「「アメリカ」を象徴する映画(゚Д゚)」華麗なるギャツビー 初台験さんの映画レビュー(感想・評価)
「アメリカ」を象徴する映画(゚Д゚)
アメリカ人なら誰もが知ってる有名な小説『ザ・グレート・ギャツビー』
1974年にロバート・レッドフォード、ミア・ファロー主演で映画化されたのを昔テレビで観たことあるけど、正直面白いとは思わなかった(;^ω^)
これ以外にも何回か映画化されてるけど、どれもそれほど高く評価されてない。
今回は『ムーラン・ルージュ』『ロミオ+ジュリエット』のバズ・ラーマンがメガホンを取って映画化。
1920年代の好景気に沸くアメリカ、特にニューヨークを舞台に、郊外の高級住宅街の豪邸で毎夜パーティを開くジェイ・ギャツビー。
それはギャツビーの昔の恋人のデイジー・ブキャナンの気を引くため。
大富豪の娘のデイジーは、ギャツビーが戦争から帰って来て無一文だったことから別れて、大金持ちのトム・ブキャナンと結婚。
そのトムの家がギャツビーの豪邸から海を挟んで向こう岸にあることから、連日連夜盛大なパーティを開いて、自分の現状を知ってもらおうとしていた。
デイジーのまたいとこで、小説家志望だったが証券会社に勤めているニック・キャラウェイはギャツビーの噂を聞きつけて、パーティに行ってみる。
海の岸から見える緑色のランプをずっと見てる男が。
それがギャツビーで、パーティで会ったことから仲が良くなる。
そのニックの計らいで、ギャツビーとデイジーは再会。
旦那のトムは田舎町の車整備工場の奥さんと不倫していて、さらに金に物を言わせて大勢の女と遊んでた。
もう愛情は冷め切ってたところに昔の男登場で、もうデイジーは止まらない(゚∀゚)アヒャ
ここまでがま~~~~~~~~ど派手。
ディカプリオ扮するギャツビーが"I'm Gatsby!"と自己紹介した途端にシャンパンがシュポーンシュポーンシュポーン!!!
花火がドカーンドカーンドカーン!!!
カメラが向こう岸の方まで空撮でぶんぶん振れまくり(・∀・)イイ!!
ラーマン監督、カメラを振り回し過ぎて頭に当たって大けがして映画の撮影がしばらく休止したとか
ヾ(≧∀≦ )ブハハッ!!ヾ(≧∀≦)ノブハハッ!!( ≧∀≦)ノブハハッ!!
『ロミオ+ジュリエット』でもど派手でロックやらヒップホップやらのBGMを使ってたわけだけど、こういうカメラワークに慣れてるはずなのに(;^ω^)
まあそれはいいとして(つ´∀`)つ
とにかくきらびやかでど派手なパーティ
デイジーが家でくつろいでるところで白いカーテンが何枚も風に揺られててなかなかデイジーの姿が出てこない辺りの外連味とわざとらしい幻想的なシーン
ニックが自分の家でギャツビーとデイジーをこっそり会わせるシーンで、これでもかと言わんばかりの花の量
そしてギャツビーが「この成り上がりもんが!!」と言われて怒るシーンで、SEが蒸気機関車の汽笛
キャハハハハッ!!(≧▽≦)彡☆バンバン
劇団☆新感線が大好きな俺としては、こういう演出大好き(・∀・)ウン!!
ところが、これは原作でもそうだけど、後半は前半の勢いや馬鹿さ加減が急に失速。
ギャツビーはデイジーとの逢瀬を満喫してたけど、旦那のトムだってそれに当然気づくわけだし、そんなの長続きするはずもない。
ギャツビーは旦那を捨てて俺と一緒にどこかに行こうと持ちかけるも、最初はデイジーも勢いでイエスと言うが・・・
ギャツビー調子こき過ぎ(ノ∀`)アチャー
いくら愛情は覚めてるとは言え子供もいるわけだし、そんなの無理に決まってる(*´・д・)*´。_。)ゥミュ
そしてトムに会って、デイジーの口から「もう愛情はない」とはっきり言わせた上で、ちゃんとけじめをつけさせようとするけど・・・
絶対無理だそんなの(;・∀・)
心ではそう思ってても、面と向かってはなかなか言えないのが人情。
つうかデイジーはギャツビーが無一文だから別れて大金持ちのトムに惹かれて行ったんだろ?
