時をかける少女(1983)のレビュー・感想・評価
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映画の理想の教科書。
なんと40年前の映画ですが、登場人物たちの関係をカメラがきわめて繊細に周到にとらえていることには、本当に驚かされます。物語が転がり出すときの温室、海沿いの崖、終幕での種明かしの掛け合い、どれも会話撮影の教科書のように完璧に画角が組み立てられています。いま映画をこころざす人は、監督でも技術スタッフでも、このあたりのシーンを全ショットくわしく研究してみるべきなのです。
大林監督がどれほどていねいに俳優を動かしているか、どれほど緻密にカメラ位置を決めているか。そのラッシュを、しかし編集室でどれほど深く再発見しながら自在に組み替えているか。映画を作るのに必要なヒントが、この映画にはいたるところに溢れています。
映画にCGI技術が導入される以前の作品なので、当然すべての特殊効果はアナログ。だから新しい技術で撮り直せばもっと面白くできるはず…と思いがちなのですが、やはり当時16歳の原田知世の可憐さや、よい意味でのアマチュア精神とベテランの技術が拮抗しはじめた時期の大林監督の実見精神や…、そうしたものが奇跡のようにそろったこの映画は、やはり唯一無二のものだと思います。
衝撃でした。
時代相応の作品
原作は読んだと思うが、ライトノベルの走りの様な小説。
醤油の匂いを忘れ、ラベンダーの香りに溺れてしまった女性の話。
大林監督はこの話を逆説的にとらえていると僕は思う。
初見の頃はラベンダーの香りに憧れたものだが、何回か見るうちに、一人の女性の人生を狂わせた香りが、ラベンダの香りなのではと感じる。
1975年の頃『時をかける少女=タイムトラベラーだったかなぁ?』を旧国営放送の連続ドラマで始めて見て、ラベンダーの香りに凝ったのはその頃の事。
実はこの映画の初見の頃はラベンダーの香りに溺れていたわけではない。
この映画を見ると、思い出すのはベータ版のレンタルビデオを探していた事を思い出す。始めて、レンタルビデオ店で借りたビデオが『時をかける少女』である。
ケン・ソゴルに何故惚れてしまうのか。今でも分からない。だから、 魔性の香りなのだろう。
主人公、芳山和子は、時を歩いて、普通に50歳のおばさん。果たして、まだ、ケン・ソゴルを忘れられないのだろうか?
大林監督ありがとう!!
【”ラヴェンダーの香り”原田知世さんこそ、時を経ても容姿が変わらない未来人ではないの?と思った作品。】
ー 年代的に、初見である。
そして、1983年の角川映画で、SFのタイムリープや、テレポーテーションを実写化すると、こんなふうになってしまうんだ・・、と少し寂しく感じた。(さびしんぼう・・)
「転校生」も「さびしんぼう」も、とても面白かったのに・・。
幼き時に今作をTVで見てなかった事も、影響しているかもしれない。-
◆感想
・今作のファンの方には、物凄く叱られる事を承知の上で、もし今作がテレポーテーションでもして、2022年の新作として、そして原田知世さんが、新たに登場したアイドルとしてこの映画が公開されたとしたら、どうだろうか・・、と思ってしまった。
・今作は”尾道三部作”の2作目となっているが、大林監督はこの作品が出来上がった時に、この作品を見てどう思ったのか、聞いてみたい。
ー 「転校生」や「さびしんぼう」の不可思議な抒情性が希薄である。-
・筒井康隆氏の「時をかける少女」は、幼き時に読んだが、とても面白かった。だが、今作は角川春樹氏による、当時お気に入りだった原田知世さんのアイドル映画のトーンが強すぎるのではないか、と思ってしまった。
<今作は、公開時にこの映画を見た人にとっては、忘れ難い作品であろう。
だが、年齢的に初見の私には、特にSFシーンのチープさが残念に思った作品。
エンドロールの原田さんのMVのような作りもちょっとなあ、と思ってしまったよ。
流石に、テーマソングは知っていましたが・・。>
知っているのに知らない映画
1983年。小学2年生だった私が選んだ映画は「のび太の海底鬼岩城」。ただし原田知世が歌番組を席巻し、ドラえもんに夢中な子どもにも時をかける少女の名前は轟いた。
サビのメロディは妙に耳に残ったが、それでも映画を観ることはなく、テレビでも流れていたのだろうけど違うチャンネルを選び、結局40年弱の年月が過ぎていた。
本作を含めて9回もの映像化がされているらしい。アニメ映画は観た。だから何となく内容は知っている。こんなに知っているのに、こんなにも知らない映画は他にない。スクリーンで観れるとなれば行かないわけがない。ありがとう角川映画祭。
映像やストーリー、演技も演出も音楽も何もかも、古さに溢れていた。だがそれは決して悪い意味ではない。40年前の映画が今と同等だったら、さらに最新作より優れていたりなんかしたら大問題なのだ。
だから安心した。古い映画だった。
古い映画だったのに、やはり素晴らしかった。つまり映画は、前述したような単純な要素だけで成り立っているものでは無いのだ。そもそも素晴らしいのであろう(つまり未読)筒井康隆による原作、大林監督のほとばしる情熱、そして透けて見える原田知世の未来。深町同様に、自分が未来人としてタイムリープしてきたかのようだ。理由はよく分からないが良い時間を過ごせた。
因みにこの映画のメインはエンドロールだと思う。映画を観終えて聴く原田知世の歌が心地よい。歌詞の内容をはじめて理解して鳥肌立った。ジャッキーばりのNGシーンまで盛り込まれたエンディングは正直過去最高レベル。まあ、流れてくる文字は一切読めなかったのだが…。
原田知世という素材への期待感
素朴で初々しい原田知世
タイムトラベラーは自分のことだったのです
「時をかける少女」とは誰のこと?
