンホの人間性や人生を重層的に表現できたと思う。それとも、そのようなことへの関心を示すことすら抑圧されている帰国者の姿を描きたかったのだろうか。にしては、監視役として同行した男が総連職員を怒鳴りつける姿には、彼の人間的な側面を見せられた気がする。
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