そんな女のどこに未練が??
・・・とも思わなくもないけど、中々忘れられないこともあるでしょうよ。
だとしてもだ・・・
このデイジーって女は優柔不断と言うか、結局金に流されると言うか・・・
ギャツビーとトムが大喧嘩して、それを見たデイジーはギャツビーと車に乗って帰る。
その途中産廃処理場みたいな場所を通った時に、そこで女を轢き殺してしまう∑(゚ω゚ノ)ノ
それがトムの愛人で、良く行く車修理工場の奥さん。
あとから来たトムはそれを見るが、当然自分の不倫相手だなんてことは言えない。
苦し紛れに「その車の持ち主はジェイ・ギャツビーという男だ」と言ってしまう。
実は運転してたのはデイジーで、轢き殺したのもデイジーだったことが判明。
トムは仕方なくギャツビーが運転してたことにして、デイジーには何も言わないよう釘を差す。
心配したニックがギャツビーの所に行くも、ギャツビーはもう全て悟ったような穏やかな表情。
最後に一目だけデイジーに会いたいと思いつつも、ニックが家に帰す。
そしてニックは一緒にいてあげたいが仕事があると去る。
そんな中、ギャツビーは1人でプールに入ってるところ、交通事故で死んだ奥さんの敵を取ろうとする旦那がギャツビーの家に来てギャツビーを射殺。
そして自分も拳銃自殺。
悲しいのがこの後。
ギャツビーが死んで、葬式を上げようとしても弔問客はニック以外誰も来ない。
トムとデイジーにも手紙を書くが、2人ともすでに逃亡。
電報を打っても梨のつぶて。
原作ではその後ニックがトムと再会して、この野郎をぶん殴ってやりたいという衝動に駆られるも、我慢して挨拶の握手をするというエピソードがあるけど、映画ではそれはない。
結局ギャツビーは1人の女のために悪に手を染めて大金持ちになりあがって、1度はまた手に入れたかに思えたけど、最終的にはその女のせいで、つまり2回裏切られた結果命まで落とした。
何て悲惨なんだ。・゚・(ノД`)・゚・。
大金持ちの時にはあれだけ色んな人がパーティに来てたにも関わらず、葬式には誰1人来ないというのも、人間の残酷さ、冷淡さを感じる。
ギャツビーもどうしてこんな女のために命を懸けたのか・・・
『市民ケーン』然り、『ソーシャル・ネットワーク』然り、女が元で大金持ちになるっていう話を繰り返すのがアメリカっていう国なのか?
町山智浩さん曰く、このデイジーの行動がアメリカ人の心性を象徴しているとか。
確かにアメリカ人は金のある所に行っては失敗して、さらにまた別の金のある所に行っては・・・を繰り返してるかも知れない。
ギャツビーが死んで間もなく、アメリカでは世界大恐慌が起こって、それまでの華やかな生活やら浮かれた雰囲気は一気にどん底に叩きつけられることになる。
そしてルーズベルト大統領のニューディール政策が始まって、さらに第二次世界大戦に突入していく。
この映画はニックが精神科医の診察を受けているところで、そのギャツビーのエピソードを書いていく形で進むけど、ラストでエピソードが書きあがった所で、タイプした"Gatsby"の上に"The Great"と手書きで書き足す。
ニックのギャツビーに対する粋な手向け(・∀・)ウン!!
1人の女が原因で、人生の天国と地獄を一気に味わいながら痛ましい最後を迎えた哀れな男に「偉大なギャツビー」「華麗なるギャツビー」と付けた。
アメリカ近現代史を学ぶ一級資料と言われる原作小説を、ど派手できらびやかなエンターテインメント映画に仕上げた名作(゚д゚)イーヨイイヨー
いい映画です(・∀・)イイ!!