もちろん原田知世の演じる芳村和子です
しかし実は他にもいたのです
それはあなたのこと
私達観客自身のことでもあったのです
大昔観た時は、なるほどアイドル映画だ
ポップでキッチュな映像表現だとぐらいにしか理解できませんでした
そんな風にほんのうわべだけしか、本作の意味を理解できてきなかったのです
本当の意味なんかその時にはまるでわからなかった
40年近い年月が過ぎ去って本作を観る私達
それはタイムトラベラーです
アルバムの写真をくるかのように自分の過ぎ去った思い出の一コマ一コマが映画と一緒に私達の脳裏で遡っていくのです
チープで昭和ぽいといわれるタイムリープの映像は実はそれを表現していたのです
原田知世は当時15歳
大林監督は46歳
つまり一世代違うのです
大林監督は主人公の芳村和子を大正ロマンの少女として理想化したと特典映像で語られておられてました
つまり大林監督は自らの青春時代へタイムリープして、その理想の少女を現在に持ち込んでみせたのです
それがタイムトラベラー原田知世です
そして21世紀
同じように私達はタイムリープして、自分たちの青春をもう一度くりかえせるのです
永遠の4月18日なのです
大林監督は意図は、今やっとわかりました
長い間、本作をなかなか再度観る気になれなかった理由もわかりました
本作とともに青春が閉じ込められていたからです
不用意に観て時の迷い人、時の放浪者になりたくなかったからです
カーテンコールの歌唱シーンで涙腺が決壊しました
果てしない時を経て、ここに戻ってきた
自分が忘れていた青春はここにあった
絶対に忘れないと誓ったことも何もかも忘れ去っていたことを今思い出したのです
タイムトラベラーは自分のことだったのです
大林監督やっとわかりました
ありがとうございました
安らかにお眠り下さい
自分もタイムリープできました
37年ぶりの鑑賞でした
まず、37年前に観たのは原田知世ファンの親友に影響を受けた結果。小学5年の時に初めて小遣いで料金を払って観た映画がこの作品だった。当時の感想は全く覚えていない。雪山から始まる事など全く覚えていない。その後シーンも断片的に少しだけ。劇場での記憶というより、のちにテレビの特集番組などで観た記憶かも知れない。その後はテレビでも観る事なく今日を迎えた。
そんな思い入れのある作品なので体験として面白く観れました。
作品の感想としては、このところ好んで観るタイプの映画ではなかったというのが正直なところ。新人女優には難しい作品だったのではないだろうか。ただ、これが角川映画の面白いところだったのだろう。
映像としての面白さは随所に見られた。クセが強いので好みは分かれるがポイントで差し込まれるので、苦手な自分でもいい塩梅で観れました。
ストーリーは謎解きの妙、ここが肝だか、もうちょっとこなれた俳優陣ならもっと良かったか。複雑さはあまりなく、観やすい作品。
全体的に、角川映画・大林宣彦、という当時の映画感が想像できる点も面白い体験でした。
少しレトロな昭和の紙芝居のような作品
旧い尾道の街並みと、原田知世さんの清楚で素朴な
魅力に、徐々に引き込まれて行きました。
尾美としのりさんが自然体の演技で、いい味を出して
いた。
時空を超えるシーンでの表現や、日めくりカレンダー
など小物の映し方が印象的でした。
ラストの原田知世さん(まるで「カリオストロの城」の
和製クラリスのよう)と、原田知世さんが歌う主題歌と
共に流れるエンドロールの映像が素敵でした。
以前「海辺の映画館 - キネマの玉手箱」を撮影される
大林宣彦監督を密着取材した番組(NHK)を見たの
ですが、撮影現場の出演される俳優さんとの本音での
やり取りに、監督の作品に対する思いが溢れていました。
最期に撮られたこの映画を、映画館で観ようと思って
います。
NHK BS を録画にて鑑賞
冒頭のだんだんカラーに変わるところが結構好き
大林宣彦監督が急逝されたということもあり、WOWOWにて初鑑賞。
ストーリーは大体把握していたので、難無く不思議なタイムリープの世界観に浸ることができました。
映像が綺麗というだけでなく、ストップモーションなどの撮り方がかなり工夫されていて、すごい芸術的です。
尾道の風景や街並みはこの映画にぴったりでした。
まだ、すごく若い原田知世さんは決して演技は上手ではなかったですが、まだ新人感が出ていて悪くないです。
やはり、深町君は酷いですね。
果たして未来はそんなことが可能になっているのでしょうか?
