ひとにぎりの塩

劇場公開日:

ひとにぎりの塩

解説

石川県能登半島の最北端・珠洲(すず)で日本最古の「揚げ浜式」と呼ばれる塩づくりに勤しむ職人たちの姿を追ったドキュメンタリー。海水を汲み上げて砂にまき、天日と風で乾燥させて釜で煮詰める原始的な揚げ浜式の塩づくりを続ける職人たちの塩にかける思いや、雄大な日本海と美しい里山に囲まれた人々の営みを季節の移ろいとともに追いかけ、ものづくりの意味や大切さを見つめ直していく。

2011年製作/85分/日本
配給:ヒバナ・エンタテインメント
劇場公開日:2011年11月12日

スタッフ・キャスト

監督
プロデューサー
木村美砂
ナレーション
はな
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(C)映画ひとにぎり製作上映委員会

映画レビュー

2.5アーカイブ映像。 これから、どうなっていくのか。

2024年5月18日
PCから投稿
鑑賞方法:その他

単純

知的

寝られる

映画としては☆1つ、
登場された方々と、記録的価値を考えると☆3つ。
でも、能登半島地震への復興応援としては☆5つ。

監督のトーク付き上映会にて鑑賞。
 元々伝統的なもの作りに興味を持ち、ご縁でこの塩の製法を知り、当地の方がたの勧めもあり、製作。
 ちょうど、この映画の編集作業を行っていた時に、あの3.11東日本大震災を東京で経験。
 地方に活かされた”東京”を認識したと語っておられた。
  その話を聞いて、映画を思い起こせば、あのシーンはその思いに裏付けれれて残されたのだなと思う箇所もある。
  そんな監督の想いの詰まった映画。

なのだが、その監督の想いが的確に表現されたとは思えない点が惜しい。

ナレーションの言葉・言い回し・声で、小学校の授業で観る教育番組と錯覚してしまう。

 古来、狭い土地・海岸の近くという地形から塩を製法することが根付いていたこと。
 時の藩主が、年貢として塩を収めることも許したこともあって、将軍に奉納されるくらいに、上質な塩が生成され、広まったとのこと。
 けれど、国の塩専売政策により、塩を生成することができなくなり、塩田も他の作物を作る等職業替えを余儀なくされる。
 それで、伝統が根絶されるかと思われたが、これも国?の方針により、すでに第2次世界大戦中軍に徴兵されていた、塩づくりを本業としていた若者が呼び戻され、塩づくりをするようにと言われ、塩づくりを再開する。
 今ではその家系は、これも国から?”伝統”の称号を与えられている。
 そして、塩の専売がなくなり、昔塩づくりをしていた人々や、転職してきた人々によって、いくつかの塩生成が復活している。
 そんな流れが、昔の映像等も交えながら、ナレーションと、実際に塩を作っている人々や昔塩を作っていた人々の映像・声で語られていく。

 どの伝統工芸や文化・製法でもそうだが、為政者の思惑に翻弄される様に呆れてしまう。
 それでも、続いていくんだな。

 だが、映画はそこを掘り下げるわけではない。
 塩の製法の仕方や、それに関わる人々を”羅列”していく。

 伝統保持者として、家系を継ぐ者。軍から呼び戻された若者の子と孫。
  ”伝統”を継承する。特に強制されたわけでもないのに、子も孫も、「それが、父の背中を見て、自然の成り行きだったから(思い出し引用・言葉のままではありません)」と言う。

 一度は止めた人々がまた再開する。
  子どもの時塩田で遊んでいた、だから自然の成り行きだったような説明を異口同音に語る。

 転職してきた者。家族をどう説得したのか。
 ある若者は、デザイナーとしてイタリアにも留学して、でも今はこの仕事についている。家族には理解されなかったらしいが、本人の中では至極自然に前職と今の仕事は繋がっているらしい。「つながっているらしい」という思いはなんとなく理解できるのだが、私には、この方のご家族同様、どうつながっているのかは明確ではない。万人が理解できるような説明はない。想像するだけ。

 なぜ、苦労の多い、あえての伝統的な製法にこだわるのか、その生き様は深く掘り下げずに、あるがままを映し出す。手前でゲートが閉まっているようで、地団駄を踏みたくなる。自分が食べたい塩を作る、ただそれだけのことなのかもしれない。自分が納得する料理を作るのと同じように。
 良い塩ができて消費者に喜んでもらえるという喜びはあれど、この、腰をやられそうな、それでいて実入りの少ない、伝統製法に、当たり前のように帰ってくる人、思いがあって転職してくる人もいれば、そうでない人の方が多いはず。だが、その対比はない。
 とはいえ、ここに転職してくる若者もいるが、全体からしたら稀有な存在。これから、この伝統はどうなっていくのだろうか。

 そして、この土地で生きるということにもさらっと触れてはいるが、深めない。
 浜辺を歩けば、海藻や海の生き物を拾え、山に入れば山菜を摘める。生きていく分には地産地消。この土地で完結できると言う。
 だが、今の世は”現金”も必要だ。だから、塩を生成できない冬は出稼ぎに行かねばならないという。
 ”現金”。電気・ガス・水道、家電、車等の移動手段、そして教育。現金がなければならないもの。それ以外も現金は必要になる。
 他国から日本に出稼ぎに来る人々も同じ。食べていく分にはその土地で賄えるところが多いが、”現金”が必要になると、どこかで稼がねばならない。
 監督がトークで語っていた地方と東京の関係を突き詰めるには良いテーマだと思うのだが、女性が語るがままを撮影。

 映画は、関係する人々の映像と声の羅列。なので、この製法を紹介する教育番組か、観光映像、監督が関わった人々の記録映像のように見えてしまう。

伝統を繋げていくものへの敬意・興味は感じ取れるが、
監督ご自身、どうしてこのテーマを撮るのかと言う、このテーマを追うご自身にはまだ突き詰めていないのではないだろうか。

とはいえ、出演されている人々の魅力。
炊きあがった塩の美味しそうなこと。
震災前の珠洲市の(ごく一部だが)映像。
癒される。

能登半島地震後。
 珠洲市へ重機を運ぶ道が分断され、海からも入れないため、4月の時点でまだ瓦礫の山だったそうだ。
 この映画に出演された方の中にも亡くなられた方がいらっしゃるそうだ。合掌。でも、関係者がその仕事を継いで、事業は継承されるそうだ。
 海岸が隆起し、塩田から海が遠くなってしまったそうだ。海水を運んでくる方法があれば、再開できる場所もあるらしい。
 とはいえ、土地を離れている方もいて、この先どうなるかはわからないそうだ。

東日本大震災。昨年、奇跡の1本松を見に行って、家屋が密集していたあの広大な場所が、津波によってさらわれ、広大な公園になっている姿に打ちのめされてきたが、
能登半島地震では、地形さえも変わってしまったのか。
その自然の威力に唖然としてしまった。

それでも、たぶん、何らかの形でこの伝統はつないでいくのではなかろうかと思った。
そういう意味でも、そこに生きて関わっている人達の記録として、伝統から未来へ、通過点の記録として貴重だと思った。

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とみいじょん