そして、可愛そうな吾郎ちゃん。
個人的に1番好きなキャラクターです。
岸部一徳さんの先生も結構好きになりました。
でも、やはりあの主題歌が頭から離れない。
原田知世さんの歌声、
少し引きずりそうです。
これ以降、アニメ、ドラマなど色々な形で作られているので、比較のためにも観ておこうと思います。
勿論、小説も。
アニメと全然違うー!!
アニメ版は数回視聴済み。アニメが割と好きなのでテレビで放送してたのをたまたま知って視聴。
アニメと全然違う!!
これの方が原作に沿ってるなら、アニメはあそこまでよく膨らませたな…と感心しました。
画面がずっと暗いし、本題に入るまでが長い…。
そして、演技が演劇部並み。
あの当時はあんな気取った話し方が流行だったのかな。
ヒロインが下駄を履いて町を出歩いてたので驚きました。
終盤はラストがCGをふんだんに使われていて、初代ウルトラマン(昔を振り返る番組で見た)を彷彿とさせました。当時の人はこのCGを観てどう思ったのか気になるところ…。当時の最先端が水をさした気がしました。
不満点は多くあれど、さすが何回も映画化されている小説なだけあって、種明かしはおもしろかったです。
主題歌はいい曲で原田知世の声が切なさを増して、今でも人気なのは納得。
原田知世のファン、時をかける少女のコアなファン、アラフォーにお勧めです。
時は別れと共に過ぎていくのではない、想いと共にやって来る
大林宣彦監督1983年の作品。
“尾道3部作”の第2作目。
幼馴染みの吾朗やクラスメートの深町と共に充実した高校生活を送る和子。
ある日の放課後、掃除当番の理科実験室で、誰かの気配が。
誰も居なかったが、ラベンダーのような香りを嗅ぎ、気を失ってしまう…。
その日を境に、奇妙な体験を。昨日起きた事が今日も起きている…?
あの放課後のラベンダーを嗅いだ時から、タイムリープ能力が…!
原作は筒井康隆の名作ジュブナイル小説。
本作は“尾道映画”としてではなく、青春ファンタジーとしても名高い。
TVドラマ化、この後2度の映画化、そして細田守監督のアニメ映画…。
幾度となく映像化され、その人気のほどが窺い知れる。
さて、この“時をかける大林版”、一本の映画として決して出来がいいとは言い難い。
では何故、今も見る者の心を掴み、魅了するのか。
奇跡の如く結晶した要因の賜物。
少女と2人の少年。織り成す三角関係、切なく淡い恋…。
『転校生』や後の細田アニメ版より恋愛色は濃く、邦画に於ける同ジャンルの原点とも言えよう。
ある人物の驚きの秘密を知った和子。
別れの時。時は過ぎていくのではない、やって来る。
そして時はやって来て、ラストシーン。
青春×純愛の真骨頂とも言える名シーン。
ちなみに、ラベンダーの花言葉は幾つかあるが、その中に、「私に答えて下さい」「献身的な愛」。
キャストの演技やSFXシーンについて苦言が多い。が、大林作品ファンなら周知、これは敢えて。
CGも無い時代、タイムリープをどう表現するか。確かに合成など拙いが、アニメーションなど挿入し、インパクトある画作りでタイムリープを表現。寧ろ、称賛モノである。
キャストの演技も新人の瑞々しさ、初々しさ、拙さを、その時だけの一瞬をフィルムに刻み残す。
細田アニメ版ほど巧みに練られた展開ではないが、開幕のスキー、ある老夫婦、幼き頃の傷痕、ラベンダーなど伏線も張られている。
お馴染み一部白黒映像、ほぼ全編奏でる松任谷正隆による音楽がノスタルジーを醸し出す。
そして、言うまでもない。本作は大林作品であると同時に、
原田知世の原田知世による原田知世の為の作品。
今で言う橋本環奈のような絶世の美少女ではないかもしれない。
が、見ていく内に、その拙い演技も含め、青春や想いや運命に翻弄されながらも一生懸命健気な姿が、堪らなく魅力的なのである。
エンディングの主題歌を歌うPVや全てひっくるめ、原田知世を見るアイドル映画。
批評家絶賛の作品だけが傑作名作の類いではない。
例え拙さあっても、後の作品に多大な影響与え、今も尚人々を魅了す。
それこそ本当の傑作名作。
それが、本作である。
いかにも昭和の・・・
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